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第37話 勇者、移転を考える

〜4〜

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 高原の避暑地であるホーリアには年間多くの観光客が訪れて、幼い子供連れの家族も目立つ。
 しかし、歴史も静かな自然環境にも、綺麗な女性と酒を飲むことにも興味がない年代の子供は、ホーリアに早々に飽きてしまう。
 そして、ホーリアは所詮田舎だから、都会から来た子供が楽しく遊べるものはない。
 それなら魔術を使って大人しくさせておけばいいのに、年端も行かない我が子に魔術を使うなんて可哀想、と意識が高い親が多いお蔭でユーリのようなシッター業がボロ儲けしているらしい。

 騒がしさは動物園の檻の中や高架下といい勝負だが、これもユーリが自立の道を歩み始めている証だ。一晩世話になるだけだし、何とか耐えられるだろう。
 子供がいない所を探して彷徨っていると、ニーアに勧められて先に風呂に入ることにした。
 家が大きいだけあって、浴槽は泳げるくらいとまではいかないけれど手足が伸ばせるくらい広い。そして、洗い場がちゃんと分かれている。
 事務所の狭い風呂とは大違いだ。いそいそと入ろうとすると、浴室のドアが遠慮がちに開けられた。
 ニーアは用事がある時はトイレのドアを容赦なくノックしてくるから、風呂場を開けられるくらいもう何とも思わない。
 しかし、隙間から顔を覗かせたのはユーリだった。
 何か話したい様子だが言い辛そうにもぞもぞしていて、俺が尋ねるとやっと口を開く。

「勇者ー……あのさー……あのね、一緒にお風呂入ってもいい?」

 ユーリはもう一人で風呂に入れる歳だ。
 しかし、姉は塞ぎ込んでいるし兄は訴えられて裁判中だし、父親に至っては息子の更生を諦めてセレブ生活を享受しているらしいし、この家でユーリは色々気を遣って大変な思いをしているだろう。
 一人で立派に金を稼いでいるが、久々に会った俺に甘えたい気分になるのも当然だ。
 好きにしたらいい、と答えると、ユーリの表情がぱっと明るくなった。

「入っていいってさ!」

 ユーリが後ろに呼びかけると、後ろに隠れていたガキの集団が浴室を埋め尽くすくらい続々と入って来た。
 風呂に跳び込んで遊び始めるのとか、シャンプーを床に広げて転がっているのとか、タオルを振り回して決闘を始めるのとか。
 知性も品性も未発達のガキ共がぎゃあぎゃあと騒ぎ出す。

「洗ってあげたら、外に出してね!ありがと!」

 ユーリは抱えた赤子に哺乳瓶を咥えさせながら、俺が引き受けるとも何とも言っていないのに浴室のドアを閉める。
 遊び転げている子供たちは、風呂で溺れる危険はなさそうだが、一人にしておくと髪を洗わない程度の年齢だ。
 さっそくシャボン玉を作って遊び始めているのもいて、風呂場は身を清めるための場所であるという認識があるのかも疑わしい。
 俺には絶対無理だ、と脱出を考える。
 しかし、幼いユーリが稼いでいる仕事なのに、いい歳をした勇者の俺が投げ出すのも情けない。
 そして、ユーリは俺を尊敬してくれる数少ない味方だ。こんなことで軽蔑されるのは何としても避けたい。
 俺は取りあえず駆け回っていた一番うるさいガキを捕まえて、風呂椅子に座らせた。


 一人洗い終わって外に出そうとすると遊びの集団に紛れて見失い、
 次の子を捕まえたと思ったら石鹸の滑りを利用して逃げられ、
 さっき外に出したはずの子が浴槽で潜って遊んでいる。
 地獄にはこういう拷問があったはずだ。
 いつまでも終わらない作業に永遠の意味を見出しそうになっていると、浴室のドアが勢いよく開いた。
 髪をまとめながら浴室に入ったニーアは、中に人がいることに驚いて足を止める。

「勇者様、まだ入ってたんですか?!」

 俺は長風呂派だが、だとしてもとっくに出ている時間だ。
 それなのにガキは全然減らないし、むしろ増えている。
 ついさっき気付いたが、ユーリは俺が子供を洗っては追い出し洗っては追い出しと愚直に働いているのを見て、ガキを次々と補充している。
 シッターの仕事はこの時間でもフル稼働しているらしい。そして、ユーリはもう俺の味方ではないのかもしれない。

「全然終わらない……」

「大丈夫ですよ、勇者様……ユーリ!あなたの仕事でしょ!」

 泣き言を漏らした俺を慰めて、ニーアは広い家中に響く声でユーリを叱り付けた。
 姉に怒られると気付いたユーリは、オムツ替え途中の赤子を抱えたまま浴室にすっ飛んで来る。

「勇者が手伝ってくれるって言ったの!」

「勇者様がそんな気前のいい事を言うはずないでしょう」

「本当だもん。勇者がいいよって。楽勝だから任せろって言った!」

「言いません。言ったとしても適当に答えただけです」

 ユーリは俺の発言を捏造しているし、ニーアは聞き様によっては俺の悪口にもなり得る事を言っている。しかし、俺はのぼせて気持ち悪いから正直もうどうでもいい。
 ニーアの迫力でユーリが抱いた赤子が泣き出して、ニーアは説教を中断して浴室のドアを閉めた。

「勇者様、この子達はやってほしいだけで本当は自分で洗えるんですよ」

 そう言いながら、ニーアは子供を次々に捕まえて洗い出した。
 子供の掴み方に容赦がなく、ガッと腕を掴んでザッと洗い、バッと湯を掛けてタオルに包んで外に出す。
 やっていることは俺と同じなのに、目にも止まらない速さだ。子供が自分が洗われていることに気付いて暴れ出す前に終えている。
 まるでターゲットが殺されたことに気付かないうちに事を終えるプロの殺し屋のようだった。俺も大金を持っていたら、今ここでニーアに依頼をしていただろう。
 プリンカップとストローで遊んでいた子供も、床で寝始めていた子供も、潜水の記録を巡ってケンカを始めていた子供も。
 順番に外に出されて10分もしない内に全員いなくなり、浴室には俺とニーアだけが残る。
 ニーアは一仕事終えて満足そうだった。
 しかし、俺は風呂に入っていたところだし、ニーアは今から入るところだ。
 重大な事実にニーアが気付く前に、俺は礼を言ってすぐに浴室を出た。
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