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出陣だ!

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 玄関でヒールを履く。実のところ、ヒールさえもこの結婚前はあまり履いたことがなかった。畑山さんの指導の下練習させられやっと慣れてきたのだ。

 玲は緊張した様子もなく靴を履き終え私を待っている。余裕綽々なその態度がなんだか鼻についた自分は、履きながら小言を漏らした。

「もう、普通緊張してる妻の心をほぐすために優しい言葉の一つもないもんですかね」

「お前緊張してんのか」

 目を丸くして言って来たので、私も目を丸くした。何を言ってるんだこの男は。

「いやそれ気づいてなかったの? 嘘でしょ?」

「舞香に緊張するなんて繊細さがあったことに驚いてる。お前そんな人間だった?」

「私の何を知ってんねん」

「なんで急に関西弁なんだよ」

「そりゃついに決戦の日なんだから緊張するよ! 絶対ご両親に睨まれること分かってるしさあ!」

「男に二股掛けられたその日にヤクザに連れてかれそうになっても堂々としてた女のくせに、今更繊細ぶってんじゃねーよ」

 玲がにやっと笑いながら言った。私を目を座らせる。

「あのね、挫けないっていうのと緊張しないは全く別物なの。ガッツはあっても緊張はするし不安は持ってるの! そういうところ察しなさいこの神経図太い人間!」

 私が怒ると、なぜか彼は感心したようにほーっと声を漏らした。その様子がまたこちらの神経を逆なでさせる。この男は私を苛立たせる天才のようである。

「なるほど、そういうもんか。お前も緊張とかするんだな」

「なんてったって三千万の仕事だからね」

「いい心がけだ。前も言ったが俺がフォローしてやるんだから胸張ってろ。サイズは誤魔化せないが気品は出る」

「一言余計なんだよ」

「出るぞ。圭吾、車よろしく」

 私の言うことが伝わったのかどうなのか? 玲は気遣う様子もあまりなく、さっさと家から出て行ってしまった。私は盛大なため息をつき、彼の背中を追うしか出来なかった。




 車がたどり着いたのは、有名ホテルだった。

 エントランス前に停められた車の中で、私は手のひらに人という文字を三回書いて飲んでいた。こんなことするの小学生ぶりだ。空気も飲み込んでしまい喉の圧迫感と戦いつつも、私は必死に自分を落ち着ける。

 運転席に座った圭吾さんが振り返った。

「大丈夫です。今の舞香さんは誰が見ても素敵すぎる女性です。そのままで行けば失敗するなんてことありませんよ。自信もって」

 目を細めてにこやかに言ってくれる圭吾さんに、つい胸がぎゅっと掴まれたようになった。ああ、彼ってなんて優しくてほしい言葉をくれる人なんだろう。あの玲と長年付き合ってきただけのことはある、気遣いも出来るし優しい。

「圭吾さん、ありがとうございます……一気に自信が出てきました!」

「残念ながら僕は中に入れないんです。舞香さんの様子を見たかったです。でもすぐそばで待機はしていますからね」

「ああ、百人力です、ありがとうございます!」

 そして彼は車から降り、ドアを開けてくれた。まず玲が降りる。そして、私の前に手を差し出しエスコートしてくれた。私は慣れた様子(を装いながら)その大きな手を取った。

 玲は小声で言う。

「初日のお前と比べると随分変わったな」

「当たり前よ。この二週間どれだけしごかれたと思うの」

 しっかり前を向き、姿勢を意識したままで答えた。彼の隣りに堂々と立つ。玲は微笑んで頷いた。

「さ、行こう」

 その言葉で、私達はついに足を踏み出した。

 ホテルの大きな正面玄関を通る。ゆっくりとした歩調で歩きながら、私は小さな声で尋ねた。

「もうご両親はいるの?」

「いる。俺が入籍したってことが耳に入って、発狂してた」

「そりゃするだろうね……」

「今日紹介するって言っておいたから、あっちも今頃そわそわしながら待ってるぞ」

「気が重い」

 隣を見上げると、私とは反対に、玲は涼しい顔をして歩いていた。高級そうなスーツに身を包んだ玲は、悔しいがそこいらを歩いている男とは全くレベルが違う。幼少期から培った気品やオーラは、私には簡単には出せない。外に出れば、玲はやはりとんでもなくいい男なのだ。

 ただし、性格に難あり。ここ重要だからね。

 がやがやとした賑やかな声が耳に届いてきた。一番奥で開かれた大きな扉の向こうが、どうやら今日の戦場のようだった。きらびやかな照明と、多くの人々が視界に入る。玲の腕を持つ手に力が入る。

「さ、お前の腕の見せ所」

「こっちの台詞」

 そう最後の言葉を交わしたと同時に、私達は会場に足を踏み入れた。
 
 途端、騒がしかった騒音が一瞬止んだ。何十という目が私たちに注目するのを感じた。

 たくさんの人たちがいる。老若男女、着飾った人たちは一斉に私たちに注目している。小さな子供だけが、周りの様子を不思議そうに眺めている。

 震えそうな足を必死に堪えた。大丈夫、私は玲の妻なんだから、堂々としていればいい。

 玲は怯えた様子もなく、ゆっくり会場の真ん中を通っていく。誰一人声を掛けなかった。私たちに道を譲る様に移動して行く様は、まさにモーゼの海割りのようだった。
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