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真夜中に来る女
最高の贈り物
しおりを挟む読んでいる最中から抑えきれなくなった涙を手のひらで拭いた。
よかった。そうだったんだ。よかった。
八重さんが前を向いて生きていくと決めてくれて。お腹の子も元気であることも。
「よか、った」
震える声でそう呟くと、伊藤さんがさっとティッシュを差し出してくれた。頭を下げながらそれを受け取る。
「よかったね。光ちゃんずっと気にしてたでしょ」
「こっちから聞くこともできないし……どうしたのかなって、心の中では気になってました……」
「本当によかったね。ね、九条さん!」
伊藤さんが笑いかけた先を見る。無言のまま、それでも優しく目を細めて笑っている九条さんがいた。その顔を見て、あれから九条さんは一度も八重さんについて話さなかったけれど、心の奥底では気にかけていたんだなあと気づく。
これからきっと八重さんはすごく大変な思いをするだろうけど、きっと大丈夫。優しくて思いやりのあるあの人ならきっと。
「あ、この箱なんでしょうね~? 開けてみましょうよ! てゆうか僕にまで……僕大したことしてないんだけどな」
頭をかきながらそういう伊藤さんにすぐに反論した。
「伊藤さんの情報収集あっての解決ですよ! あと発信機つけたりとか……」
「大したことしてないよー。発信機なんてつけ慣れてるし」
思いもよらぬ言葉が聞こえてつい勢いよく振り返った。つけ慣れてる?? 言葉だけ聞いたらめちゃくちゃやばい人だよ伊藤さん。多分この仕事上慣れてるって意味だろうけど、でもすごすぎる。
そんな私に気づいていないのか箱を開けた伊藤さんは、中身を見ておおっと喜んだ。
「これ靴の手入れに使うグッズだね! クリームとかブラシとか、防水スプレーとか。あーこれいいやつだ。八重さん靴関係のお仕事だったもんね!」
嬉しそうに笑う伊藤さんにさっきまでの衝撃は一旦忘れ、私の名前が書かれた箱を開けてみる。
「う、わあ」
つい声が漏れた。すぐさま伊藤さんが寄ってきて覗き込む。
「わ! すごく可愛い靴だね、似合いそうだね!」
中に入っていたのはおしゃれな靴だった。色は黒色で、ネイビーのリボンが上品に付いている。可愛らし過ぎず、非常に使いやすい形だった。そしてちゃんとヒールはなしの形。いつだったか八重さんに見せてもらった物と似ていた。
早速その場で履いてみる。さらに衝撃だったのはサイズがぴったりだったことだ。仕事柄人の足のサイズも気にかけてしまうのだろうか?
その上軽くて履き心地も素晴らしい。未だ古びた靴を履いている私としては、最高の贈り物だった。
「似合ってるよ光ちゃん、可愛いね!」
「凄いです、サイズも履き心地もぴったり……! 女子力上がった気がします!」
「うんうん、いいね! ね、九条さん!」
笑いながら伊藤さんが九条さんに話しかけた。それまでずっと無言だった彼がゆっくりと私をみる。その時目があって、ついどきんと胸が鳴った。
私の足元を見て九条さんは言う。
「似合ってますよ。可愛らしいです」
言葉が出なかった。ぐっと息を呑み込んで自分を冷静にさせることで必死だった。
似合ってる、って言った。可愛らしい、だって。
ドキドキしてしまう心を落ち着かせる。そりゃそう言うよ誰だってそう言うよ。当たり前の反応じゃない……。
オロオロしている私をフォローするためか、伊藤さんが未だ未開封の九条さんの箱を指さした。
「九条さんはなんでしょうね? やっぱり靴ですかね!」
九条さんはゆっくりと振り向く。そしてさして興味なさげに箱を開けていく。
「私靴は自分の足に合ったものしか使わな」
話している途中で彼は止まった。箱の中を凝視している。
そんな様子を見て、私と伊藤さんはなんだなんだと顔を見合わせた。そしてつつつっと彼のそばに歩み寄り、背後から覗き込む。
中には何やらおしゃれなパッケージが見えた。なんだろう、女性が好きそうな綺麗な見た目だけど……
って、え???
「あれ、これポッキーですか?」
伊藤さんが尋ねた。そう、普段事務所に山のように置かれているものたちとはまるで違うが、確かにそれはポッキーのパッケージだったのだ。
九条さんは一つを手に取って真剣な顔で言う。
「大阪限定のバトンドールです、高級ポッキーです。レモン、白いちご、宇治抹茶……素晴らしいラインナップです……」
九条さんへの箱は全てそのポッキーのパッケージで埋められていた。彼は今まで見たことがないくらい目を見開いている。
あ、これ。めっっちゃ喜んでる。
私と伊藤さんには靴関係のものなのに、九条さんには箱いっぱいのポッキーって。八重さん出来る女すぎじゃない?
私と伊藤さんは顔を見合わせる。そばで早速封を開けて頬張る男を見て同時に吹き出した。
うん、何よりだ。九条さんにはこれが一番だもんね。
麗華さんが苦労するわよ、と言った言葉が今更ながら脳裏に蘇った。とっくに自覚はあったけど、本当にそうだなと再確認する。九条さんはポッキーしか興味ないもんな。あれだけ美人でカッコいい麗香さんも振っちゃうとか、この人実は女に興味ないんじゃないの?
一心不乱にポッキーを食べる彼を見ながらふと、あの女を招き入れた夜のことを思い出した。
八重さんが声を漏らしてしまった直後、私たちの方に向かってくる女を前にして、九条さんは私の頭をしっかり抱きしめて庇ってくれた。ときめくどころの余裕すら無い夜だったから忘れてたけど、今思えばちょっと嬉しかったな、なんて。
私はそろそろと彼の隣に行き、声をかけた。
「九条さん」
「はい」
「今更ですけど。女を家に入れた時……庇ってくれてありがとうございました」
一瞬ピタリとポッキーを食べる手を止めた。がしかし、またすぐにモグモグと食べ始める。
「別に大したことしてませんよ。あなたも八重さんを庇ってたでしょう」
「それは……無我夢中で勝手に体が動いたって言うか……」
「ならば私もです。無我夢中で勝手に体が動いただけです」
そう言った九条さんは、それ以上何も言わずにポッキーを食べ続けた。私も黙り込む。
そういうところなんだな。諦めがつかないの。
そのまま九条さんのそばから離れた。
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