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いる
しおりを挟む生ぬるい誰かの吐息が、肩にかかっている。
すぐ後ろに何かがいる。触れるか触れないかぐらいの距離で、じっと私を見つめているのを肌で感じていた。間違いなく生きている人間なんかではない、嫌な空気感が私を包んでいる。
息すら止まり、そこから一歩も動くことが出来なくなる。
「返事して!」
すぐ前の扉の向こうには、あの二人がいるはずなのに、その声はとても遠く感じた。私の意識が離れていっているのだろうか、耳に膜が張ったような、そんな感覚に陥っている。
耳にかかる吐息で、自分の髪がわずかに揺れる。あまりの気持ち悪さに吐いてしまいそうだった。
ここから出して、お願い、外に出して。私を解放して。
心の中で必死に懇願した。どうして閉じ込めるのだろう、こんな怖い目に遭わせて何が目的なの。ここから出して……。
ライトで丸く照らされた世界は、同時に隅に闇を作り出している。その暗闇の中で、もぞもぞと何かが動いているのを捉えた。カーペットの上で、何かが蠢いている。
血だまりだった。
先ほどはなかったはずなのに、赤黒い血の塊がそこにはある。直径三十センチはありそうな、大きな塊だ。それがまるで生き物のように小さく動いているのだ。信じられない光景に、もはや叫ぶ余裕すらなかった。ただ目を見開き、愕然とその異常な物を見るしか出来ない。意思を持った血だまりが、こちらをあざ笑うかのように動き続ける。
そして同時に、自分の背後でも何かが動いている。
血だまりから視線を外せずにいる私の視界の端に、何かが映り込んだ。赤い。真っ赤に染まった手だ。たった今血が付いたかのように、ぬるぬるとした血液が光っている。鉄のような生臭い匂いが鼻につく。
その手が、そっと私の肩に置かれる――
ぽん、と肩を叩かれた瞬間、喉から叫び声が漏れた。そしてそれとほぼ同時に、目の前の扉が大きな音を立てて破られたのだ。暁人さんが蹴ったのか、片足を上げたままの姿が見える。
「井上さん!」
「遥さん、無事!?」
二人が呼びかけてくれて、私は一気に力が抜けた。その場に崩れ落ちるように膝をつき、ただがくがくと震えて返事すら出来ない状態だった。
柊一さんが素早く私の隣に駆け寄り、背中をさする。
「大丈夫!? 何があったの、全然こっちの声に反応しないし」
「血、血が……あって……私、叫んだのに、聞こえ、届かなくて」
「落ち着いて。ゆっくり深呼吸してごらん」
隅の方を見ても、今は血だまりはすっかりなくなっていた。それを確認した後、言われた通り深呼吸を繰り返してみる。その間ずっと柊一さんが背中をさすってくれているぬくもりを感じていた。
心配そうな顔が私を覗き込む。
「大丈夫?」
私はとりあえず頷く。暁人さんは周囲を細かく観察し、眉を顰めながら言う。
「何かがいた空気が残ってるな。だが、すでにいなくなってる。井上さんに縋りついてきたのかも」
「遥さん、とりあえず部屋から出ようか」
柊一さんが支えてくれたので、私はやっと立ち上がる。ふらふらしながら廊下に出て、長い息を吐いた。柊一さんが私に尋ねる。
「声、出してたんだね? 僕たちからは全然聞こえなかった」
「叫んでました。柊一さんたちの声も聞こえてました。でも私の声は届いてなかったみたいで」
「なるほど。何か見た?」
「カーペットの上には動く血だまりと……あと、真っ赤な手。血で染まった真っ赤な手でした。見えたのは手だけ。とにかく怖くて……」
私が震える声で説明をすると、柊一さんは申し訳なさそうにうつむいた。
「ごめん。やっぱり君を連れてくるのは間違ってた。遥さんには危害が及ばないように頑張るって約束したのに……」
「そんな! 私が二人から離れたのがいけないんです、お二人のせいじゃありません!」
怖さより、落ち込んでいる柊一さんの顔を見る方が辛かった。二人とも私を凄く気遣ってくれてるし、こうして助け出してくれたのだから、そんなに責任を感じてほしくない。
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