上 下
19 / 95

咲良の想い③

しおりを挟む



 ランチは美味しいお店で舌鼓を打った。映画もランチもスマートに予約して誘導してくれる蒼一さんはやっぱり大人な男性という感じがした。

 その後二人で家具屋に向かい、ついに私のベッドを購入した。蒼一さんは色々なものを見て迷ってくれたけど、正直私は何でもよかったのですぐに決めた。

 到着するまで二週間要するとのことで、それまでは今のまま二人で寝ることになる。たった二週間じゃきっと私たちの関係は何も変わらない。

 これからはおやすみなさい、と挨拶を交わせば別々の部屋に入る。

 夫婦なんかじゃない、ただの同居人の光景になる。

 ベッドを購入した後は、適当な雑貨屋さんで食器や足りない調理器具などを購入した。可愛いブリザードフラワーなども買って家に飾ろうと話す。その会話一つ一つがとても幸せだった。

 さてそろそろ帰宅しようか、となったとき、蒼一さんが思い出したようにある店に入っていった。彼について行くと、ふわりといい香りが鼻につく。そこは紅茶専門店だった。

「わ……いい匂い」

 店内に足を踏み入れて驚いていると、蒼一さんが振り返って笑う。

「咲良ちゃん紅茶好きなんでしょ? 色々買ってみようよ」

「覚えててくれたんですか」

 確かにコーヒーが苦手で朝はよく紅茶を飲んでいる。家にはあまり紅茶はないから、好きなの買っておいていいよと言われたものの、結局私は買いに行けていなかった。

 彼は笑う。

「僕もたまには飲んでみようかな。どんなのが好きなの」

 並べてある多くの茶葉を覗き込むその姿を見て、胸が苦しくなった。嬉しいと同時に訪れるこの痛みはいつになったら消えるんだろう。優しくされる分、悲しみも訪れる。

「……蒼一さんは、優しいですね」

 心に思っていたことがポツリと声に漏れた。

 彼は驚いたように顔を上げてこちらを見る。茶色の瞳が私を捉えた。

「今日だって、映画も食事も買い物も、スムーズに進めてくれて。仕事も忙しいのに、私に気を遣ってくれて」

 私は彼の隣に並び、適当に目の前の一つを手に取って説明文を読んでみる。形だけの結婚相手なんて、放っておいてもいいのに。

「……僕は、咲良ちゃんが思ってるほど親切じゃない」

 隣からそんな声が聞こえて顔を上げた。笑みを無くした蒼一さんが私を見ている。

「僕はくだらない人間だよ」

「蒼一さんがくだらないなんて」

「ほんとに。
 きっと本当の僕を見たら咲良ちゃんは幻滅する」

 半分笑いながらそう言った蒼一さんの言葉を聞いて、私は反射的に反論した。

「絶対ないです!」

 思ったより大きな声。彼は驚いたようにこちらをみる。

「幻滅とか絶対ないです、本当に。絶対ないんですから」

 幼い頃からずっと優しく笑いかけてくれた。いつでも穏やかで、気遣いができて、頭が良くて、ありきたりだけど太陽みたいな人だった。

 私の初恋で、今も好きな人。今更蒼一さんに幻滅することなんて絶対にありえないのに。むしろ、幻滅できるならさせてほしい。報われないこの想いを諦めさせて欲しいのに。

 彼は少し黙った後、手元の茶葉に視線を移した。でも彼の瞳に、それは映ってないように見えた。

「じゃあもし万が一、僕が」

「え?」

「僕が……」

 小声で囁かれる声に耳を澄ます。一体何を言いたいんだろうか。

 それでも、蒼一さんはその後の言葉を発さなかった。小さく口角をあげて笑うと、持っていた商品を戻す。

「いや、なんでも。こっちのとかどうかな、ミルクティーに合うって」

「あ、は、はい、美味しそうですね」

 私たちはそのままぎこちなく買い物を続けた。蒼一さんが一体何を言いたかったのか、私は最後まで知ることはできなかった。

 




「いつも朝食ありがとう。行ってきます」

「行ってらっしゃいませ!」

 いくらか時が過ぎ、蒼一さんはいつものようにビシッと仕事着に包まれて会社へ向かった。まだあまり成長しきれていない料理の腕で、簡単な朝食だけは毎日作っていた。

 大概トーストとスクランブルエッグとスープとか。おにぎりと卵焼きと味噌汁とか。中学生でも作れるようなラインナップを、蒼一さんは必ず美味しいと笑って完食してくれた。

 夕飯は山下さんに教わり、どれか一品は私が作るようにしていた。蒼一さんは気づいていないようだったがそれが嬉しい、出来がよいという証拠だからだ。いつか全ての料理が私の手で作れるようになったら彼に教えて驚かせよう、と思っている。

 平日はほとんど蒼一さんと顔を合わせることもない。彼は仕事で遅くまで働き、帰ってきた数時間だけ話すくらいだ。私は閉じられた玄関の扉を見つめてふうと息を吐いた。

 少し前の土曜日はベッドを買いに行って、後は日曜日も家でゆっくり過ごした。でも正直私は緊張で寛げなかった。一日中蒼一さんと一緒だなんて慣れていないからだ。

 掃除などを手伝ってくれて、一緒にゆっくりしようと言ってくれた。仕事もしてるのに、なんでそんなに優しいんだろうと感心してしまうくらい。

 コーヒーを飲みながらテレビを見て笑っているだけの姿を見ては胸が苦しくなる。その隣に座って一緒に笑えればいいのに、まだまだ私にはできなかった。ダイニングテーブルに座って、恋愛小説を読んでいたりした。正直ページはほとんど進んでいないけれど。

 そんな私に蒼一さんは言った。『僕に気を遣わず、土日も友達とかと出掛けてきていいんだよ』と。

 働いてもない私がそんなことできない、とすぐに反論しようとして黙った。私が家にいると、蒼一さん自身が寛げなくてそう言ってるのかもしれないと思ったからだ。

 小声でお礼を言って、その次の週末は日曜日だけ一人で街をぶらぶらと歩いて時間を潰した。欲しいものもやりたいこともない自分にとって虚しい時間だった。

「……まだまだだなあ」

 掃除機をかけながら独り言を言った。最初に比べれば家の中に蒼一さんがいるということはちょっとだけ慣れた。でもやっぱり、緊張してしまうし普通に過ごすことはできない。好きな人と一つ屋根の下にいるって、とんでもない冒険みたいなものだから。魔物倒してレベルアップする方がまだいい、私はいつまでもレベルは上がらない。

 ため息をつきながら掃除を続けていると、ふとソファのすぐ下に何かを見つける。一度掃除機を止めて近づき見つめた。黒色で、手のひらに収まるほどの小さな……

「あ!!」

 大きく声を漏らした。USBメモリーだった。慌ててそれを手にもつ。

 今朝のことだ、私は朝バタバタとしているとき、蒼一さんの仕事用鞄を派手にひっくり返してしまった。蒼一さんは笑いながら一緒に落ちたものたちを拾ってくれ、その鞄を持って仕事に行ったのだが、その時にこれが落ちたと考えるのがスムーズではないか。

「しまった、どうしよう!」


しおりを挟む
感想 25

あなたにおすすめの小説

【完結】私の好きな人には、忘れられない人がいる。

Rohdea
恋愛
───あなたには忘れられない人がいる。だから私はー…… 厳しい入学試験を突破したエリートだけが入学出来る王立学校に通っている、元・男爵令嬢で平民のマリエール。 この学校を首席で卒業すると、陛下から一つだけ何でも願い事を叶えてもらえるという夢のようなご褒美がある。 そんな褒美の為に、首席卒業を目指すマリエールの最大のライバルは公爵令息のルカス。 彼とは常に首位争いをする関係だった。 そんなルカスに密かに恋心を抱くマリエール。 だけどこの恋は絶対に叶わない事を知っている。 ────ルカスには、忘れられない人がいるから。 だから、マリエールは今日も、首席卒業目指して勉強に励む。 たった一つの願いを叶えてもらう為に───

本日はお日柄も良く、白い結婚おめでとうございます。

待鳥園子
恋愛
とある誤解から、白い結婚を二年続け別れてしまうはずだった夫婦。 しかし、別れる直前だったある日、夫の態度が豹変してしまう出来事が起こった。 ※両片思い夫婦の誤解が解けるさまを、にやにやしながら読むだけの短編です。

【完結済】ラーレの初恋

こゆき
恋愛
元気なアラサーだった私は、大好きな中世ヨーロッパ風乙女ゲームの世界に転生していた! 死因のせいで顔に大きな火傷跡のような痣があるけど、推しが愛してくれるから問題なし! けれど、待ちに待った誕生日のその日、なんだかみんなの様子がおかしくて──? 転生した少女、ラーレの初恋をめぐるストーリー。 他サイトにも掲載しております。

婚約破棄するんだったら、その代わりに復讐してもいいですか?

tartan321
恋愛
ちょっとした腹いせに、復讐しちゃおうかな? 「パミーナ!君との婚約を破棄する!」 あなたに捧げた愛と時間とお金……ああっ、もう許せない!私、あなたに復讐したいです!あなたの秘密、結構知っているんですよ?ばらしたら、国が崩壊しちゃうかな? 隣国に行ったら、そこには新たな婚約者の姫様がいた。さあ、次はどうしようか?

【完結】巻き戻りを望みましたが、それでもあなたは遠い人

白雨 音
恋愛
14歳のリリアーヌは、淡い恋をしていた。相手は家同士付き合いのある、幼馴染みのレーニエ。 だが、その年、彼はリリアーヌを庇い酷い傷を負ってしまった。その所為で、二人の運命は狂い始める。 罪悪感に苛まれるリリアーヌは、時が戻れば良いと切に願うのだった。 そして、それは現実になったのだが…短編、全6話。 切ないですが、最後はハッピーエンドです☆《完結しました》

すれ違ってしまった恋

秋風 爽籟
恋愛
別れてから何年も経って大切だと気が付いた… それでも、いつか戻れると思っていた… でも現実は厳しく、すれ違ってばかり…

忘れられたら苦労しない

菅井群青
恋愛
結婚を考えていた彼氏に突然振られ、二年間引きずる女と同じく過去の恋に囚われている男が出会う。 似ている、私たち…… でもそれは全然違った……私なんかより彼の方が心を囚われたままだ。 別れた恋人を忘れられない女と、運命によって引き裂かれ突然亡くなった彼女の思い出の中で生きる男の物語 「……まだいいよ──会えたら……」 「え?」 あなたには忘れらない人が、いますか?──

年下の彼氏には同い年の女性の方がお似合いなので、別れ話をしようと思います!

ほったげな
恋愛
私には年下の彼氏がいる。その彼氏が同い年くらいの女性と街を歩いていた。同じくらいの年の女性の方が彼には似合う。だから、私は彼に別れ話をしようと思う。

処理中です...