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プラス思考に

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 プラス思考に行くんだ!

 あんな男、別れて正解だ。どこの誰かも知らないが、奪ってくれてありがとう。私には勇太がいる。

 生憎、いつまでも引きずってられるほど暇ではない。働いて、家事もこなさねば。受験生で忙しい勇太もさすがに今はバイトを控えているので、私が頑張るしかない。

 来年になって勇太が大学生になる日を夢見て頑張ろう。ええ、私の長所はガッツがありくじけないところ。子供の頃だって、貧乏だとさんざん馬鹿にしてきた近所の男子は片っ端から片付けてやった。あいつはやばい奴だと噂になったもんだ。

 私は地にしっかり足をつけたまま自宅に帰った。別れたことは勇太には黙っておこう、多分心配させる。あの子は私よりずっと頭がいいんだ、今勉強を頑張ってもらわなきゃ。今日の夕飯は何にしようかな、勇太の好きなやきそばでいいかな。

 春の匂いを肺いっぱいに吸い込んだ。虚しさもあったけど、気づかないフリをした。さー焼きそば焼くぞ。

 そんなことを思いながら歩いていると、鞄に入れておいた携帯電話が鳴り響いた。一度立ち止まり取り出してみる。勇太だった。

「もしもし? どうした?」

 なるべく明るい声で出る。だが、相手は想像以上に深刻そうな声をしていた。

『……姉ちゃん』

「なに? どしたよ」

『やばいのが、来た』

 その声を聞き、ただ事ではないと気がつく。何があったか問いただそうとして、すぐ近くにアパートがあることを思い出す。もう目と鼻の先だ、行った方が早いではないか。

 私はスマホを耳に当てたまま走り出した。

 二階建て、築三十五年のボロアパートの上角部屋が、私たちの家だ。やたら足音が響く外階段を上り、見慣れた木製のドアの前に立つ。鍵を開けて中に入り、短い廊下を抜けた。ギシギシと床が鳴る。

「勇太!?」

 狭い和室に飛び込んだ。そこではっと息を止める。

 小さな古いテーブルの前に、勇太が青い顔をして正座で座っている。その正面に、スーツを身にまとったガタイのいい男性が二人笑いながらこちらを振り返った。

 顔を見ただけで分かる相手の職業。頭の中が真っ白になる。

「おーお姉さまのお帰りか」

 笑いながら立ち上がった男たちは、二人とも背が高く大男だった。一人はスキンヘッドの髭面、もう一人は馬顔の出っ歯だ。その様子に、つい私も後ろにたじろいだ。

「ど、どちら様ですか?」

 さすがに声が震える。髭面が答えた。

「弟くんには話をしたよ」

「勇太?」

「……ごめん、あまりに呼び鈴を鳴らしてドアを蹴るから開けちゃって……この人たち、金を返せ、って」

「金?」

 ぽかんとしてしまう。うちは貧乏だが、借金などは遠い存在だ。私も勇太も、そんな馬鹿なものには手を出さないと心に決めている。

 私は髭面の方に言った。多分、こっちの方が立場がそうだ、と勘が働いて。

「間違いです、うちには借金なんて」

「はいこれどうぞー」

 男は胸ポケットから一枚の紙を取り出し、私ににやつきながら見せつけた。しわくちゃになったペラペラの紙には、難しそうな言葉が羅列している。だが真っ先に私がとらえた文字は、手書きの部分だった。

 癖のある右肩上がりの字、見覚えのある名前。

「…………は」

 息が止まる。

「はい、服部幸太郎、君たちのお父さんだよね? 連絡取れないしー連帯保証人も飛んじゃったみたいだし、じゃあ子供たちに責任取ってもらわないと」

 行方知れずになっているあのクズ親父のサインだ。そしてそのすぐ近くに書かれた数字が目に入る。

 三と、ゼロが……七つ。

 一気に部屋が氷点下まで下がった気がした。だらだらと服の下に汗をかきまくる。それでも口から出した言葉はすっとぼけたものだ。

「違いますけど? うちの父親はそんな人じゃ」

「んー嘘はよくないね。俺たちに嘘ついてどうなると思う?」

 ずいっと顔を寄せられ笑われた。タバコのヤニで黄色く変色した歯に嫌悪感を覚える。ごまかすなんて無駄だ、とすぐに悟った自分は、ちらりと契約書と思われるものを目で追った。

 あのバカ親父がサインしたのは間違いない。でも、どこからどう見ても闇金で、無茶苦茶な利子が計算されてあのお金になったんじゃないだろうか。だとしたら不当な請求では? こういう時どうすればいいんだろう、一度誤魔化しておかえり頂き、警察か、弁護士とか……

 頭の中で必死に考えていると、突然強い力でぐいっと肩を掴まれた。馬の方の男だった。やつは凄んだ声で私に言う。

「余計なこと色々考えてるわけじゃないよねー? 借りたものは返さないとさ、素直に従わなかったらどうなるか分かる?」

 男たちは同時に勇太の方を見た。私の体がびくっと反応してしまう。やつらは脅しているのだ、私や家族をひどい目にあわせられる、と。

 すぐさま言った。

「待ってください、あの、少し時間を頂けませんか? お金は必ず準備します」

「へえー? こんなボロ屋に住んでるのに、これだけの金を払う当てがあるっていうの?」

「は、はい。親戚に借ります、ほんの少し待ってもらえば大丈夫です」

 なるべく声を震わせないように笑顔で言った。実際のところ、そんな親戚なんかいるわけない。両親ともくだらない人間だったので親戚づきあいはゼロなのである。もし頼れる人がいたとして、三千万なんてお金を貸してくれる金持ちなんてそうそういない。

 でも時間を稼がなきゃ。それだけを思って出た嘘だった。
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