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おまけ
しおりを挟む広々としたリビングで、落ち着きのある静かな声が響いていた。私は邪魔にならないよう、物音を立てないようにしながらお茶を準備する。ちらりと横目で二人を見てみると、ダイニングテーブルで真剣な顔をしている玲と勇太がいる。
「……で、そうするとここが」
「あー! 分かりました、こっちはそれの応用ってことですね」
「そういうこと」
勇太は興奮したように声を上げると、意気揚々とペンを走らせた。それをどこか温かいまなざしで眺める玲は、そばに置いてあったお茶を飲もうとして、それが空であることに気が付く。
ちょうどお茶を淹れ終わった私は、さっそくそれを玲と勇太の前に運びに行った。
「おお、舞香、ありがとう」
「こちらこそ、勇太の家庭教師ありがとう」
「頭いいな、こいつ」
顔を上げた勇太は、キラキラしたまなざしで玲を見つめた。
「いや、玲さんの教え方めっちゃ分かりやすいです! 今まで出会ったどの教師よりわかる。まじですごい」
尊敬のまなざしで玲を見ている。ううん、玲と仲良くやってくれるのは本当にうれしいことなのだが、私にこんな顔をしてくれたことはあっただろうか?
まあ、私は勇太の勉強なんて見てやれないしなあ。そう思いつつも、口を尖らせた。
ある日、玲と二人、勇太に差し入れがてらアパートを訪れた。相変わらず受験勉強で忙しくしているので、食事をよく運んだりしているのだ。
テキストが積み重なった小さなテーブルの上で、三人で少し話していると、玲が一冊を手に持ち『このシリーズ俺も使ってたなあ』なんてしみじみ言った。
それを聞いて、勇太が思い出したように言った。『そういえば玲さんって、T大卒でしたっけ!? ちょっと質問させてもらえませんか!?』と。
玲が頭がいい、というのは人づてに何度も聞いてきた私だが、まさかT大卒とは知らなかった。さすが二階堂の後継ぎとして子供のころから教育されていただけのことはある。
面くらいながら、玲は『もう忘れてると思うよ』と自信なさげにいった。だが、勇太が尋ねてきた問題を、彼はあっさり解いてしまった。勇太は感激で震え上がる。
姉の私が言うのもなんだが、勇太はかなり頭がいい。私とは比べものにならないくらいなので、勇太が解く問題は私はちんぷんかんぷんだ。それを軽々と理解してしまった玲に、改めて驚かされた。
それで、時々勉強を見てくれないか、と勇太直々に頼み込まれた。仕事が休みの日なら、と玲も了承してくれ、土曜の今日、勇太がうちのマンションを訪れたというわけだ。
二人は私には宇宙語としか思えない言葉を発しながら、ずっと勉強をしていた。
本当の夫婦になって少し経つが、玲は勇太を想像以上に気にかけて大事にしてくれている。本当の兄弟のようで、微笑ましいことこの上ない。
だが正直、姉としての立場が危うくなってる気もする。くそう、どうせ私は数学なんてとっくに人生から排除した人間だ!
「いやーすごい。分かりやすいしさすが玲さんって感じ」
私が淹れたお茶を飲みながら、勇太は相変わらず尊敬のまなざしで玲を見ている。玲の隣に腰かけた私は、少し膨れながら言った。
「私をそんな風に尊敬してくれたことあったっけ?」
「姉ちゃんはオムライス包むのが上手い」
「褒めるとこそこなの!!?」
玲が隣で噴出して笑う。私は目を据わらせて睨んだ。
「何よ、頭いいけどオムライス作れないくせに」
「すねるなよブラコン」
「そりゃ玲は頭いいけどさあ!」
「あと舞香が作るやきそばは美味いよな」
「あ、分かります、姉ちゃんの焼きそばやけに美味い」
「え、ほんと? そんなに美味しいの?」
「「機嫌なおるの早」」
三人でわいわいがやがやと騒がしくしていると、突如部屋にインターホンの音が鳴り響いた。私と玲は顔を見合わせる。この音は、エントランスではなく部屋の前のチャイム音ではないか。土曜の昼間に誰だろう。
「俺出てくるわ」
そう言った玲は廊下へ出ていく。勇太と二人お茶を飲みながら待っていると、にぎやかな声とともに圭吾さんが現れたのだ。
「……ってことで、トラブルなんですって!」
「休みの日にんなことこっちに回すな。社長はどうした」
「玲さんじゃないと手に負えないって言われました」
「あのくそおやじ。圭吾も俺も使いやがって」
苦々しく玲が言う。どうやら、仕事上でトラブルが起きたようだ。私は圭吾さんに挨拶をする。
「こんにちは圭吾さん!」
「こんにちは舞香さん、お休みの日にすみません」
「いえいえ、圭吾さんだって休みだったはずなのに」
「僕は……あれ、もしかして弟さんですか?」
圭吾さんが目を丸くする。勇太が立ち上がり、ぺこりと頭を下げた。玲が嫌そうな声を上げる。
「舞香、勇太、ちょっと電話してくるから」
「はーい」
玲はそう言ってリビングから出ていく。私は圭吾さんに座るよう促し、もう一人分お茶の用意をする。勇太と圭吾さんが自己紹介している声が耳に入ってきた。
「弟の勇太です、初めまして」
「やっぱり! どこか舞香さんに似てるなあって思ってたんだ。うん、目元が似てるかな」
「圭吾さん、ですよね。姉から話はよく」
「え? 舞香さんから? 光栄ですね」
物腰が柔らかな圭吾さんに、勇太の緊張もすぐにほぐれたようだ。笑顔を見せて頷いている。
「いつも姉がお世話になっています」
「いいえ! お世話になってるのは僕の方ですよ。あ、勉強中だった?」
「玲さんに教えてもらってて」
「あー玲さんはね、頭は確かにいいからね。家庭教師にはピッタリだと思いますよー」
私は淹れ終わったお茶を圭吾さんのもとに運びながら、眉尻を下げた。
「確かにめちゃくちゃ頭いいみたいですけど、勇太が玲を崇めていて、姉としての立場がありません」
「あはは! そんなことないですよ。あ、お茶ありがとうございます」
「まあ、私は勇太に勉強なんて絶対教えてあげられませんけどねー」
座りながらはあとため息をつく。圭吾さんはお茶を飲みながら言った。
「舞香さんには舞香さんの得意分野がありますから」
「ああ、焼きそばの味付けとかオムライスを包んだりでしょ?」
「ぴ、ピンポイントですね……それだけじゃなくて、そこにいるだけで周りがぱっと明るくなるし、人望もあるところですよ。本当のいいところって、恥ずかしくて口に出せないでしょうからね」
優しい声色で言ってくれる圭吾さんに、勇太がやや驚いたように目を見開いた。そして、小声で私に言ってくる。
「姉ちゃんの言ってた通りの人だね」
「でしょ? 玲とは大違い」
私たちのやり取りを、圭吾さんが笑って聞いてくる。
「舞香さんは僕をどんなふうに言ってたんですか?」
勇太が答える。
「優しくて菩薩みたいだって。包容力がすごいとか」
「へえー僕そんな風に思われてたんですね。嬉しいです。結構腹黒いんですけどね」
それはちょっと分かるかもしれない、と思ったけれど黙っておいた。時々毒はいたりするもんね、圭吾さん。それがまたいいんだけど。
勇太がさらに続けた。
「仕事もできるしとにかく頼りになるって聞いてました」
「ははは、ずいぶんハードル上げられたなあ。僕より舞香さんの方がずっと人間として素晴らしい人ですよ」
さらりとこちらが恥ずかしくなるぐらいのことを言ってくるので、さすが圭吾さんだ。いつでも私を持ち上げてくれるんだもんなあ。
「圭吾、終わったぞ」
気が付けば、玲が部屋に戻ってきていた。圭吾さんが立ち上がる。
「もう解決しました?」
「くそ簡単なことだった。わざわざ休みに連絡するようなことかよ。圭吾も悪かったな、土曜に」
「僕は暇してましたから」
「じゃあ、飯でも食っていけ。なんか宅配するか」
玲がそう誘い、結局圭吾さんも部屋にとどまることになった。勇太の勉強も休憩となり、四人で昼食をとったのだった。
賑やかな昼食を終え、しばらく勉強していた勇太も帰宅した。
夜になり、私はリビングのソファでスマホを眺めていた。先にお風呂に入った玲が、浴室から戻ってくる。ふわりとボディソープの香りがして、顔を上げた。
「あ、私も入ろうかなー」
「お先」
「玲、勇太の勉強みてくれてありがとうね。休みを使ってもらっちゃって」
「別に。あいつ本当に頭いいから教え甲斐あるし。素直で可愛いし」
「そうでしょうそうでしょう! うちの勇太は優秀だし可愛いんだよ!」
「黙っとけブラコン」
濡れた髪をタオルで拭きながら、玲が隣に腰かける。さて、私もお風呂に入ろうかなと立ち上がると、途端玲が手首をつかんで強く引いた。私はまたソファの上にどすんと腰かける。
「え。なに」
「お前、俺をどう思ってんの?」
急にそんなことを聞いてきたので、目をぱちくりとさせた。
「え、どういう意味?」
「なんで圭吾ばっかりほめたたえてるんだお前は」
拗ねたように言ったのを聞いてようやく理解する。昼間の三人の会話を、聞いていたのかこいつは。
確かに圭吾さんのことを絶賛していたのは事実だ。
玲はやや口をへの字に曲げている。
「優しくて頼りがいがあって包容力があるって?」
「間違ってないじゃん。圭吾さんってまさにそうじゃん。菩薩みたいだし気が利くし、顔だっていいし、とにかく優しいの塊みたいな人じゃん」
「俺は?」
そう聞かれたので、首を傾げながら答えを絞り出してみる。
「頭はいいでしょ。仕事も出来るみたい? でも自信家だし口悪いし家事出来ないよね」
「家事は最近覚えだした」
「洗濯できるようになったぐらいね」
「それで? 俺のいいとこそれだけ?」
かなり不満げにこちらを見てくるので、私はつい吹き出して笑ってしまった。
何を子供みたいに拗ねてるんだ。圭吾さんと張り合って、膨れてる。昼間涼しい顔をして難問を解いていた人とは思えない。
「何がおかしい」
「だって! 子供みたい!」
「誰だって好きな女が他の男ばっかり褒めてたら気分悪いだろ」
そういって、玲はふいっとよそを向いてしまった。その横顔は怒っているようにも見えるが、耳が赤くなっている。そんな玲がなぜか可愛く見えてきたので、私は彼の濡れている頭を撫でてみた。冷たい温度が手のひらに伝わる。
「いいじゃん。欠点いっぱいあるのはお互い様だし。それでも一緒にいるって選んだんだから」
「……そんな言葉でごまかそうとしてるな?」
「でも、玲だって優しいよ。私のことも勇太のことも大事にしてくれる。口悪いし性格も悪いけどね」
「いつも一言多いんだよ」
「玲の隣にいる時が一番自分が素直になれるよ。楽しいしね」
私がそう笑顔で言うと、玲がふいにこちらに近づき、キスを落としてきた。風呂上りだからか、彼の唇はいつもより熱い気がした。
玲とはもちろん本当の夫婦になったわけだけれど、こういう時、未だに私は恥ずかしくてたまらない。慣れない、というのが一番だ。馬鹿みたいに笑いあって喧嘩しあっていても、玲はすぐにスイッチが入って触れてくる。その変化に、まだついていけてない。
ただ、いやなわけじゃない。それはもちろん、私も彼をちゃんと好きだから。
「……おい、こっち見ろ」
恥ずかしくて視線をそらしてしまった私を、からかうように玲が言ってくる。困っていると、そのまま押し倒されてもう一度キスされる。
ああ、悔しい。こうなってしまうと、私はやつに勝てない。
何度かキスを重ねた後、玲が満足げに顔を上げる。彼から見下ろされつつ、私は不満をぶつけた。
「で、そういう玲は私のいいとこは焼きそばの味付けしか言ってませんが?」
「んーあとは生姜焼きが美味い」
「他は?」
「虫が出ても果敢に戦える」
「あとは?」
「寝顔が口開いてて面白い」
「そっちこそろくなこと言ってないじゃない!!」
むかついたので、玲の脇腹を突いてやった。最近知ったことだが、玲は脇腹が弱い。案の定、彼は変な声を上げながらソファから転がり落ちた。
私は大声で笑いながら、下に落ちている玲を見下ろす。彼はぎろりと私の顔をにらむと、そのまま立ち上がり、再度私を押し倒して馬乗りになる。そして意地悪く口角を上げて言う。
「反撃のつもりか?」
「弱いくせに!」
再度脇腹を攻撃してやろうとした私の両手を、玲が押さえつける。そしてそのまま、今度は深い深いキスの攻撃に移ってきた。彼もまた、反撃だ。
そうなってしまえば逃げられない。必死に答えつつ顔を真っ赤にさせてしまっている自分に気付きながら、とにかく受け入れるしかない。
しばらく彼の攻撃は続き、ようやく終わったかと思うと、勝ったとばかりに私を見る玲の顔が見えて憎らしかった。こっちの両手を塞いでおきながら、ずるいぞこの男は。
すると彼は、そのまま私の体に覆いかぶさった。そして、耳元で小さな声を響かせる。
「舞香の全部が好き。こんなくだらない時間も、楽しすぎるから」
やっと聞き取れるぐらいの小さな言葉を、私は忘れないで胸にしまっておこうと思った。
私もちゃんと言ってあげなくちゃ、と思ったのに、にやにやしてしまう顔をちゃんと制御できなくて、ただ一言、
「同じく」
そう言い返すだけで、必死だった。
完
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大体は自分の癖を詰め込んでるだけです笑
これからも、どうぞよろしくお願いします(*´∀`*)