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⑮狂気
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《巡回》開始直後―
家に残されたジニアは、窓から外を眺めた。
ナノハナとスイセンの姿はない。どうやら無事に出発できたようであった。
「……じゃあ、アレには帰ってもらうか」
ナノハナからは、数子と外で鉢合わせしないように、二人が家を離れるまでの数分間を玄関前で足止めするように言われていた。
数子は今も玄関ドアの向こうで叫んでおり、ジニアが相手をするまでもなく、ずっと玄関前に居座っている。
それはいいとして、帰ってもらうとなるといよいよ相手をしないわけにはいかない。
ジニアは意を決して、インターフォン越しに語り掛ける。
「……あの」
叫び声が止んだ。
『……あなたは、ジニア君ね?ナノハナくんを出して?』
数子の粘着質な声が、応答する。
ジニアは通話を切り上げたい衝動に駆られたが、ぐっと堪えて対応する。
「今、ナノハナいないんですよ。すみません」
『……どうしていないの?』
「いや、普通に……出掛けていて」
『……そんなわけない。ナノハナくんを出して?』
「いや本当に、居ないんですって」
『うそ』
「嘘じゃなくてですね……」
『うそ』
「いや、嘘じゃないんですって」
『うそ!』
「本当に―」
『うそをつくなぁ!』
再び叫びだし、ドアを叩き始めた。
「ちょ、ちょっと!本当!本当に!」
インターフォンに叫んでも、もう数子の耳には届いていないようだった。
ジニアは防犯グッズの詰まったリュックを持ち、仕方なしに玄関ドアの前まで行く。
「ちょっと!ドアを叩かないでください!近所迷惑にもなるんです!」
「じゃあナノハナくん出してよ!」
「本当に居ないって言っているでしょう!」
冷静に対処しようと心得ていたが、いかんせん相手は叫んで聞かない。ジニアも声を張り上げるほかなかった。
「そんなわけないじゃない!もう《巡回》だって始まったのよ!」
「その《巡回》の様子を撮りに出たんです!」
「うそよ!うそ!じゃあなんであなたはそこにいるの?何で一緒に出てないの?なんで?ねぇ?ねぇ、なんで?なんでなのよぉ!いるんでしょう!ナノハナくん!ほんとうは隣にいるんでしょう!ねぇ!どうして出てきてくれないの!」
もう、ジニアの中に恐怖心はすでになく、只々イラついていた。
「居ないもんは居ないんです!もう帰ってください!迷惑なんです本当!」
ここ一番の怒鳴り声を上げた。
すると、意外にも数子は静かになった。
「……わかりました。あなたでは話になりません。ナノハナくんとお話します。わたしは見ていたんですからね。ね?ナノハナくん?ちゃんと顔を合わせて話さなきゃね?ね?そうよね?だから来たんだから。ちょっと待っていてね、ナノハナくん」
静まり返ったドアに、ジニアは耳を当てた。
数子の気味悪い独り言と共に遠ざかっていく足音が聞こえる。
「……疲れた」
緊張の糸が切れたジニアは、玄関に座り込んだ。
最後の方はもはやジニアと会話しているとは言い難いものだった。彼は考える。
数子は、自分の家に帰るのだろうか?
それとも出て行ったナノハナを探しに行ったのか。
今更ながら、追い返すにはまだ早かったかとも思う。
とはいえ、ジニア自身やはり一人で数子の相手をするのは怖かったのだ。
もし、ナノハナが数子に見つかってしまったらどうしよう。
あの気の知れない女は何をするかわかったものじゃない。心配だ。
ふと、ジニアは一人の人物を思い出した。
以前に、《巡回》の様子を撮影しに出掛け、その先で亡くなった男。
人気配信者、大物【ユーツーバー】サンザシである。
彼の死は、配信者界隈で大きな話題になった。
死因やその時の《巡回》内容など一通り調べてみたが、《巡回》の様子は実際見る以外に知る由もなく、サンザシの死についても、憶測と噂が飛び交っていた。
ジニアはスマートフォンを取り出し、サンザシの死について検索をかけた。
一番上に出てくるのは、ネットニュースの記事。
以前開いたことのあるページだったが、一応開いてみる。
そこにはやはり、以前見たものと同様の記事が広がっていた。
一面には『人気【ユーツーバー】サンザシ、《巡回》の撮影に失敗!』と大きく書かれている。
失笑していたこの不謹慎極まりない記事にも今や笑えない。
サンザシと同じことが相方の身にも起きるかもしれないのだ。
検索ページに戻り、上から二番目に出ていたサイトに入った。
巨大掲示板である。《巡回》に出たサンザシについてのスレッドでは、サンザシが何故死んだのか、どうやって死んだのか、そんな話題で溢れていた。
ジニアは掲示板を流し見し、溜息をついた。
サンザシの死について様々な意見が上がっていたが、一番多かったのが、『ストーカー等に殺された』だった。心配は募るばかりだ。
このまま家にいようかどうしようか、ジニアは掲示板の書き込みを漁りながら考えていると、ある書き込みに目が留まった。
なんと、犯人を名乗る者がいるのだ。
156名前:尊敬神秘 サンザシ殺ったの、オレ
157名前:名無し>156 …へぇ
158名前:名無し>156 犯罪自慢
159名前:名無し>156 殺ったの、オレ笑
160名前:名無し>156 うん。
161名前:尊敬神秘 本当だよ。
162名前:名無し>161 ご本人様だ
ジニアは、再び溜息をついた。
犯人を名乗る者、尊敬神秘は全くまともに相手をされていなかった。
ジニアはもう少し読む。すると、書き込みに少しだけ動きがあった。
173名前:名無し>161 何か証拠はありますか?
174名前:尊敬神秘>173 それがすごく残念なんだけど、物的証拠はないんだ。
175名前:名無し>174 ないのかよW
176名前:尊敬神秘>175 うん。だから、持ってくるよ。
持ってくるという書き込みに興味を示す。
指を慎重に動かし、画面をスクロールする。
177名前:尊敬神秘 実は俺も、ユーツーバーやっているんだ。
サンザシはもう終わっちゃったから駄目だけど、
また著名なユーツーバーをやるよ。
そして次はちゃんと、映像に記録する。
178名前:名無し>161 マジでかW
179名前:名無し>161 チャンネル名は?尊敬神秘?
180名前:尊敬神秘>179 うん。チャンネル登録よろしく。
181名前:名無し>180 嘘つき。尊敬神秘なんてチャンネル無いぞ?
182名前:尊敬神秘>181 ああ。まぁ、いつになるかはわからないが、
動画は必ず上げる。
ユーツーバー狩りの映像を上げたのが
俺のチャンネルであり、サンザシを殺したのが俺だ。
こいつはバカか?とジニアは思った。
そんな事をしたら即通報されて、警察に捕まるだろう。
チャンネル登録者数を気にするどころではない。
ジニアは、すかさず動画投稿サイト【ユーツーブ】にアクセスし、『尊敬神秘』で検索をしてみた。名無しの誰かが言う様に、尊敬神秘なんてチャンネルは存在していなかった。
検索にヒットした動画も、『神秘』というところにかかったのか、占いの映像や自然界の映像、不思議体験をまとめた動画しかなく、【ユーツーバー】が行っているようなものは無い。
まだ、チャンネルを設立していないだけなのか?いや、この人は【ユーツーバー】を名乗っていた。チャンネルはもちろん、動画も何本か出していてもおかしくはないと思うのだ。
売名にしたって、こんな通報されるような過激な発言。
なにも無いわけないはず。
ジニアの考えとは裏腹に、ユーツーブに『尊敬神秘』の存在が見当たらなかった。
今度は普通に、検索フォームで検索をかける。結果はあまり変わらなかった。
やはり、『神秘』に引っ掛かるようで、パワーストーンを扱う宝石店のサイトや、いかがわしい占いサイトが何件か出てくるだけであった。
ジニアは落胆した。画面をスクロールする指の動きもどんどん乱雑になる。
その雑な操作によって、検索項目を『すべて』から『画像』にしてしまい、画像の検索結果が出てきた。
検索結果を見たジニアは、指だけに留まらず全身が止まった。
引き始めていた嫌な汗が再び全身から噴き出してくる。
気のせいだと思いたかった。単なる偶然かもしれない。
しかし、思えば自分達は何も知らなかった。
ジニアは、座り込んでいた玄関から腰を上げた。
スマートフォンの小さい画面で調べるのは、適切でない。
ここから先はパソコンで調べようと、リビングに向かう。
リビングの窓は大きく開かれ、カーテンが風でなびいている。
部屋に、小山数子が佇んでいた。
秒数に起こすと約十秒。思考は吹き飛び、ジニアはただ動けずにいた。
部屋の中にいるはずのない人物がいる。恐怖が存在している。
声を出すことも出来ず、ただその恐怖を視界に入れる事しかできない。
「……おじゃまします。ナノハナくんはどこ?」
粘着質な声を聴き、ジニアはようやく事態を把握した。
この女は、窓の外からナノハナが居ることを確認してから家に来たのだ。
こんなにもイカれているストーカーだ。
外から見える部屋の景色も、この部屋への、窓からの入り方も知っていたのだ。
やはり、窓の鍵を閉めておくべき、いや、カーテンだけでも最初から閉めておくべきだった。
ジニアは不必要の分析と後悔をした。
そんな場違いの分析ができるほど頭は動いているのに舌がうまく回らない。
数子は、目をひん剥いた。
「ねぇ!」
一喝すると、逆手に持ったカッターナイフをジニアの顔に目掛けて振り下ろしてきた。
ジニアは反射的に手を出してしまった。
カッターの刃は、顔の目前で止まったが、その刃を鷲掴みしてしまった。
掴んだ右手はもちろん裂け、激痛と共に血が滲む。
得物を掴まれたと思うや否や、数子は履いているローファーの踵で、ジニアの鳩尾を思いっ切り打った。
後ろに飛ばされる反動で、手の平からカッターが引き抜かれ、血が噴き出す。
満足に受け身を取ることも出来ず、玄関に通じる廊下に転げた。
痛みに、恐怖に、苦しみ。ジニアの頭は混乱した。
「あっ、土足でごめんなさい。でもあなたが悪いのよ?玄関から入れてくれないから。仕方がないわよ」
的外れな謝罪をすると、数子は部屋を見渡しながら言葉を続ける。
「ねぇ、ナノハナくん?どうして隠れているの?出て来て?ちゃんと話そ?……ジニア君?ナノハナくんをどこに隠したの?ねぇ?どうして隠すの?ねぇ……ねぇ?」
腹部を押さえてうずくまっているジニアに、容赦なく数子は迫る。
ジニアは廊下を後退りながら、必死に訴える。
「……だから、さっきから……居ないって言っているでしょ……!」
見下ろしてくる数子の顔を見上げた瞬間、顔面を蹴られた。
「ナノハナくん聞いてる?出てきて!出てきてくれないと、ジニア君死んじゃうよ?いいのっ?ナノハナくん!相方が死んじゃうんだよ?それでも隠れるの?私だってこんな事したくないんだから!早く出てきて!」
うずくまるジニアの頭や背中を蹴りながら、室内に存在しないナノハナに向かって数子は叫び続ける。もちろん、ナノハナが出てくることはない。
「あ……だから、居ないって……」
「うるさい!うるさいよお前!うるさいお前!知ってるんだから!私は見てたんだから!」
数子はジニアを睨みつけ、蹴る力を強めた。その痛みに耐え、反撃の隙を窺いつつジニアは必死に声を絞り出す。
「あ、あんたが来るまでは、いたよ……あんたが……来たと同時に、窓から出て行った」
「え……」
数子の動きが止まった。しかし、止まったのも一瞬。
ジニアの肩に、カッターナイフが突き立てられた。
「ぁぁあああぁ!」
「どうして!どうして窓から出て行くの?ナノハナくんったら変わった人ね!ちゃんと玄関から出たら、逢えたのに!……どうしてどうしてどうして!」
数子の感情の起伏に合わせたかの様にカッターが動かされ、肉が抉られる。
尋常じゃない痛みで、ジニアの中には何故か、恐怖を超すほどの怒りが芽生えていた。もう、誰かの事を考えて発言する余裕はない。事実だけをぶつけた。
「あ……お前が来たから……だよ!」
「……私が来たから?」
案の定と言うべきか、数子はショックを受けた。
カッターを刺し込む力が僅かに緩む。
ジニアはすかさず、数子の腕を押し上げてカッターを引き抜く。
しかし、数子はすぐさま手首を捻らせ刃が狙う箇所を頸動脈へと切り替えた。
「ねぇ、逃げたの?私から逃げたの?なんで……なんで逃げるのよ……なんでよ……」
今度は叫ばなかった。静かに、呪文を唱えるかのように呟いていた。
だが、そんな静かな声とは真逆にカッターを握る手に込められた力は、今までの中で一番だった。
少しでも力を抜けば、その刃は容赦なく首筋に食い込まれるだろう。ジニアは抑える両手に全力を捧げる。
「どこ……どこに……どこに逃げたの?……言え」
本当に凄まじい力だった。
「……言え……言え……言え……言え……言え……言え……言え……言え……言え……」
刃と首の距離は数センチとない。言わなければ殺される。
しかし、言っても殺されるかもしれない。ならば言わない方がいい。
それでも言ってどうにか隙ができるのであれば。
ジニアは悩み、賭けに出た。
「え、駅……駅だよ!」
それを聞いた数子はどういうわけか、ナノハナに逃げられたと知った時よりも動揺を露わにし、力を緩ませた。
ジニアは、賭けに勝ったのだ。
「……なんでよ……なんでそこまで……」
再び力が緩んだのを見逃さない。
全力で数子の腕を押し返し、胴体を思いっ切り蹴り飛ばした。「ああっ!」と大げさな悲鳴を上げながら数子は後ろに倒れ込んだ。
その隙にジニアは玄関へ駆け出す。
数子は倒れた体制から体を向き直すと、そのまま四つん這いになって追ってくる。
しかし、ジニアの目的は、玄関から逃げる事ではない。
玄関に置きっぱなしにしていた、防犯グッズのみが詰まったリュックが目当てだった。リュックのドリンクホルダーに刺してあった棒状のスタンガンを掴むと、すぐ後ろに迫っていた数子に放電させた。
バボボボボとスパーク音が響き、数子は痛みに顔を歪ませながら飛び退いた。
スタンガンが当たった二の腕辺りを確認し、埃を掃うようにしきりに叩き始めた。直後、その腕を擦りながら憎悪の表情をジニアに向けてくる。
「やめてよ!何するの!せっかくおしゃれして来たのに!服が焦げたら大変じゃない!もうサイアク……フザケルナフザケルナフザケルナ……!」
今度は頭を滅茶苦茶に掻きむしり始めた。
そんな彼女にジニアは、スタンガンを両手でしっかり持ち、向けなおす。
「出て行け!」
ジニアは、数子の批難を掻き消すように怒鳴り、再びスパーク音を鳴り響かせた。敵意を向けていた数子が、ハッとした表情になる。
「……ええ、そうよ。そうよね……そうするわよ。あなたになんて用はないもの。こんな事をしている場合じゃないわ!ああ、何でナノハナくん……早く……早く……ナノハナくんに……急がなきゃ……ナノハナくんと……ナノハナくん……ナノハナくんナノハナくんナノハナくん……!」
数子の喜怒哀楽はまるで、花火が各種入ったお徳用パックの袋に、直接火を放ったかのような弾け方をしていた。
ただ、数子のそれは、綺麗ではない。
禍々しい感情をまき散らしながら、入ってきた窓へ向かって行く。
ジニアはスタンガンを構えた姿勢のまま、数子の背中から目を離さない。
窓の縁に手をかけ、跨ごうとする所で数子は、ジニアに視線を向けた。
そして微笑んだ。
「ナノハナくんといっしょに帰って来るからね……絶対」
そう呟くと、ナノハナとスイセンが窓から出て行った時のように、数子はその場から消えた。
ジニアは放心状態に陥り、しばらく無人になった空間を見つめていた。
家に残されたジニアは、窓から外を眺めた。
ナノハナとスイセンの姿はない。どうやら無事に出発できたようであった。
「……じゃあ、アレには帰ってもらうか」
ナノハナからは、数子と外で鉢合わせしないように、二人が家を離れるまでの数分間を玄関前で足止めするように言われていた。
数子は今も玄関ドアの向こうで叫んでおり、ジニアが相手をするまでもなく、ずっと玄関前に居座っている。
それはいいとして、帰ってもらうとなるといよいよ相手をしないわけにはいかない。
ジニアは意を決して、インターフォン越しに語り掛ける。
「……あの」
叫び声が止んだ。
『……あなたは、ジニア君ね?ナノハナくんを出して?』
数子の粘着質な声が、応答する。
ジニアは通話を切り上げたい衝動に駆られたが、ぐっと堪えて対応する。
「今、ナノハナいないんですよ。すみません」
『……どうしていないの?』
「いや、普通に……出掛けていて」
『……そんなわけない。ナノハナくんを出して?』
「いや本当に、居ないんですって」
『うそ』
「嘘じゃなくてですね……」
『うそ』
「いや、嘘じゃないんですって」
『うそ!』
「本当に―」
『うそをつくなぁ!』
再び叫びだし、ドアを叩き始めた。
「ちょ、ちょっと!本当!本当に!」
インターフォンに叫んでも、もう数子の耳には届いていないようだった。
ジニアは防犯グッズの詰まったリュックを持ち、仕方なしに玄関ドアの前まで行く。
「ちょっと!ドアを叩かないでください!近所迷惑にもなるんです!」
「じゃあナノハナくん出してよ!」
「本当に居ないって言っているでしょう!」
冷静に対処しようと心得ていたが、いかんせん相手は叫んで聞かない。ジニアも声を張り上げるほかなかった。
「そんなわけないじゃない!もう《巡回》だって始まったのよ!」
「その《巡回》の様子を撮りに出たんです!」
「うそよ!うそ!じゃあなんであなたはそこにいるの?何で一緒に出てないの?なんで?ねぇ?ねぇ、なんで?なんでなのよぉ!いるんでしょう!ナノハナくん!ほんとうは隣にいるんでしょう!ねぇ!どうして出てきてくれないの!」
もう、ジニアの中に恐怖心はすでになく、只々イラついていた。
「居ないもんは居ないんです!もう帰ってください!迷惑なんです本当!」
ここ一番の怒鳴り声を上げた。
すると、意外にも数子は静かになった。
「……わかりました。あなたでは話になりません。ナノハナくんとお話します。わたしは見ていたんですからね。ね?ナノハナくん?ちゃんと顔を合わせて話さなきゃね?ね?そうよね?だから来たんだから。ちょっと待っていてね、ナノハナくん」
静まり返ったドアに、ジニアは耳を当てた。
数子の気味悪い独り言と共に遠ざかっていく足音が聞こえる。
「……疲れた」
緊張の糸が切れたジニアは、玄関に座り込んだ。
最後の方はもはやジニアと会話しているとは言い難いものだった。彼は考える。
数子は、自分の家に帰るのだろうか?
それとも出て行ったナノハナを探しに行ったのか。
今更ながら、追い返すにはまだ早かったかとも思う。
とはいえ、ジニア自身やはり一人で数子の相手をするのは怖かったのだ。
もし、ナノハナが数子に見つかってしまったらどうしよう。
あの気の知れない女は何をするかわかったものじゃない。心配だ。
ふと、ジニアは一人の人物を思い出した。
以前に、《巡回》の様子を撮影しに出掛け、その先で亡くなった男。
人気配信者、大物【ユーツーバー】サンザシである。
彼の死は、配信者界隈で大きな話題になった。
死因やその時の《巡回》内容など一通り調べてみたが、《巡回》の様子は実際見る以外に知る由もなく、サンザシの死についても、憶測と噂が飛び交っていた。
ジニアはスマートフォンを取り出し、サンザシの死について検索をかけた。
一番上に出てくるのは、ネットニュースの記事。
以前開いたことのあるページだったが、一応開いてみる。
そこにはやはり、以前見たものと同様の記事が広がっていた。
一面には『人気【ユーツーバー】サンザシ、《巡回》の撮影に失敗!』と大きく書かれている。
失笑していたこの不謹慎極まりない記事にも今や笑えない。
サンザシと同じことが相方の身にも起きるかもしれないのだ。
検索ページに戻り、上から二番目に出ていたサイトに入った。
巨大掲示板である。《巡回》に出たサンザシについてのスレッドでは、サンザシが何故死んだのか、どうやって死んだのか、そんな話題で溢れていた。
ジニアは掲示板を流し見し、溜息をついた。
サンザシの死について様々な意見が上がっていたが、一番多かったのが、『ストーカー等に殺された』だった。心配は募るばかりだ。
このまま家にいようかどうしようか、ジニアは掲示板の書き込みを漁りながら考えていると、ある書き込みに目が留まった。
なんと、犯人を名乗る者がいるのだ。
156名前:尊敬神秘 サンザシ殺ったの、オレ
157名前:名無し>156 …へぇ
158名前:名無し>156 犯罪自慢
159名前:名無し>156 殺ったの、オレ笑
160名前:名無し>156 うん。
161名前:尊敬神秘 本当だよ。
162名前:名無し>161 ご本人様だ
ジニアは、再び溜息をついた。
犯人を名乗る者、尊敬神秘は全くまともに相手をされていなかった。
ジニアはもう少し読む。すると、書き込みに少しだけ動きがあった。
173名前:名無し>161 何か証拠はありますか?
174名前:尊敬神秘>173 それがすごく残念なんだけど、物的証拠はないんだ。
175名前:名無し>174 ないのかよW
176名前:尊敬神秘>175 うん。だから、持ってくるよ。
持ってくるという書き込みに興味を示す。
指を慎重に動かし、画面をスクロールする。
177名前:尊敬神秘 実は俺も、ユーツーバーやっているんだ。
サンザシはもう終わっちゃったから駄目だけど、
また著名なユーツーバーをやるよ。
そして次はちゃんと、映像に記録する。
178名前:名無し>161 マジでかW
179名前:名無し>161 チャンネル名は?尊敬神秘?
180名前:尊敬神秘>179 うん。チャンネル登録よろしく。
181名前:名無し>180 嘘つき。尊敬神秘なんてチャンネル無いぞ?
182名前:尊敬神秘>181 ああ。まぁ、いつになるかはわからないが、
動画は必ず上げる。
ユーツーバー狩りの映像を上げたのが
俺のチャンネルであり、サンザシを殺したのが俺だ。
こいつはバカか?とジニアは思った。
そんな事をしたら即通報されて、警察に捕まるだろう。
チャンネル登録者数を気にするどころではない。
ジニアは、すかさず動画投稿サイト【ユーツーブ】にアクセスし、『尊敬神秘』で検索をしてみた。名無しの誰かが言う様に、尊敬神秘なんてチャンネルは存在していなかった。
検索にヒットした動画も、『神秘』というところにかかったのか、占いの映像や自然界の映像、不思議体験をまとめた動画しかなく、【ユーツーバー】が行っているようなものは無い。
まだ、チャンネルを設立していないだけなのか?いや、この人は【ユーツーバー】を名乗っていた。チャンネルはもちろん、動画も何本か出していてもおかしくはないと思うのだ。
売名にしたって、こんな通報されるような過激な発言。
なにも無いわけないはず。
ジニアの考えとは裏腹に、ユーツーブに『尊敬神秘』の存在が見当たらなかった。
今度は普通に、検索フォームで検索をかける。結果はあまり変わらなかった。
やはり、『神秘』に引っ掛かるようで、パワーストーンを扱う宝石店のサイトや、いかがわしい占いサイトが何件か出てくるだけであった。
ジニアは落胆した。画面をスクロールする指の動きもどんどん乱雑になる。
その雑な操作によって、検索項目を『すべて』から『画像』にしてしまい、画像の検索結果が出てきた。
検索結果を見たジニアは、指だけに留まらず全身が止まった。
引き始めていた嫌な汗が再び全身から噴き出してくる。
気のせいだと思いたかった。単なる偶然かもしれない。
しかし、思えば自分達は何も知らなかった。
ジニアは、座り込んでいた玄関から腰を上げた。
スマートフォンの小さい画面で調べるのは、適切でない。
ここから先はパソコンで調べようと、リビングに向かう。
リビングの窓は大きく開かれ、カーテンが風でなびいている。
部屋に、小山数子が佇んでいた。
秒数に起こすと約十秒。思考は吹き飛び、ジニアはただ動けずにいた。
部屋の中にいるはずのない人物がいる。恐怖が存在している。
声を出すことも出来ず、ただその恐怖を視界に入れる事しかできない。
「……おじゃまします。ナノハナくんはどこ?」
粘着質な声を聴き、ジニアはようやく事態を把握した。
この女は、窓の外からナノハナが居ることを確認してから家に来たのだ。
こんなにもイカれているストーカーだ。
外から見える部屋の景色も、この部屋への、窓からの入り方も知っていたのだ。
やはり、窓の鍵を閉めておくべき、いや、カーテンだけでも最初から閉めておくべきだった。
ジニアは不必要の分析と後悔をした。
そんな場違いの分析ができるほど頭は動いているのに舌がうまく回らない。
数子は、目をひん剥いた。
「ねぇ!」
一喝すると、逆手に持ったカッターナイフをジニアの顔に目掛けて振り下ろしてきた。
ジニアは反射的に手を出してしまった。
カッターの刃は、顔の目前で止まったが、その刃を鷲掴みしてしまった。
掴んだ右手はもちろん裂け、激痛と共に血が滲む。
得物を掴まれたと思うや否や、数子は履いているローファーの踵で、ジニアの鳩尾を思いっ切り打った。
後ろに飛ばされる反動で、手の平からカッターが引き抜かれ、血が噴き出す。
満足に受け身を取ることも出来ず、玄関に通じる廊下に転げた。
痛みに、恐怖に、苦しみ。ジニアの頭は混乱した。
「あっ、土足でごめんなさい。でもあなたが悪いのよ?玄関から入れてくれないから。仕方がないわよ」
的外れな謝罪をすると、数子は部屋を見渡しながら言葉を続ける。
「ねぇ、ナノハナくん?どうして隠れているの?出て来て?ちゃんと話そ?……ジニア君?ナノハナくんをどこに隠したの?ねぇ?どうして隠すの?ねぇ……ねぇ?」
腹部を押さえてうずくまっているジニアに、容赦なく数子は迫る。
ジニアは廊下を後退りながら、必死に訴える。
「……だから、さっきから……居ないって言っているでしょ……!」
見下ろしてくる数子の顔を見上げた瞬間、顔面を蹴られた。
「ナノハナくん聞いてる?出てきて!出てきてくれないと、ジニア君死んじゃうよ?いいのっ?ナノハナくん!相方が死んじゃうんだよ?それでも隠れるの?私だってこんな事したくないんだから!早く出てきて!」
うずくまるジニアの頭や背中を蹴りながら、室内に存在しないナノハナに向かって数子は叫び続ける。もちろん、ナノハナが出てくることはない。
「あ……だから、居ないって……」
「うるさい!うるさいよお前!うるさいお前!知ってるんだから!私は見てたんだから!」
数子はジニアを睨みつけ、蹴る力を強めた。その痛みに耐え、反撃の隙を窺いつつジニアは必死に声を絞り出す。
「あ、あんたが来るまでは、いたよ……あんたが……来たと同時に、窓から出て行った」
「え……」
数子の動きが止まった。しかし、止まったのも一瞬。
ジニアの肩に、カッターナイフが突き立てられた。
「ぁぁあああぁ!」
「どうして!どうして窓から出て行くの?ナノハナくんったら変わった人ね!ちゃんと玄関から出たら、逢えたのに!……どうしてどうしてどうして!」
数子の感情の起伏に合わせたかの様にカッターが動かされ、肉が抉られる。
尋常じゃない痛みで、ジニアの中には何故か、恐怖を超すほどの怒りが芽生えていた。もう、誰かの事を考えて発言する余裕はない。事実だけをぶつけた。
「あ……お前が来たから……だよ!」
「……私が来たから?」
案の定と言うべきか、数子はショックを受けた。
カッターを刺し込む力が僅かに緩む。
ジニアはすかさず、数子の腕を押し上げてカッターを引き抜く。
しかし、数子はすぐさま手首を捻らせ刃が狙う箇所を頸動脈へと切り替えた。
「ねぇ、逃げたの?私から逃げたの?なんで……なんで逃げるのよ……なんでよ……」
今度は叫ばなかった。静かに、呪文を唱えるかのように呟いていた。
だが、そんな静かな声とは真逆にカッターを握る手に込められた力は、今までの中で一番だった。
少しでも力を抜けば、その刃は容赦なく首筋に食い込まれるだろう。ジニアは抑える両手に全力を捧げる。
「どこ……どこに……どこに逃げたの?……言え」
本当に凄まじい力だった。
「……言え……言え……言え……言え……言え……言え……言え……言え……言え……」
刃と首の距離は数センチとない。言わなければ殺される。
しかし、言っても殺されるかもしれない。ならば言わない方がいい。
それでも言ってどうにか隙ができるのであれば。
ジニアは悩み、賭けに出た。
「え、駅……駅だよ!」
それを聞いた数子はどういうわけか、ナノハナに逃げられたと知った時よりも動揺を露わにし、力を緩ませた。
ジニアは、賭けに勝ったのだ。
「……なんでよ……なんでそこまで……」
再び力が緩んだのを見逃さない。
全力で数子の腕を押し返し、胴体を思いっ切り蹴り飛ばした。「ああっ!」と大げさな悲鳴を上げながら数子は後ろに倒れ込んだ。
その隙にジニアは玄関へ駆け出す。
数子は倒れた体制から体を向き直すと、そのまま四つん這いになって追ってくる。
しかし、ジニアの目的は、玄関から逃げる事ではない。
玄関に置きっぱなしにしていた、防犯グッズのみが詰まったリュックが目当てだった。リュックのドリンクホルダーに刺してあった棒状のスタンガンを掴むと、すぐ後ろに迫っていた数子に放電させた。
バボボボボとスパーク音が響き、数子は痛みに顔を歪ませながら飛び退いた。
スタンガンが当たった二の腕辺りを確認し、埃を掃うようにしきりに叩き始めた。直後、その腕を擦りながら憎悪の表情をジニアに向けてくる。
「やめてよ!何するの!せっかくおしゃれして来たのに!服が焦げたら大変じゃない!もうサイアク……フザケルナフザケルナフザケルナ……!」
今度は頭を滅茶苦茶に掻きむしり始めた。
そんな彼女にジニアは、スタンガンを両手でしっかり持ち、向けなおす。
「出て行け!」
ジニアは、数子の批難を掻き消すように怒鳴り、再びスパーク音を鳴り響かせた。敵意を向けていた数子が、ハッとした表情になる。
「……ええ、そうよ。そうよね……そうするわよ。あなたになんて用はないもの。こんな事をしている場合じゃないわ!ああ、何でナノハナくん……早く……早く……ナノハナくんに……急がなきゃ……ナノハナくんと……ナノハナくん……ナノハナくんナノハナくんナノハナくん……!」
数子の喜怒哀楽はまるで、花火が各種入ったお徳用パックの袋に、直接火を放ったかのような弾け方をしていた。
ただ、数子のそれは、綺麗ではない。
禍々しい感情をまき散らしながら、入ってきた窓へ向かって行く。
ジニアはスタンガンを構えた姿勢のまま、数子の背中から目を離さない。
窓の縁に手をかけ、跨ごうとする所で数子は、ジニアに視線を向けた。
そして微笑んだ。
「ナノハナくんといっしょに帰って来るからね……絶対」
そう呟くと、ナノハナとスイセンが窓から出て行った時のように、数子はその場から消えた。
ジニアは放心状態に陥り、しばらく無人になった空間を見つめていた。
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