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問題編
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「上沢先輩、それ、なんですか? 」
机の上には古い段ボールがある。四角は穴が開き、蓋を閉じるはずのガムテープも埃がびっしりと張り付いている。
「ああ、これはね、昔のミス研の五分間ミステリだよ」
五分間ミステリというのは、我がミステリー研究会の学園祭で毎年恒例の喫茶店で出す推理クイズのようなもので、お客さんに解いてもらうのだ。
「でも、上沢先輩、これどこから取ってきたんですか」
そうなのだ。ミス研には部室はない。こんな古そうなものが代々受け継がれてきたとも思えないし……。
「ああ、君は知らなかったか。もともとな、SF研とミス研は合同で部室を持っていたんだよ。ミス研の会員の数が少なくなったんで、追い出されたんだけどな。でも、一応備品置き場みたいな扱いで、毎年の五分間ミステリのバックナンバーを置かせてもらってるんだ。で、今年も何かそろそろ書かなきゃならないから、参考に昔のものも読んでおこうと思って、SF研の会長に頼んで、探してきたんだよ」
中にはパソコンなのかワープロで打たれたのかは分からないが、ホッチキスで留められた紙束が沢山出てくる。もとは白紙だったのだろうが、いまではわら半紙のように黄ばんでしまっている。
「じゃあ、せっかくだからなんか解いてみようか」
よく見ると、各々の右隅に、付箋がついていて、『密室』『アリバイ』『見立て殺人』などが書いてある。
「ああ、これ、テーマ別に分けてあるんですね」
「なるほどな。どれがいい? 下沢君」
「そうですね、密室とかは難しそうだし……ああ、『意外な凶器』がありますね」
『意外な凶器』ものというのはミステリでは鉄板で、例えば凍らせた肉で殴り殺してその後で肉を調理して食べてしまう、といったものだ。犯人にとっては凶器の処理が厄介らしい。同時に、警察も凶器が分からなかったら犯人の特定は難しい。
「ああ、それ、去年の僕の書いたやつだよ」
「ええっ? 本当ですか? 」
「ああ。けっこう簡単だと思うけどな。『意外な凶器』がテーマだってバレちゃったし」
「そうですよね。じゃあ、これ解いてみます」
僕は上沢先輩に挑戦しよう、と思いページをめくる。
まだ梅雨も明けきらないじめじめとした天気で、探偵宇治十条が自転車でふととおりかかると、学生アパートの前に警察がたむろをしている。珍しいこともあるものだと顔を出してみると、顔なじみの警部がいた。
「おや、宇治十条君じゃないか! 」
「ああ、警部さん! 久しぶりです……時に、なにか事件ですか? どうもここらへんでパトカーなんぞはあまり見かけないものですから」
「うん、学生が殺されたんだよ。頭をパカーンと殴られてね。かわいそうに、まだ若いのに。ちょうど私の娘があれくらいの年でね、なに、器量はそんなに良かあないが親の目から見ればだね……」
「そうですか、学生さんが。じゃあ、大方犯人も学生でしょうな。物取りもこんな安アパートには入らんでしょうし。すぐつかまりそうですね」
「ああ。もうすぐ科捜研が到着するからね。君もちょっと見ていくかい? 」
宇治十条はアパートの二階にある被害者の部屋へと向かう。「203」号室だ。部屋の中に土足で踏み入れると、奥の六畳一間に男がうつぶせで倒れているのが見える。1DKの六畳一間らしい。玄関と部屋のあいだにはキッチンスペースらしきものがあるが、シンクにはコップ一つ見えない。フライパンも包丁もなく、どうやら自炊はしないたちらしい。
部屋はあっけないほどに片付いている。というよりも、ものがほとんどない。本棚が部屋の右側にあり、そしてその横に学習机。机の上にも授業で使うのかプリントが散乱している。プリントには赤い血がところどころ飛散しているのが見える。あとは折り畳みベッドが左の壁に詰めて置かれ、真ん中には座椅子。ただそれだけの部屋である。死体は座椅子に覆いかぶさるように倒れている。
「部屋が妙に物が少ないような気がしますが、警察が片付けたんですか? 」
「いや、いくら現場検証だからって、大切な証拠を勝手に処理したりはしないよ。もとからこんな部屋だったのさ。近頃の若者は我々の世代と違って車も欲しがらないし酒もたばこもやらないと聞いてはいたが、まさかここまでとはね。仙人にでもなるつもりかね? 」と警部は言うが仙人にしては本棚の中身が「ハンマー×ハンマー」など世捨て人には程遠いものである。
壁にはポスターもはってはいない。しかし、時計の横には日めくりカレンダーがかけられている。
「このカレンダー変ですよ。今日は7月の18日でしょう。でも、この日めくりカレンダーは7月の25日になってます」
「ああ、それはだな、どうやら犯人が剥ぎ取っていったみたいなんだ。ついさっき、うちの刑事が近所の定食屋のごみ箱で拾ってきたんだが」と袋に入ったくしゃくしゃになった紙を見せてもらう。
「ほら、赤くなってるだろう。どうやら、犯人が血を拭ったみたいなんだ。枚数は七枚だな。えーっと、7月18日から24日までの七枚だ」
「警部、これちょっとおかしいですよ」と宇治十条が言う。床の上にカレンダーを並べる。血は既に固まっていると見えて、丸まったままである。
「この部屋にはティッシュ一つないので、犯人は被害者の血液をこれでふき取ったのは確実でしょう。ただ、それにしてはここが妙なんですよ」と被害者の頭を指さす。
「おそらくここから血が流れだして、床に血だまりができることを恐れたのでしょう。間違って自分が踏んだりしたら言い逃れできない証拠になってしまいますしね。ただ、血の量が妙なのです」
「量? 」
「ええ。この破った後からして18日から20日の三枚のカレンダーは一緒にちぎられています。21から24までのカレンダーがペアですね。そうすると、順番から言えば18日のカレンダーの方が先に破られますね。でも、この血の量を見る限り明らかに21から24で拭った方が血の量が多い。おそらくそれで拭いきれなかった分を18日から20日のカレンダーで拭ったのでしょう。こちらも血は付着はしているがそれでもそこまでは多くはない。だから、犯人は奇妙なことにカレンダーを順番には破っていないのです。なぜか始めのうちは18日から20日の分を回避しているように思える。では、なぜ二回目に血を拭った時には回避した分を使ったのか? 」
「なるほどなあ。それには気づかなかった。だが、例えば最初はそれほど出血していなかったとすればどうだ? 最初は18日から20日の三枚で足りると思ったが、のちになってどんどん血が出てきた、だからあわてて四枚破った、とは考えられないか? 」
「いや、それはないですね、この血だまり、乾いてますがわずかにカレンダーの表面の紙が薄くこびりついているでしょう。おそらく拭いているうちに血が凝固したんですね。ほら、さんずいらしき文字が読めます。これは、海の日、つまり18日のカレンダーのかけらです。もし18日の痕に21日から24日のカレンダーでふき取られていたらこれは拭い去られてしまったはず。だから、この被害者の頭から流れた血を拭った最後の紙は18日から20日までのカレンダーなのです」
「な、なるほど。じゃあ、例えば被害者の血以外の別の血を拭ったとしたらどうだ? 」
「うーん、なるほど。見たところ頭意外に傷はないですが、もし犯人がけがをしていたとしたらそれを拭った可能性はありますね。だから、まず被害者の流した血を18日から20日のカレンダーで拭う。このとき18日のカレンダーの一部が床に張り付く。そしてそのあと自らの負傷に気が付いた犯人が21日から24日までのカレンダーを破って自らの血を拭う。こうすれば辻褄はあいますね」
すると捜査員の一人が警部に耳打ちをする。
「なに、本当かね。分かった。宇治十条君、どうやら被害者はО型のRHマイナスという珍しい血液型で、どうやら七枚のカレンダーすべてに付着していた血液もこれと同じものらしい。だからどうやらこれは正真正銘被害者の血液と考えていいだろう。だが……」
「被害者の頭意外に傷がないとなると、例えば犯人が被害者の血液を事前に持ってきて現場にばらまいてまた21日から24日のカレンダーで拭ったとかしか思いつかないが」
「そんなメリットもないしな……」と宇治十条は困惑する。
「警部、例えば事前に献血か何かで被害者の血を抜き取っておいて、犯行現場を誤認させるためとかでその場で殺したように見せかけて持参した血を撒いた場合、警察は気づきますか? 」
「うーん、保存のために凍らせてあったとしても、調べても判別はつかないな。でも、血の飛び散り具合で殺害現場か否かは分かるから大丈夫だ。この被害者は、確かにここで殺されている」
「そうですか。ときに、この被害者はどこの学部ですか? 」
「医学部だそうだ。どうやら彼の血はストックしてあるらしい。医学部生なら、悪意を持ってなら自由に持ち出せる状況だったそうだ」
「なるほど。まあ、それも意味がない情報ですけどね。それにしても暑いですね。捜査中は、勝手に部屋のクーラーはつけちゃダメなんですか? 」
「いや、そんなことは無いんだが、なにせ停電中だもんでな」
「え!? 停電ですか? 窓開いてて、太陽も照ってるんで電気がついていなくても違和感がなかったですが停電をしていたのか……食べ物とか腐ったらそれを処分するのも警察ですよね? 」と宇治十条は冷凍庫を開ける。中にはものがいっぱいだ。
「あ、電気が消えてても意外にひんやりしてるんですね。でも……あーあ、冷凍餃子がもうぐちゅぐちゅですよ。停電って、ここらへん一帯がそうですか? 」
「ああ。ここは大久保二丁目だろ? ここは全部停電だ。えーと、今が十五時だろ。停電は確か八時からだから、もう七時間は経つな」
「なるほど。僕は大久保には住んでいないので、気づかなかったな」
「で、一応犯人候補として三人あがっている。どうして三人まで絞り込めたのかというと、どうやら被害者は極端に人間関係が狭く、同じ医学部の中でしか交際していなかったらしい。そして、いまはどうやらもう授業も終わってるそうで、大多数の彼と同じ医学部一年生は帰省をしている。一学年二十人いる中で、この町に事件発生時、つまり今日いるのは被害者含めて四人だけだ。この三人のなかのだれかが犯人というのが、まあ現実的に妥当な線だろう。この町に、被害者のアパートを知っていた人間は医学部一年生のほかにはいない。そして、現場の状況からどうやら被害者は犯人を部屋にあげている。しばらく話をしていたらしい。よって、知り合いの犯行だ。まあ、この三人で決定だろう。死亡推定時刻は十三時から十四時の間で、アリバイのあるものは一人もいなかった。
一人目はA。彼女はこのアパートの二つ隣のアパートに住んでいて、停電もしていたそうだ。被害者のアパートは知ってはいたが行ったことは無いと言っている。今日は一日中部屋にこもってフランス語の勉強をしていたそうだ。どうやらフランスに留学がしたいらしい。クーラーもかけずに暑かったろうと言ったら、窓を開ければそうでもないと言っていた。外に出ていないことを証明してくれる人はいないが、ツイッターで「停電なう」と十四時につぶやいていて、それが部屋にいた証拠だと言っていたが、大久保二丁目が停電していたのはツイッターを見ればすぐわかることで、そもそも被害者の部屋も停電をしていたわけだし証拠にはならない。
二人目はBで、この男は七時に起きてからずっと図書館で勉強をしていたと言っている。さすが医学部があるだけあって二十四時間図書館が開いている大学らしい。たしかにBが七時に入館したのを見た人物はいるが、出入りの際には学生証を見せなくても自由に出入りできる。だから、七時に行っても途中で抜けて被害者のアパートまで言って殺し、また戻ってくるのは十分可能だ。アパートから被害者のアパートまでは十分ほどで自転車で行ける。
三人目はCで、彼は容疑者三人の中で唯一停電のあおりを受けなかった。春目二丁目に住んでるらしくて、あそこは停電していない。八時から我々が行くまで寝ていたらしく、当然アリバイはない。
まあ、こんなところだな。決定的な証言は全く得られなかった。アパートの大家さんがたまたま部屋のかぎが掛かっていないのを気づいてくれたからよかったものの、発見が遅れる可能性も十分あったわけだからな」
「ふーむ、まったく解けそうにないですね。手掛かりがカレンダーしかないんじゃ。せめて、凶器から指紋でも出れば……でも、カレンダーには指紋が残っていなかったから、手袋をつけてた可能性が高いですね。そういえば、凶器は見つかってないんですか? 」
「うん、見て分かるように、何もない部屋だろう? 部屋に入ったことのある人間の話だと、皆口をそろえて鈍器になるようなものはおいてなかったというんだ。酒も飲まないので壜もないしな。だから、凶器はおそらく犯人が持ってきて、持ち去ったのだろう。計画的犯行だな。これは」
「なるほど……凶器か。鈍器ねえ」と傷口を見ながら宇治十条がつぶやく。
すると、ふたたび捜査員が汗をたらして入ってくる。
「警部、被害者の頭の傷に付着していた塗料から凶器が分かりました!緑色の塗料で、この特殊な色はある企業のマークにしか使われていないものです」
「おお、でかしたぞ。これで犯人の身元がぐっとわかりやすくなる。で、なんの企業の商品が凶器だったんだ? 」
「スターハックスです! 」
「ス、スターハックスだと? 」
「はい。確実ではありませんが、おそらくスターハックスのタンブラー、水筒、魔法瓶のロゴマークが剥がれたのでしょう。殴り殺すほどの殺傷力があるのは魔法瓶でしょうか」といって捜査員は去っていく。
「やれやれ、凶器は水筒か。なんで殺すと分かっていても持ちこんだ凶器がナイフでもハンマーでもなく水筒なんだ……謎は深まるばかりだよ。なあ、宇治十条君」
「いえ、」と宇治十条は満面の笑みで警部を見て言う。
「犯人が分かりました。これまでの謎をつないでいけば、自然に導き出される結論です。ただ、こんなにくだらない真相もめったにないですが……本当に、まったくチープなトリックです」
「本当かね、犯人は誰なんだ? 」
「え? これで犯人が分かるんですか? 」
僕は思わず上沢先輩に尋ねる。
「必要な手掛かりは全て作中で示してある」
「でも、『意外な凶器』がテーマなのに、水筒だって書いてありますが」
「ああ。凶器は水筒で間違いない。では、改めて挑戦しよう。解いてもらいたいのは、ただ一点のみだ。
Q犯人は、誰か? 」
机の上には古い段ボールがある。四角は穴が開き、蓋を閉じるはずのガムテープも埃がびっしりと張り付いている。
「ああ、これはね、昔のミス研の五分間ミステリだよ」
五分間ミステリというのは、我がミステリー研究会の学園祭で毎年恒例の喫茶店で出す推理クイズのようなもので、お客さんに解いてもらうのだ。
「でも、上沢先輩、これどこから取ってきたんですか」
そうなのだ。ミス研には部室はない。こんな古そうなものが代々受け継がれてきたとも思えないし……。
「ああ、君は知らなかったか。もともとな、SF研とミス研は合同で部室を持っていたんだよ。ミス研の会員の数が少なくなったんで、追い出されたんだけどな。でも、一応備品置き場みたいな扱いで、毎年の五分間ミステリのバックナンバーを置かせてもらってるんだ。で、今年も何かそろそろ書かなきゃならないから、参考に昔のものも読んでおこうと思って、SF研の会長に頼んで、探してきたんだよ」
中にはパソコンなのかワープロで打たれたのかは分からないが、ホッチキスで留められた紙束が沢山出てくる。もとは白紙だったのだろうが、いまではわら半紙のように黄ばんでしまっている。
「じゃあ、せっかくだからなんか解いてみようか」
よく見ると、各々の右隅に、付箋がついていて、『密室』『アリバイ』『見立て殺人』などが書いてある。
「ああ、これ、テーマ別に分けてあるんですね」
「なるほどな。どれがいい? 下沢君」
「そうですね、密室とかは難しそうだし……ああ、『意外な凶器』がありますね」
『意外な凶器』ものというのはミステリでは鉄板で、例えば凍らせた肉で殴り殺してその後で肉を調理して食べてしまう、といったものだ。犯人にとっては凶器の処理が厄介らしい。同時に、警察も凶器が分からなかったら犯人の特定は難しい。
「ああ、それ、去年の僕の書いたやつだよ」
「ええっ? 本当ですか? 」
「ああ。けっこう簡単だと思うけどな。『意外な凶器』がテーマだってバレちゃったし」
「そうですよね。じゃあ、これ解いてみます」
僕は上沢先輩に挑戦しよう、と思いページをめくる。
まだ梅雨も明けきらないじめじめとした天気で、探偵宇治十条が自転車でふととおりかかると、学生アパートの前に警察がたむろをしている。珍しいこともあるものだと顔を出してみると、顔なじみの警部がいた。
「おや、宇治十条君じゃないか! 」
「ああ、警部さん! 久しぶりです……時に、なにか事件ですか? どうもここらへんでパトカーなんぞはあまり見かけないものですから」
「うん、学生が殺されたんだよ。頭をパカーンと殴られてね。かわいそうに、まだ若いのに。ちょうど私の娘があれくらいの年でね、なに、器量はそんなに良かあないが親の目から見ればだね……」
「そうですか、学生さんが。じゃあ、大方犯人も学生でしょうな。物取りもこんな安アパートには入らんでしょうし。すぐつかまりそうですね」
「ああ。もうすぐ科捜研が到着するからね。君もちょっと見ていくかい? 」
宇治十条はアパートの二階にある被害者の部屋へと向かう。「203」号室だ。部屋の中に土足で踏み入れると、奥の六畳一間に男がうつぶせで倒れているのが見える。1DKの六畳一間らしい。玄関と部屋のあいだにはキッチンスペースらしきものがあるが、シンクにはコップ一つ見えない。フライパンも包丁もなく、どうやら自炊はしないたちらしい。
部屋はあっけないほどに片付いている。というよりも、ものがほとんどない。本棚が部屋の右側にあり、そしてその横に学習机。机の上にも授業で使うのかプリントが散乱している。プリントには赤い血がところどころ飛散しているのが見える。あとは折り畳みベッドが左の壁に詰めて置かれ、真ん中には座椅子。ただそれだけの部屋である。死体は座椅子に覆いかぶさるように倒れている。
「部屋が妙に物が少ないような気がしますが、警察が片付けたんですか? 」
「いや、いくら現場検証だからって、大切な証拠を勝手に処理したりはしないよ。もとからこんな部屋だったのさ。近頃の若者は我々の世代と違って車も欲しがらないし酒もたばこもやらないと聞いてはいたが、まさかここまでとはね。仙人にでもなるつもりかね? 」と警部は言うが仙人にしては本棚の中身が「ハンマー×ハンマー」など世捨て人には程遠いものである。
壁にはポスターもはってはいない。しかし、時計の横には日めくりカレンダーがかけられている。
「このカレンダー変ですよ。今日は7月の18日でしょう。でも、この日めくりカレンダーは7月の25日になってます」
「ああ、それはだな、どうやら犯人が剥ぎ取っていったみたいなんだ。ついさっき、うちの刑事が近所の定食屋のごみ箱で拾ってきたんだが」と袋に入ったくしゃくしゃになった紙を見せてもらう。
「ほら、赤くなってるだろう。どうやら、犯人が血を拭ったみたいなんだ。枚数は七枚だな。えーっと、7月18日から24日までの七枚だ」
「警部、これちょっとおかしいですよ」と宇治十条が言う。床の上にカレンダーを並べる。血は既に固まっていると見えて、丸まったままである。
「この部屋にはティッシュ一つないので、犯人は被害者の血液をこれでふき取ったのは確実でしょう。ただ、それにしてはここが妙なんですよ」と被害者の頭を指さす。
「おそらくここから血が流れだして、床に血だまりができることを恐れたのでしょう。間違って自分が踏んだりしたら言い逃れできない証拠になってしまいますしね。ただ、血の量が妙なのです」
「量? 」
「ええ。この破った後からして18日から20日の三枚のカレンダーは一緒にちぎられています。21から24までのカレンダーがペアですね。そうすると、順番から言えば18日のカレンダーの方が先に破られますね。でも、この血の量を見る限り明らかに21から24で拭った方が血の量が多い。おそらくそれで拭いきれなかった分を18日から20日のカレンダーで拭ったのでしょう。こちらも血は付着はしているがそれでもそこまでは多くはない。だから、犯人は奇妙なことにカレンダーを順番には破っていないのです。なぜか始めのうちは18日から20日の分を回避しているように思える。では、なぜ二回目に血を拭った時には回避した分を使ったのか? 」
「なるほどなあ。それには気づかなかった。だが、例えば最初はそれほど出血していなかったとすればどうだ? 最初は18日から20日の三枚で足りると思ったが、のちになってどんどん血が出てきた、だからあわてて四枚破った、とは考えられないか? 」
「いや、それはないですね、この血だまり、乾いてますがわずかにカレンダーの表面の紙が薄くこびりついているでしょう。おそらく拭いているうちに血が凝固したんですね。ほら、さんずいらしき文字が読めます。これは、海の日、つまり18日のカレンダーのかけらです。もし18日の痕に21日から24日のカレンダーでふき取られていたらこれは拭い去られてしまったはず。だから、この被害者の頭から流れた血を拭った最後の紙は18日から20日までのカレンダーなのです」
「な、なるほど。じゃあ、例えば被害者の血以外の別の血を拭ったとしたらどうだ? 」
「うーん、なるほど。見たところ頭意外に傷はないですが、もし犯人がけがをしていたとしたらそれを拭った可能性はありますね。だから、まず被害者の流した血を18日から20日のカレンダーで拭う。このとき18日のカレンダーの一部が床に張り付く。そしてそのあと自らの負傷に気が付いた犯人が21日から24日までのカレンダーを破って自らの血を拭う。こうすれば辻褄はあいますね」
すると捜査員の一人が警部に耳打ちをする。
「なに、本当かね。分かった。宇治十条君、どうやら被害者はО型のRHマイナスという珍しい血液型で、どうやら七枚のカレンダーすべてに付着していた血液もこれと同じものらしい。だからどうやらこれは正真正銘被害者の血液と考えていいだろう。だが……」
「被害者の頭意外に傷がないとなると、例えば犯人が被害者の血液を事前に持ってきて現場にばらまいてまた21日から24日のカレンダーで拭ったとかしか思いつかないが」
「そんなメリットもないしな……」と宇治十条は困惑する。
「警部、例えば事前に献血か何かで被害者の血を抜き取っておいて、犯行現場を誤認させるためとかでその場で殺したように見せかけて持参した血を撒いた場合、警察は気づきますか? 」
「うーん、保存のために凍らせてあったとしても、調べても判別はつかないな。でも、血の飛び散り具合で殺害現場か否かは分かるから大丈夫だ。この被害者は、確かにここで殺されている」
「そうですか。ときに、この被害者はどこの学部ですか? 」
「医学部だそうだ。どうやら彼の血はストックしてあるらしい。医学部生なら、悪意を持ってなら自由に持ち出せる状況だったそうだ」
「なるほど。まあ、それも意味がない情報ですけどね。それにしても暑いですね。捜査中は、勝手に部屋のクーラーはつけちゃダメなんですか? 」
「いや、そんなことは無いんだが、なにせ停電中だもんでな」
「え!? 停電ですか? 窓開いてて、太陽も照ってるんで電気がついていなくても違和感がなかったですが停電をしていたのか……食べ物とか腐ったらそれを処分するのも警察ですよね? 」と宇治十条は冷凍庫を開ける。中にはものがいっぱいだ。
「あ、電気が消えてても意外にひんやりしてるんですね。でも……あーあ、冷凍餃子がもうぐちゅぐちゅですよ。停電って、ここらへん一帯がそうですか? 」
「ああ。ここは大久保二丁目だろ? ここは全部停電だ。えーと、今が十五時だろ。停電は確か八時からだから、もう七時間は経つな」
「なるほど。僕は大久保には住んでいないので、気づかなかったな」
「で、一応犯人候補として三人あがっている。どうして三人まで絞り込めたのかというと、どうやら被害者は極端に人間関係が狭く、同じ医学部の中でしか交際していなかったらしい。そして、いまはどうやらもう授業も終わってるそうで、大多数の彼と同じ医学部一年生は帰省をしている。一学年二十人いる中で、この町に事件発生時、つまり今日いるのは被害者含めて四人だけだ。この三人のなかのだれかが犯人というのが、まあ現実的に妥当な線だろう。この町に、被害者のアパートを知っていた人間は医学部一年生のほかにはいない。そして、現場の状況からどうやら被害者は犯人を部屋にあげている。しばらく話をしていたらしい。よって、知り合いの犯行だ。まあ、この三人で決定だろう。死亡推定時刻は十三時から十四時の間で、アリバイのあるものは一人もいなかった。
一人目はA。彼女はこのアパートの二つ隣のアパートに住んでいて、停電もしていたそうだ。被害者のアパートは知ってはいたが行ったことは無いと言っている。今日は一日中部屋にこもってフランス語の勉強をしていたそうだ。どうやらフランスに留学がしたいらしい。クーラーもかけずに暑かったろうと言ったら、窓を開ければそうでもないと言っていた。外に出ていないことを証明してくれる人はいないが、ツイッターで「停電なう」と十四時につぶやいていて、それが部屋にいた証拠だと言っていたが、大久保二丁目が停電していたのはツイッターを見ればすぐわかることで、そもそも被害者の部屋も停電をしていたわけだし証拠にはならない。
二人目はBで、この男は七時に起きてからずっと図書館で勉強をしていたと言っている。さすが医学部があるだけあって二十四時間図書館が開いている大学らしい。たしかにBが七時に入館したのを見た人物はいるが、出入りの際には学生証を見せなくても自由に出入りできる。だから、七時に行っても途中で抜けて被害者のアパートまで言って殺し、また戻ってくるのは十分可能だ。アパートから被害者のアパートまでは十分ほどで自転車で行ける。
三人目はCで、彼は容疑者三人の中で唯一停電のあおりを受けなかった。春目二丁目に住んでるらしくて、あそこは停電していない。八時から我々が行くまで寝ていたらしく、当然アリバイはない。
まあ、こんなところだな。決定的な証言は全く得られなかった。アパートの大家さんがたまたま部屋のかぎが掛かっていないのを気づいてくれたからよかったものの、発見が遅れる可能性も十分あったわけだからな」
「ふーむ、まったく解けそうにないですね。手掛かりがカレンダーしかないんじゃ。せめて、凶器から指紋でも出れば……でも、カレンダーには指紋が残っていなかったから、手袋をつけてた可能性が高いですね。そういえば、凶器は見つかってないんですか? 」
「うん、見て分かるように、何もない部屋だろう? 部屋に入ったことのある人間の話だと、皆口をそろえて鈍器になるようなものはおいてなかったというんだ。酒も飲まないので壜もないしな。だから、凶器はおそらく犯人が持ってきて、持ち去ったのだろう。計画的犯行だな。これは」
「なるほど……凶器か。鈍器ねえ」と傷口を見ながら宇治十条がつぶやく。
すると、ふたたび捜査員が汗をたらして入ってくる。
「警部、被害者の頭の傷に付着していた塗料から凶器が分かりました!緑色の塗料で、この特殊な色はある企業のマークにしか使われていないものです」
「おお、でかしたぞ。これで犯人の身元がぐっとわかりやすくなる。で、なんの企業の商品が凶器だったんだ? 」
「スターハックスです! 」
「ス、スターハックスだと? 」
「はい。確実ではありませんが、おそらくスターハックスのタンブラー、水筒、魔法瓶のロゴマークが剥がれたのでしょう。殴り殺すほどの殺傷力があるのは魔法瓶でしょうか」といって捜査員は去っていく。
「やれやれ、凶器は水筒か。なんで殺すと分かっていても持ちこんだ凶器がナイフでもハンマーでもなく水筒なんだ……謎は深まるばかりだよ。なあ、宇治十条君」
「いえ、」と宇治十条は満面の笑みで警部を見て言う。
「犯人が分かりました。これまでの謎をつないでいけば、自然に導き出される結論です。ただ、こんなにくだらない真相もめったにないですが……本当に、まったくチープなトリックです」
「本当かね、犯人は誰なんだ? 」
「え? これで犯人が分かるんですか? 」
僕は思わず上沢先輩に尋ねる。
「必要な手掛かりは全て作中で示してある」
「でも、『意外な凶器』がテーマなのに、水筒だって書いてありますが」
「ああ。凶器は水筒で間違いない。では、改めて挑戦しよう。解いてもらいたいのは、ただ一点のみだ。
Q犯人は、誰か? 」
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『リモート刑事 笹本翔』は、過去のトラウマと戦う一人の刑事が、リモート捜査で事件を解決していく、刑事ドラマです。
主人公の笹本翔は、かつて警察組織の中でトップクラスの捜査官でしたが、ある事件で仲間を失い、自身も重傷を負ったことで、外出恐怖症(アゴラフォビア)に陥り、現場に出ることができなくなってしまいます。
それでも、彼の卓越した分析力と冷静な判断力は衰えず、リモートで捜査指示を出しながら、次々と難事件を解決していきます。
物語の鍵を握るのは、翔の若き相棒・竹内優斗。熱血漢で行動力に満ちた優斗と、過去の傷を抱えながらも冷静に捜査を指揮する翔。二人の対照的なキャラクターが織りなすバディストーリーです。
翔は果たして過去のトラウマを克服し、再び現場に立つことができるのか?
翔と優斗が数々の難事件に挑戦します!
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