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私の明日
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だが一つ思い出して、先生に質問した。
「先生! 過去に色々あったから女性とかを遠ざけてるって分かりましたけど……これからどうなるんですか?」
「変わらないだろうね。結局あの一件以来、女性に対しての恐怖心が凄いし、晴子が成仏したからと言ってすぐに克服できるもんじゃない。一生変わらないかもな」
「そうですか……」
そりゃそうだ、あれだけ女性が苦手で反射的に変な声まで出しちゃうぐらいなのに、すぐに治ったりするわけないか。それはちょっと安心した。だって、先生が女性恐怖症を克服しちゃったら、きっとさらにモテてライバルが増えるだけだ。知らぬ間に彼女なんて作られた日には立ち直れない。
……って、待てよ?
「あ、ああっ!!」
「うわ、なにどうした」
「わた、私としたことが、先生のこと知ってたのに、さっき引っ張って家にまで上がらせて!! ごごごめんなさい、家に上がるとき先生困ってたのに! だいじょうぶですか? 私のマグカップとか使わせて今吐きそうですか!?」
慌てて謝罪した。女性が苦手ってこと、すっかり頭から抜け落ちていた。強引になんてことをしてしまったんだ。
先生は焦る私をきょとん、と見た。が、しかし。
次の瞬間、彼は大きく噴き出して笑ったのだ。
目を線にして、口を開けて大声で笑った。お腹を抱えるようにしている。突然彼のそんな姿をみて、私は完全に石と化した。
――笑った。先生が。
初めて見たこんな笑い顔。ああ、笑うと結構子供っぽくなるんだ、なんて。こんなふうに先生は笑うんだ。
胸が誰かにわしづかみにされたように痛んだ。こんな顔、反則じゃないか。
「おもしろ。吐かないし」
「は、はあ」
「あと俺、椎名さんは平気って言わなかったっけ。じゃなきゃ、まず今日車で迎えに行ったりしないから」
「は、はあ」
「君はギラギラしてないし、誰にでもお人よしだし、信頼できる。怖い女たちとは違うって分かってるから、大丈夫だよ」
そう言ってくれた先生に、私は返事を返せなかった。
言えるわけないよ、本当は私も心の中は先生に対して、こんな気持ちを持ってるなんて。
私を信頼してる、なんて真っすぐ言ってくれる先生に言えるわけない。
それに、あれだけ晴子さんを想ってるって見せつけられたじゃないか。
先生の心の中には、きっとずっと晴子さんがいる。
私の入る隙なんて、一ミリもない。
「……なら、よかったです」
「ご心配どうも。じゃあ、帰る」
そう言って先生は玄関に向かっていく。その後ろ姿にのそのそとついて行く。靴を履き終えた先生は私に振り返った。
「明日からまたよろしく」
「はい」
「今日は本当にありがとう。全部椎名さんのおかげだ」
「いえ、そんな」
「次椎名さんが困ったときは俺がなんとか助けるから、気楽に連絡してくれればいい。ま、霊がらみは勘弁だけど。
あ、戸締りはしっかりな」
そう言った先生は、扉を開けて外へと出て行った。名残惜しさなんてこれっぽっちもない立ち去り方だった。
扉が閉じ切ってしまう直前、私はそれを手で止めた。そして音なくそうっと開いた。そこから顔を覗かせ、歩き出した先生の後ろ姿を見送る。
彼は階段に向かって颯爽と歩いた。その廊下は、今まで見てきた様子とちょっと違う。いつも泣いていたあの子はもういない。やけに広く感じる廊下を、私はじっと見つめていた。
先生はあの扉の前に来ると、ふと足を止めた。そして、晴子さんが立っていた場所を見る。
先生はそこを眺めて微笑んだ。遠くから見ていても分かるほど、優しい笑みだった。その光景がまたしても自分の胸を痛いほどに締め付ける。
すぐに彼は部屋を通り過ぎ、階段を下りて行った。私の方なんてちっとも見なかった。
私は音を立てないように扉を閉めた。鍵をかけたあと、ふうと大きくため息を漏らす。
ああ、辛い。でもしょうがない、あれは敵うわけがない。
「でも……先生と晴子さんが報われたのなら、よかったな」
ぽつんと呟く。そうだよ、すべてはそれなのだ。私の失恋なんかどうだっていい、ずっと過去に縛られ続けていた二人が再会し、穏やかな気持ちになれた。それでいい、私も失恋した甲斐があるってもんだ。
ぐっと拳を握り、前を向く。
平気平気! 先生だって一生独身じゃないかもしれないし、これから働いて行けばチャンスが到来するかもしれない! 何年かかるか知らないけど、まだすべて終わったわけではないだろう。完全に諦めることはないぞ、私。踏ん張ってみるんだ。
そう自分に言い聞かせ部屋に戻っていく。中に入ったところで、白いマグカップが視界に入ってうっと言葉を詰まらせた。
忘れられない、先生の笑い顔、座った場所。使ったマグカップ、綺麗な涙。全部私の心に染み込んでしまっている。
思った以上に重症そうな自分に呆れ、私はマグカップを下げてシンクへ運んだ。
これは他のことに熱中するしかない。そうだ、仕事を頑張ろう。久保さんみたいに死を受け入れなければならない人たちは大勢いる、そんな人たちの気持ちが少しでも楽になれるよう頑張るんだ。それが今の私に出来ること。あ、死んだ後の面倒は見ないけどね。
今出来ることを精いっぱい頑張って前を向いてたら、きっといいことがあるはずだ。
私には明日が来る。今のところ健康で、働けて、ご飯を食べれば美味しいと思える。久保さんが望んでやまない明日が来る。
くよくよしていたら、せっかくの人生が勿体無い。いつ終わりが来るか分からないのだから、精一杯満喫せねば。
そう、失恋だって。悲しくても、きっといつかは笑って話せることだから。
「よし、明日も頑張ろう!」
私は意気込んで一人、笑った。
<完>
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
こちらか、もしくは「ただいま憑かれています」はシリーズ化を考えています。その際はお付き合い頂けたら嬉しいです!
どっちを読みたい等希望がありましたら教えてください~!
「先生! 過去に色々あったから女性とかを遠ざけてるって分かりましたけど……これからどうなるんですか?」
「変わらないだろうね。結局あの一件以来、女性に対しての恐怖心が凄いし、晴子が成仏したからと言ってすぐに克服できるもんじゃない。一生変わらないかもな」
「そうですか……」
そりゃそうだ、あれだけ女性が苦手で反射的に変な声まで出しちゃうぐらいなのに、すぐに治ったりするわけないか。それはちょっと安心した。だって、先生が女性恐怖症を克服しちゃったら、きっとさらにモテてライバルが増えるだけだ。知らぬ間に彼女なんて作られた日には立ち直れない。
……って、待てよ?
「あ、ああっ!!」
「うわ、なにどうした」
「わた、私としたことが、先生のこと知ってたのに、さっき引っ張って家にまで上がらせて!! ごごごめんなさい、家に上がるとき先生困ってたのに! だいじょうぶですか? 私のマグカップとか使わせて今吐きそうですか!?」
慌てて謝罪した。女性が苦手ってこと、すっかり頭から抜け落ちていた。強引になんてことをしてしまったんだ。
先生は焦る私をきょとん、と見た。が、しかし。
次の瞬間、彼は大きく噴き出して笑ったのだ。
目を線にして、口を開けて大声で笑った。お腹を抱えるようにしている。突然彼のそんな姿をみて、私は完全に石と化した。
――笑った。先生が。
初めて見たこんな笑い顔。ああ、笑うと結構子供っぽくなるんだ、なんて。こんなふうに先生は笑うんだ。
胸が誰かにわしづかみにされたように痛んだ。こんな顔、反則じゃないか。
「おもしろ。吐かないし」
「は、はあ」
「あと俺、椎名さんは平気って言わなかったっけ。じゃなきゃ、まず今日車で迎えに行ったりしないから」
「は、はあ」
「君はギラギラしてないし、誰にでもお人よしだし、信頼できる。怖い女たちとは違うって分かってるから、大丈夫だよ」
そう言ってくれた先生に、私は返事を返せなかった。
言えるわけないよ、本当は私も心の中は先生に対して、こんな気持ちを持ってるなんて。
私を信頼してる、なんて真っすぐ言ってくれる先生に言えるわけない。
それに、あれだけ晴子さんを想ってるって見せつけられたじゃないか。
先生の心の中には、きっとずっと晴子さんがいる。
私の入る隙なんて、一ミリもない。
「……なら、よかったです」
「ご心配どうも。じゃあ、帰る」
そう言って先生は玄関に向かっていく。その後ろ姿にのそのそとついて行く。靴を履き終えた先生は私に振り返った。
「明日からまたよろしく」
「はい」
「今日は本当にありがとう。全部椎名さんのおかげだ」
「いえ、そんな」
「次椎名さんが困ったときは俺がなんとか助けるから、気楽に連絡してくれればいい。ま、霊がらみは勘弁だけど。
あ、戸締りはしっかりな」
そう言った先生は、扉を開けて外へと出て行った。名残惜しさなんてこれっぽっちもない立ち去り方だった。
扉が閉じ切ってしまう直前、私はそれを手で止めた。そして音なくそうっと開いた。そこから顔を覗かせ、歩き出した先生の後ろ姿を見送る。
彼は階段に向かって颯爽と歩いた。その廊下は、今まで見てきた様子とちょっと違う。いつも泣いていたあの子はもういない。やけに広く感じる廊下を、私はじっと見つめていた。
先生はあの扉の前に来ると、ふと足を止めた。そして、晴子さんが立っていた場所を見る。
先生はそこを眺めて微笑んだ。遠くから見ていても分かるほど、優しい笑みだった。その光景がまたしても自分の胸を痛いほどに締め付ける。
すぐに彼は部屋を通り過ぎ、階段を下りて行った。私の方なんてちっとも見なかった。
私は音を立てないように扉を閉めた。鍵をかけたあと、ふうと大きくため息を漏らす。
ああ、辛い。でもしょうがない、あれは敵うわけがない。
「でも……先生と晴子さんが報われたのなら、よかったな」
ぽつんと呟く。そうだよ、すべてはそれなのだ。私の失恋なんかどうだっていい、ずっと過去に縛られ続けていた二人が再会し、穏やかな気持ちになれた。それでいい、私も失恋した甲斐があるってもんだ。
ぐっと拳を握り、前を向く。
平気平気! 先生だって一生独身じゃないかもしれないし、これから働いて行けばチャンスが到来するかもしれない! 何年かかるか知らないけど、まだすべて終わったわけではないだろう。完全に諦めることはないぞ、私。踏ん張ってみるんだ。
そう自分に言い聞かせ部屋に戻っていく。中に入ったところで、白いマグカップが視界に入ってうっと言葉を詰まらせた。
忘れられない、先生の笑い顔、座った場所。使ったマグカップ、綺麗な涙。全部私の心に染み込んでしまっている。
思った以上に重症そうな自分に呆れ、私はマグカップを下げてシンクへ運んだ。
これは他のことに熱中するしかない。そうだ、仕事を頑張ろう。久保さんみたいに死を受け入れなければならない人たちは大勢いる、そんな人たちの気持ちが少しでも楽になれるよう頑張るんだ。それが今の私に出来ること。あ、死んだ後の面倒は見ないけどね。
今出来ることを精いっぱい頑張って前を向いてたら、きっといいことがあるはずだ。
私には明日が来る。今のところ健康で、働けて、ご飯を食べれば美味しいと思える。久保さんが望んでやまない明日が来る。
くよくよしていたら、せっかくの人生が勿体無い。いつ終わりが来るか分からないのだから、精一杯満喫せねば。
そう、失恋だって。悲しくても、きっといつかは笑って話せることだから。
「よし、明日も頑張ろう!」
私は意気込んで一人、笑った。
<完>
最後までお読み頂き、ありがとうございました!
こちらか、もしくは「ただいま憑かれています」はシリーズ化を考えています。その際はお付き合い頂けたら嬉しいです!
どっちを読みたい等希望がありましたら教えてください~!
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