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白い子猫と騎士と黒い猫の話
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しおりを挟む人間らが思い思いの恐れをなす中、主、或いは魔王と呼ばれるそれだけが不敵な笑みを浮かべる。
「「何故、<お主が>、<この地に>選ばれ、たかがいち<人間>と共に<自由に>生活をしていられるか」、疑問に感じたとな」
ねとりと沼地に蕩け沈み込むような重みを孕んだ声色は、聖者に惚れ惚れとする恍惚の声にも、腹を鳴らし今に糧として喰らわんとする時の魔獣の鳴き声にも聞こえた。
「実に聖者は賢い」
「第一にこの世界に魔王と呼ばれるに値する魔物は我の他にも存在する。嗚呼安心せよ、そんじょそこらに転がっていると思うな。この地においては、同じ冠を持って人間共から呼ばれるのは我以外居らぬのは嘘ではない。だが偶々我のみがそうと呼ばるるだけやもしれぬ、居はせども感知されぬだけやもしれぬ。それを我が知り得たとて言う義理はない。この世では人間以外、人間以上に強い魔力を蓄えた何者も魔王と呼ばれるであろう。それが例え理性を持たぬ獣であっても思考すら無き植物であっても或いは全智の神であってもな」
「そして人間が言うところの魔王たる生物が頭を垂れる唯一が聖者と呼ばれる。我が黒と言えば人間の王族すら黒にさせるが、お主が白と言わばそれに従い従わせようぞ。この地に選ばれたのは、この地に住まう我がお主を選んだからに過ぎない。隣国が先に呼べばそちらに吸われたろう。お主を選んだのは、正しく我が気に入ったからに過ぎない。ひとつ、間違うであらぬぞ、聖者を真に呼んだのは王族でも貴族共でも民衆の祈りの奇跡でもない。我と世界、ついでに魔力を与えし魔術師共だ。神の奇跡など有りはせぬ」
「第二に確かに聖者は我の近くに居た方が、我の魔力は安定するであろう。そうせぬ、もとい、せずとも良いのは我がこの地そのものでありこの地を視ているからである。我が塒の真裏に居ようとも同じ土地に足をつける民が一であったならば全ては隣人である。この国にお主が居る限り何処に腰を据えようと変わりない。うん? ははは、そうさな、お主が此処へその身を落とした日か。さてどうであったろうなぁ」
「第三に王族か。あれは、実に滑稽なことに我を恐れている。神と見紛うが扱いをしていながらに可笑しなものよ。故に我の力を抑えられる聖者をいの一に守ろうとする。が、我が聖者を数多の目に入れるのを嫌うからな、下手に口出し一つできずにおるのよ。所詮は弱き人間、有象無象が駒の一手。王は神でなければ聖なる使いでもない。人間というたった一種族の中において最も偉い奴という価値しかない。たかが価値と見栄の為に血を絶やせられぬ、自由はなき、驕り高ぶれば国は滅ぶ。人間の中で実に最も可哀想な血筋だと思わぬか。まあ、今代の王子は中々に肝が座っておる。なにせ頻繁に我の前へ姿を見せる。聖者が会いに行く必要などない。用があらば我が来ようぞ」
「第四。聖者は自由であるが故に何人たりともその生活に悪意ある手出しはならず」
「しかし所詮記憶の薄れやすし愚かなり人間よ、律儀に守るのが大半とてこの生温い平穏な環境にあればかつて我と交わした約束も忘れるか」
「聖者が健やかに生きるが我とこの世界の望みとあらば、また、それにて聖者が幸を得るとあらば、誰の庇護下にあろうと我は許し、しかし誰であろうと関わるところでない」
「我は魔物で彼は人間である」
「故に」
「庇護者にやっかみを持ったとて我は人間同士の諍いに興味はない」
「だがそれで聖者が苦しむとあらばただでは済まさぬ」
「聖者の願いが我が願い」
「聖者を愛でし魔の王と世界がそれらをすべて見ていようぞ」
「さて聖者、お主が危惧するようなことも無きにしも非ずだが我等が監視の中で愚物共は何ができようか」
なあ、と振り向く。
その姿は魔王。
幾ら崇めようが人間らの王には非ず。
魔の、王。
猫、もとい聖者は今のところ魔王のことを「魔力の最も強い魔物」かつ「知性あるでかい猫」ぐらいにしか思っていないだろうが、魔王とは魔物の王だ。
聖者は「魔王」を知っていたが、異世界での「魔王」がどのような意味であるか我々は知らぬが此処では本質としてそれを違えることはない。
ただその気質が(人間の価値観での)悪意に染まりきっていないだけの、所詮は魔物の一匹。
そのくせ、これは、誰とも契約していない。
名付けは契約とはよく言ったものだ。
名も無きこの猫は、国に飼われてなどいない。
故にその足は誰にも縛られぬ自由。
過去の王族が魔王と人間との間で約束を幾つか交わしたから留まってるに過ぎない気ままな猫。
いや、実際は抱いているであろう悪意を人間への興味で塗り潰してるだけの、いつ火が点くかもわからぬ爆発物。
魔王の心を安らげる聖者を呼び出すことができぬままであったならば、魔王の心を悪意に揺らがせたならば、いずれ魔物で溢れ国が滅ぶ程度には危険なそれ。それともまたも気まぐれを起こした魔王が今度は遂に国を出、その守護を失うか。
今代は、目の前の小さな子猫でこの国が守られているなんて誰が思おうか。
きっと今はそこまでは理解が及ばぬのであろう、目を向けられた騎士らはただ先程の行動が魔王を怒らせたのだと考えて、顔色を青くしていた。それだけだ。本当にそれだけが理由だったのか、積み重なるものがあったのか、もし聖者が居らぬ場で同じ行動をしていたらどうしていたか、魔王の本意は知り得ない。
まあ、俺もまた、魔王の存在も王族との関係も聖者の意義も何もかも興味がなく、つい先日までは考えもしていなかったことだから。それから数えてたかが数ヶ月、王城の書庫に眠る歴史書からとってつけただけの知識ではまだ足りない。己が理解しきれないあやふやな背景を聖者へ教えるつもりもまだ無い。
魔王がこの国に居る理由を。聖者がこの国に呼ばれる理由を知る人間は、少なくはないだろうが、多くもない。その中でも何故なのかと考えたことのある人間は。
居ることが当たり前と化していてしかしその意味を理解していない人間が、或いは存在を知りもしない人間が、魔王に見放されていない。それはただの奇跡か。
いいや、魔王曰くは神の奇跡などないのだったか。砂よりも脆く柔い猫の自由の上に立つ奇跡など。
◇◇◇◇
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