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制裁の舞台

第11幕

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 誰が一番不幸なのか。

 そんな話をしたいわけではない。発展途上の未熟な彼等には、他者の心の痛みなど理解できるはずもない。彼等にとっては、自分の心の傷だけが、愛しい存在である。自分だけが可哀想で、自分を傷つける者は絶対的な悪である。そう、例えば、自分を傷つけるものが愛しい存在であったとしても……。

 役者は揃ってしまった。 
 
 ついに、彼等の悲劇的な恋愛劇が、幕を開けたのである。



 薫のうなじに歯形が付けられて三日後の土曜日の夜のことだった。隼人は、夜の自主トレでかいた汗をシャワーで流すと、部屋着のジャージに着替えて、部屋に戻った。部屋の明かりは、消えており、窓から差し込む月明かりが二人部屋を優しく、妖しく照らしていた。薫はベッドに横になり、隼人に背を向けて眠りに就こうとしていた。首に巻かれた包帯が、隼人の心をざわつかせる。

 薫は包帯のことは何も言わない。隼人は包帯のことは何も聞かない。

 隼人は薫のベッドに腰をかけて、ゆっくりと薫の髪を撫でた。隼人が部屋に入ったところで、まどろみから引き戻された薫は、眠ったふりを続けている。じっと、隼人の愛撫に堪えながら博己のことを考えていた。博己が口にした「そのうち迎えに行くから、」そんな言葉を薫は信じていた。
 隼人は、触れた途端に薫の身体に緊張が走るのを感じて、彼が起きていることを悟る。眠ったふりを続けている薫の布団を捲り上げて、腰をそっと撫でた。

「やめてくれ……」

 薫の声は震え、その身体は怯えていた。博己に心を奪われた薫には、他の男に触れられることは、一層の嫌悪を募らせるものになっていた。いつもの隼人であれば、ここで手を引いていただろう。けれど、傷心の隼人にとって薫の拒絶は、いつにも増して耐え難かった。

「薫」

 隼人は薫の肩を掴み、身体を仰向けにさせる。そうして、艶かしい身体に跨がった。薫は瞳を潤ませ、唇を震わせている。左目の下にある泣き黒子が、涙のように見えた。
 隼人は、震える唇に、唇を重ねて、自身の心の傷を更に抉った。嫌がって逃げる舌に、舌を絡ませて、薫のシャツに手を潜り込ませて、胸を愛撫する。薫は抵抗らしい抵抗もできずに、犯される自分の不幸に心臓を冷やしていく。

 隼人が薫の胸の突起を転がして、優しく摘まむ。快楽に従順な身体は、隼人の焦れったい愛撫に反応を初めて、甘く痺れ出す。薫は、口内を舌でなぶられながら、息苦しくも、くぐもった艶っぽい吐息を吐いてしまう。

 ふわりと薫の甘い匂いが沸き立った。

 トントンと軽やかに、部屋のドアをノックする音が響いた。隼人は名残惜しげに身体を起こして、薫から離れた。薫は着衣の乱れを直しながら、ほっと安堵の息を吐いて布団の中に潜り込む。

 隼人が部屋のドアを開ける。視線を少し落とすと、そこには麗しい青年が、薄く笑って立っていた。ラフなジャージを着こんでいても、その身体からは、華やかで威圧的なオーラが放たれている。穏やかに細められた目元は、優しげであるのに、どこか鋭い光を放つ。
 隼人は目前の男のことを知っていた。この学園の生徒会長は、その美貌と、名の知れた御曹司であることで有名だった。

「神崎はいるか?」

 隼人が制止する間もなく、博己は男の胸を軽く押して、部屋に上がり込んでくる。尊大で優雅な立ち振舞いは、ベータやオメガと一線を斯くして、一切の反抗を許さない。
 博己は部屋に入るなり、口元を手で覆った。部屋の中は、運動部の部室のような雄臭い汗の臭いと、甘ったるい官能的な匂いが混ざり合って充満し、部屋の壁に染み付いているようだった。

「B棟の部屋は狭いな。これで二人部屋か」

 勝手に窓を開けながら、博己は憐れむように、部屋の住人を見比べた。
 この学園は、クラスの優劣だけではなく、学生寮にも優劣がつけられている。特進クラスの生徒はA棟で、普通科クラスの生徒はB棟と区別されていた。A棟の部屋は、一人部屋であったし、B棟の部屋のひとまわりは広かった。二つの棟の間には、渡り廊下はあるものの、その扉は固く閉ざされている。長く使われることのなかったその扉を、博己は意図も簡単に抉じ開けて、B棟に足を踏み入れたのだ。

「……博己」
「薫、会いに来たよ」

 薫はうっとりと突然の訪問者を見上げた。博己は慈愛の笑みを薫に向けた。二人の間を取り巻く空気に、隼人は、全てを悟り、ぎゅっと拳を握り締めた。隼人の入る隙間など、僅かな隙間さえないように思えた。
 博己は、長身のベータの男に笑顔を張り付けたまま向き直った。

「君、名前は?」

 隼人はびくりと肩を揺らした。脇と額に、冷や汗が滲む。

「……河島隼人、です」

 博己の瞳に鋭く赤い光が差し込んだ。まるで、隼人の全てを見透かして、射抜いてくるような眼差しだった。月明かりを背負った男は、孤高の狼のように見えた。自分よりも体格の小さい男に、なぜこれほどまでに萎縮しなければならないのか。

「河島くんは、薫と寝てるんだろ?」

 隼人は目を見開いて、薫に視線を寄越した。薫も息を飲んで、隼人に視線を合わせた。ベータとオメガが固まって見つめ合う。アルファは、その姿が可笑しくて、必死に笑いを噛み殺す。

「河島くん、薫のこと、嫌がってるのに無理やり犯してたって本当かい?」
「……そんなこと……ッ」

 隼人は絶句した。隼人からすれば、薫がその気になって誘ってきたときに、応えていただけである。無理やり抱いたことなど一度だって、ありはしない。いつも、薫が嫌がれば手を引いていた。自分は薫の性欲を満たす相手に過ぎず、今日は、今日ぐらいは、自分の我が儘に付き合ってもらおう、ぐらいのことを考えただけだ。
 それに、どれほどの罪があるというのか。

「薫、河島くんは違うようなこと言ってるけど、俺に嘘吐いたのか?」

 薫は肩をびくつかせて、首を横に振った。隼人は、薫のあまりの裏切りに、奥歯を噛み締める。恋人に許しを乞うために、薫は、隼人を強姦魔にでも仕立て上げようというのだろうか。

「どっちが嘘を吐いているんだろうな?」 

 博己にとっては、さほど違いはない。隼人がたとえ、無理やり薫を組み敷いていたとしても、舌を噛み切るほどの抵抗も見せずに、大人しく犯されるオメガは、自分から男を誘惑して腰を振る淫売と変わりはしない。

 要するに、薫の有罪は確定していた。

 怯える薫と見向かい合うように、博己は空いている隼人のベッドに腰を下ろした。アルファには、たった一言で、この場を凍りつかせる力がある。博己は、意地悪く口角を上げて、尊大に言い放った。

「なあ、そこで、やってみせろよ」


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