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蒼一の想い②
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向こうで未だ笑いながら車椅子の老人と話している咲良を見ながら、私はキッパリという。
「あれが咲良のいいところです。何も間違えているとは思いませんが」
近くに人がいないことをチラリと確認し、私はなお続ける。
「呆れているのはこちらです。母さん、咲良に辛く当たるのはやめてください」
「別に辛くあたってなんか」
「綾乃が逃げ出したことは咲良になんの罪はない。それどころか、あの結婚式に穴をあけなくてすんだのは咲良の決断のおかげです。感謝すべきことであって、彼女に恨みをぶつけるなんて筋違いもいいとこです」
母は昔から綾乃をかなり気に入っていた。
元々ああいう女性と気が合うらしい。綾乃や、新田さんのようなハキハキした器用な女性が。それは個人的な好みなのでとやかくいうつもりはないが、咲良に厳しくするのはまるで見当違いだ。
可愛がっていた綾乃が逃げ出した憎しみを咲良に当てているだけのこと。
母は何も答えず黙り込んでいた。自分の母親なのでよくわかってるが、この人は非常に頑固だ。他人にも自分にも厳しく見習うところもあるのだが、一度思い込んだらなかなか覆せない。
私はもう一度念を押すように言った。
「咲良はとてもよくやってくれています、彼女にこれ以上冷たくするようなら僕が許しません」
そう言った時、ちょうど咲良がこちらへ戻ってきた。母は無言のまま踵を返し、人混みの中へと消えていく。その背中を困り果てながら眺めた。
「蒼一さん! すみませんでした」
「ううん、車椅子で食事などが取りにくいことを察して手伝ってくれたんだね。ありがとう」
「いいえ、まだご挨拶する人たちもたくさんいるのにすみません。行きましょう」
笑顔で私を促してくれる咲良に自然と微笑みを返しながら、私たちはまた疲れる人ごみへと進んでいった。
また仕事が始まる週明けになり、会社へ入ると、すでに咲良の噂が出回っているようで何人かに話しかけられた。
パーティーに参加できず咲良の姿を拝めなかったので写真はないのかとか、いい奥さんを持って幸せだなとか、この前とはまるで違った人々に呆れつつも気分良く返答しておいた。
咲良の間違った噂が落ち着いたことに少しホッとしているところに、聞き慣れた声が聞こえる。
「天海さん」
振り返るとやはり、新田茉莉子がこちらに駆け寄ってくるところだった。
「新田さん。おはよう。パーティーお疲れ様でした」
「お疲れ様でした」
「色々準備も大変だったろうけど、さすがだね。トラブルなく終わったよ」
「そんな。ありがとうございます」
はにかんで嬉しそうに笑う彼女は、普段とは違い少し子供っぽさが見えた。いつもはハキハキとしてまさにキャリアウーマン、という印象なので、そのギャップが面白いと思う。
私が足を進めると、彼女も隣に並んだ。
「咲良さんも。疲れたんでしょうね」
「疲れただろうね。頑張ってくれてたから」
「以前お会いした時と随分印象が違ったので驚きました」
「はは、とても綺麗だったよね」
なぜここで私がドヤるんだ、と自分でも思ったがつい言ってしまった。新田さんは不思議そうにこちらを見上げてくる。
「上手く行ってるんですか」
「え?」
「その、予定外の婚姻だったわけじゃないですか。しかも元婚約者の妹さんだし」
「ああ……うん、上手く行ってるんじゃないかな」
そう小声で言った自分の左手には、指輪が光っていた。
パーティの夜、疲れ切った咲良と家に帰り談笑した後、私たちは別々の寝室へ入った。
その日ちょうど以前購入したベッドが届く日で、家政婦の山下さんに立会を頼み搬入してもらっていたのだ。タイミング的にバッチリだと思った。パーティーであんな普段と違う顔を見せてきた咲良を隣にして、一晩我慢できる余裕などないだろうと思ったからだ。
別々の部屋に安心し、これでお互いゆっくり眠れると思った。ほっとしているところへ、風呂上がりの咲良が休みの挨拶をしにやってきたのでおやすみ、と返そうとして、私は気付く。
彼女はもう指輪をしていなかった。
スッキリした左手を見て、胸を痛める自分がいた。随分と自分勝手だ、パーティーが終わったら外してもいい、と言っていたのは自分なのだ。
それでも——もしかしたら夫婦の証であるそれを咲良がつけ続けるかもしれないという微かな期待はあった。
馬鹿馬鹿しい。そんなわけがないのに。周りのことを考えて仕方なく嫁いできた相手と同じ指輪なんて付けたくないに決まってる。そもそも咲良には他に好きな男がいるのに。
(……そういえば)
ふと思い出す。以前街へ行った時に会った青年、北野蓮也という子を。
咲良とは昔からの付き合いで、電話したりよく会う仲だという。彼は敵意にまみれた目で私を見ていた。その表情を見て気づかないわけがない、彼は咲良に想いを寄せている。
そしてもしかすると咲良も……。私の前で見せる顔とはまるで違うリラックスした表情。蓮也の前では私を「夫」とは紹介しなかったことを、ちゃんと気づいている。本来なら、彼に指輪をはめてほしいと思っているのかもしれない。
「あれが咲良のいいところです。何も間違えているとは思いませんが」
近くに人がいないことをチラリと確認し、私はなお続ける。
「呆れているのはこちらです。母さん、咲良に辛く当たるのはやめてください」
「別に辛くあたってなんか」
「綾乃が逃げ出したことは咲良になんの罪はない。それどころか、あの結婚式に穴をあけなくてすんだのは咲良の決断のおかげです。感謝すべきことであって、彼女に恨みをぶつけるなんて筋違いもいいとこです」
母は昔から綾乃をかなり気に入っていた。
元々ああいう女性と気が合うらしい。綾乃や、新田さんのようなハキハキした器用な女性が。それは個人的な好みなのでとやかくいうつもりはないが、咲良に厳しくするのはまるで見当違いだ。
可愛がっていた綾乃が逃げ出した憎しみを咲良に当てているだけのこと。
母は何も答えず黙り込んでいた。自分の母親なのでよくわかってるが、この人は非常に頑固だ。他人にも自分にも厳しく見習うところもあるのだが、一度思い込んだらなかなか覆せない。
私はもう一度念を押すように言った。
「咲良はとてもよくやってくれています、彼女にこれ以上冷たくするようなら僕が許しません」
そう言った時、ちょうど咲良がこちらへ戻ってきた。母は無言のまま踵を返し、人混みの中へと消えていく。その背中を困り果てながら眺めた。
「蒼一さん! すみませんでした」
「ううん、車椅子で食事などが取りにくいことを察して手伝ってくれたんだね。ありがとう」
「いいえ、まだご挨拶する人たちもたくさんいるのにすみません。行きましょう」
笑顔で私を促してくれる咲良に自然と微笑みを返しながら、私たちはまた疲れる人ごみへと進んでいった。
また仕事が始まる週明けになり、会社へ入ると、すでに咲良の噂が出回っているようで何人かに話しかけられた。
パーティーに参加できず咲良の姿を拝めなかったので写真はないのかとか、いい奥さんを持って幸せだなとか、この前とはまるで違った人々に呆れつつも気分良く返答しておいた。
咲良の間違った噂が落ち着いたことに少しホッとしているところに、聞き慣れた声が聞こえる。
「天海さん」
振り返るとやはり、新田茉莉子がこちらに駆け寄ってくるところだった。
「新田さん。おはよう。パーティーお疲れ様でした」
「お疲れ様でした」
「色々準備も大変だったろうけど、さすがだね。トラブルなく終わったよ」
「そんな。ありがとうございます」
はにかんで嬉しそうに笑う彼女は、普段とは違い少し子供っぽさが見えた。いつもはハキハキとしてまさにキャリアウーマン、という印象なので、そのギャップが面白いと思う。
私が足を進めると、彼女も隣に並んだ。
「咲良さんも。疲れたんでしょうね」
「疲れただろうね。頑張ってくれてたから」
「以前お会いした時と随分印象が違ったので驚きました」
「はは、とても綺麗だったよね」
なぜここで私がドヤるんだ、と自分でも思ったがつい言ってしまった。新田さんは不思議そうにこちらを見上げてくる。
「上手く行ってるんですか」
「え?」
「その、予定外の婚姻だったわけじゃないですか。しかも元婚約者の妹さんだし」
「ああ……うん、上手く行ってるんじゃないかな」
そう小声で言った自分の左手には、指輪が光っていた。
パーティの夜、疲れ切った咲良と家に帰り談笑した後、私たちは別々の寝室へ入った。
その日ちょうど以前購入したベッドが届く日で、家政婦の山下さんに立会を頼み搬入してもらっていたのだ。タイミング的にバッチリだと思った。パーティーであんな普段と違う顔を見せてきた咲良を隣にして、一晩我慢できる余裕などないだろうと思ったからだ。
別々の部屋に安心し、これでお互いゆっくり眠れると思った。ほっとしているところへ、風呂上がりの咲良が休みの挨拶をしにやってきたのでおやすみ、と返そうとして、私は気付く。
彼女はもう指輪をしていなかった。
スッキリした左手を見て、胸を痛める自分がいた。随分と自分勝手だ、パーティーが終わったら外してもいい、と言っていたのは自分なのだ。
それでも——もしかしたら夫婦の証であるそれを咲良がつけ続けるかもしれないという微かな期待はあった。
馬鹿馬鹿しい。そんなわけがないのに。周りのことを考えて仕方なく嫁いできた相手と同じ指輪なんて付けたくないに決まってる。そもそも咲良には他に好きな男がいるのに。
(……そういえば)
ふと思い出す。以前街へ行った時に会った青年、北野蓮也という子を。
咲良とは昔からの付き合いで、電話したりよく会う仲だという。彼は敵意にまみれた目で私を見ていた。その表情を見て気づかないわけがない、彼は咲良に想いを寄せている。
そしてもしかすると咲良も……。私の前で見せる顔とはまるで違うリラックスした表情。蓮也の前では私を「夫」とは紹介しなかったことを、ちゃんと気づいている。本来なら、彼に指輪をはめてほしいと思っているのかもしれない。
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