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蒼一の決意⑥
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急いで玄関を開けて外へ飛び出していく。走りながらスマホで咲良に電話を掛けてみる。だが相手は出なかった。舌打ちしながらしまう。
母へ離婚届を渡したと言うなら、きっと私の顔を見ずにいなくなるつもりなんだろう。だが今は昼過ぎだ、あの家にまだいるかもしれない。ちゃんと顔を見て話したい、謝ってキチンと気持ちを伝えたい。
ああ、なんで自分はあんなに逃げていたんだろう。
咲良が近くにいてくれてる間にしっかり自分の気持ちを伝えればよかった。それで失望されても、罵倒されても。失った後に焦ってももう遅いのに。
彼女と過ごす毎日が温かで幸せで、それを失うのを恐れすぎたんだ。
家にたどり着き、急いで鍵を取り出した。それを鍵穴に差し込もうとした時、自分の名前を呼ぶ声に気がついた。
「蒼一さん?」
反射的に振り返ったが、いたのは咲良ではなかった。山下さんがそこに立っていたのだ。
ああ、と思い出す。彼女はいつもうちに来て夕飯を作ってくれるんだった。今日もそのために来たのだろう。
乱れる息を少し整えて言った。
「山下さん、すみません。今日はうちは大丈夫です」
「あら、そうですか」
「急ですみません、ありがとうございます」
早い口調でそれだけ言い、鍵を開ける。だが山下さんは自分とは裏腹なウキウキとした声で尋ねてきたのだ。
「蒼一さん、ケーキどうでした?」
ピタリと手が止まる。どう答えていいかわからず、私はそのまま停止した。
私が食べることのなかった咲良の手作りのケーキのことだ。誕生日の日、てっきりそれが食べれるのだと思い込んでいた。だが咲良が練習していたのは私のためではなかったと当日気が付いたのだが。
「……ああ」
「咲良さんすごく頑張ってたんですよ! 練習して、そのおかげで練習品はうちの子へのお土産になっててね~」
「あれは、僕のじゃなかったんです」
小さな声でそう呟いた。山下さんが首を傾げるのがわかる。
扉の取っ手をぼんやり眺めながら苦笑した。
「どうやら、違う人にあげたかったみたいで」
「え」
「僕には近くの美味しいケーキ屋の」
そう言いかけていると、いつも明るい山下さんの声が突然厳しくなった。そしてピシャリと断言する。
「そんなはずありません!」
つい顔を上げて振り返る。目を吊り上げて私を見ている彼女は、必死になって言った。
「そんなはずないです、あれは間違いなく蒼一さんへのプレゼントだったんですよ!」
「……え、でも、確かに当日」
「何か事情があったのでは? 私はあの日、チョコプレートに蒼一さんの名前を書いて飾る咲良さんの様子を見てるんですよ!」
予想外の言葉に狼狽えた。
ケーキがなかったことで、咲良の想いは違う人間に向かっているんだと再確認したのだ。
だが、それが違っていたら? 本当は私のためのケーキだったら?
あの日捨てた自惚れの考えが再度思い浮かんだ。戸惑う私に彼女は追い討ちをかける。
「蒼一さんのために頑張ってたんですよ咲良さん。あんなに……嬉しそうに。大好きな人へ作るから楽しそうに」
「大好き、って」
「好きじゃない人のために料理もあんなに練習しませんよ!」
再び私はぽかんとした。
「料理?」
聞き返す私に、今度は山下さんが驚いて返してくる。
「まだお聞きになってないんですか? もうここ最近の料理は全て咲良さんが作ってたんですよ。私はちょっと口を出すだけ。
最初から、蒼一さんの好物を作れるようになりたいとお願いされて教えていたんです。好きでもない人のためにそんなことできませんよ」
知らなかった真実に、私はただただ呆然とするしかなかった。
毎晩並ぶ食事たち。慣れ親しんだ味で、山下さんが作っているのだと疑いもしなかった。私が美味しいと言うたび微笑む咲良の顔が浮かぶ。好物だと教えると楽しそうにはしゃいでいた。
まさか。
そんな。
形だけの結婚生活だった。始まりはあんな無理矢理な入り口。それでも咲良は初めから私と夫婦として過ごそうと努力してくれていたのか。
母へ離婚届を渡したと言うなら、きっと私の顔を見ずにいなくなるつもりなんだろう。だが今は昼過ぎだ、あの家にまだいるかもしれない。ちゃんと顔を見て話したい、謝ってキチンと気持ちを伝えたい。
ああ、なんで自分はあんなに逃げていたんだろう。
咲良が近くにいてくれてる間にしっかり自分の気持ちを伝えればよかった。それで失望されても、罵倒されても。失った後に焦ってももう遅いのに。
彼女と過ごす毎日が温かで幸せで、それを失うのを恐れすぎたんだ。
家にたどり着き、急いで鍵を取り出した。それを鍵穴に差し込もうとした時、自分の名前を呼ぶ声に気がついた。
「蒼一さん?」
反射的に振り返ったが、いたのは咲良ではなかった。山下さんがそこに立っていたのだ。
ああ、と思い出す。彼女はいつもうちに来て夕飯を作ってくれるんだった。今日もそのために来たのだろう。
乱れる息を少し整えて言った。
「山下さん、すみません。今日はうちは大丈夫です」
「あら、そうですか」
「急ですみません、ありがとうございます」
早い口調でそれだけ言い、鍵を開ける。だが山下さんは自分とは裏腹なウキウキとした声で尋ねてきたのだ。
「蒼一さん、ケーキどうでした?」
ピタリと手が止まる。どう答えていいかわからず、私はそのまま停止した。
私が食べることのなかった咲良の手作りのケーキのことだ。誕生日の日、てっきりそれが食べれるのだと思い込んでいた。だが咲良が練習していたのは私のためではなかったと当日気が付いたのだが。
「……ああ」
「咲良さんすごく頑張ってたんですよ! 練習して、そのおかげで練習品はうちの子へのお土産になっててね~」
「あれは、僕のじゃなかったんです」
小さな声でそう呟いた。山下さんが首を傾げるのがわかる。
扉の取っ手をぼんやり眺めながら苦笑した。
「どうやら、違う人にあげたかったみたいで」
「え」
「僕には近くの美味しいケーキ屋の」
そう言いかけていると、いつも明るい山下さんの声が突然厳しくなった。そしてピシャリと断言する。
「そんなはずありません!」
つい顔を上げて振り返る。目を吊り上げて私を見ている彼女は、必死になって言った。
「そんなはずないです、あれは間違いなく蒼一さんへのプレゼントだったんですよ!」
「……え、でも、確かに当日」
「何か事情があったのでは? 私はあの日、チョコプレートに蒼一さんの名前を書いて飾る咲良さんの様子を見てるんですよ!」
予想外の言葉に狼狽えた。
ケーキがなかったことで、咲良の想いは違う人間に向かっているんだと再確認したのだ。
だが、それが違っていたら? 本当は私のためのケーキだったら?
あの日捨てた自惚れの考えが再度思い浮かんだ。戸惑う私に彼女は追い討ちをかける。
「蒼一さんのために頑張ってたんですよ咲良さん。あんなに……嬉しそうに。大好きな人へ作るから楽しそうに」
「大好き、って」
「好きじゃない人のために料理もあんなに練習しませんよ!」
再び私はぽかんとした。
「料理?」
聞き返す私に、今度は山下さんが驚いて返してくる。
「まだお聞きになってないんですか? もうここ最近の料理は全て咲良さんが作ってたんですよ。私はちょっと口を出すだけ。
最初から、蒼一さんの好物を作れるようになりたいとお願いされて教えていたんです。好きでもない人のためにそんなことできませんよ」
知らなかった真実に、私はただただ呆然とするしかなかった。
毎晩並ぶ食事たち。慣れ親しんだ味で、山下さんが作っているのだと疑いもしなかった。私が美味しいと言うたび微笑む咲良の顔が浮かぶ。好物だと教えると楽しそうにはしゃいでいた。
まさか。
そんな。
形だけの結婚生活だった。始まりはあんな無理矢理な入り口。それでも咲良は初めから私と夫婦として過ごそうと努力してくれていたのか。
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