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家族の一員

強い力

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 言われた通り、私は部屋の隅に移動する。ベッドから一番遠いところで、丁度出入り口の前だ。同じように伊藤さんが来てくれ、ポケットから何かを取り出し私に差し出した。見れば、小さなお守りだった。彼は霊に気に入れられやすい体質で、いつもこれを身につけることによって防いでいるのだ。

 私は驚いて伊藤さんをみる。

「今日は僕より光ちゃんが持ってた方がいいよ」

「で、でも伊藤さんに何かあったら」

「あれだけ好かれてた光ちゃんの方がずっと危ないって。まあ、お札すら駄目だったから意味ないかもだと思うけど、ないよりマシかも。大人しく預かってて」

 私の手にそれを握らせてくれる。その温かな手になぜか胸が熱くなり、私は素直に頷いてお守りを握りしめた。壁にピタリと背中をつけ、そんな私を隠すように伊藤さんが立ちはだかる。

 住職は足に力が入らないようだったが、二人に助けられながらベッド下方にあるスペースに移動し、その場に正座した。私からは彼の横顔だけが見える。どこかよろめくその様子に心配しながら眺める。 

 彼は何度か深呼吸をした。その奥で奥さんは心配そうに見つめている。

「人形を、ここへ」
 
 住職の声を聞き動いたのは九条さんだった。そっと掴んだ人形を運び、住職の正面にパイプ椅子を置いてその上に設置する。丁度彼の視線の高さにある位置だ。

 その後九条さんは私たちの方へ移動し、これまた私を隠すように立った。伊藤さんと九条さん並んだ二人の肩の隙間から、私はじっとことの成り行きを見守る。

 正直不安の方が大きい。元々は凄腕の人だと知ってはいるものの、一人で歩くこともままならないほど体力もないようだし、除霊は上手く行くのだろうか。でも今のところこれしか方法がない。麗香さんが北海道から帰ってくるまで自分の精神が保つ自信がないのだ。

 しんとした沈黙が流れた。住職は人形を見つめたままピクリとも動かず、奥さんはその奥で手を合わせて祈っている。私たちも言葉を発することなく、ただ黙って住職を見ていた。

 隣にある白いドアの向こうから、病院独特の音が微かに聞こえてくる。看護師さんの話し声、カートが移動する音、心電図モニターの音。扉一枚を隔たってまさか除霊をしているなんて思いもしないだろう。現実と夢の中の狭間にいるような感覚になる。リアルな音を耳に入れつつ、私は心配しながら人形をみる。

 その時、ずっと動かなかった住職が動いた。両腕でゆっくり円を描くように回すと体の正面で手を合わせた。数珠が音もなく揺れ彼の手元で踊る。背筋をピンと伸ばした住職は、先ほどの弱々しい様子がなくなり、その目には強い力を感じた。

 一瞬で部屋はピリッとしたオーラに包まれ、その豹変ぶりに戸惑った。ただ腕を動かして数珠を持っただけだというのに、明らかに周りの空気が違う。緊張感が張り詰め、自然と私も姿勢を正しごくりと唾を飲み込んだ。

 睨むように正面の人形を見た住職は、そこから目を一時たりとも逸らすことなく、お経を唱え始めた。とても低い音で、振動が伝わってくると感じるほどの重厚感だった。

 葬式などでお経を聞く機会は誰しも一度や二度ある。私もそうだが、これは今まで聞いたものたちとは何かが違った。どこか攻撃的で、優しさよりも叱咤するようなものに聞こえる。圧倒され、心臓がぎゅっと締め付けられた。

 いつのまにか扉の向こうから聞こえていたさまざまな音が聞こえなくなっている。この部屋だけ違う世界へ飛んだのか、それとも自分の耳が拾わなくなったのか分からなかった。狭い個室にお経だけが反響している。

 凄い。ただそう思った。

 そのお経がしばらく続く。細い体から延々と流れ続けた。じっと眺めていると、人形に異変が生じたのがわかった。

 まず黒髪がふわふわと浮き出した。エアコンの風かもと思ったがどうも違う。そして小刻みに体全体が揺れ始めた。緊張しながら見守っていると、どこからか声が聞こえた。

(……子供の泣き声だ……)

 喚くようなものではなく、声を押し殺しているような泣き方だった。啜りながら、苦しみながら泣いているような声。か細く幼いその声につい、可哀想に思ってしまう。夢の中で見た女の子の顔が浮かんだ。

「可哀想だとは思いなさんな」

 私の心を見透かしたように突然住職がお経を止めて言った。びくっと反応してしまう。彼は数珠を持つ手はそのままに、人形に言う。

「あんたを呼んだのは私だ、悪かった。詫びに行くべきところを教えよう。ここにあんたの家族はいない。眠ればそっちで会えるだろう。元々はそっちへ行くはずだった者だ、私が呼び止めてしまったが、道は分かってるだろう」

 淡々と住職はそう言い捨てると、再びお経を唱え始めた。同時に泣き声がまたで始める。私は忠告されたように可哀想という気持ちを捨てた。そう、人形に宿り続けるよりも眠った方がこの子のためなんだから。

 泣く声は次第に大きくなっていき、ついに部屋全体に響き渡るようになる。耳を塞ぎたくなるほどで、外から看護師さんが心配して顔を覗かせないか心配になった。だが誰かが部屋を訪室する様子はない。私たちにだけ聞こえるのかもしれなかった。

 住職はそれでも全く戸惑うそぶりはなくお経を唱え続けた。だがよくよくみると、彼の顔は汗の玉が多く付き、それが垂れて顎から水滴が落ちている。元々顔色の悪かったそれがなお悪化してように見えた。

 そうして二つの声が流れ続ける。だがある瞬間、子供の声がピタリと止んだ。住職のお経だけが流れるようになる。人形の動きも止んでいた。

 ホッとして息を吐いた瞬間、はっきりと声がした。




「お父さん」




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