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ラスト
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同棲が始まって苦労してるのは私より成瀬さんだと思う。最初は盛り上がっている気分でなんとか乗り越えたとしても、人間最初のテンションを維持することはできない。
彼の負担になることだけは避けたい。
私が弱弱しく言ったのを、彼は驚いたように目を見開いた。信じられない、とばかりに首を振る。
「嫌になる? とんでもない! そもそも強引にこうなるよう持ち掛けたの俺じゃん」
「い、いやそれは」
「そりゃ動くのも掃除するのも好きじゃないよ。でもそれ以上にめちゃくちゃ大事なことがある。毎日あんな美味いものを食べられる嬉しさとか、朝起きたときに横で好きな子が眠ってる幸福とか、そういう楽しいことが何万倍もあるわけ。だからちょっとの苦労なんて気にならないよ」
「そ、そうならいいんだけど……」
「今までは家に帰っても楽しいことなんて一つもなかった。ただ寝るだけの場所、って感じで、許されるなら会社に泊まっていたいぐらいだった。だから掃除だって飯食うのだって億劫だった。
でも今は全然違う。ちょっと頑張るかわりに、これだけの幸せが溢れてる家に変身したんだから、俺にとっては全然苦じゃないんだよ」
真っすぐ私を見て話してくれる。その言葉に胸を打たれながらも、彼の前髪は未だ寝ぐせで跳ねているのが目に入ってしまい、少しだけ笑ってしまった。
「え、うそ笑うとこ?」
「いやすみません、凄くいいシーンなのに寝ぐせが酷かったから」
「あー確かに」
笑いながら前髪を抑えている。私はそっと彼に頭を下げた。
「じゃあ、これからもよろしくお願いします。でもどうしても負担になった時は言ってほしい、生活費とか多く支払ってくれてるのは成瀬さんだし」
「まあ志乃との生活が負担になることなんて絶対ないけど、分かった。変に気を遣わないでいいからほんと。真面目だなあ」
「う、うん」
「そっちに気を回すより、まだ名前で呼んでくれないのを何とかしてほしいところだよ。敬語も取り切れてないし」
成瀬さんは目を座らせて言う。慌てて謝った。そうなのだ、今までずっと職場の先輩だったし、なかなかすぐに言葉遣いが変えられない。
「ご、ごめん、これは慣れ!」
「まあ可愛いからいいんだけどさあ」
「成瀬さん、って呼び馴れてるから」
「まあ気持ちもわかるけどさ。志乃もそのうち成瀬になるんだからその呼び方さすがに変じゃん」
「あは、それは確か……え?」
「え?」
「え?」
「………あ、ごめん、さすがにちょっと急ぎ過ぎた」
成瀬さんはしまったといわんばかりに口を手で覆った。つい滑ってしまった口を戒めているようだった。私は顔が熱くなり、そのまま俯く。
いやいや、確かに急ぎすぎ。そもそも付き合ってすぐに同棲したのもスピードが凄かったのに、そっちまでそんな早さで進んでしまってはさすがに困る。
そりゃ、そういうことを考えてないわけではないけれど……。
成瀬さんが心配そうに顔を覗き込んでくる。
「ごめん、早とちった、引いた? 願望が口から出ちゃった」
「い、いや引いたわけじゃない」
「ならよかった」
「びっくりしただけ」
「そう? 俺の頭の中いっつもそういうこと考えてるよ」
笑いながら自分の頭を指さしている。仕事中はあんなにスマートで頼りになるのに、家では全然違う顔。ただ、両方の顔を好きになってしまった自分がいる。
「まあ、びっくりしたけど……私も考えないわけがないし」
「え、ほんとに!? なんだー俺だけかと思った! じゃあ早速」
「考えることもあるけどさすがに早いから!」
「あーやっぱり? そりゃそうだよね、まあそんな急ぐことじゃないしね。それにこんな形じゃさすがに締まらないよなーいずれちゃんと言わないと」
そう言う成瀬さんはなんだか一人楽しそうに笑っていた。鼻歌を歌いだしそうなぐらい上機嫌な彼に、私はただ微笑んでしまう。
とにかくもう少しこの生活に慣れないと。こういう一つ一つの話し合いがきっともっと二人を近づけてくれる。これから同じ道を歩いていくのに、遠慮はよくないから。
笑いあっていると、ふとしたタイミングで成瀬さんが私にキスを落としてきた。彼が触れてくるタイミングは未だによく分からない、突然すぎて驚くことが多い。
押し込むように繰り返されるキスに、つい体が倒れていく。それを二本の腕で必死に支えて耐えた。彼はさらに押してくる。抵抗する。
少しして顔を上げた成瀬さんは不満げだった。
「え、だめ? スイッチオンなんですけど」
「なんでこのタイミングでスイッチ入るんですか! 今からご飯ですよ」
「だって可愛いかった」
「ずっと思ってたけど成瀬さんの可愛いポイントはかなりずれています」
「そう? 言っとくけど俺を好きだなんて言う志乃も相当ずれてるから」
うっ。そうなんだろうか。まあ、始めの頃は好きになったら苦労するし絶対ないなあ、と思ってたけど。
「と、とにかくまずはお腹すいたんです、ご飯が先です」
「まあ、それもそうか。俺が寝坊したから昼飯からだね、今日何にする?」
「昨日は外食したし簡単に作ろうかなあ」
「よし手伝う!」
「まずは前髪なんとかして?」
楽しい二人暮らし。思った以上に幸せな二人暮らし。
きっとこんな生活が、これからも続いていく。
↓おまけ
「ねー成瀬さんって家だとどんな感じ??」
今泉さんが目をキラキラ輝かせてみてくる。私はお箸を握りなおした。社食で頼んだチキン南蛮をとりあえず頬張る。
こういう質問、よく来るんだよなあ。でも、まさか本当のことなんて言えない。沙織はともかく、同じ部署の仲間に言っても信じてもらえないと思うからだ。今日だって、彼は難しいと言われていた契約をサラリと取ってきて、みんなから羨望の眼差しで見られていたところだし。
「まあ、普通、ですよ……」
「成瀬さんなら起きてもすぐシャキッとしてそうー」
「ははは」
「家事とかもそつなくこなしてそうー料理とか上手そうー」
「は、ははは……」
「暇な時間はコーヒー片手に座って、涼しい顔で読書とかしてそうー!!」
「はは、は……」
誰が想像できるだろう。朝は起こしても全然起きないし、寝ぐせつけたまま眠そうに風呂掃除をして、空いた時間は大概ソファに寝そべってる彼を。
「誰の話?」
「うわあっ」
背後から声がしたので飛び上がる。トレイを手にした成瀬さんが立って笑っていた。
「もしかして俺?」
今泉さんがなんだか恥ずかしそうに言う。
「あは、成瀬さんはお家でもスマートなんだろうなーって話ですよ!」
「ぜーんぜん。俺だらしないから」
「えー絶対そんなことなーい!」
「あれ、てか佐伯さんもチキン南蛮? 一緒だった」
彼は私を覗き込んで言う。確かに、同じメニューを選んだらしかった。
今泉さんがにやにやして言う。
「息がぴったりですねえー」
「まあ、志乃が作ったやつの方が美味しいんだけどね」
そうサラリと言った彼は、言い終えてすぐ『あ、志乃って呼んじゃった』と笑った。今泉さんは今にも叫びだしそうな顔で悶えている。私はなんて答えていいか分からず、ああ、また彼の株が上がったなあなんて考える。
過ぎ去っていった成瀬さんの背中をうっとり眺めながら、今泉さんは言った。
「完璧だわ……絶対離しちゃだめな男だよ。あんな完璧な男他にいない」
「ははは」
今日何度目か分からない愛想笑いを浮かべた。
おわり。
最後までお読みいただきありがとうございました!
またお会いする日まで。
彼の負担になることだけは避けたい。
私が弱弱しく言ったのを、彼は驚いたように目を見開いた。信じられない、とばかりに首を振る。
「嫌になる? とんでもない! そもそも強引にこうなるよう持ち掛けたの俺じゃん」
「い、いやそれは」
「そりゃ動くのも掃除するのも好きじゃないよ。でもそれ以上にめちゃくちゃ大事なことがある。毎日あんな美味いものを食べられる嬉しさとか、朝起きたときに横で好きな子が眠ってる幸福とか、そういう楽しいことが何万倍もあるわけ。だからちょっとの苦労なんて気にならないよ」
「そ、そうならいいんだけど……」
「今までは家に帰っても楽しいことなんて一つもなかった。ただ寝るだけの場所、って感じで、許されるなら会社に泊まっていたいぐらいだった。だから掃除だって飯食うのだって億劫だった。
でも今は全然違う。ちょっと頑張るかわりに、これだけの幸せが溢れてる家に変身したんだから、俺にとっては全然苦じゃないんだよ」
真っすぐ私を見て話してくれる。その言葉に胸を打たれながらも、彼の前髪は未だ寝ぐせで跳ねているのが目に入ってしまい、少しだけ笑ってしまった。
「え、うそ笑うとこ?」
「いやすみません、凄くいいシーンなのに寝ぐせが酷かったから」
「あー確かに」
笑いながら前髪を抑えている。私はそっと彼に頭を下げた。
「じゃあ、これからもよろしくお願いします。でもどうしても負担になった時は言ってほしい、生活費とか多く支払ってくれてるのは成瀬さんだし」
「まあ志乃との生活が負担になることなんて絶対ないけど、分かった。変に気を遣わないでいいからほんと。真面目だなあ」
「う、うん」
「そっちに気を回すより、まだ名前で呼んでくれないのを何とかしてほしいところだよ。敬語も取り切れてないし」
成瀬さんは目を座らせて言う。慌てて謝った。そうなのだ、今までずっと職場の先輩だったし、なかなかすぐに言葉遣いが変えられない。
「ご、ごめん、これは慣れ!」
「まあ可愛いからいいんだけどさあ」
「成瀬さん、って呼び馴れてるから」
「まあ気持ちもわかるけどさ。志乃もそのうち成瀬になるんだからその呼び方さすがに変じゃん」
「あは、それは確か……え?」
「え?」
「え?」
「………あ、ごめん、さすがにちょっと急ぎ過ぎた」
成瀬さんはしまったといわんばかりに口を手で覆った。つい滑ってしまった口を戒めているようだった。私は顔が熱くなり、そのまま俯く。
いやいや、確かに急ぎすぎ。そもそも付き合ってすぐに同棲したのもスピードが凄かったのに、そっちまでそんな早さで進んでしまってはさすがに困る。
そりゃ、そういうことを考えてないわけではないけれど……。
成瀬さんが心配そうに顔を覗き込んでくる。
「ごめん、早とちった、引いた? 願望が口から出ちゃった」
「い、いや引いたわけじゃない」
「ならよかった」
「びっくりしただけ」
「そう? 俺の頭の中いっつもそういうこと考えてるよ」
笑いながら自分の頭を指さしている。仕事中はあんなにスマートで頼りになるのに、家では全然違う顔。ただ、両方の顔を好きになってしまった自分がいる。
「まあ、びっくりしたけど……私も考えないわけがないし」
「え、ほんとに!? なんだー俺だけかと思った! じゃあ早速」
「考えることもあるけどさすがに早いから!」
「あーやっぱり? そりゃそうだよね、まあそんな急ぐことじゃないしね。それにこんな形じゃさすがに締まらないよなーいずれちゃんと言わないと」
そう言う成瀬さんはなんだか一人楽しそうに笑っていた。鼻歌を歌いだしそうなぐらい上機嫌な彼に、私はただ微笑んでしまう。
とにかくもう少しこの生活に慣れないと。こういう一つ一つの話し合いがきっともっと二人を近づけてくれる。これから同じ道を歩いていくのに、遠慮はよくないから。
笑いあっていると、ふとしたタイミングで成瀬さんが私にキスを落としてきた。彼が触れてくるタイミングは未だによく分からない、突然すぎて驚くことが多い。
押し込むように繰り返されるキスに、つい体が倒れていく。それを二本の腕で必死に支えて耐えた。彼はさらに押してくる。抵抗する。
少しして顔を上げた成瀬さんは不満げだった。
「え、だめ? スイッチオンなんですけど」
「なんでこのタイミングでスイッチ入るんですか! 今からご飯ですよ」
「だって可愛いかった」
「ずっと思ってたけど成瀬さんの可愛いポイントはかなりずれています」
「そう? 言っとくけど俺を好きだなんて言う志乃も相当ずれてるから」
うっ。そうなんだろうか。まあ、始めの頃は好きになったら苦労するし絶対ないなあ、と思ってたけど。
「と、とにかくまずはお腹すいたんです、ご飯が先です」
「まあ、それもそうか。俺が寝坊したから昼飯からだね、今日何にする?」
「昨日は外食したし簡単に作ろうかなあ」
「よし手伝う!」
「まずは前髪なんとかして?」
楽しい二人暮らし。思った以上に幸せな二人暮らし。
きっとこんな生活が、これからも続いていく。
↓おまけ
「ねー成瀬さんって家だとどんな感じ??」
今泉さんが目をキラキラ輝かせてみてくる。私はお箸を握りなおした。社食で頼んだチキン南蛮をとりあえず頬張る。
こういう質問、よく来るんだよなあ。でも、まさか本当のことなんて言えない。沙織はともかく、同じ部署の仲間に言っても信じてもらえないと思うからだ。今日だって、彼は難しいと言われていた契約をサラリと取ってきて、みんなから羨望の眼差しで見られていたところだし。
「まあ、普通、ですよ……」
「成瀬さんなら起きてもすぐシャキッとしてそうー」
「ははは」
「家事とかもそつなくこなしてそうー料理とか上手そうー」
「は、ははは……」
「暇な時間はコーヒー片手に座って、涼しい顔で読書とかしてそうー!!」
「はは、は……」
誰が想像できるだろう。朝は起こしても全然起きないし、寝ぐせつけたまま眠そうに風呂掃除をして、空いた時間は大概ソファに寝そべってる彼を。
「誰の話?」
「うわあっ」
背後から声がしたので飛び上がる。トレイを手にした成瀬さんが立って笑っていた。
「もしかして俺?」
今泉さんがなんだか恥ずかしそうに言う。
「あは、成瀬さんはお家でもスマートなんだろうなーって話ですよ!」
「ぜーんぜん。俺だらしないから」
「えー絶対そんなことなーい!」
「あれ、てか佐伯さんもチキン南蛮? 一緒だった」
彼は私を覗き込んで言う。確かに、同じメニューを選んだらしかった。
今泉さんがにやにやして言う。
「息がぴったりですねえー」
「まあ、志乃が作ったやつの方が美味しいんだけどね」
そうサラリと言った彼は、言い終えてすぐ『あ、志乃って呼んじゃった』と笑った。今泉さんは今にも叫びだしそうな顔で悶えている。私はなんて答えていいか分からず、ああ、また彼の株が上がったなあなんて考える。
過ぎ去っていった成瀬さんの背中をうっとり眺めながら、今泉さんは言った。
「完璧だわ……絶対離しちゃだめな男だよ。あんな完璧な男他にいない」
「ははは」
今日何度目か分からない愛想笑いを浮かべた。
おわり。
最後までお読みいただきありがとうございました!
またお会いする日まで。
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