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夜中
しおりを挟む体はがちがち、驚きで息も止まり、ただ棒のように立ち尽くした。
しばらくして離れた成瀬さんは、優しく口角を上げている。私はと言えば顔を真っ赤にして、パクパクと金魚のように口を開けている。
「はは、凄い顔真っ赤」
「い、いや、タイミング、ここですか? きゅ、急すぎて」
「うん、だってめちゃくちゃ我慢してたからね。そこにおかえり、なんて出迎えられたら反則技」
「だからって、び、びっくりしました」
「うん、顔みて分かるよ」
そう笑った成瀬さんはさらにそのままキスを重ねた。もはや頭はパンクしていた。角度を変えて食べるように繰り返されるキスに、力が抜けていく。生活力がない彼とは別の顔を見た気がする、一体成瀬さんはいくつ顔を持っているんだろう。
しばらくして解放された私は、涙目で彼を非難した。
「突然過ぎて全然ついて行けません!」
「何言ってんの、昨晩散々人を煽っておいて」
「あ……それ、は」
「今更撤回はなしだよ?」
やや首を傾けて挑発するように言ってくる成瀬さんに、つい後ずさりした。嫌なわけじゃない、ただどうしていいか分からないだけ。
「なんていうか、成瀬さん、普段犬っぽいなって思ってたのに、全然違う顔してます!」
「だろうねえ、犬っていうか狼だよねえ」
「おおかっ……」
「ほら、俺薬局行ってきた、って言ったでしょ?」
はっとして、床に置かれた白いビニール袋を見た。そうだ、私が頼んでいたコンディショナーを買ってきてくれた成瀬さん。それは、つまりあの中には、コンディショナーだけじゃなく……
ずいっと彼が顔を寄せてくる。いつもとは違う、雄の顔。
「明日休みだし、今日は朝まで起きてても大丈夫だね」
「朝!?」
「まあまずは飯とか風呂とか入ろうか」
涼しい顔をしていう彼に、ああ一体いつまで私は成瀬さんに振り回されるんだろう、と一抹の不安を抱いた。私はいつだって、彼には敵わない。
ふと目を開けると、電気が消えた暗闇が見えた。ぼんやりとしつつ、頬に柔らかな枕が当たっている感覚を覚える。うつぶせの状態だったのだ。
いつのまにか寝ちゃってたのか。
そう気づき頭を上げようとしたところで、視界に揺れる液体が見えた。水の入ったペットボトルを差し出していたのは、誰でもない成瀬さんだった。彼はベッドの上に腰かけ、微笑みながら私を見下ろしていた。
「あ……ありがとうございます」
そうお礼を言って腕を伸ばした時、自分の肌色の肩が見えて、慌てて布団を引きあげた。そんな私をなぜか笑いながら見、彼はもう一本の水を自分も飲みだした。心地よさを覚えるほど勢いよく水を流し込む横顔を眺めながら、私も受け取ってこそこそと飲む。CMに出て来そうなぐらいの飲みっぷりと綺麗な横顔を、なんとなく恨めしい気持ちで見つめた。
「なに? じっと見て」
ペットボトルを床に置いて成瀬さんが尋ねる。サイドテーブルなんてものがない部屋なので、私も倣って床に水を置いた。布団に肩までしっかり入りつつ、答える。
「成瀬さんって、普段はソファから一歩も動けない人間のくせに、体力あるんですね?」
「はは、営業は体力勝負みたいなとこあるから」
一人涼しい顔をしてるのが憎らしい。彼は面白そうに言った。
「同じ営業なのに意外と佐伯さんは体力ないね? もっと鍛えないと」
「私は普通ですよ!」
「まだまだ」
そう言いつつ、彼もベッドにもぐりこんでくる。ぎしっと軋む音がした。一人用のベッドに二人一緒に寝るのは、明らかに定員オーバーだ。
狭い中で体を小さくさせ、お互い落ちないように必死になる。それがなんだかおかしくて、どちらともなく笑った。
「すみません、私のせいで狭くなっちゃって」
「とんでもない。俺こそこの前の家具屋ででかいベッドでも買っとけばよかったよ」
「でもあの頃は付き合うなんて全然思ってませんでした」
「それは確かに。でもお互い意識してたのかなーと思うと、さっさと動かなかった自分が恨めしいね」
暗くても、目が慣れて成瀬さんの顔はそれなりにハッキリ見えた。こんなに近くで彼を見ている。
やっぱり不思議。未だに、嬉しさよりも信じられない気持ちの方が強い。目が覚めたら全部夢だったんじゃないか、と思ってしまうくらい。
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