上 下
113 / 245
第20話 勇者、束の間の休暇を過ごす

〜3〜

しおりを挟む
 いつの間にか眠っていて、目を覚ますと時間は既に昼を過ぎていた。
 寝る前まで賑やかだった部屋の外は静かになっている。
 ドアを開けると廊下には誰もいなくて、ミルクが入ったマグカップとチョコレートの焼き菓子が乗ったトレイが置いてあった。
 焼き菓子は焦げている部分と生焼けになっている部分が混在しているから、クラウィスではなくコルダが作ったものだ。
 食べながら1階に下りると、リビングでコルダが丸まって眠っている。思った通り、銀色の毛の至る所にココアの粉が付いていた。早速愛用のブラッシング道具が入ったカゴを引き寄せる。

『勇者様、お腹は空いていまセんか?』

 キッチンからクラウィスが顔を出した。
 クラウィスの声は、口元の黒猫のマスクを通して腰から下げたポシェットからガピガピした電子音声のようになって聞こえてくる。 

 クラウィスの発音機は、リコリスがマントを無くしたお詫びに改良してくれた。
 俺とリリーナと同じようにバラバラにして諦めるだろうと思っていたのに、普通に改造して特にどや顔も見せず、当然といった顔で戻って来た。やはり、リコリスは敵に回さない方が良さそうだ。
 少し発音が怪しい部分があるが、重いポシェットを一々持ち上げる必要もなく、声を出すときに両手が空いていて仕事の時も楽になったようだし、コルダがキャラ被りを心配していた語尾も統一されている。

「ニーアは?」

『学校に戻られまシた』

 俺が酷く傷付いているというのに、冷たい奴だ。
 クラウィスはリリーナが作ったレースの裾が直径1メートルくらい広がっているメイド服に、それよりも少し地味だけれどやっぱり豪勢にレースが付いたレンガ色の外套を羽織って外出の準備をしていた。

『勇者様、お時間があるなら一緒にお買い物に行きまセんか?』

「うーん……」

 俺が返事を濁すと、クラウィスは俺の裾を引いて心配そうに見上げて来た。
 クラウィスは、俺が引き籠っているから具合が悪いのかとずっと案じてくれている。心配しなくても、万全の体調でサボっているだけだ。

『お手伝いしてくれると、嬉しいのでスが……』

 クラウィスの潤んだ大きな瞳で見つめられると、なんだか悪い事をしている気分になる。実際仕事をサボっているから悪い事をしているのだけれど。
 仕方なくブラッシング道具を片付けた。しかし、マントがなくて背中が少し心もとないから、何か代わりになる外套を探しに行った。

 +++++


『勇者様、御夕飯は何が食べたいでスか?』

 市内に入って、俺は街にいる市民と目が合わないように、クラウィスのつむじを見つめながら歩いていた。
 街に住んでいる人間が日用品や食材を買いに来る2番街には、俺でも顔を知っている市民がいる。
 ボードゲームで賭けをして大人げなく圧勝してしまい、ケンカになりかけた老人とか、マントを引っ張って来るのを叱っていたところを親に見られてしまい俺が悪者になりかけた父子とか。
 俺はこの街でろくな人間関係を築いていない。

「コルダは、何がいいって?」

『コルダさんはいつもお肉がいいって言いますよ。今日はニーア様がいないので、お魚にしましょうか。勇者様?』

「それなら、昨日釣った魚がいる」

『すごい!勇者様、釣りが上手になりまシたね!』

「……」

『あれ?勇者様、もしかしてお魚の気分じゃないでスか?』

「いや……」

『勇者様?』

「……あんまり、勇者とか、呼ばないでくれ」

 勇者を証明する物を何も持っていない俺は、自分を勇者だと思い込んでいる一般人だと思われている。
 しかも、クラウィスと一緒にいると、自分を勇者だと思い込んで美少女に自分を勇者と呼ばせている一般人だと思われているはずだ。
 更に言うと、クラウィスは美少女に見せかけた美少年だから、話がややこしくなる。

 俺はクラウィスから少し離れて歩いて、クラウィスが一歩近付くと、俺は一歩下がった。
 クラウィスは外套のレースが縫い付けてある袖をぎゅっと握って、眉をハの字にして足を止める。
 何故、あまりクラウィスに近付きたくないかというと、リリーナが作った個性的な服は、観光地のホーリアでも新たな観光名所になりそうなほど充分目立っているからだ。
 それを可愛いクラウィスが着ているのだから、初めて見る観光客はパレードでも始まるのかと注目している。

『……それなら、お買い物の間はお兄様って呼んでもいいでスか?』

「……」

 何故、と思ったがクラウィスは俺の傍から離れる気は無さそうだ。
 目立たないならなんでもいいと俺が頷くと、クラウィスは俺の腕を抱えて引っ張って行った。

 クラウィスは家にある食材が頭の中に入っているらしく、野菜や穀物や調味料を迷わず買っていて、俺はその横で荷物持ちに徹していた。
 クラウィスはいつも1人で、エンゲル係数が狂っている事務所の食材を毎日買い出しに行っている。俺が天井の染みで遊んでいる間に。なんて健気な子なんだ。

 そして、1番街に入ると、クラウィスは真っ先に肉屋に向かった。
 肉屋の店主と勇者の俺の雪解けの季節はまだ訪れていない。肉屋の店先のカウンターでチコリが1人で店番をしているのを確認して、俺はクラウィスの後に続いた。

『チコリさん。いつもの、くだサいな』

「よぅ、クラウィス。毎日大変だな……あれ?」

 店の前に集まっている猫をホウキで突いて追い払っていたチコリは、俯いている俺に気付いて顔を覗いて来た。
 俺はクラウィスの後ろに隠れて外套の襟に顔を隠していたのに、ホウキの柄で額を突かれて顔を上げる。
 チコリは相変わらず言葉よりも力で物事を解決しようとする。そんな失礼をして、万一知り合いじゃなかったらどうするつもりだ。

「ああ、勇者か。いつもと違う格好してるから気付かなかった」

「……どうも」

「なんだ、元気そうだな。これ、食べる?」

「いえ、お気遣いなく」

 カウンターから出て来たチコリに肉串を突き出されて、仕方なくそれを受け取った。
 チコリはクラウィスの分、ともう一本俺に肉串を押し付けて、大きな紙の包みをクラウィスに渡した。
 クラウィスが両手で抱える程の大きさだ。しかし、ハムやベーコンはコルダとリリーナが塊のまま齧るから、それで数日分にしかならないだろう。

「勇者は様子がおかしいけど、また風邪でもひいたのか?」

『いいえ。久し振りの外出で、調子が出ないみたいでス』

「ふーん?まぁ、この前は大変だったみたいだし、しばらくのんびりしてろよ」

 チコリは、意外にも優しい言葉をかけてくる。
 肉屋の1人娘があの偏屈な父親に似なくて良かった。肉屋の店主は俺が精神的に弱っているのに気付いたら、今がチャンスとばかりに肉切り包丁で襲いかかって来ただろう。

 チコリはニーアの幼馴染みだけあって、いつも比較的俺の味方に付いてくれる。チコリが勇者を嫌いになったのも、ニーアのせいではあるけれど。
 カウンターに戻ろうとしたチコリは、「あ」と声を出して俺に振り返った。

「そういや、ミミ-がまたクビになったんだって」

「……」

 俺はニーアとチコリの幼馴染み2人組に面倒事を押し付けられていた事を思い出した。
 女子のグループが苦手なのは、俺の前世が色恋でもパッとしなかったからか、精神的に歳が離れ過ぎているからか。おそらく両方だろう。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

辺境領主は大貴族に成り上がる! チート知識でのびのび領地経営します

潮ノ海月@書籍発売中
ファンタジー
旧題:転生貴族の領地経営~チート知識を活用して、辺境領主は成り上がる! トールデント帝国と国境を接していたフレンハイム子爵領の領主バルトハイドは、突如、侵攻を開始した帝国軍から領地を守るためにルッセン砦で迎撃に向かうが、守り切れず戦死してしまう。 領主バルトハイドが戦争で死亡した事で、唯一の後継者であったアクスが跡目を継ぐことになってしまう。 アクスの前世は日本人であり、争いごとが極端に苦手であったが、領民を守るために立ち上がることを決意する。 だが、兵士の証言からしてラッセル砦を陥落させた帝国軍の数は10倍以上であることが明らかになってしまう 完全に手詰まりの中で、アクスは日本人として暮らしてきた知識を活用し、さらには領都から避難してきた獣人や亜人を仲間に引き入れ秘策を練る。 果たしてアクスは帝国軍に勝利できるのか!? これは転生貴族アクスが領地経営に奮闘し、大貴族へ成りあがる物語。

主人公は高みの見物していたい

ポリ 外丸
ファンタジー
高等魔術学園に入学した主人公の新田伸。彼は大人しく高校生活を送りたいのに、友人たちが問題を持ち込んでくる。嫌々ながら巻き込まれつつ、彼は徹底的に目立たないようにやり過ごそうとする。例え相手が高校最強と呼ばれる人間だろうと、やり過ごす自信が彼にはあった。何故なら、彼こそが世界最強の魔術使いなのだから……。最強の魔術使いの高校生が、平穏な学園生活のために実力を隠しながら、迫り来る問題を解決していく物語。 ※主人公はできる限り本気を出さず、ずっと実力を誤魔化し続けます ※小説家になろう、ノベルアップ+、ノベルバ、カクヨムにも投稿しています。

30代社畜の私が1ヶ月後に異世界転生するらしい。

ひさまま
ファンタジー
 前世で搾取されまくりだった私。  魂の休養のため、地球に転生したが、地球でも今世も搾取されまくりのため魂の消滅の危機らしい。  とある理由から元の世界に戻るように言われ、マジックバックを自称神様から頂いたよ。  これで地球で買ったものを持ち込めるとのこと。やっぱり夢ではないらしい。  取り敢えず、明日は退職届けを出そう。  目指せ、快適異世界生活。  ぽちぽち更新します。  作者、うっかりなのでこれも買わないと!というのがあれば教えて下さい。  脳内の空想を、つらつら書いているのでお目汚しな際はごめんなさい。

一家処刑?!まっぴら御免ですわ! ~悪役令嬢(予定)の娘と意地悪(予定)な継母と馬鹿(現在進行形)な夫

むぎてん
ファンタジー
夫が隠し子のチェルシーを引き取った日。「お花畑のチェルシー」という前世で読んだ小説の中に転生していると気付いた妻マーサ。 この物語、主人公のチェルシーは悪役令嬢だ。 最後は華麗な「ざまあ」の末に一家全員の処刑で幕を閉じるバッドエンド‥‥‥なんて、まっぴら御免ですわ!絶対に阻止して幸せになって見せましょう!! 悪役令嬢(予定)の娘と、意地悪(予定)な継母と、馬鹿(現在進行形)な夫。3人の登場人物がそれぞれの愛の形、家族の形を確認し幸せになるお話です。

メインをはれない私は、普通に令嬢やってます

かぜかおる
ファンタジー
ヒロインが引き取られてきたことで、自分がラノベの悪役令嬢だったことに気が付いたシルヴェール けど、メインをはれるだけの実力はないや・・・ だから、この世界での普通の令嬢になります! ↑本文と大分テンションの違う説明になってます・・・

異世界召喚に条件を付けたのに、女神様に呼ばれた

りゅう
ファンタジー
 異世界召喚。サラリーマンだって、そんな空想をする。  いや、さすがに大人なので空想する内容も大人だ。少年の心が残っていても、現実社会でもまれた人間はまた別の空想をするのだ。  その日の神岡龍二も、日々の生活から離れ異世界を想像して遊んでいるだけのハズだった。そこには何の問題もないハズだった。だが、そんなお気楽な日々は、この日が最後となってしまった。

攫われた転生王子は下町でスローライフを満喫中!?

伽羅
ファンタジー
 転生したのに、どうやら捨てられたらしい。しかも気がついたら籠に入れられ川に流されている。  このままじゃ死んじゃう!っと思ったら運良く拾われて下町でスローライフを満喫中。  自分が王子と知らないまま、色々ともの作りをしながら新しい人生を楽しく生きている…。 そんな主人公や王宮を取り巻く不穏な空気とは…。 このまま下町でスローライフを送れるのか?

外道魔法で異世界旅を〜女神の生まれ変わりを探しています〜

農民ヤズ―
ファンタジー
投稿は今回が初めてなので、内容はぐだぐだするかもしれないです。 今作は初めて小説を書くので実験的に三人称視点で書こうとしたものなので、おかしい所が多々あると思いますがお読みいただければ幸いです。 推奨:流し読みでのストーリー確認( 晶はある日車の運転中に事故にあって死んでしまった。 不慮の事故で死んでしまった晶は死後生まれ変わる機会を得るが、その為には女神の課す試練を乗り越えなければならない。だが試練は一筋縄ではいかなかった。 何度も試練をやり直し、遂には全てに試練をクリアする事ができ、生まれ変わることになった晶だが、紆余曲折を経て女神と共にそれぞれ異なる場所で異なる立場として生まれ変わりることになった。 だが生まれ変わってみれば『外道魔法』と忌避される他者の精神を操る事に特化したものしか魔法を使う事ができなかった。 生まれ変わった男は、その事を隠しながらも共に生まれ変わったはずの女神を探して無双していく

処理中です...