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㉚悪の配信者
しおりを挟むナノハナには何が起きているのかが理解できていなかったが、自分の命に危険が迫っている事だけは理解できた。
悪質なストーカーに追われている時よりも、日本全土を震撼させている殺人鬼が目の前に現れた時よりも、今が一番確実に、死が近くに迫っていると感じた。
身体は痺れ、思う様に動かせない。
それでも、カメラに向かって一人語りを続けているスイセンの方へ顔を向け、慎重に語り掛ける。
「……す、スイセンくん。どうしたんだよ急に。なんでこんなこと……」
「なんで?俺は知名度低くたって【ユーツーバー】だよ?やることは企画に決まっているだろう」
突然スイセンが、蹲るナノハナに近寄り、髪の毛を鷲掴みにして顔を上げさせた。
「《巡回》の様子を撮りに、刺激的な映像を皆さんにお届けするために、出てきたのに、この男!」
苦痛に顔を歪ませるナノハナの顔にカメラのレンズが近近づいてきた。
カメラの液晶には、触れられそうなほど近く、画面いっぱいにナノハナの苦痛に歪む顔が映し出された。
スイセンは、愉快な笑い声をわざとらしくあげた。
「この男!この男!皆さんも知っているでしょう!日本を代表する【ユーツーバー】の一人、ナノハナくんだよ!」
掴んだ髪を乱暴に放すと、スタンガンを背中に押し付けた。
「このナノハナくん、どうしたことか巡回対象のガキ共に感情移入しちゃったみたいでさぁ!ガキ共を助けようとし始めちゃったんだよ!皆さんそんなんを観たいわけじゃないですよねぇ!ああ、そうそう!多分ですね!多分ですね!」
スイセンは、アリサに顔を向けると近づき、ナノハナにしたように、髪の毛を乱暴に掴で顔を上げさせた。
アリサの顔を画面いっぱいに収める。
「この子!綺麗な子だよね!ナノハナくんったら多分この子を好きになっちゃったんだよ!やばくない!きもくない?中学生だよ!」
好き勝手に言われ、ナノハナは反論をしようとしたが、身体が痺れていて呻く事しか叶わなかった。
「私情を挟んで、何よりも大切な視聴者様が望む映像を撮ろうとしないなんて、ユーツーバー失格ですわ。そんなわけで……」
スイセンはアリサを放し、カメラに自分を映した。
その片手には、スタンガンに代わってバタフライナイフが握られていた。
「これから粛清していきたいと思います!」
「……待って」
ナノハナを殺すべく、歩き出したスイセンの足をアリサが掴んだ。
「……殺さないで」
アリサの呟きを聞いた瞬間、スイセンは大袈裟に驚く顔を作った。
「皆さん!聞きました?なになにアリサちゃん!もしかして大切にされているうちにナノハナくんの事好きになった?ねー!君ぐらいの年頃の女の子は年上の男性に無駄に惹かれたりするもんねー!わかるなー!」
高笑いするスイセンを、アリサは睨んだ。
「……そんなんじゃないわ。あなたには惹かれないもの」
挑発的な発言を聞いた瞬間、スイセンの顔から笑顔が絶えた。
しかし、気味の悪い笑顔は引き攣りながらもすぐに復活した。
そして、意地の悪い笑みを口元に浮かべたまま呟いた。
「……いい事思いついた」
「やめろ!」
今度のナノハナは、身体の痺れを忘れて思わず叫んだ。
スイセンの思いついた事が、わかったのだ。
スイセンは、ナノハナの叫びなど聞く耳持たない様に、もうカメラに語り掛けていた。
「はい。では皆さん!ナノハナくんを殺す前に、まずナノハナくんが一生懸命守ろうとしていたこのアリサちゃんを殺そうかなって思います!」
「ま、まて!何でそんな事!」
ナノハナは必死に叫ぶも、相変わらずスイセンはカメラに向かって語り掛けている。
「いやー、本当なら教師達の指導シーンもちゃんと撮るために子供達はエサにしたかったんだけれど、色々と問題がありましてね」
アリサに迫ろうとするスイセンは、視界の隅に立ち上がる一人の影を見た。
川本圭一だった。
圭一は、満身創痍の身体に鞭を打った。
顔色は真っ青なのに全身が熱く、額からは玉汗が流れる。
そんな状態でもその瞳に闘志を宿し、敵となったスイセンを睨みつけていた。
体中の痛みに顔を歪め、乱れる呼吸を繰り返すも敵意を剥き出しにする圭一は、まるで野生の獣の様だった。
「……圭一くん。無理しない方がいいよー」
圭一の剣幕に、内心怯えたスイセンだったが、それを悟られぬよう明るい声を出すように努めた。
「しんどいでしょー?それに君は、ちゃんと指導してくれる先生の所へ届けようと思っているんだから」
何も答えず、乱れる呼吸を繰り返しながら、圭一はスイセンを睨み続けた。
「あ!もしかして、圭一くんもアリサちゃんの事好きとか?モテモテだねー、アリサちゃん!…君、同性からは嫌われるでしょう?その見た目だけでどれだけの得をし―」
カメラのフレームに語り掛けるスイセンの顔が映っている。
そこへ、圭一の拳がフレームインし、止まることなくスイセンの顔面にめり込んでいった。
予想外の打撃に、手にしていたバタフライナイフとハンディカメラがスイセンの手元から離れた。
カメラの捉える画面は大きくぶれ、地面に平伏すスイセンが大写しになる。
「ああ、くっそが!なにすんだよ!」
立ち上がったスイセンは、すかさず圭一の胸倉を掴むと、口汚く叫んだ。
「やっぱり、てめぇはここで殺す!がっ―」
足元に鋭い痛みを感じ、スイセンは飛び上がった。
その足元には、スイセンが手放したバタフライナイフを握り、スイセンの足首に刺し込んでいるナノハナがいた。
ナノハナの体の痺れはまだ残っており、ナイフを刺す力も強くはなく浅くしか刺し込めなかったが、非日常的な痛みは十分に与えられた。
スイセンは、咆哮を上げながら足首に刺さったバタフライナイフを引き抜く。
「うあぁぁぁああぁぁ!やってられるか!」
地面に落ちた回りっぱなしのハンディカメラを乱暴に拾上げると、怒りの形相のままスイセンは語りだした。
「ちょっとね……イかれたストーカーがいたり、殺人鬼がいたりとこのまま外にいると俺の身も危ないんでね。手早くこいつらを片付けて。最後に、ナノハナくんの相方であるジニアくんの元に行って終わろうかなと思います」
「あ……待て」
ナノハナの呟きは、命乞いではなかった。相方の身を案じて出たものだった。
「大丈夫、大丈夫。ジニアくんもちゃんとやるから」
予想通りのスイセンの言葉に、ナノハナは後悔の念に駆られた。
ジニアの忠告を聞いていれば。
こんな危険な事をしなければ。
自分が死ぬのはもちろんの事、相方まで危険な目に遭わせてしまうなんて。
ナノハナは心の中で謝りながら、ジニアの姿を想い浮かべた。
その想像した姿は、凄まじい怒号と共に具現化した。
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