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第28話 勇者、日々を記す

〜5〜

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 事務所を出て、俺とカナタは街の広場のベンチに座っていた。
 この顔じゃ食べられないとカナタは一度ケーキを返して来たが、小さくすれば食べられるだろうと俺が言うと、それもそうだと頷いて僅かに開く口でケーキを食べていた。
 カフェで買ってきたコーヒーを渡すと、同じように固くなった唇で息を吹いて冷ましている。

「悪い。仕事中だったよな」

「ううん。もう辞めるつもりだったんだ。この顔じゃ続けられないから」

 カナタの言葉にそんなことはないと慰めようとしたが、確かにカナタの顔で仕事を続けるのは難しいだろう。俺は何も言わずにカナタの隣に座ってコーヒーを啜った。

「それで、ホテルのオーナー?とかに会いに行くんだろ?」

「ああ、今から行く」

「あの子の父親ってことは、あれ以上に拒否られるかもなぁ」

「大丈夫。親友だから」

 これ以上面倒臭い気配を感じたら、カナタはそのまま帰ってしまいそうだから誤魔化したが、カナタは「嘘クサいなぁ」と呟いた。

 しかし、これはどうやら順番を間違えてしまったらしい。
 リリーナは、オーナーやリコリスが教えてくれないことでもあっさり教えてくれることが多い。俺にとってはありがたいセキュリティホールだ。
 だが、その逆でリリーナが完全に口を閉ざしていることを、オーナーが教えてくれることは無い気がする、ら無駄足に終わる可能性が高い。

 これ以上の時間稼ぎは難しいから、俺は重い腰を上げてベンチから立ち上がった。
 9thストリートの魔術師からカナタの姿を隠しながらホテル・アルニカに到着する。
 ホテルの受付を覗いたが、オーナーの姿は無い。奥に行けばオーナーの分身のどれか1体に会えるだろうが、カナタを連れて逃げ場のない相手のテリトリーに入らない方がいいだろう。
 ホテルにいる魔術師たちにカナタを気付かれる前に、受付を出て外壁沿いに歩いた。

「やあやあ!勇者様、ごきげんよう」

 裏に回ると、すぐに上から声が降って来る。
 すぐ横に立っていた脚立を見上げると、ガラス窓を抱えたオーナーが立っていた。
 どうやら、2階の窓を交換していたらしい。どうしてそんな面倒な仕事をするのに魔術を使わないんだろうと僅かに疑問に思う。

「祭りも終わってすっかり街も落ち着きましたね。まぁウチは通常営業でしたがね」

「そうか。この辺りは静かだったな」

 俺はオーナーに応じつつ、カナタのフードを捲った。
 これについて教えてくれないか、と俺が尋ねる前にオーナーの姿が脚立の上から消える。
 脚立の上に残されたガラス窓は、一瞬空中で静止したように見えたがすぐに重力に従って地面に落ちて来た。
 凶暴な音と共に粉々になったガラスが散って、最後に小さな木の人形が地面で跳ねる。

 正直なところ、リリーナよりも遥かに取り繕うのが上手いオーナーに、何も知らないと言われてしまうとそれ以上追究できないから一番恐れていた。
 しかし、ここまでのリアクションが貰えるとは、期待以上だ。

「そいつを、どこから連れて来た!?」

 今消えたばかりのオーナーが、今度は正面玄関の方から駆けて来た。これはどうやら本体らしい。
 食ってかかるように喚くオーナーは、相当余裕が無いのかいつもの変装魔術が消えかけている。小柄な本体のローブが揺れて、焼け爛れた臙脂色と灰色のごつごつした肌の顔が見えた。

「まさか、これを誰かに見せたりしていないだろうな?!」

「どうして?」

 俺が尋ねるとオーナーが言葉に詰まる。ここまで派手に驚いておきながら、あくまで白を切るつもりらしい。

「これの治療方法は?」

「……いえ、知りません」

「俺は初めて見たんだ。イナムがなる病気なのか?」

「イナム……?ああ、こいつはイナムなんですか?」

 オーナーはカナタを見て、初めて気付いたように頷いた。
 少し冷静さを取り戻して、見慣れた恰幅の人当たりの良い笑顔の男性に変装出来ていたが、透けて見える本体の口元は不愉快そうに歪んでいる。

「それなら、元々この世界にいない人間でしょう。早々に処分しても何の問題もない」

「お前は……」

 自分の娘にもそう言うのかと言いかけたが、寸前で言葉を飲み込んだ。親が子供に何を言おうと、各家庭の問題だ。俺がとやかく言う事ではないだろう。
 しかし、リリーナもオーナーもここまで拒否反応を示すなら、他の魔術師にカナタの病気を見られたらカナタの身が危ないような気がする。
 今だって、勇者の俺が隣にいるから手を出さないが、オーナーのあの剣幕だとそのまま殺してしまってもおかしくはない。

「カナタを匿ってくれないか?ここなら安全だろう」

 カナタは資料館の泊まり込みの仕事を辞めてしまうと家が無い。事務所に住まわせることも考えたが、イナムで超ネガティブ思考なカナタを住まわせると俺の精神的にも悪影響だし、素性が知れない人間をクラウィスやコルダに近付けたくない。
 それに、9thストリートの魔術師を仕切っているオーナーなら、ホテルの中に魔術師が押し入ってカナタが襲われることもないだろう。

「ホーリアの勇者としての依頼だ」

 以前、オグオンがゼロ番街を営業停止にするように依頼した時、オーナーはそれを引き受けてリリーナにやらせた。まさか、同じ勇者の俺からの依頼を断るはずがあるまい。
 暗に匂わせた俺の真意を読み取って、オーナーは変装魔法の赤ら顔も苦々し気に顰めながら頷いた。

「わかりました。最上階のスウィートルームなら、他の客が入らないので安全でしょう」

 オーナーが一度指を鳴らすと、俺の手の中には部屋の鍵が握られていた。
 小さな鍵に付けられた金色に光るプレートはずしりと重さがあって、俺の身の丈に合わない高級感を醸し出している。

「料金は市を通じて勇者様にお支払いしていただくので構いませんね」

 負け惜しみのように言ったオーナーに、俺も涙を飲んで問題ないと頷くと、オーナーは「どうぞご勝手に」と客商売を忘れたように素っ気無く返し、割れた窓を魔術で直して姿を消した。

「勇者様、勝手に話を進めないでほしいんだけど」

「オーナー以外の魔術師に見つからないように。何かあったら俺を呼んでくれ」

「えー……この辺、魔術師だらけじゃん」

「大丈夫だ。俺は治療法を探してみる」

「……汚職の責任を取って首を吊った議員秘書」


 鍵をカナタに渡して事務所に戻ろうとしたが、カナタの脈絡のない言葉に足を止めて振り返った。

「事業に失敗して家族に保険金を残すために見せかけの事故死」

 カナタが続けてそう言った。黙ったままの俺の顔を覗いて、半分石になった顔で重そうに首を傾げる。

「違った?遠からずってところだと思うんだけど」

 何の事だと尋ねなくてもわかった。前世の俺の死因だ。
 どうやら、カナタは俺がイナムだと確信している。
 前世の記憶を持った人間がこの世界にいると、何故か理解しているらしい。不正入国して、選りによって余所者が目立つ田舎のホーリアに来たのは、もしかしたらエルカのようにイナムの集団がこの辺りにいるのかもしれない。

「まぁいいや。有難く住ませてもらうよ」

 カナタがそう言って、鍵のプレートを見ながらホテルに入って行った。
 スウィートルームということは、エルカが泊まっていた部屋で、リリーナが引き籠っていた部屋だ。リリーナが作ったコスプレ衣装は多分そのままだろう。あれは何よりも先に隠しておくべきだった。


 +++++


 養成校の図書室は、俺が在校していた時よりも医術書が増えていた。
 しかし、この世界は何でも魔術で治してしまうから、元々医術が進んでいない。民間療法のような簡単な飲み薬や、ちょっとした外傷の治療方法はあるが、脳まで侵食した異物を取り除く方法は当然見当たらなかった。
 俺が前世で医者だったら出来たのかもしれないと後悔しつつ、医者になるくらい優秀だったらあんな惨めな過労死はしなかったし、この世界で勇者になることを選ばなかっただろう。
 しかし、議員秘書とか、家族を保険金受取人にした親とか。カナタが想像している俺の前世は案外悪くない。もう少し「俺の前世って何だと思う?」と聞いてみたいところだった。

「先輩」

 目の前に姿を現したポテコが、声をかけて俺の前に座った。
 図書館にいる他の生徒に聞こえないように、本を広げて口元を隠しつつ俺に顔を寄せる。

「頼まれてたの、調べた。リュリスが書いた日記は、学園の特別閉架書庫に保存されている」

「特別閉架書庫?」

 モベドスは、魔術の発展の要として、保有している資料を国外にも送ってくれる。
 ただ、膨大な蔵書からわざわざ探して送ってくれるほど親切な学校ではないから、ポテコに書誌番号を調べてもらっていた。思っていたよりもすぐに見つけて来てくれたが、特別閉架書庫とは聞いたことがない。

「学園の内部の人間しか見れない書庫。だから、申請しても無理」

「……わかった」

「そう、理解が早くて助かるよ」

「モベドスに入学する」

「え」

 ポテコは俺が諦めると思っていたらしく、一文字言って言葉を止めた。
 俺は医術書を閉じて、今度は魔術書を開いた。養成校に入学した以来、久しぶりの受験勉強だ。これは気合いを入れなくては。
 ポテコは暫く黙って俺を眺めていたが、「無理だと思うなぁ」と小さく呟いた。
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