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第34話 勇者、国政に携わる

~6~

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「あんた、ここだけじゃなくて首都も見てるの?」

 俺が首都の防御魔術を動かしたのに気付いてリリーナが尋ねて来る。
 首都にいる勇者が首都を守っていると、万が一攻撃されて死んだ時に首都が陥落する。俺以外にも何人か首都アウビリスの防御魔術を担当していて、オグオンに命じられて養成校の周辺は俺が担当になっていた。

「それにしても、やる事が汚いのね」

「俺は上司の言う事に従っただけだ」

「あんただけじゃなくて、勇者のやり方が卑怯なのよ。いつものことだけど」

「今は俺の部下なんだからやり方に文句を言うな」

 パワハラのような言葉だと言った瞬間に後悔したが、リリーナは特段傷付いた様子もなく俺の顔をじっと見つめて来た。
 まだ文句があるなら聞いてやろうと俺も黙っていると、リリーナがパチンと指を鳴らす。
 何の魔術を使ったんだ、と確認する間もなく俺の頭上から巨大な物体が振って来た。
 落下系の攻撃魔術かと思ったら、直撃したのは直径2メートルはありそうな黒猫のクッションだった。

「ちょっと寝てなさい。あんたがイライラしている時は、眠いかお腹が空いているか、どっちかなんだから」

「今そんな暇はない」

「いいからいいから。あたしのベッド貸してあげる」

 リリーナは俺の頭を掴むと、ぐいぐいとクッションに押し付ける。
 古くから魔術師は巣を作って丸まって寝る習慣がある。今では普通のベッドを使って寝ている魔術師の方が多いが、リリーナはこのクッションを寝床にしているらしい。
 しかし、こんな巨大なもの、あの汚いリリーナの部屋に置けるスペースは無かったはずだ。顔を押し付けられて酸素が足りない頭の片隅に嫌な予感が掠める。

「大丈夫。何かあったらすぐに起こすから」

 リリーナがようやく俺の頭を離して、辛うじて窒息死を免れた。
 目を瞑るとすぐにでも眠れそうだったが、分身と防御魔術だけ消えないように頭の一部だけ起こしておく。リリーナほどの魔術師ならそれも簡単にできることだが、俺はうとうとするのがやっとだ。
 本当に寝てしまう前にそろそろ起きあがろうと思った時に、通信機から誰の物でもない女の子の声が聞こえて来た。

『ヒュレイス城塞より全域、統治完了』

 先程の進軍開始から30分も経っていない。早過ぎる仕事に議会の大臣たちも騒付いている声が様子が聞こえて来た。

『いくらなんでも、早過ぎないか?』

『どうやら、趣味で参加している軍事魔術師が全て排除した』

 オグオンの分身が議場に戻って答える。あんまりな言い方だが、誰も頼んでいないのに勝手に前線に出ているカルムは趣味で参加しているとしか言えないのだろう。

『ああ、例の火炎魔術師か』

『ま、まさかっ!また焦土にしたのか?!あそこは農地にするのに。影響はないだろうな?』

『土壌の良し悪しは分かりかねるが、建物や人は全く残っていないので、悪しからず』

 オグオンがいつもよりも雑に答える。何か別の事を考えているなと察すると同時に、俺の目の前にオグオンの分身の山鴉が現れて肩に留まる。
 俺に言い聞かせるようにぐるぐると喉を鳴らすと、黒い靄に包まれて一枚の書類に姿を変える。書類の内容を確認して、リリーナが覗いてくる前にそっとマントの下にしまった。

『殺戮を趣味にするなど。まったく嘆かわしい』

『まぁまぁこの国の人間ではないのですから、好きにさせておきましょう』

『城塞から南が全面降伏。また、ウィトラス地方軍本部及び遊東軍司令部より交渉の申し入れがあった。一時停戦し、再度交渉を行う』

 オグオンが大臣たちの会話を無視して報告する。雇われの軍事魔術師やアムジュネマニスから魔術兵器を買っただけの軍隊では敵わないと理解したらしい。全滅するよりも賢い選択だ。

『無駄な争いが避けられたのなら何よりだわ』

 何かの言い訳のようにスルスム大臣が呟く。
 議会の話題は農地開発と交通網の整備に移っていて、オグオンは「では」と話を切り上げてさっさと分身を消していた。


 +++++


 街に被害は出ていないものの、一応戦時下ということでゼロ番街は営業を休止していた。
 そのせいでホーリアの観光客も減っている。市長は勇者がいるから大丈夫なのに、と不満そうだが、国境に挟まれたこの街は何かあった時に真っ先に潰される。だから、被害を抑えるために観光業務は縮小していた。

 いつものトンネルを通ってゼロ番街に向かうと、街の入り口に大きな扉があった。通りの真ん中にぽかりと立っている扉は、反対側に回っても何もない。
 扉の傍らに『御用の方はこちらへ』と張り紙が貼っていて、移動魔術をわかりやすくするためにどこぞの秘密道具のようになっているらしい。
 しかし、いきなりリコリスの自室に繋がったりしたら心臓に悪い。この扉が何処に繋がっているのか誰かに尋ねたい所だが、臨時休業中のゼロ番街には誰もいなかった。
 仕方なくドアノブに手をかけて隙間から扉の内側に入る。

 何もない、白い空間。
 前にモベドスの学園長と会ったような場所。

 そう勘違いしたのは、あまりに強い日差しと白い砂浜のせいだった。
 薄暗く閑古鳥が鳴いているゼロ番街から、眩しい太陽とエメラルドブルーの広がる海。カラフルな水着を着た若者が波打ち際で歓声とともに遊んでいる。
 これは、ツッコミが追いつかない。

「あれー?勇者じゃん。何してんの?」

 やっぱり戻ろうと扉を閉めようとした所で、ビーチボールを抱えた水着姿のペルラが現れた。
 ドレスも着ていないしメイクもしていない。完全に休暇中のようだ。

「何をしてるんだ?」

「御姉様が、臨時休業中にバカンスに連れて来てくれたの」

「戦争中に、のんきだな」

「何よ。今時軍隊を持っている国に負けるはずないでしょ。だからニーアも絶対大丈夫よ」

 海できゃっきゃと遊んでいるのは、店で働いている女の子やホストや雑用の子どもたちだ。
 しかし、健康的に遊んでいる人間の中にいつも黒服で働いている魔術師はいない。一人くらいいないのかと魔力を探ってみると、さんさんと太陽が降り注ぐ砂浜のビーチベッドに暑そうな黒いドレスを着て寝転ぶ人物がいる。多分そうだろうと思ったら、やはりリコリスだった。
 服装はいつも通りだが、サングラスをかけてビーチパラソルの下で本を広げて海を満喫している。

「あら、勇者様。何か御用?」

 俺に気付くと、リコリスは本を閉じてサングラスを外した。体を起こして傍らのテーブルに置かれたカクテルを俺に勧めて来るが、俺は戦争中かつ仕事中だから断る。

「ゼロ番街の魔術師が勝手に戦争に参加しているらしいな」

「そう。血の気の多い子たちが皆行っちゃったわ」

「軍事魔術師は軽蔑するのに、戦争は競って行くのか」

「うちにはアガットがいるでしょう。だから、自分はそれよりも出来ると思って行っちゃうのよ」

「リコリスは?」

「私?嫌だわ。だって、わざわざ魔術を使わなくても人は死ぬもの」

 リコリスはサングラスを片手に眩しい日差しに目を細めながら呟く。爽やかな夏の雰囲気で話す内容ではない。
 しかし、リコリスはそうでもカルムを筆頭にここにいない黒服たちは戦争で手柄を上げようと出て行ってしまった。そして、オグオンが言うように国として正式な依頼をしていないから、彼等は趣味で参加していることになっている。

「わかってるわ。私達の自己満足でやっていることだから国に見返りは求めない。これでいい?」

 話が早くて助かるが、念の為とオグオンに頼まれた書類を差し出す。勝手に参加しているゼロ番街の魔術師たちにこの戦争に関して褒美も補償も国からは出さないという内容だ。
 簡単にサインしてくれることを期待したが、リコリスは経営者らしくしっかり誓約書の文面に目を通す。

「よく知っているでしょうけど、金の勲章も派手なパレードもいらないけれど戦績はちゃんと残させてもらうわ。手柄を横取りしようなんて考えないことね」

「わかっている」

 リコリスは俺を一瞥すると、書類に銀のサインを書いて俺に渡した。
 礼を言って立ち去ろうとした時、ぱりんと小さな音がしてリコリスの右耳に付けたいたピアスの黒い宝石が砕ける。
 欠片で傷付いた白い頬から赤い血が一筋垂れて、リコリスの黒い瞳が大きく見開かれる。

「誰か……」

 死んだのか、と尋ねようとして言葉を止めた。リコリスは静かに首を振る。
 ゼロ番街には魔術師が大勢いる。半分くらいは会えば話す仲だが、あとの半分は顔も知らない。
 興味本位で尋ねてリコリスの邪魔はしたくない。黙って立ち去ろうとしたが、リコリスが白いテーブルに落ちた自分の影にキスを落として、誰が死んだのか気付いてしまった。
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