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第36話 勇者、民意を問う

〜1〜

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 灯を消してカーテンを閉めた室内で、デスクに置かれたライトだけが暴力的な光を放っている。
 正面の市長はパイプ椅子を軋ませてライトを俺の顔に向けて来た。

「いい加減、正直に話したらどうだ?」

「眩しい」

「勇者様、これも雰囲気作りですから」

 市長はそう言って俺が反らしたライトを当て直すと、逆光の闇の中で煙草に火を点ける。
 最近の市長は30代くらいの、市長にしては若いかな程度の年齢まで戻っているから煙草も様になっていた。しかし、喫煙者ではないらしく格好良く火を点けただけでその後は指に挟んだまま吸おうとしない。

「うちの姪っ子のことだ。ブツは上がってるんだぞ。一体何があった?」

「何も」

「こんなブタ箱にいるなんて知ったら、田舎の母親が悲しむだろうな……」

 どこの世界でも刑事ドラマとはこういう感じなのだろうか。市長の演技力は中々のものだった。
 市の生活安全課が警察の役割も担っているから、市役所の中に取り調べ室があるとは知っていたが入るのは初めてだ。
 いつも空いていて使った事がないから入ってみようと市長に誘われて入ったが、ホーリア市のような人口もそう多くはない平和な街の取り調べ室がいつも使われていて予約も取れないくらい満員御礼だったら問題だ。

「俺に親はいないんだ」

「おや、それではこの脅し文句は効かないですね。でしたら、恋人は?」

「いないな」

「困りました。犬とか飼ってませんか?」

「少し前までタコを飼っていた」

「お家で大事なタコが帰りを待ってるだろう。いい加減に吐いて楽になったらどうだ?」

「でも、最近いなくなった」

「ふむ……副市長、もしかして君、勇者様の母親役をやってくれたり」

「やりません」

 市長が言い終わる前に、部屋の隅の闇と一体化して仕事を続けていた副市長がピシャリと言い切った。
 付き合いが悪いなぁ、と市長がぼやく。俺は市長に付き合い過ぎていることに気付いたが、戯れに弄っていた手錠が腕に嵌って取れなくなっていてそれどころではなかった。
 焦ることはない。俺にかかれば魔術で出来た手錠など少し頑丈な知恵の輪のようなものだ。ウラガノが生活安全課の時によく使っているのを見ていたから簡単に外せる。
 しかしあいつは、街の呑み屋や深夜の路上で何故ああもよく手錠を使っていたのか。職権乱用だろうか。

 そんな思い出はともかく、煙草で噎せている市長を一時休ませて時計を見ると、あと10分足らずで役所の昼休憩の時間になる。
 俺の前世の世界ではこういう所ではかつ丼が出て来るのが碇石だが、賄賂になる可能性があるから実は被疑者が自腹で購入すると聞いている。

「これは、食事は出るのか?」

「はい?ええ、昼時を挟めば」

 副市長に尋ねると、それもそうかという答えが返って来た。
 市の会議に招かれたなら実費負担だろうが、今は市長に呼び出されて結果として個人的な刑事ごっこに付き合っているわけだし、昼飯くらい奢って貰おう。
 今から事務所に戻ってご飯を用意するとか、混み合う外で食べるとかいうのも面倒だから、もう少し付き合うことにした。

「ニーアから話は聞いたのか?」

「いいえ、何も」

「取り調べは事情を知ってからにしてくれ。ニーアが休学したのに俺は関係ない」

「でしょうね。真面目なニーアのことだから、一人で勝手に思い悩んでドツボに嵌っているんでしょう」

「それなら、俺を呼び出してどうするつもりだったんだ」

「こういうのは、僕のように適度に距離のある大人が無責任なアドバイスをするのが一番いいんです。勇者様にも協力していただこうかと」

「俺に出来ることはない」

 ようやく外れた手錠をデスクに置いて立ち去ろうとした。しかし、市長にマントを掴んで席に戻される。

「勇者様としても、勇者の支持率が下がると余計な手間が増えるのでは?」

「……よく知ってるな」

 先日行われた世論調査で勇者の支持率は、無茶な開戦と多数の被害者のこともあって80%スレスレだった。
 これが75%を切ると、デザインなど門外漢の事務室の職員が勇者好感度アップのために新しい広告を出すことになる。

「色々とツテがあるんですよ」

 市長は含みのある口調で言ったが、その手にはどこかで見た事がある茶封筒が抱えられていた。ニーア宛に届いていたのと同じ、勇者のファンクラブの会報だ。
 勇者の支持率は一応国家機密のはずだが、勇者の隠し撮りをブロマイドとして販売している組織にかかれば簡単に知り得てしまうのか。
 ニーアはファンクラブを退会したのだろうか、とふと寂しい気持ちになる。

「僕は勇者様のことをこの街の勇者として以上に、ニーアの先輩として、一人の人間として、共に仕事ができることを誇りに思っているのです」

 演技でもないのに臭いセリフを吐きながら、市長は閉めていたカーテンを開いた。
 市役所東館1階の取り調べ室からは、晴れた庭が目の前に見える。
 すぐそばの花壇では相変わらずフォッグが煙草を吸っていて、昼休憩をフライングしている職員が持病の話で盛り上がっている。平和な昼だ。

「ニーアは強い子ですから放っておいてもすぐに復活します。でも、勇者様にはニーアの支えになってほしいんです」

 よろしく頼みますよ、と歳に合わない可愛らしいウインクをして市長は窓から出て行った。
 あまりに爽やかに退出したものだから、どうして窓から出て行ったのが疑問に思う暇がなかった。しかし、すぐに謎は解ける。
 直後に昼休憩のチャイムが鳴り、同時に取調室のドアがノックされて頭を下げつつ一人の職員が中に入って来た。
 SPを務められそうな体格のいい男性職員は秘書課の係長で、市長の公務の時に傍らに控えているのをよく見かける。

「市長、そろそろ視察のお時間が」

 係長はそう広くはない取り調べ室を鋭い眼光で見渡す。元々武道の達人のような空気を纏っていたが、市長が元の年齢に戻るにつれて殺気を含んできたような気がする。
 係長は細く息を吐くと、予想していたかのように冷静に呟いた。

「いませんね」

「食堂でしょう。会食よりも今日の日替わりランチが食べたいと言っていたから」

「ありがとうございます」

 係長は副市長に90度の腰を折って礼を言うと、市長と同じように窓から出て目にも止まらぬ速さで駆けて行った。
 あの筋肉は、暴漢ではなく市長を取り押さえるために必要なのか。

「市長は、いつもああなのか?」

「はい、そうです」

「昔からなのか?」

「ええ、それはもう」

 副市長は遥か昔に諦めた様子で答える。
 今だって仕事の最中に市長に付き合って遊んで上げているだのから、長い付き合いなんだろうなと同情してしまった。
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