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第25話 勇者、国際社会に対応する

〜5〜

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 ニーアの追試を見届けるついでに事務室を覗くと、室長は不在だった。代わりに職員が出て来て、前と同じ会議室に案内してくれる。
 なんだか職員は慌てた様子だ。忙しいのかもしれないから、俺は自分で事務室の横にあるキッチンから紅茶を淹れてカップを持って椅子に掛けた。
 職員は何か警戒するように周囲を見回して、そっとドアを閉めて正面に座る。

「……室長とのお話の事ですね?お返事を、聞かせていただけるということでしょうか?」

 職員は、会議室の外を窺って聞こえるか聞こえないかの声量で聞いて来る。そんなに疚しい話でもないはずなのに、外交に関わる事だから機密情報らしい。

「俺の仲間をホーリアに残して行ったら、後任の勇者の所で使ってくれるか?」

「そうですね。是非、お願いしたいところです」

「経験者として給料の増額は?」

「…………ええ、事務室の方で支払いましょう」

 長い沈黙の後に、職員が頷く。それを聞いて安心した。
 俺が引き受けると答えると、職員は緊張したように強張っていた表情を緩めて頷いた。そこまで急いで勇者を派遣しなくてはならない切羽詰まった用事がディス・マウトにあったかと考えたが、何も思い付かない。多分、仕事に厳格な元勇者の室長に回答を急かされていたとかだろう。

「それでは、準備をお願いします」

 職員は俺の答えを聞いて仕事のペースを取り戻したらしく、早速傍らの鞄を引き寄せて中から書類を取り出した。

「通常の異動とは違い、勇者様の希望による異動ということになりますので……申し訳ございませんが手続きをお願いします」

 職員の鞄は異次元に繋がっているのか、次々と書類が出て来る。書類でテーブルが埋まってしまい、俺は紅茶のカップを持ち上げた。
 テーブルが真っ白になって書類が縁からはみ出すくらいになってから、ようやく職員は手を止める。

「それでは、提出していただきたい書類ですが……」

「これは、職員に頼んだりできないか?」

「個人情報なので、難しいですね」

 俺が遠慮がちに尋ねても、職員はさらりと否定する。
 そして、俺が何か言う前に、職員は書類を1つ1つ説明し始めた。記入見本と申請方法がちゃんと書かれていて、行政手続きとしては分かり易い方だが、あまりの多さに文字を読むことを目が拒否している。

「出生から現在までの戸籍、所有する動産・不動産の一覧とその証明書、養成学校での成績表、携わった主な任務の結果報告書、緊急連絡先として勇者2名以上の名前と同意書、死亡した場合の身内の連絡先、身内がいない場合はそれを証するもの、過去の出入国管理簿及び審査記録、心身の診断書、通院歴等証明書、出国にあたり医師からの証明書、充分な語学能力を有することを示すもの……」

「……」

 俺はどのタイミングで職員の言葉を遮ろうか見計らっていた。しかし流れるように紡がれる言葉に、割って入れるような切れ目はない。
 俺は諦めて会議室のクッキー缶を探し出し、ティータイムを開始した。


 +++++


 事務室を出ると、廊下の端で黒い塊が動いているのが視界に入る。
 カーペットの染みのような小さなネズミは、俺に駆け寄って来る間に人の形に変わり、俺の隣に来る時には黒いローブを目深に被ったリリーナの姿になっていた。

「何してんの?異動のこと、決めてきた?」

「やめた」

「あ、そう?」

 長々説明させた後に断ったから流石に怒られるかと思ったが、よくぞ最後まで聞いてくれたと感謝され、クッキーを缶ごと貰って事務室から見送られた。
 室長が怒ったらごめんなさいって伝えてくれと頼んだが、それも職員の方で上手く誤魔化しておくと言ってくれた。俺の中で事務室の職員の株が急上昇している。

「よかったぁ。付いて行くって言ったけど、ここの講師の方が給料いい事思い出してさぁ、やっぱりどうしようかなって思ってたの」

 リリーナは俺が持っている缶に手を伸ばして、勝手に食べながらけらけらと笑って言った。
 俺も多分そうだろうなと思っていたが、はっきり言われるとショックだ。リリーナはいつの間にか、勇者の仲間の方が副業になっている。

「勇者様!合格しました!あれ?リリーナさんも、どうしたんですか?」

 3つ目の追試に合格したニーアが、満点の解答用紙を掲げながら教室から飛び出して来た。
 赤点を取った試験の追試で満点を取るとは、ニーアはただ真面目に勉強するだけでなく、一度受けた試験の傾向が分かって要領良く勉強出来る人間のようだ。これは、確実に後輩にも慕われるタイプだ。

「勇者が異動するかもって話」

「え?!ま、まさか、ホーリアを出たりしないですよね!」

 ニーアはせっかく取った満点の解答用紙をぐしゃりと握り締めて、俺に掴み掛って来た。
 安心しろ、と胸倉を掴んで締め上げてくるニーアの腕を下ろさせる。

「俺がホーリアを離れるわけないだろう」

 どうして異動の話を断ったのかは、別に説明しなくてもいいだろう。ホーリアで勤めていて奇しくも地元愛が芽生えてしまったとか言えば、ニーアも納得するはずだ。

「ですよね!ニーア、勇者様と一緒がいいです!」

「ああ、そうだな」

「でも、街に勇者は一人でしょ?ニーアはホーリアの勇者を希望してるから、そしたらあんたはどっか行かなきゃね」

 俺から缶を奪い取ったリリーナは、ボロボロとクッキーを零しながら食べつつ、痛いところを突いて来た。
 街付の勇者は、その街に1人だ。俺は前から気付いていたが、ニーアは今初めて気付いたらしく、しばらく黙って考えていた。

「あの、ニーアは、勇者様がどこにいても応援してます!」

 ニーアの夢は、勇者になってホーリアを守ることだ。ニーアが勇者になったら、ホーリアに縁も所縁もない俺が異動するのが道理だろう。しかし、ホーリア以上に楽な職場は無いだろうから、俺は絶対離れたくない。
 これは近い将来、ニーアと俺でホーリアの担当を奪い合って戦う日が訪れてしまうようだ。多分、ホーリア出身のニーアの方が有利だから、俺は卑怯な手を使うことになるかもしれない。
 とはいえ、まだ1つ追試が残っているニーアの卒業は、まだ少し先の話だ。

「あたしは、今と同じくらい楽なところがいいなぁー……」

 やる気溢れるニーアとは対照的に、リリーナがぼんやりと呟いた。この様子だと、俺が激務の地域に異動したら、リリーナは俺の所を辞めてニーアの下に就くかもしれない。
 しかし、今からニーアと対立することも無いだろう。余計な事を追及する代わりに、俺はリリーナから缶を取り返した。
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