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咲良の想い③
しおりを挟むランチは美味しいお店で舌鼓を打った。映画もランチもスマートに予約して誘導してくれる蒼一さんはやっぱり大人な男性という感じがした。
その後二人で家具屋に向かい、ついに私のベッドを購入した。蒼一さんは色々なものを見て迷ってくれたけど、正直私は何でもよかったのですぐに決めた。
到着するまで二週間要するとのことで、それまでは今のまま二人で寝ることになる。たった二週間じゃきっと私たちの関係は何も変わらない。
これからはおやすみなさい、と挨拶を交わせば別々の部屋に入る。
夫婦なんかじゃない、ただの同居人の光景になる。
ベッドを購入した後は、適当な雑貨屋さんで食器や足りない調理器具などを購入した。可愛いブリザードフラワーなども買って家に飾ろうと話す。その会話一つ一つがとても幸せだった。
さてそろそろ帰宅しようか、となったとき、蒼一さんが思い出したようにある店に入っていった。彼について行くと、ふわりといい香りが鼻につく。そこは紅茶専門店だった。
「わ……いい匂い」
店内に足を踏み入れて驚いていると、蒼一さんが振り返って笑う。
「咲良ちゃん紅茶好きなんでしょ? 色々買ってみようよ」
「覚えててくれたんですか」
確かにコーヒーが苦手で朝はよく紅茶を飲んでいる。家にはあまり紅茶はないから、好きなの買っておいていいよと言われたものの、結局私は買いに行けていなかった。
彼は笑う。
「僕もたまには飲んでみようかな。どんなのが好きなの」
並べてある多くの茶葉を覗き込むその姿を見て、胸が苦しくなった。嬉しいと同時に訪れるこの痛みはいつになったら消えるんだろう。優しくされる分、悲しみも訪れる。
「……蒼一さんは、優しいですね」
心に思っていたことがポツリと声に漏れた。
彼は驚いたように顔を上げてこちらを見る。茶色の瞳が私を捉えた。
「今日だって、映画も食事も買い物も、スムーズに進めてくれて。仕事も忙しいのに、私に気を遣ってくれて」
私は彼の隣に並び、適当に目の前の一つを手に取って説明文を読んでみる。形だけの結婚相手なんて、放っておいてもいいのに。
「……僕は、咲良ちゃんが思ってるほど親切じゃない」
隣からそんな声が聞こえて顔を上げた。笑みを無くした蒼一さんが私を見ている。
「僕はくだらない人間だよ」
「蒼一さんがくだらないなんて」
「ほんとに。
きっと本当の僕を見たら咲良ちゃんは幻滅する」
半分笑いながらそう言った蒼一さんの言葉を聞いて、私は反射的に反論した。
「絶対ないです!」
思ったより大きな声。彼は驚いたようにこちらをみる。
「幻滅とか絶対ないです、本当に。絶対ないんですから」
幼い頃からずっと優しく笑いかけてくれた。いつでも穏やかで、気遣いができて、頭が良くて、ありきたりだけど太陽みたいな人だった。
私の初恋で、今も好きな人。今更蒼一さんに幻滅することなんて絶対にありえないのに。むしろ、幻滅できるならさせてほしい。報われないこの想いを諦めさせて欲しいのに。
彼は少し黙った後、手元の茶葉に視線を移した。でも彼の瞳に、それは映ってないように見えた。
「じゃあもし万が一、僕が」
「え?」
「僕が……」
小声で囁かれる声に耳を澄ます。一体何を言いたいんだろうか。
それでも、蒼一さんはその後の言葉を発さなかった。小さく口角をあげて笑うと、持っていた商品を戻す。
「いや、なんでも。こっちのとかどうかな、ミルクティーに合うって」
「あ、は、はい、美味しそうですね」
私たちはそのままぎこちなく買い物を続けた。蒼一さんが一体何を言いたかったのか、私は最後まで知ることはできなかった。
「いつも朝食ありがとう。行ってきます」
「行ってらっしゃいませ!」
いくらか時が過ぎ、蒼一さんはいつものようにビシッと仕事着に包まれて会社へ向かった。まだあまり成長しきれていない料理の腕で、簡単な朝食だけは毎日作っていた。
大概トーストとスクランブルエッグとスープとか。おにぎりと卵焼きと味噌汁とか。中学生でも作れるようなラインナップを、蒼一さんは必ず美味しいと笑って完食してくれた。
夕飯は山下さんに教わり、どれか一品は私が作るようにしていた。蒼一さんは気づいていないようだったがそれが嬉しい、出来がよいという証拠だからだ。いつか全ての料理が私の手で作れるようになったら彼に教えて驚かせよう、と思っている。
平日はほとんど蒼一さんと顔を合わせることもない。彼は仕事で遅くまで働き、帰ってきた数時間だけ話すくらいだ。私は閉じられた玄関の扉を見つめてふうと息を吐いた。
少し前の土曜日はベッドを買いに行って、後は日曜日も家でゆっくり過ごした。でも正直私は緊張で寛げなかった。一日中蒼一さんと一緒だなんて慣れていないからだ。
掃除などを手伝ってくれて、一緒にゆっくりしようと言ってくれた。仕事もしてるのに、なんでそんなに優しいんだろうと感心してしまうくらい。
コーヒーを飲みながらテレビを見て笑っているだけの姿を見ては胸が苦しくなる。その隣に座って一緒に笑えればいいのに、まだまだ私にはできなかった。ダイニングテーブルに座って、恋愛小説を読んでいたりした。正直ページはほとんど進んでいないけれど。
そんな私に蒼一さんは言った。『僕に気を遣わず、土日も友達とかと出掛けてきていいんだよ』と。
働いてもない私がそんなことできない、とすぐに反論しようとして黙った。私が家にいると、蒼一さん自身が寛げなくてそう言ってるのかもしれないと思ったからだ。
小声でお礼を言って、その次の週末は日曜日だけ一人で街をぶらぶらと歩いて時間を潰した。欲しいものもやりたいこともない自分にとって虚しい時間だった。
「……まだまだだなあ」
掃除機をかけながら独り言を言った。最初に比べれば家の中に蒼一さんがいるということはちょっとだけ慣れた。でもやっぱり、緊張してしまうし普通に過ごすことはできない。好きな人と一つ屋根の下にいるって、とんでもない冒険みたいなものだから。魔物倒してレベルアップする方がまだいい、私はいつまでもレベルは上がらない。
ため息をつきながら掃除を続けていると、ふとソファのすぐ下に何かを見つける。一度掃除機を止めて近づき見つめた。黒色で、手のひらに収まるほどの小さな……
「あ!!」
大きく声を漏らした。USBメモリーだった。慌ててそれを手にもつ。
今朝のことだ、私は朝バタバタとしているとき、蒼一さんの仕事用鞄を派手にひっくり返してしまった。蒼一さんは笑いながら一緒に落ちたものたちを拾ってくれ、その鞄を持って仕事に行ったのだが、その時にこれが落ちたと考えるのがスムーズではないか。
「しまった、どうしよう!」
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