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第30話 勇者、迷い人を救う
〜4〜
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「勇者様、何か対策を考えましょう」
ニーアがそう言ったのは、リュウを引き取って一週間程度が過ぎた頃だった。
赤子は無事に名前が決まったものの、世話は一行に進まなかった。ミルクも離乳食もほとんど食べないし、弱々しい泣き声以外の言葉を発さない。
クラウィスは昼夜問わずリュウが泣くと律儀に俺を起こしに来るし、コルダはリュウを無視しているし、リリーナは事務所に戻って来ない。このままでは事務所の崩壊の危機だ。
こうなったら一か八か、コルダが好きな生肉を食べさせてみようとしたら、ニーアにキレられてしばらくリュウに触らせてもらえなくなった。2、3日の徹夜は朝飯前のニーアも、授業と並行して子育てをするのに限界が来ている。
「一度医者に診てもらうのはどうでしょう」
「獣人の医者か……」
獣人は人間と体の作りが違って、魔術が効きにくい。普通の人間を治すのは簡単な俺でも医療魔術を使うのを躊躇していた。獣人専門の医者がオルドグにいるらしいが、自警団が獣人を殺した事件が知られる可能性がある。
首都にもいると聞いているが、多分アルルカ大臣のお抱えの医者だ。絶対に情報が漏れる。
俺はリュウにミルクをあげるのを諦めて哺乳瓶を置いた。中身は全く減っていないが、リュウは名残惜しそうな素振りもなく不満そうにタオルの端を噛んでいる。
「リストは、獣人にも詳しいのか?」
最終手段に考えていたことを呟くと、ニーアは長い戸惑いの後に頷いた。
「ええ……それはあるかもしれませんね……」
獣人は魔術を祖先に持つと言われている。
魔獣の変質から見ただけで人間をどれくらい食べたか見抜くほどの年中魔獣を解剖して遊んでいるリストのことだ。もしかしたら、魔獣の繁殖に既に成功しているかもしれないし、それなら獣人の赤子の育て方のヒントになるかもしれない。
ニーアが頼めば、リストは喜んで協力してくれるはずだ。奇跡が起こることを信じて、俺はリストの店に向かった。
リストの店は毎日営業していてそれなりに繁盛していて、最近はミミーが魔獣の骨の小物を作っているから遠くから噂を聞きつけて来る客もいた。
しかし、今日は何か様子がおかしい。
店の前にミミーとウラガノが立っていて、ショーウィンドウから店の中を覗き込んでいた。珍しい組み合わせだと思ったが、そういえばこの二人は夫婦だ。気を抜くとすぐに忘れそうになる。
「2人とも、どうしたんですか?」
「あーニーア!あのね、臨時休業みたいなんだけど、ミミーは何も聞いてないし、店長は呼んでも出てこないし、大丈夫かなぁ?」
「まさか、中で死んでたりしないっすよね。あ、勇者様、この店、葬儀屋じゃないって知ってましたか?俺、最近知ったんですけど」
ウラガノはそう言いながら、ポケットから曲がった針金を出して店のドアノブの鍵穴に突っ込む。そしてウラガノの言葉が終わらないうちにカチリと軽い音がして鍵が開いた。
俺とニーアは、市民の犯罪の現場を見なかったことにする。
「出かけてるだけじゃないか?」
鍵を開けたウラガノがそのまま入ったらただの空き巣だから、俺は偶然鍵が開いていたドアに今気づいたふりをして中に入ろうとした。
「あ、勇者様」
ウラガノが呼びかけた瞬間、店の隅から雷魔術が俺の顔面目掛けて飛んできた。
寸前で防御膜を張って直撃は免れたが、掠った髪が一房焦げて煙が上がる。
「危ないっすよ。魔力を察知して発動するみたいですね。うわっ、めちゃくちゃトラップ張られてますよ。ここ、大金でもあるんですか?」
「……」
ウラガノがもう少し早く言ってくれれば俺の髪も犠牲にならなかったのに。
ウラガノは慣れたパソコンでブラインドタッチでもするように、指先を動かすだけで店にかけられた侵入禁止魔術を次々に解いている。今の会話の最中にも100近くの工程を経て、次々に術式を解除した。
犯罪すれすれだが、旦那のかっこいいところだとミミーに教えてあげようと思ったが、ミミーは俺の焦げた髪を手入れするのに夢中になっている。
「お兄ちゃん、大丈夫?あーあ、綺麗な髪なのにねぇ」
「リストさん、いますかー?」
ニーアが店の奥に呼びかけても返事は返って来ない。留守にしているのかと思ったが、店の奥から小さな泣き声が聞こえてきた。
「リストさん、大丈夫ですか?!」
泣き声に気付いたニーアが、俺が止める前に店に飛び込んでいく。
ちょうどウラガノが最後の術を解除するのと同時で、ニーアに目掛けて飛んできた魔術が俺の頭に当たってぽこんと不発の音を立てる。
ニーアに続いて店の奥に行くと、リストは奥の解剖台に突っ伏して肩を震わせて泣いていた。
いつも魔獣を解体している所だから衛生的に心配だ。ニーアもそう思ったのか、泣きじゃくるリストの肩を抱いて体を起こした。
「リストさん、どうしたんですか?」
「に、ニーア……ッ、……」
リストは何とか説明しようとしたが、泣きじゃくっていて言葉にならない。
ぐしゃぐしゃに泣いているリストの背を擦って落ち着かせて、途切れ途切れの言葉を何とか聞き取っていた。
「え……?何て……?魔獣の研究資料?」
それを聞いて、俺は一般市民であるウラガノとミミーに礼を言って店から押し出した。
「なんでぇ?ミミー、ここの従業員だよぅ!店長のピンチは店のピンチ!」
「鍵を開けたのは俺ですよ!手柄独り占めするつもりっすか?」
ぶーぶー文句を言う2人に、鍵を開けてくれた料金といって俺が賭けで手に入れた酒屋の無料券を渡すとすぐに大人しくなった。朝から酒盛りだと喜んで駆けていく。ミミーは休みだとしても、今日は平日だからウラガノは普通に仕事だろうに。
2人がいなくなった所で、俺もニーアの傍らでリストの話を聞こうとした。
「勇者様、ここにあった研究資料がすべて無くなってしまったそうです」
ニーアがリストの言葉を聞き取って教えてくれる。確かに、部屋を見回してみると、前に見た時は壁一面に詰め込まれていた書籍もノートも紙の束も、何だかよくわらない標本やホルマリン漬けも、全て綺麗になくなっていた。
資料に埋もれていた窓が役目を果たせるようになっていて、明るい昼の日差しが差し込んでいる。埃の舞う解剖室の中で、リストはほたほたと涙を流し続けていた。
「祖父の代から続けていたのに、今日来たら、全て無くなっていて……」
「そんな……盗まれたってことですか?」
ニーアが言うと、リストの泣き声が大きくなる。もう生きている意味がない、としゃくり上げながら言っていて相当思い詰めているらしい。
楽しそうに魔獣の話をしている姿を見ていたし、本棚を埋め尽くす程大量の資料があったのを知っている。その全てが失われたとなると、リストがここまで泣きたくなる気持ちもわかった。
「でも、あの!もう一回作り直せばいいじゃないですか!リストさんの頭に残っていることと、御父様と御爺様の知識を合わせれば……」
「いや……2人とももういない。ある日、突然消えたんだ」
「え、そ、そうなんですか?」
幼馴染のニーアも知らなかったらしい。店はリストが一人でやっているから、親は引退して田舎にでも引っ込んでいるのかと思ったが、消えたとは妙な言い方だ。
「行方不明ってことか?」
「ええ……おそらく、アムジュネマニスの魔術師ではないかと思っています。魔獣の知識が欲しいのか連れていかれてしまうんです」
「それって……誘拐されたってことですか?!」
「怒ることじゃないんだ。祖父も曾祖父もそうだったと聞いている」
怒り出したニーアを見て、リストは逆に冷静になっていた。俺は「怒ることでしょうが!」と熱くなっているニーアを宥めた。
「もし本当なら、国際問題だ」
「大事にするつもりはありません。いつか私も突然消えるんだと思っていましたが、まさか研究資料だけ持っていかれるなんて……研究が終わる時は死ぬときだと思っていたのに……」
「でもさぁ、命をとられるよりもマシじゃないっすか?」
「はぁーミミーはわかるよぅ。命よりも大事なことって人それぞれなんだよぅ」
隣で飲み始めていたウラガノとミミーが会話に割り込んで来る。
秘密基地みたいな研究室に陽キャ2人が来て嫌なんじゃないかと思ったけど、リストはそこまで気が回らない様子だった。ミミーが差し出した酒を進められるがままに飲んでいる。
「ともかく、研究成果を失って魔獣が大量に出てくるホーリアに住む必要もなくなりました……せめて、アムジュネマニスに行ってこの体を人体実験に使ってもらいましょうか」
「店長!そう自棄になっちゃダメだよぅ!」
「そうっすよ。あんな国の味方なんて止めましょうよ!」
きゃんきゃんと賑やかに慰める2人とは対照的に、ニーアは黙ってリストを見つめていた。
ニーアはリストがどれだけ真剣に研究を進めていたかよく知っているはずだ。だから、外野の言葉が何の意味もないことをわかっていて、リストが言う通りアムジュネマニスに自分の体を売ったとしても、それも本人の心からの望みだとわかっている。
しかし、こういう時には無責任な慰めに案外効果があったりするものだ。
「そうだな。ゼロからでも続けた方がいい。何も空っぽの時に死んでやることないだろ」
リストは酒に視線を向けたままどうでも良さそうに頷いた。
これ以上慰めの言葉も思い付かないし、リュウのことも相談できずに俺とニーアは店を出た。
ウラガノは元生活安全課職員として事件が気になるのか店のドアの鍵を調べている。しかし、その鍵を開けたのはウラガノ本人のはずだ。己の犯罪行為をなかったことにしているのかもしれない。
「うーん……鍵はともかく、こんなに頑丈な防御魔法が重なってれば、普通の魔術師には解けないんだけどな」
「ウラガノさん、防御魔法って魔力に反応して発動するものですか?」
「あぁ、そうだよ。魔力の強さに反応するから、魔術師だったら店先でドアを開けようとしただけで灰になってただろうな」
「そうですか。つまり……」
ニーアが何か言いかけて言葉を止める。
リストを慰めるついでに酒盛りを再開しているウラガノとミミーを放置して、俺とニーアは事務所に戻ることにした。
リュウの世話はユーリにバイト代と高額な口止め料を支払って靴屋でお願いしている。子供の扱いが得意なユーリでも、懐かない獣人の世話はそろそろ限界だろう。
「勇者様、昨日、クラウィスさんが何をしていたか知っていますか?」
ニーアが抑えた声で尋ねて来て、多分聞かれるだろうと思っていた俺はすぐに答えた。
「朝から事務所の仕事をして、昼に買い物に出かけてすぐに戻って来た。夜は事務所から出てない。リュウが泣くから何度か起こされた」
「そうですか」
それならいいんです、といつもの様子に戻ったニーアは、それ以上何も言わなかった。
ニーアがそう言ったのは、リュウを引き取って一週間程度が過ぎた頃だった。
赤子は無事に名前が決まったものの、世話は一行に進まなかった。ミルクも離乳食もほとんど食べないし、弱々しい泣き声以外の言葉を発さない。
クラウィスは昼夜問わずリュウが泣くと律儀に俺を起こしに来るし、コルダはリュウを無視しているし、リリーナは事務所に戻って来ない。このままでは事務所の崩壊の危機だ。
こうなったら一か八か、コルダが好きな生肉を食べさせてみようとしたら、ニーアにキレられてしばらくリュウに触らせてもらえなくなった。2、3日の徹夜は朝飯前のニーアも、授業と並行して子育てをするのに限界が来ている。
「一度医者に診てもらうのはどうでしょう」
「獣人の医者か……」
獣人は人間と体の作りが違って、魔術が効きにくい。普通の人間を治すのは簡単な俺でも医療魔術を使うのを躊躇していた。獣人専門の医者がオルドグにいるらしいが、自警団が獣人を殺した事件が知られる可能性がある。
首都にもいると聞いているが、多分アルルカ大臣のお抱えの医者だ。絶対に情報が漏れる。
俺はリュウにミルクをあげるのを諦めて哺乳瓶を置いた。中身は全く減っていないが、リュウは名残惜しそうな素振りもなく不満そうにタオルの端を噛んでいる。
「リストは、獣人にも詳しいのか?」
最終手段に考えていたことを呟くと、ニーアは長い戸惑いの後に頷いた。
「ええ……それはあるかもしれませんね……」
獣人は魔術を祖先に持つと言われている。
魔獣の変質から見ただけで人間をどれくらい食べたか見抜くほどの年中魔獣を解剖して遊んでいるリストのことだ。もしかしたら、魔獣の繁殖に既に成功しているかもしれないし、それなら獣人の赤子の育て方のヒントになるかもしれない。
ニーアが頼めば、リストは喜んで協力してくれるはずだ。奇跡が起こることを信じて、俺はリストの店に向かった。
リストの店は毎日営業していてそれなりに繁盛していて、最近はミミーが魔獣の骨の小物を作っているから遠くから噂を聞きつけて来る客もいた。
しかし、今日は何か様子がおかしい。
店の前にミミーとウラガノが立っていて、ショーウィンドウから店の中を覗き込んでいた。珍しい組み合わせだと思ったが、そういえばこの二人は夫婦だ。気を抜くとすぐに忘れそうになる。
「2人とも、どうしたんですか?」
「あーニーア!あのね、臨時休業みたいなんだけど、ミミーは何も聞いてないし、店長は呼んでも出てこないし、大丈夫かなぁ?」
「まさか、中で死んでたりしないっすよね。あ、勇者様、この店、葬儀屋じゃないって知ってましたか?俺、最近知ったんですけど」
ウラガノはそう言いながら、ポケットから曲がった針金を出して店のドアノブの鍵穴に突っ込む。そしてウラガノの言葉が終わらないうちにカチリと軽い音がして鍵が開いた。
俺とニーアは、市民の犯罪の現場を見なかったことにする。
「出かけてるだけじゃないか?」
鍵を開けたウラガノがそのまま入ったらただの空き巣だから、俺は偶然鍵が開いていたドアに今気づいたふりをして中に入ろうとした。
「あ、勇者様」
ウラガノが呼びかけた瞬間、店の隅から雷魔術が俺の顔面目掛けて飛んできた。
寸前で防御膜を張って直撃は免れたが、掠った髪が一房焦げて煙が上がる。
「危ないっすよ。魔力を察知して発動するみたいですね。うわっ、めちゃくちゃトラップ張られてますよ。ここ、大金でもあるんですか?」
「……」
ウラガノがもう少し早く言ってくれれば俺の髪も犠牲にならなかったのに。
ウラガノは慣れたパソコンでブラインドタッチでもするように、指先を動かすだけで店にかけられた侵入禁止魔術を次々に解いている。今の会話の最中にも100近くの工程を経て、次々に術式を解除した。
犯罪すれすれだが、旦那のかっこいいところだとミミーに教えてあげようと思ったが、ミミーは俺の焦げた髪を手入れするのに夢中になっている。
「お兄ちゃん、大丈夫?あーあ、綺麗な髪なのにねぇ」
「リストさん、いますかー?」
ニーアが店の奥に呼びかけても返事は返って来ない。留守にしているのかと思ったが、店の奥から小さな泣き声が聞こえてきた。
「リストさん、大丈夫ですか?!」
泣き声に気付いたニーアが、俺が止める前に店に飛び込んでいく。
ちょうどウラガノが最後の術を解除するのと同時で、ニーアに目掛けて飛んできた魔術が俺の頭に当たってぽこんと不発の音を立てる。
ニーアに続いて店の奥に行くと、リストは奥の解剖台に突っ伏して肩を震わせて泣いていた。
いつも魔獣を解体している所だから衛生的に心配だ。ニーアもそう思ったのか、泣きじゃくるリストの肩を抱いて体を起こした。
「リストさん、どうしたんですか?」
「に、ニーア……ッ、……」
リストは何とか説明しようとしたが、泣きじゃくっていて言葉にならない。
ぐしゃぐしゃに泣いているリストの背を擦って落ち着かせて、途切れ途切れの言葉を何とか聞き取っていた。
「え……?何て……?魔獣の研究資料?」
それを聞いて、俺は一般市民であるウラガノとミミーに礼を言って店から押し出した。
「なんでぇ?ミミー、ここの従業員だよぅ!店長のピンチは店のピンチ!」
「鍵を開けたのは俺ですよ!手柄独り占めするつもりっすか?」
ぶーぶー文句を言う2人に、鍵を開けてくれた料金といって俺が賭けで手に入れた酒屋の無料券を渡すとすぐに大人しくなった。朝から酒盛りだと喜んで駆けていく。ミミーは休みだとしても、今日は平日だからウラガノは普通に仕事だろうに。
2人がいなくなった所で、俺もニーアの傍らでリストの話を聞こうとした。
「勇者様、ここにあった研究資料がすべて無くなってしまったそうです」
ニーアがリストの言葉を聞き取って教えてくれる。確かに、部屋を見回してみると、前に見た時は壁一面に詰め込まれていた書籍もノートも紙の束も、何だかよくわらない標本やホルマリン漬けも、全て綺麗になくなっていた。
資料に埋もれていた窓が役目を果たせるようになっていて、明るい昼の日差しが差し込んでいる。埃の舞う解剖室の中で、リストはほたほたと涙を流し続けていた。
「祖父の代から続けていたのに、今日来たら、全て無くなっていて……」
「そんな……盗まれたってことですか?」
ニーアが言うと、リストの泣き声が大きくなる。もう生きている意味がない、としゃくり上げながら言っていて相当思い詰めているらしい。
楽しそうに魔獣の話をしている姿を見ていたし、本棚を埋め尽くす程大量の資料があったのを知っている。その全てが失われたとなると、リストがここまで泣きたくなる気持ちもわかった。
「でも、あの!もう一回作り直せばいいじゃないですか!リストさんの頭に残っていることと、御父様と御爺様の知識を合わせれば……」
「いや……2人とももういない。ある日、突然消えたんだ」
「え、そ、そうなんですか?」
幼馴染のニーアも知らなかったらしい。店はリストが一人でやっているから、親は引退して田舎にでも引っ込んでいるのかと思ったが、消えたとは妙な言い方だ。
「行方不明ってことか?」
「ええ……おそらく、アムジュネマニスの魔術師ではないかと思っています。魔獣の知識が欲しいのか連れていかれてしまうんです」
「それって……誘拐されたってことですか?!」
「怒ることじゃないんだ。祖父も曾祖父もそうだったと聞いている」
怒り出したニーアを見て、リストは逆に冷静になっていた。俺は「怒ることでしょうが!」と熱くなっているニーアを宥めた。
「もし本当なら、国際問題だ」
「大事にするつもりはありません。いつか私も突然消えるんだと思っていましたが、まさか研究資料だけ持っていかれるなんて……研究が終わる時は死ぬときだと思っていたのに……」
「でもさぁ、命をとられるよりもマシじゃないっすか?」
「はぁーミミーはわかるよぅ。命よりも大事なことって人それぞれなんだよぅ」
隣で飲み始めていたウラガノとミミーが会話に割り込んで来る。
秘密基地みたいな研究室に陽キャ2人が来て嫌なんじゃないかと思ったけど、リストはそこまで気が回らない様子だった。ミミーが差し出した酒を進められるがままに飲んでいる。
「ともかく、研究成果を失って魔獣が大量に出てくるホーリアに住む必要もなくなりました……せめて、アムジュネマニスに行ってこの体を人体実験に使ってもらいましょうか」
「店長!そう自棄になっちゃダメだよぅ!」
「そうっすよ。あんな国の味方なんて止めましょうよ!」
きゃんきゃんと賑やかに慰める2人とは対照的に、ニーアは黙ってリストを見つめていた。
ニーアはリストがどれだけ真剣に研究を進めていたかよく知っているはずだ。だから、外野の言葉が何の意味もないことをわかっていて、リストが言う通りアムジュネマニスに自分の体を売ったとしても、それも本人の心からの望みだとわかっている。
しかし、こういう時には無責任な慰めに案外効果があったりするものだ。
「そうだな。ゼロからでも続けた方がいい。何も空っぽの時に死んでやることないだろ」
リストは酒に視線を向けたままどうでも良さそうに頷いた。
これ以上慰めの言葉も思い付かないし、リュウのことも相談できずに俺とニーアは店を出た。
ウラガノは元生活安全課職員として事件が気になるのか店のドアの鍵を調べている。しかし、その鍵を開けたのはウラガノ本人のはずだ。己の犯罪行為をなかったことにしているのかもしれない。
「うーん……鍵はともかく、こんなに頑丈な防御魔法が重なってれば、普通の魔術師には解けないんだけどな」
「ウラガノさん、防御魔法って魔力に反応して発動するものですか?」
「あぁ、そうだよ。魔力の強さに反応するから、魔術師だったら店先でドアを開けようとしただけで灰になってただろうな」
「そうですか。つまり……」
ニーアが何か言いかけて言葉を止める。
リストを慰めるついでに酒盛りを再開しているウラガノとミミーを放置して、俺とニーアは事務所に戻ることにした。
リュウの世話はユーリにバイト代と高額な口止め料を支払って靴屋でお願いしている。子供の扱いが得意なユーリでも、懐かない獣人の世話はそろそろ限界だろう。
「勇者様、昨日、クラウィスさんが何をしていたか知っていますか?」
ニーアが抑えた声で尋ねて来て、多分聞かれるだろうと思っていた俺はすぐに答えた。
「朝から事務所の仕事をして、昼に買い物に出かけてすぐに戻って来た。夜は事務所から出てない。リュウが泣くから何度か起こされた」
「そうですか」
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