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目覚めない少女たち
私には、わかる
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『死んだ霊相手ではないことなんて、初めてなんです』
ここにくるまでの間、九条さんはそう言っていた。どこか楽しげで、困っているようにも感じる表情だった。
今までは全て、当然のように死んでからもこの世に居続ける魂相手に依頼をこなしてきた。九条さんはそういった相手と会話をするのが長所なのだし、それを活かして事件を解決してきたのだ。
『しかし今回は、本体は生きているというまた変わった現象なので、まず第一に私の声が届くかもよくわかりません』
『確かにそうですね……』
『とにかく、この終わりのない自殺の連続を断ち切って状況を変えてみる必要はあると思っています。本人もきっとそれを望んでいるはず。これだけ多くの人たちにアピールしながら首吊りするんですからね』
あの言葉通り、九条さんは見事自殺を食い止めてみたわけだけれど、未だちかさんが満足しているような顔は見えなかった。床に力なくへたり込んでいるちかさんの顔にはまるで活力がない。
九条さんはさらに声をかけた。
「分かってらっしゃいますか。あなたは死んでいない。そして、自覚があるのか無いのか分かりませんが、他の方も巻き込んで眠りについているのですよ。
ここで彷徨って死に続けても苦痛が繰り返されるだけ。体に還ってはどうですか」
恐らく。ちかさんは九条さんの言葉が聞こえているのだと思う。
それは無表情なりに、時々見せる僅かな体の動きから察することができる。彼女の耳には届いているはずなのだ。しかし、彼女はゆっくりと俯き顔を伏せてしまった。
全く手応えを感じない様子に、九条さんはやや天井を仰いだ。次にどんな手を打とうか考えているのかもしれない。
じっとその様子を見ていた私は、無意識にちかさんに近づいた。そして少し距離をとりつつも、彼女の隣に行くとゆっくりと床にしゃがみ込んだ。九条さんは私を止めることもなく、無言でこちらを眺めている。
声をかけようとして一旦飲み込む。何を言いたいのかなんてわからないし、言って意味があるのかもわからない。
……それでも。
「私も……友達が一人もいないんです」
ポツリと言った。
自分に霊と会話する能力がないのは承知だった。それは九条さんの特技であって、私はみる専門なのだが。
それでも、彼女に声を掛けずにはいられなかった。なぜなら、ちかさんの気持ちがよくわかるからだ。
「学生時代、移動教室も一人だったし、休み時間も一人で過ごしたし、いい思い出なんか何もありません……。でも、家族だけは私のそばにいたから」
思い出せる学生時代の思い出はそんなものばっかりだった。
なんとか卒業まで迎えられたことに安心した。勉強だってスポーツだって得意ではなかったし、学校という存在意義がわからなかった。
でも母だけは。理解のある母だけは、私の味方だった。
ちかさんの顔を覆っている黒髪を、そっと指先で上げる。白い横顔があらわになった。その目はどこか寂しげにも見える。
彼女はゆっくりと私の方を見た。虚な目に自分の輪郭が映り込む。恐怖心などなく、ただ哀れだと思った。
「今は少しだけ成長して、私を理解してくれる人たちと過ごせています。結構、楽しいです」
「…………」
「現実に戻っても楽しいことなんてない、と思ってるのかもしれません。でも、夢は所詮夢です。夢の中でどんなことをしても何が起こっても、それは幻です。
夢から覚めてみてはどうですか。もし私なんかでよければ、友達になりましょう」
辛い時間は永遠のように長い。痛いほど分かる。
逃げ出したい気持ちも、現実に嫌気がさす気持ちも十分に分かる。
そんな私だからこそ伝えたい。今、なんとかそこそこ幸せにやってますよ、って。
家族もいないし友達と呼べる人もいないけど、いつだって明るくて一緒にいて楽しい伊藤さんがいて、凄く変な人だけど片想いしちゃってる九条さんがいる。二人とも、私の人生や能力を知った上で受け入れてくれてるから。
これは最高に「幸せ」なんだ。
「……シイ」
はっと目を丸くする。ほとんど動かないちかさんの唇から、言葉が漏れたのだ。私はぐっと耳を寄せて集中する。
「さみ、しい」
彼女は小声ながらもはっきりとそう言った。その表情を見ると、どこか苦しそうな顔をしているように思えた。
ぐっと涙が出そうになる。それは以前、私も自ら命を絶とうとしていた頃を思い出したからだ。
あの時も私は寂しかった。親も友人も恋人もいない世界があまりに寂しくて、死んでしまおうと決意したんだった。
ついに頬に涙が溢れたのもそのままに、私は頷いた。
「私も死のうとしたから気持ちはわかります。でも今、あの時死ななくてよかったって実感してるんです。ちかさんにもそんな人生が待ってるかもしれない」
私はそっとちかさんの首元に手を伸ばした。未だその細い首に巻きついたままの紐を解いていく。痛々しい赤い線が肌には残されていた。
そんな傷を指先でさすり、私は微笑み掛ける。
「大丈夫。きっと大丈夫だから。
ちかさん、起きましょう。もう十分、寝ましたよ」
私がそう言うと、彼女の黒い瞳が揺れた。活力のなかったその顔に、赤みが刺してくるように思えた。
ようやく解けた紐を回収し、手に握る。
「この紐はもう使い物になりませんね。私が処分しておきます。どうか元のちかさんの姿で会いましょう。そして私と話しましょう。待っています、必ず」
そう発言した途端、風も吹いていないのに、ふわりとちかさんの黒髪が靡いた。あっ、と思った瞬間、突如その体は跡形もなく消滅してしまったのだ。
私の右手には、一本の紐だけが残っている。
ここにくるまでの間、九条さんはそう言っていた。どこか楽しげで、困っているようにも感じる表情だった。
今までは全て、当然のように死んでからもこの世に居続ける魂相手に依頼をこなしてきた。九条さんはそういった相手と会話をするのが長所なのだし、それを活かして事件を解決してきたのだ。
『しかし今回は、本体は生きているというまた変わった現象なので、まず第一に私の声が届くかもよくわかりません』
『確かにそうですね……』
『とにかく、この終わりのない自殺の連続を断ち切って状況を変えてみる必要はあると思っています。本人もきっとそれを望んでいるはず。これだけ多くの人たちにアピールしながら首吊りするんですからね』
あの言葉通り、九条さんは見事自殺を食い止めてみたわけだけれど、未だちかさんが満足しているような顔は見えなかった。床に力なくへたり込んでいるちかさんの顔にはまるで活力がない。
九条さんはさらに声をかけた。
「分かってらっしゃいますか。あなたは死んでいない。そして、自覚があるのか無いのか分かりませんが、他の方も巻き込んで眠りについているのですよ。
ここで彷徨って死に続けても苦痛が繰り返されるだけ。体に還ってはどうですか」
恐らく。ちかさんは九条さんの言葉が聞こえているのだと思う。
それは無表情なりに、時々見せる僅かな体の動きから察することができる。彼女の耳には届いているはずなのだ。しかし、彼女はゆっくりと俯き顔を伏せてしまった。
全く手応えを感じない様子に、九条さんはやや天井を仰いだ。次にどんな手を打とうか考えているのかもしれない。
じっとその様子を見ていた私は、無意識にちかさんに近づいた。そして少し距離をとりつつも、彼女の隣に行くとゆっくりと床にしゃがみ込んだ。九条さんは私を止めることもなく、無言でこちらを眺めている。
声をかけようとして一旦飲み込む。何を言いたいのかなんてわからないし、言って意味があるのかもわからない。
……それでも。
「私も……友達が一人もいないんです」
ポツリと言った。
自分に霊と会話する能力がないのは承知だった。それは九条さんの特技であって、私はみる専門なのだが。
それでも、彼女に声を掛けずにはいられなかった。なぜなら、ちかさんの気持ちがよくわかるからだ。
「学生時代、移動教室も一人だったし、休み時間も一人で過ごしたし、いい思い出なんか何もありません……。でも、家族だけは私のそばにいたから」
思い出せる学生時代の思い出はそんなものばっかりだった。
なんとか卒業まで迎えられたことに安心した。勉強だってスポーツだって得意ではなかったし、学校という存在意義がわからなかった。
でも母だけは。理解のある母だけは、私の味方だった。
ちかさんの顔を覆っている黒髪を、そっと指先で上げる。白い横顔があらわになった。その目はどこか寂しげにも見える。
彼女はゆっくりと私の方を見た。虚な目に自分の輪郭が映り込む。恐怖心などなく、ただ哀れだと思った。
「今は少しだけ成長して、私を理解してくれる人たちと過ごせています。結構、楽しいです」
「…………」
「現実に戻っても楽しいことなんてない、と思ってるのかもしれません。でも、夢は所詮夢です。夢の中でどんなことをしても何が起こっても、それは幻です。
夢から覚めてみてはどうですか。もし私なんかでよければ、友達になりましょう」
辛い時間は永遠のように長い。痛いほど分かる。
逃げ出したい気持ちも、現実に嫌気がさす気持ちも十分に分かる。
そんな私だからこそ伝えたい。今、なんとかそこそこ幸せにやってますよ、って。
家族もいないし友達と呼べる人もいないけど、いつだって明るくて一緒にいて楽しい伊藤さんがいて、凄く変な人だけど片想いしちゃってる九条さんがいる。二人とも、私の人生や能力を知った上で受け入れてくれてるから。
これは最高に「幸せ」なんだ。
「……シイ」
はっと目を丸くする。ほとんど動かないちかさんの唇から、言葉が漏れたのだ。私はぐっと耳を寄せて集中する。
「さみ、しい」
彼女は小声ながらもはっきりとそう言った。その表情を見ると、どこか苦しそうな顔をしているように思えた。
ぐっと涙が出そうになる。それは以前、私も自ら命を絶とうとしていた頃を思い出したからだ。
あの時も私は寂しかった。親も友人も恋人もいない世界があまりに寂しくて、死んでしまおうと決意したんだった。
ついに頬に涙が溢れたのもそのままに、私は頷いた。
「私も死のうとしたから気持ちはわかります。でも今、あの時死ななくてよかったって実感してるんです。ちかさんにもそんな人生が待ってるかもしれない」
私はそっとちかさんの首元に手を伸ばした。未だその細い首に巻きついたままの紐を解いていく。痛々しい赤い線が肌には残されていた。
そんな傷を指先でさすり、私は微笑み掛ける。
「大丈夫。きっと大丈夫だから。
ちかさん、起きましょう。もう十分、寝ましたよ」
私がそう言うと、彼女の黒い瞳が揺れた。活力のなかったその顔に、赤みが刺してくるように思えた。
ようやく解けた紐を回収し、手に握る。
「この紐はもう使い物になりませんね。私が処分しておきます。どうか元のちかさんの姿で会いましょう。そして私と話しましょう。待っています、必ず」
そう発言した途端、風も吹いていないのに、ふわりとちかさんの黒髪が靡いた。あっ、と思った瞬間、突如その体は跡形もなく消滅してしまったのだ。
私の右手には、一本の紐だけが残っている。
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