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蒼一の憂鬱①

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 朝目が覚めた時、隣で眠っているはずの咲良はもういなかった。

 昨夜もどこかソワソワした様子で何度も寝返りを打っていたのを知っているので、多分じっくり眠れていないはずだ。

 私はふうと息を吐きながら上半身を起こす。かくいう自分も、実のところ熟睡できている感じはない。

 正直に言おう。隣で想いを寄せる女性が寝ているのは、男にとって拷問でしかない。下心? あるに決まっている。ないという男がいるのならお会いしたい。

 それでも彼女に指一本触れるわけにはいかなかった。無理矢理嫁がされ、好きでもない男と衣食住共にすることだけできっと精一杯なはずなのだから。

 時計を眺めると、まだ時刻はだいぶ早い。今日も自分が朝食を作ろうかと思っていたのだが、もしや。

 私は思い当たるところがあって寝室からでた。キッチンから何やら物音が聞こえてくるの気がつく。そちらに向かって足を早めた。

 リビングのドアを開けると、すでにキッチンに立って調理している咲良の姿が目に入った。エプロンをつけて立っているその姿だけで、一瞬呼吸が止まってしまったのは決して誰にも言えない。

 彼女ははっと顔をあげてこちらを見た。そして柔らかく笑ってみせる。

「おはようございます」

 ただの挨拶。それが、どうしてこんなに尊く感じるのだろうか。

「おはよう。早いね」

「今日こそは私が朝ごはんつくろうって思ってて……!」

「そんなこと頑張らなくていいんだよ。気がついた方がやればいいんだから」

 私のエゴで彼女を嫁がせたことを、心の中で申し訳なく思っている。

 だからせめて、咲良には自由に楽しく過ごしてもらいたかった。彼女はまだ若い。遊びまわってもらっていいのだ。ただ、最後はこの家に帰ってきてくれさえすれば。

「いえ、やらせてください! ただ、私そんなに料理上手くないんですけど……すみません」

 申し訳なさそうに言ってくる咲良に少し笑った。

「ううん、全然気にしない。ありがとう」

「もう少し待っててください」

「じゃあ支度してくるね」

 自分でも浮かれていることに気づいていたが、それを悟られないように取り繕ってその場を去った。洗面室に向かい歯を磨いて顔を洗う。使い終えたタオルを洗濯機に入れたとき、そういえば料理以外の家事も、家政婦の山下さんにきてもらおうか、と思いつく。

 多分昨日は咲良がやってくれたんだろう。

「でも、なあ」

 山下さんは咲良も知っている相手で、きっと彼女のフォローを上手くしてくれるだろうから頼んだのだが、元々は両親が雇った家政婦だ。あまりこちらに呼んでは、両親がいい顔をしないと思う。

 父はともかく、母は特に綾乃を気に入っていた。ハキハキして明るい子だったので、母とも気が合うらしかった。逆に言えば、正反対の、どちらかといえば内気な咲良とはあまり合わないのだろう。

 それに何より、多分逃げ出した綾乃への恨みを咲良にぶつけているだけだ。咲良は何も悪くないのに。

 山下さんが頻繁にこちらへ来ては、咲良のイメージが悪くなってしまうか。

「違う家政婦を雇うか」

 一人考えて着替えに向かう。少しでも、咲良が過ごしやすいようにしてほしい。別に家事をして欲しくて結婚したわけじゃない。むしろそんなもの全部私がしてもいいくらいだ。

 ワイシャツに袖を通して再びキッチンへ戻る。香ばしいいい香りが鼻をついた。咲良は必死で何かと格闘しており、微笑ましい。その様子を永遠に眺めていたいと思った。
 
「よし! お待たせしました!」

 達成感に満ち溢れた顔で咲良がテーブルに料理を置く。それはホットサンドだった。

「すごい! おいしそうだね」

「は、挟んだだけです……」

「ありがとう。食べようか」

 私が声をかけると、咲良も嬉しそうに正面に座った。二人で手をあわせて挨拶をする。

「いただきます」

「いただきます!」

 手に持って中身を見てみると、卵とベーコンが入っているようだった。出来立てで熱々のそれは、お世辞抜きで美味しくてたまらなかった。

「美味しいよ! どこが料理苦手なの?」

「蒼一さん……これトーストに焼いたベーコンと卵挟んだだけですよ……」

「はは、でも美味しいから。ありがとう」

 私のお礼に咲良は嬉しそうに笑った。犬だったら尻尾を振り回しているだろうという表情だった。

 二人でパンに齧り付く。彼女は口の端にケチャップが少し付いていて、指摘しようと思ったが可愛いのでそのままにしておいた。

「そうだ、山下さんは夕方に来てもらうとして。他の家事をしてもらう家政婦さんを雇おうと思うんだけど」

 早速咲良に提案した。彼女は目を丸くしてこちらをみる。

「掃除とか、洗濯とかさ。午前中だけでも」

「え、そんな。私上手じゃないけど、それくらいやれます!」

「咲良ちゃんはのんびりゆっくりしててくれればいいんだよ。ね、そうしよっか。あまり人を家に入れたくないなら、三日に一度くらいでも全然」

 そう話していると、目の前の彼女の表情が翳ったことに気がついた。

 私は少し首を傾げて顔を覗き込む。やっぱり、人に気を遣う彼女は遠慮するだろうか。

「あの、私、ですね」

「うん」

「その、あまり家事とかも得意じゃないですけど、練習してちゃんとこなせるようになりたいですし……形だけの結婚相手でも、ちゃんと頑張りたいんです。仕事で忙しそうにしてる蒼一さんのフォローを少しでもできたら、って……」

「形だけだなんて」

 慌てて否定しようとして、その術がないことに気がついた。

 私の気持ちを知らない咲良からすれば、家事も何もすることがない自分をそう思っても仕方ないだろうと思った。書類上だけの夫婦みたいなものだ。家と家の関係上嫁いだだけ。

 本当は私が君と結婚したかったからこうなっている———だなんて、幻滅されるのを分かりきっている真実を、伝えれるはずがない。
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