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第29話 勇者、学業に励む

〜6〜

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 ノーラのお蔭で身分を隠して入れることだし、俺は勇者の証を全て隠して人畜無害の青年としてアマジュネマニスに入国した。
 アムジュネマニスの入国審査は、特に厳しい事で有名だ。入国に相応しいと認められるレベルの魔力に達しないと、国内に足を踏み入れることもできずに追い出される。
 しかし、様々な理由から一般人が入国を希望する時もある。その最初の関門がこの入国審査だ。長い時は数ヶ月かけて入国審査をされるらしい。
 清潔な空港のロビーのような空間なのに、張りつめた空気で訪れた人間は皆険しい顔をしている。
 国の戦争か個人的な暗殺か。高等な魔術は何かと入用だから入国門が既に魔術師の人材派遣や魔術式の輸出の窓口にもなっている。
 笑顔の欠片もない職員に声を掛けて入国門審査局長を呼んでもらい、ノーラと取り決めていた一言を局長に伝える。正直なところ貴族の栄光がどこまで通用するのか半信半疑だったが、無言のまま門に通された。
 そして、名前も聞かれることなく、気付くとモベドスの入口に立っていた。

 モルフィルタス・ベラドーナ・ハリュリリュードコス学園。
 豆腐かウレタンスポンジか、というくらい飾り気のない巨大な白い建物が建ち並び、大きな街を形成している。それら全てがモベドスの広大な校舎だが、国外から来た人間の入口は俺が立っている一ヵ所しかない。
 街は道が整えられて、街路樹も植えられていたが見渡しても人が1人もいない。
 街の景観を見る人間もいないから、本当なら街路樹も不要だ。国外から来た要人に殺風景過ぎると文句を言われて、黙らせるために渋々魔術で幻影を映していると聞いたことがある。噂は本当で、手を伸ばしてみると、樹木は実体がなく手は空を掻いた。
 魔術師は基本的に魔術で移動して滅多に外を歩かないから、柔らかいフェルトのような靴しか履かない、とルークが言っていた。だから魔術師は靴屋の商売相手にならない、と。
 俺が知っている魔術師は、リリーナはうさぎのもこもこスリッパを履いていて、リコリスは10センチ越えのピンヒールを履いているのに、この国はどこまでも愛想が無い。

「先輩、あんまりきょろきょろしない」

 そう言われてポテコの足元を見ると、確かに底が薄い軽そうな靴を履いている。
 ポテコは先に学園に来ていて、俺を迎えてくれた。そこまでしてくれなくても大丈夫だと言ったのに、ポテコは心配性だ。
 学園に入ればもう何も問題ないだろうと言ったが、ポテコは首を横に振る。

「だって先輩、前にホーリア市街の違法占拠地域でこっちの魔術師を追い払っちゃったし」

「そうだよな……」

 それは俺も引っ掛かっていた所だ。でも、まさかそれで殺されたりしないよな?と意識して軽くポテコに尋ねると、ポテコは至って真面目な顔で首を傾げた。

「どうだろ?殺されちゃうんじゃないかな?」

「もし、命の危険を感じたら、俺のことは見捨てて逃げて構わないからな」

「それって、命の危険を感じるまでは見捨てないで守ってくれってこと?」

 ポテコの言葉にその通りですと俺が頷くと、ポテコは「だからやめとけって言ったのに」と呟いて大きくため息を吐いた。

「大丈夫。ボクがいるのに先輩を殺させたりしないよ」

「ポテコ様……」

「はいはい、受付に許可書を出せば、理事の誰かが確認に来るはずだから」

 ポテコに言われて、俺は許可書を持って入り口を入ってすぐの、無人の受付カウンターに向かった。


 +++++


 そして気付くと俺は見知らぬ部屋に来ていた。

 広い殺風景な四角い部屋、周囲にずらりとローブを着た人物が並んでいる。この重々しい雰囲気はおそらく学園のトップの魔術師たちだろう。
 理事が確認に来るはずだから、とポテコが言っていたが、それにしても突然で勢ぞろい過ぎる気がする。
 背後を窺うと、近くにポテコの姿は無い。俺だけ別の空間に移動させられたらしい。

「ヴィルドルク、ホーリア市担当」

 俺の正面の人物は、何時の間にか俺の持っていた入園許可書を持って眺めていた。一番大きくて重そうな石造りの椅子に腰掛けているから、多分この中で一番偉いはずだ。フードを深く被っていて表情が読めないが、書類を掴むローブの隙間から覗く手首が火傷で爛れているのが見えた。

「そうですか。ホーリア市の、あの勇者」

「ああ、そうだ」

 ここでいきなり争いを始めるつもりはないが、もう身分を隠していても無駄だ。もし向こうが喧嘩っ早い相手なら、自分の身を守るためにそれなりの対処をしなくてはならない。いつでも魔術が発動できるように構えたが、しばらく沈黙が流れる。
 俺が耐え切れなくなって声を掛けそうになった時、ようやくその人物が性別や年齢もわからない声で短く笑った。

「私達は国籍や職業で差別したりしませんわ。魔術を学ぶ機会は、誰にでも平等にあるものです。しかし、ああ、彼は……」

 俺の入園許可書に書かれたサインを見て、周囲のローブの人物たちも不安そうに、不愉快そうに囁くのが聞こえて来た。
 誰か怪しい人物のサインをもらってしまったのだろうか。考えなくてもわかる。多分オーナーだ。
 俺だってもっとまともな、少なくとも怪しくない人間にサインを貰いたかったけれど、彼しかいなかったのだから仕方ないじゃないかと言い訳したい気分だ。

「エリシャは、過去に私たちと同じ理事でしたわ。私達の決定に1人、反対しました」

 オーナーは、理事として学園を追放されたと聞いている。
 俺はその議題は知らないけども、自らの意志を貫こうと孤軍奮闘して、空気が読めないから追い出されてしまったのだろうか。
 俺は長い物に巻かれて、強者にはへりくだるタイプだけど、強い意志を持って仕事に向かう姿勢は立派だと思う。

「そして、ここにいる全員死ぬべきだと言い切って、火を放ちました」

「それは、酷い話だな」

 作戦変更だ。敵の敵は味方作戦でいこう。
 リリーナの親だしホーリア市民だし、何よりサインをしてくれたことだし。ある程度はオーナーを庇うつもりだったが、自分の命が掛かっている時に、奴にそこまでしてやる義理はない。

「さて」

 理事長がそう言った途端、俺の体が床に叩き付けられた。防護魔術を発動する暇もなく、何千の細い糸で締め上げられたように指先さえも動かせなくなる。
 そして、じわじわと肌を撫でられるような感覚に、何をするつもりなのかすぐに気付いた。
 思考を読み取る禁術だ。しかも、今考えていることを覗き見する程度の可愛らしいものではない。過去の記憶も行動も、無意識の感情も、全て抜き出そうとしている。
 体を細胞ごとにバラして並べられるような痛みと、脳味噌をぐちゃぐちゃに掻き回して指先で潰されるような感覚に、数秒で限界がきた。
 これは、死ぬかもしれない。死んだ方が楽かもしれない。
 俺が現世に別れを告げようとした時、背後のドアが音を立てて開いた。

「理事長」

 息を切らしたポテコは、部屋に入って床に転がった俺を見ると、何があったのかすぐに理解する。
 ポテコの指が俺の頭に触れると、まだ地獄か天国か行き先をどっちにしようか選んでいるような状態だったが、少しは体の拘束が楽になった。

「彼はイナムだが、大した志は持っていない。楽をしたくて勇者になっただけだ」

「黙りなさい、ポドゥティティユ・ルリシャコルディーリ」

 理事長が肘掛の上で指先を叩くと、パキンと音がしてポテコの眼鏡が吹っ飛ぶ。
 眼鏡が無くなった途端、ポテコの顔半分に大きな火傷の痕が現れた。しかし、ポテコは一歩も引かずに理事長を睨みつける。

「ここに来たのも、学園にある資料を見に来ただけだ。ボクたちにそれを妨げる権利はない」

「……そのようですね」

 理事長が言うと同時に、俺にかかっていた魔術が消えた。
 脳味噌を弄っていた指が抜けるずりゅんという音が頭から響く感覚に、とどめを刺されて吐きそうになる。

「こちらでは、入園を許可しましょう。処遇は学園長に」

「わかった」

 ポテコは理事長に短く返事して、自力で立てない俺をずるずると引き摺って部屋を出ようとした。

「……色付きが」

 すれ違う時に、すぐ横の理事が吐き捨てるように言ったのが聞こえた。

 世の中には、他人を蔑んで自分の価値を上げる言葉がいくつもある。どこの世界でも一緒だ。その程度で世の中に悲観するほど俺は繊細ではない。
 魔術が使えない人間を言い表す「流民」もそう。しかし、「色付き」というのはその中でも一番差別的でどんなに努力したところでどうにもならない言葉だった。

 それを聞いてもポテコの歩みは止まらなかったが、俺の首根っこを掴んでいた指の力が一瞬弱まった。
 あまりにも下等な罵倒をされた時、自分ではどうにもならない理不尽な事を言われた時、人は力が抜ける。

 前世の俺だったら、きっと適当に笑って流していただろう。しかし、今の俺は勇者だ。大人しく魔術を掛けられてやったが、これ以上我慢することはできなかった。
 理事たちを守るように囲っていた防御魔術を破壊すると、激しい魔術にバチバチと小さな稲妻が散った。防御魔術が無くなれば、モベドスの理事であろうとただの人間だ。貧弱な魔術師など、殴り合いでも斬り合いでも負ける気がしない。
 もちろん、大人しい生徒の1人である俺はそんな事をするつもりはなかった。ちょっと脅してみただけだ。

 しかし、理事は椅子を蹴って立ち上がると叫び声を上げて俺に魔術を掛けて来た。ハエを叩き潰すような雑で暴力的な魔術師の美学も感じられない攻撃だ。
 俺の体の中から、骨が砕ける音と内臓が潰れる音が聞こえてきた。
 生徒になんて事をするんだと文句を言おうと口を開くと、喉の奥からごぽごぽと血が溢れて胸に零れる。
 床に広がる血だまりを見て、思っていたよりも重症だと気付く。途端に意識が遠のいた。俺はあんまり血が得意ではない。

「そ、それでは、そういう事で……!」

 ポテコが珍しく焦った声でそう言って、俺を抱え上げて部屋を出た。
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