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光の入らない部屋と笑わない少女

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 乱れた息もそのままにようやく八階まで登ると、私はあの光のない部屋に再び飛び込んでいった。玄関の戸を開けた瞬間、リビングから岩田さんの声が響いてきた。

「リナが! リナがいないんです!」

 はあはあと息を静める。伸びた廊下の先にあるリビングは、僅かにだが扉が開いていた。ほんの数センチ。私は足音を立てないようにそっとそこへ忍び寄った。

「リナはどうしたんですか? リナ!」

「リナさんは外に出ています」

 二人の声が聞こえる。私はリビングの前までたどり着くと、壁に背中をつけて隙間から中を覗いた。九条さんの姿は見えないが、岩田さんの横顔は捉えることが出来た。

 彼女は髪を振り乱し、真っ白な顔をしていた。目をまん丸にして九条さんの方を見つめている。

「な……? 何をして……! あの子は外が怖いんですよ!」

「怖がっていませんでしたよ」

「今だけです、すぐに叫んで暴れ出すんです、連れ戻してください!」

「それより岩田さん。今回の調査、全て終了しました」

 いつもの抑揚のない九条さんの声。私は固唾を飲んで二人の会話に耳を傾けた。

「え? ……調査?」

「あなたがうなされる原因である女の霊に、リナさんが話せなくなった理由」

「そ、それはあとで聞きますからっ、リナを……!」

「あの女の霊は、リナさんの守護霊です」
 
 九条さんは結論からズバッと述べた。岩田さんも、少し内容が気になったらしい。戸惑ったように聞き返した。

「守護霊……?」

「一般的にも聞き覚えのある単語ではないですか。その名の通り、人間を守る霊の事です。普段守護霊は中々お目にかかれません、なぜならその人間と一体化しているからです。まあ、守護霊を視るのを得意とする者もいるのは事実ですが、少なくとも我々は違う。私もあまりお目にかかったことはありませんでした。だから、彼女が守護霊であるということも気付けませんでした」

「そ、それでリナは」

「守護霊は滅多に人間を攻撃しません。リナさんの守護霊はかなり力の強い者のようです。我々の前に姿を現し、あなたを攻撃していましたから」

「私を、攻撃……?」

 九条さんの声が、鋭くなる。

「リナさんが話せなくなった原因、心当たりがあるのでは」

「……は」

「でもそれを認めたくなくて、怪奇のせいなどにしたのですね」

「何を」


「彼女はあなたの娘ではありませんね」



 岩田さんの動きが止まった。

 瞬きすらせずに、ただ九条さんを眺めいてる。


「な、に、を」

「彼女はあなたの娘ではない。そう言ったんです」

 岩田さんは愕然とした様子で九条さんを見ていた。丸くなった目から、その眼球が落ちてきそうだと思った。

 私は固唾を飲んで見守る。

 九条さんの淡々とした声が続いた。

「あなたの戸籍を調べました。子供はおろか婚姻歴もない。夫からDVを受けて逃げてきたと言うのも真っ赤な嘘ですね? 初めにあれほど守秘について聞いてきたのはリナさんの存在を外に漏らしたくなかったからです」

「……何を突然。あの、あの子は無国籍なんです。夫も事実婚で……」

「こちら。彼女がいつも握りしめていたぬいぐるみの中に入っていたメッセージです。寝ている間に拝借して見ました」

 岩田さんは驚いたように言葉を呑んだ。九条さんはあの小さな紙を取り出したに違いない。

 白い犬のぬいぐるみに入っていた、愛の言葉。

「『加奈子へ 愛を込めて ママより』」

「…………」

「憶測ですがあのぬいぐるみは手作りなのでは。リナさん、いえ、加奈子さんの本当のお母様の」

 岩田さんの唇が震える。それでも、彼女は引き攣った笑顔でしらばっくれた。

「ああ、思い出しました。リサイクルショップで購入したんですあれ。前の持ち主のものじゃないですか?」

「そう言ってくるだろうと思いましたし、私も考えました。でも、あの子があなたの娘でないと仮説を立てれば、全てが繋がるのです。
 窓。光を入れない閉ざされた窓達。リナさんが光を怖がるのだと言われ納得していましたが、私は最初から不思議な点が一つあったのです。ベランダに出るこのリビングの窓です」

 岩田さんがそちらに目を向ける。相変わらず段ボールで覆われ、ガムテープで隙間を貼り付けられている窓の前には更に箪笥が置いてある。

「段ボールとガムテープまでは理解できますが、なぜここに箪笥を?」

「そ、れは」

「リナさんが光を怖がるなんて全くの嘘。彼女が脱走したり助けを呼んだり出来る場所を塞いでいただけ。あとはあなたの心の恐怖心を和らげるためですね。外から見られたらという、罪悪感から行われたことでしょう」

「…………」

「それにリナさんの部屋には本来あるべきものがない」

「あ、あるべきもの?」

「彼女は今現在6歳。あと少しで小学校入学する時期です。なのにランドセルや勉強机、本棚や筆記用具、入学に必要なものは何一つありませんね」

 岩田さんの唇が震える。それでも、まだ彼女は言い訳を述べた。

「言いましたよね? 夫から逃げてきたんですよ、元々用意してあったけど置いてきたから……」

「そうだとしてもなぜ引っ越した後購入してないんですか? 使われていない新品のおもちゃは山ほどあるのに。
 答えは簡単です、あの子を小学校に通わせるつもりがなかったから」

 岩田さんが言葉を呑む。強く握りしめた右手が、彼女の苛立ちを示していた。

「ほら、引っ越してすぐリナがああなって……それどころじゃなくて。おもちゃは少しでも気を紛らわせるために次々買ってしまって」

「分かりました、そこはそう言うことにしておきましょう」

 九条さんはアッサリ引き下がる。しかしすぐに、バサバサと物が落下する音が響いた。九条さんが何かを床にばら撒いたようだった。

 岩田さんが不思議そうに首を傾げる。

「それは……?」

「あなたが彼女の母親であるのなら、知らなくてはならない決定的な事があります」

「え?」

「これはうちのスタッフがリナさんに持ってきた洋菓子たち。そのうち、リナさんが考えてこちらに返してきたものです」

 先ほどの物音は、どうやらお菓子をひっくり返した音のようだった。私は黙ってそのまま見守る。

 岩田さんはそれが何か? と言わんばかりに九条さんの方を見ている。

「あの子好き嫌い多くて……あれぐらいの年ならよくあることでしょう?」

「彼女が避けた物達には共通点があります」

「……え」

 九条さんのハッキリした声が響く。


「恐らく、彼女は林檎アレルギーです」


 岩田さんの目が更に丸くなった。
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