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㉘悪との遭遇
しおりを挟む脇道に入ると、数件の民家に広々とした畑や棚田、小規模な森など一気に自然溢れる所になった。
集団は、後ろを気にしつつ走り続けた。
飯田先生の姿はない。
確実に追いかけてきているはずなのに、姿が無いことは得体の知れない恐怖がある。
先生から追われている時、恐怖を煽られるのと同時に存在の手掛かりでもあった笛の音が聞こえない。
飯田先生はもう、自分一人で生徒達全員を指導するつもりであった為、笛を鳴らす事をしていなかった。
そんな事、逃げる皆の知る由もない。
ナノハナは、集団より先。この先がどの様な道に続いているかを見た。
この先、曲道になっている。
道に沿ってガードレールが張られ、その向こうは緩やかな谷となっていた。
その曲道から、一人の少女がやってきた。正確には戻ってきた。
先頭を我武者羅らに突き進んでいた【ヲタク女子グループ】谷本瑞樹だった。
飯田先生出現に恐怖し、いち早く先を行っていた瑞樹がふらふらとした足つきで戻ってきた。
瑞樹は友人である大久保映美の所まで来ると、彼女の胸に倒れ込んだ。
突然の事態に、集団は足を止める。
「え?ちょっと瑞樹?」
映美が抱きとめる。
瑞樹の背中が湿っていた。嫌な予感が映美の中に沸いた。
恐る恐る手の平を見る。嫌な予感は的中した。
瑞樹の背中を湿らせていたのは、血だった。
そして、瑞樹に不幸をもたらした者が、現れた。
―シャン
その場にいる誰もの生物的防衛本能が、警笛を鳴らした。
包丁を研ぎながら歩いてくる。
身に纏っている白いロングカーディガンに返り血をお洒落に装飾している美しい顔立ちの男、【殺人鬼】大原マサ彦が来た。
集団に、飯田先生が追いついた。
それにも関わらず、誰も飯田先生を気に留めない。
飯田先生自身も生徒達を指導することを忘れ、大原マサ彦を凝視した。
既に大原マサ彦の姿を目にしていた俊と翼が、さっそく恐怖の表情を作り上げた。
初めてその殺人鬼の姿を目の当たりにした者は、表情を変えることすらできずに、「本当にいた」といった思いで只々絶句していた。
大原マサ彦は、包丁を研ぎながらゆっくりと歩み寄ってきた。
映美は思わず胸に抱いている瑞樹を手放し、集団の中に駆け込んだ。
瑞樹は少し顔を上げ、手を伸ばす。
「あ……まって……まって」
瑞樹は呟くと、糸が切れたようにその場に平伏せてしまった。
大原マサ彦は容赦なく近づいてくる。
まるで大原マサ彦の周りに結界が張ってあるかのように、彼が一歩進むと、集団の皆は一歩下がる。
立ち位置を変えずにいられたのは、飯田先生と倒れ込んでいる瑞樹だけだった。
大原マサ彦が、瑞樹の元に到達した。
静かに目を瞑り、身体を細かく震えさせている瑞樹を冷たい瞳で見下ろす。
そして、瑞樹の背中を思いっ切り踏みつけた。
「ぐええぇぇ!」
瑞樹から、潰された蛙の様な声が出た。
さっきまで静かにしていた瑞樹が、尋常ではない程喚き暴れ出す。
友人に見捨てられた瑞樹は、彼女なりに助かる方法を考え、死んだふりをしていた。
しかし、生きた人間と死んでいる人間の違いは直感で判るうえ、既に負っている非日常的な傷のおかげで体は震え、生きていることなを誤魔化しようもなかった。
なにより何人もの死体を生み出してきた大原マサ彦に、死んだふりなど通用するはずがなかった。
「嫌!やめて!やめて!放して!誰か!助けて!助けてぇぇぇ!」
手足をばたつかせて暴れ、大原マサ彦の足をどかそうと必死に抵抗する。
だが、彼の足はビクともしない。
大原マサ彦は表情を変えることなく、瑞樹を踏みつける右足に反時計周りで角度をつけながら圧力をかける。
「ぁぁあぁぁあぁぁぁぁぁあぁぁ!いたぁぁぁあああいぃぃぃ!」
瑞樹は絶叫する。
背中に負った切り傷が理不尽に広げられ、今までに味わったことのない苦痛と恐怖が、背中から全身に行き渡る。彼女の人生のなかで、今後少しずつ降りかかるはずだった苦痛と恐怖が、いま一気に押し寄せてきたような。
そんな彼女の生涯も、終わりを迎えようとしていた。
大原マサ彦は、包丁研ぎを完了させていた。
銀色に美しく輝く包丁を眺めると、次は足元に目を移す。
そこには相変わらず阿鼻叫喚している瑞樹がいる。
手にしている包丁を逆手に持ち替えると、瑞樹のうなじに向かって振り下ろした。
包丁を瑞樹のうなじから素早く引き抜くと、大原マサ彦はその場から飛び退く。
次の瞬間、道の脇に留めてあった軽自動車が爆発した。
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