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第29話 勇者、学業に励む

〜5〜

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 ニーアの母親は、若い頃からその『病気』を患っていた。

 幸いなことに変質が現れたのは服で隠れるところだったから、病弱だと嘘を吐いて誰にもその異常を知られないように普通に生活していた。
 しかし、亡くなる半年ほど前に首から上にまで変質が及び、子供たちには流行り病に感染したと言って隔離した。
 だからニーアたちは、母親がどんな姿で最期を迎えたのか知らない。
 進行のスピードは人によるが首から上に変質が出て来ると長くはないらしい。
 既に瞳も見えなくなった顔で、声かけに何の反応もしなくなった時、その体を砕いて海に沈めた。
 子供たちに絶対に見られないようにと。遺言どおりのことをゴーシュは誰にも知られないように全てを済ませた。
 だから墓の中に遺品はあるが、体は一欠けらも納めていない。
 その死体は足や指先は見た目では元の肌を保っていたように見えたが、少し力を込めるとパキンと音を立てて折れて、断面からは血の一滴も出なかった。

 市長からそう聞いたとゴーシュに伝えると、ゴーシュは部屋に俺を招いて静かに教えてくれた。しかし、最後には「子供たちには絶対に言わないでくれ」と俺に縋って泣き出してしまった。

 話を聞いている内に、ゴーシュの後悔と恐怖が徐々に身に染みて来た。
 ゴーシュの罪悪感は、母親の本当の死因を子供に隠したからではない。
 剣に変わった彼女は、呼びかけに応えなかっただけだ。声が出なかっただけかもしれない。体がどこも動かせなかっただけかもしれない。
 体を粉々にするとき、痛みは感じていなかったのだろうか。海に沈むとき、日の光が消えて行くのを絶望とともに見つめていたのではないだろうか。今もまだ、全身が砕かれた痛みの中で真っ暗な海を孤独に彷徨っているのだろうか。
 剣がいつ死ぬのか、誰にもわからない。もしかしたら永遠に生き続けているのかもしれない。そんな残酷なことをしてしまったのかもしれない。
 と、泣き続けるゴーシュを慰める言葉は、俺には思いつかなかった。

 死ねば終わるというのが、唯一の救いだった。死んでも終わらないと最後の希望が無くなっても、それでも続く。
 カナタが譫言のように言っていた言葉を思い出していた。

「勇者様?」

 ニーアに声を掛けられて、ニーアの実習日誌を握り締めていたことに気づいた。
 俺もニーアも締め切りをすっかり忘れていたニーアの実習日誌は、俺の自室の山の一部になっている。
 優良優秀である、といつものニーアの姿を評したコメントを書いていたところだ。

「それで、引き継ぎ事項はありますか?」

 俺がしばらくモベドスに行くと言っても、ニーアは「そうですか」頷いただけだった。
 ホーリアの勇者なのに街を放り出して遊びに行くつもりか、と怒られる事も覚悟していたのに、「いない間のことは任せてください!」と意外にも協力的だった。

「3人には養成校の用事で離れるって言ったから、話を合わせてくれ。講師のリリーナには気付かれるかもな……でも、養成校とオグオンにはバレたくないんだ。上手く誤魔化してくれ」

「わかりました」

「通信機は通じるらしい。何かあったら連絡してくれ。通じなかったらポテコの方に。2人とも通じなくなるかもしれないけど、何とかオグオンには言わないでくれ」

「わかりました……それで、勇者様は何をしに行くんですか?」

 話の流れでニーアがそれを尋ねてくるのは、これで3回目だ。前の2回は俺が言葉に詰まっていればニーアはすぐに別の話題に移すのに、今は黙って俺の目をじぃっと見つめて来た。

「ニーアには、言えないことですか?」

「……」

 緑の目力に負けて俺が頷くと、ニーアは「わかりました」とだけ言って俺を解放してくれた。

「言わなくてもいいのか?」

「業務に関係のないことなら、ニーアに教える必要はないじゃないですか」

 その通りだが、ニーアに言われると少しだけ胸が痛い。ニーアと俺は、前は魔法剣士と街の勇者で、今は実習生と実習先の先輩なわけだし。プライベートまで踏み込む関係性ではないだろう。
 でも、正直俺1人でカナタの相手をするのは疲れてきたから、本音を言うとそろそろニーアに泣き付きたい気分だ。リュリスのことも、俺がイナムだということも、全てニーアに言えたら気が楽になるだろう。

「いつか教えるから、聞いてくれると助かる」

 俺が言うと、ニーアは「わかりました」と先程と同じテンションで頷いた。

「あとは……副市長には俺がいなくなることを言ってないんだ。多分、市長が何とかしてくれると思うが、オグオンには知られないように頼む」

「それ、3回目ですよ」

 ニーアに言われて、俺は無意識の内にオグオンに怯えていたことに気付く。
 ヴィルドルクと友好的な国に少し観光旅行に行くなら許されるだろうが、国交が緊張している時に、ついこの間戦争になりかけた国の中枢機関に忍び込むなんて。オグオンにバレたらどうなるのか、怖すぎて逆に興味が出て来る。

「……オグオンには、絶対に言わないでくれ」

 俺が呟くと、ニーアは「だから、4回目ですよ」と突っ込んだが几帳面にノートに書き留めた。


 +++++


 ポテコとオーナーと市長にサインを貰って入学は許可されて、残りの解決すべき問題は出入国の手続きだ。
 出国は俺が少しライセンス証をチラつかせて金を握らせればどうとでもなるが、入国はそう簡単には行かない。
 面白半分で観光に来る人間を端から拒否しているアムジュネマニスだ。魔術の勉強のためと言えば入国は出来るが、身分証明や審査には時間がかかる。
 それに審査の過程で俺の身元を確認するために、養成校に連絡がいってオグオンに知られてしまうかもしれない。

 もしかしたら、アムジュネマニスに留学しているノーラに何とかしてもらえないか。
 そう考えて通信機で連絡を取ると、無茶な願い事に困惑するかと予想していたのに、ノーラはすぐに頷いた。

『ええ、ホーリア様、入国審査局に話を通しておきますわ』

「大丈夫なのか?実は、俺が勇者だと知られないように行きたいんだが……」

『それでは、審査局長に「ノーラ・コルベリアの友人だ」と言えば通れるようにしておきます。他の事は言わないでくださいね。嘘はすぐに見破られますから』

 貴族とは、俺が国境を真面目に守っているがバカらしくなるくらい融通を利かせることができる存在なのか。
 俺は礼を言って通信を切ろうとしたが、ノーラは「あの!」と声を大きくして話を続けた。

『ホーリア様、もし、お時間があって、それでご気分が良ければなんですけど……私とお茶をひと時、いかがでしょうか?』

「ああ、多分それくらいの時間はある」

『きゃあ!ありがとうございます!私、一番素敵なお菓子と紅茶を準備してお待ちしていますわ。いつでも連絡してくださいね』

 俺がちょっと学校に入学するだけでビビッているのに、ノーラは強かに生きている。
 その豪胆さは見習いたいものだと思いつつ、俺は必ず連絡すると伝えて通信を切った。
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