上 下
54 / 78

玲の秘密

しおりを挟む


 マミーから私宛に電話が来たのは、それから二日後の事だった。

 玲を経由して対応すると、彼女は明らかに戸惑った声で私にこう言った。

『あなたは何を贈ったの? 伊集院様は甘いものがお嫌いなのに、素晴らしい物を頂いたと直々にお礼をしてくれました。どういうことですか』

 その反応を聞いて、私は胸を撫でおろした。実際のところ、伊集院さんの機嫌を損ねる可能性はあったのだが、彼女は前向きにとらえてくれたようだ。

 私は表情を緩めて、一言だけ答えた。

「ですから、特別に取り寄せた焼き菓子です。これ以上は伊集院様のプライベートな話になりますので」

 マミーは散々喚いたが、適当に流して電話を切った。私は同時に大きなため息をつき、リビングのソファにごろりと寝そべった。そんな私の顔を、玲が覗きこんでくる。彼は笑っていた。

「上手く行ったみたいでよかったな」

「生きた心地がしなかった」

「攻めたな。無難に花でも贈っておけばよかったのに」

「みんなと同じじゃ印象に残らないじゃん」

 私は体を起こす。玲はそんな私に、氷の入ったチューハイを差し出してくれた。それを受け取り、喉に流し込むと、強い炭酸とアルコールが体中を突き刺してくるようだ。染みわたる、とはこういう時に使うのか。

 一人でふふっと笑う。

 伊集院さんに贈ったのは、『低糖質焼き菓子』だ。今時そういった特別なお菓子は調べると結構ある。その中でも、特別にオーダーしていい物を差し上げた。

 伊集院さんが糖尿病だということは、ほぼ間違いないと思っていた。昔は好きだったのに突然嫌いになったという不思議なエピソードの答えは簡単だ。『本当は好きなのに食べられなくなった』だったのだ。初めはアレルギーが発症したのかと思ったが、だとすれば隠す必要はない。

 もし本当に嫌いになったとしたら、来客に出すものにすら甘味が無いのが変だ。お茶会なのだし、普通は少しぐらいは甘いものがあってもいい。多分、見れば食べたくなってしまうし、人が食べてるのを見るのも辛かったんだろう。だから嫌いになった、と堂々と言った。

 自分が糖尿病だということを、伏せたがる人は案外多い。伊集院さんも言いにくかったのだろう。

 決定的だったのは、倫子さんから預かった写真だ。隅の方に、隠れたように薬を内服しようとしている姿が映っていた。拡大してじっと見てみると、私も仕事の時によく使用した糖尿病治療薬に非常に似ていた。包装してあるパッケージが印象に残りやすい色だったのも幸いしていた。なので、そんな彼女にも食べられるものを、と調べて用意してみた。

 お菓子と共に手紙を添え、その説明はしておいた。自分は看護師だったのでたまたま気づいた、と強調し、さりげなく他の人には漏らしていないことも伝えた。

 そして伊集院さん専用のお菓子を贈った、というわけだ。まあ、実際のところ糖尿病だからと言って、基本的には甘いものを全て断つ必要はない。大事なのは量やタイミングなどのコントロールだ。その人の現在の血液数値にもよるが、たまには食べたりして食事の楽しみを作ることも大事だと私は思っている。特に、誕生日という特別な日に、低糖質で作られたものぐらいなら。なので今回プレゼントにも選んでみたが、余計なお世話だと思われる可能性も高かった。どういった反応をされるかは最後までドキドキだった、というわけだ。まあ、一応お菓子の他に生花も贈ったし、パーティーでの手応えを見るに、ものすごく怒られることはないかな、と踏んでいたが。

 隣の玲もお酒を飲んでいた。氷の涼し気な音を鳴らし、彼は一人笑う。

「いや、凄すぎるな。母親と楓の悔しそうな顔が目に浮かぶ」

「てゆうか、思ったより伊集院さんが良い人だから良かったよ。厳しくても、心は広そう」

「母親みたいなイビリするババアだったら終わりだったな」

「ババアって!」

 私は笑ってしまう。

「意地悪おばさんだったら、どうせ何してもいちゃもん付けてくるからね。だったら攻めてやろうと思ったまで」

「度胸が並みじゃねえ」

「これで玲も安心した?」

 隣を見てみると、彼がふ、と表情を緩めて笑った。玲は最近、こういう顔をよくするようになったと思う。一緒に住み始めた頃とはまるで違う。

「頑張ったな。褒美をやろう」

「いや、三千万の仕事ですから……」

「特別手当だ」

「ええー」

 チューハイを飲みながら考える。だって、ご飯だの服だの、いい物を買い与えられてるし、勇太の家賃代も払ってくれてるみたいだし、何もほしい物なんてないんだけど。

 そう考えた時、あっと思い出した。グラスをテーブルに置き、玲に向き直る。

「おっけ、今日は一緒に寝よ!」

 玲がお酒を吹き出した。こいつ結構吹き出し癖があるらしい。私は呆れながらティッシュで周りを拭く。

「いや吹き出しすぎ」

「お前何言ってんの?」

「玲結局ここ最近もずーっとあんまり寝てないでしょ。目の下にうっすらクマ出来てるの気づいてるよ。今日は仕事休んで早くねよーよ」

「なんで褒美が俺の睡眠なんだよ」

「心配してるんだよこっちは。妻としてさー睡眠は大事だよ?」

「まあ、舞香は夜ほんとよく寝てるよな……」

「昔から寝つきもいいし、寝たら朝まで起きないタイプだからね。ほら、それ飲んだらもう寝よう。心配事も一つ減ったわけだし、今日はきっとよく眠れるよ」

 私がそう言うと、玲はなぜか不満そうに残ったお酒を飲んだ。何だその顔、そんなに早く寝るのが嫌なのか? 最初の頃はいつも私と同じくらいの睡眠時間だったのに。不眠症か?

「分かった、じゃあ寝る」

「よっし、じゃあ私歯磨きしてこよー」

 私はグラスの中身を飲み干すと、玲のグラスも手に持ちキッチンへ置きに行った。さてさて、無事やり遂げた後だし、本当に今日は快眠できそう。まあ毎晩快眠なんですが。

 歯を磨いて寝室に入る。ベッドにダイブすると、すでに眠気が襲ってくる。少しだけスマホを眺め、うとうとしていると、しばらくしてやらようやく玲が入ってきた。私はしょぼついた目で彼を見る。

「電気消してー」

「……分かった」

 部屋が暗くなる。私は枕に頭を沈め、寝る体制に入っていた。

 玲がこちらに近づき、ベッドに体重をかけたのが分かった。ふと目を開けてみると、彼は腰かけたまままだ横になっていない。不思議に思いそれを眺めていると、玲が小さな声を出した。

「舞香」

「ん~?」

「……俺さ」

「んー……」

「お前に、隠して る が…… あるん……」

 布団の柔らかさと温かさに睡魔が刺激される。私は瞼を閉じ、アルコールの力もあり、そのまま深い闇に沈んでいく。

 何か玲が言いかけてた気がしたが、果たして夢か現実かよく分からない。

「んー玲、よく寝なよ……」

 彼に休みの言葉だけ掛けると、私はそのまま完全に夢の世界へと沈んでいった。




「……嘘だろ、寝るのはっや。せっかく言うチャンスかと思ったのに」

 玲のため息を、私は知らない。





 

 
 

 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

シングルマザーになったら執着されています。

金柑乃実
恋愛
佐山咲良はアメリカで勉強する日本人。 同じ大学で学ぶ2歳上の先輩、神川拓海に出会い、恋に落ちる。 初めての大好きな人に、芽生えた大切な命。 幸せに浸る彼女の元に現れたのは、神川拓海の母親だった。 彼女の言葉により、咲良は大好きな人のもとを去ることを決意する。 新たに出会う人々と愛娘に支えられ、彼女は成長していく。 しかし彼は、諦めてはいなかった。

妻と夫と元妻と

キムラましゅろう
恋愛
復縁を迫る元妻との戦いって……それって妻(わたし)の役割では? わたし、アシュリ=スタングレイの夫は王宮魔術師だ。 数多くの魔術師の御多分に漏れず、夫のシグルドも魔術バカの変人である。 しかも二十一歳という若さで既にバツイチの身。 そんな事故物件のような夫にいつの間にか絆され絡めとられて結婚していたわたし。 まぁわたしの方にもそれなりに事情がある。 なので夫がバツイチでもとくに気にする事もなく、わたしの事が好き過ぎる夫とそれなりに穏やかで幸せな生活を営んでいた。 そんな中で、国王肝入りで魔術研究チームが組まれる事になったのだとか。そしてその編成されたチームメイトの中に、夫の別れた元妻がいて……… 相も変わらずご都合主義、ノーリアリティなお話です。 不治の誤字脱字病患者の作品です。 作中に誤字脱字が有ったら「こうかな?」と脳内変換を余儀なくさせられる恐れが多々ある事をご了承下さいませ。 性描写はありませんがそれを連想させるワードが出てくる恐れがありますので、破廉恥がお嫌いな方はご自衛下さい。 小説家になろうさんでも投稿します。

ふたりは片想い 〜騎士団長と司書の恋のゆくえ〜

長岡更紗
恋愛
王立図書館の司書として働いているミシェルが好きになったのは、騎士団長のスタンリー。 幼い頃に助けてもらった時から、スタンリーはミシェルのヒーローだった。 そんなずっと憧れていた人と、18歳で再会し、恋心を募らせながらミシェルはスタンリーと仲良くなっていく。 けれどお互いにお互いの気持ちを勘違いしまくりで……?! 元気いっぱいミシェルと、大人な魅力のスタンリー。そんな二人の恋の行方は。 他サイトにも投稿しています。

陛下から一年以内に世継ぎが生まれなければ王子と離縁するように言い渡されました

夢見 歩
恋愛
「そなたが1年以内に懐妊しない場合、 そなたとサミュエルは離縁をし サミュエルは新しい妃を迎えて 世継ぎを作ることとする。」 陛下が夫に出すという条件を 事前に聞かされた事により わたくしの心は粉々に砕けました。 わたくしを愛していないあなたに対して わたくしが出来ることは〇〇だけです…

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

【完結】優しくて大好きな夫が私に隠していたこと

恋愛
陽も沈み始めた森の中。 獲物を追っていた寡黙な猟師ローランドは、奥地で偶然見つけた泉で“とんでもない者”と遭遇してしまう。 それは、裸で水浴びをする綺麗な女性だった。 何とかしてその女性を“お嫁さんにしたい”と思い立った彼は、ある行動に出るのだが――。 ※ ・当方気を付けておりますが、誤字脱字を発見されましたらご遠慮なくご指摘願います。 ・★が付く話には性的表現がございます。ご了承下さい。

処理中です...