上 下
80 / 252
第14話 勇者、街を視察する

〜5〜

しおりを挟む
「お客様!何かお困り事でもございましたか?」

 突然、廊下の角からホテル・アルニカのオーナーが姿を表した。
 大柄な体に前と同じ汚れたエプロンを付けて、太い眉とごつごつした赤ら顔に溌剌とした笑顔を浮かべている。
 廊下は真っ直ぐ伸びていたのに、魔術で廊下の作りを変えたらしい。養成校の廊下と同じ仕組みだから俺は驚かなかったが、エルカは気圧されて一歩下がった。叫び声を堪えて、俺を後ろに隠す。

「この子と遊んでいたら奥まで来てしまったんだ。申し訳ない」

「おやおや!それは困りますな」

 オーナーぎょろりと大きな目を更に見開いて驚いた表情を作ると、大袈裟な調子で俺の腕を掴もうとした。エルカがそれを遮って、オーナーの手が届く寸前で俺を抱き上げる。

「邪魔をして悪かった。すぐに戻るよ」

「ええ、申し訳ございませんが、立ち入り禁止ですので……おや?」

 俺を抱き上げたエルカの腕から、スケッチブックが音を立てて落ちた。受付カウンターに置いて来たつもりだったのに、エルカが持って来ていたのか。
 ページを開いて落ちたスケッチブックを拾い上げて、オーナーはぱらぱらと捲った。まさか日本語で書いたページを見られたかとオーナーの反応を窺っても、本当の姿は魔術で作られた巨大な体の影になって表情が見えない。
 俺は防御膜を何重にも張って姿を隠した。防御魔法の気配を察して変装している事が知られてしまうが、本当の姿は魔術で厳重に隠れて俺の正体は見えないはずだ。
 しかし、オーナーは何も言わず、暑苦しい笑顔もそのままでスケッチブックを閉じてエルカに渡した。

「お気を付けて。お嬢様」

 そう言ったオーナーは、巨大な体に合わない優雅な礼をして俺を抱き上げたままエルカが廊下を引き返すのを見送っていた。


+++++


「もしかして、勇者様は勇者の仕事としてオーナーを調べているのかい?」

 エルカに抱えられたまま俺は頷いた。
 これから話を聞こうという所だったのに、エルカは調理場まで引き返してしまう。
 エルカは俺が臨戦態勢に入ったのを気配で気付いて、すぐに俺を連れてオーナーから離れた。
 魔術が使えないのに勘が良い奴だ。夜中の野良猫のケンカとかを止めるのに向いている能力だと思う。

「オーナーを疑っても無駄だよ」

 エルカはそう言いながら、無人のまま魔術で包丁が食材を刻んで、油で炒める音で賑わう調理場を進んだ。

「彼は忠実なるヴィルドルク国民だ。数年前に、アムジュネマニス国を見限ったって聞いている」

 魔術師の故郷とも聖地とも言えるアムジュネマニスを見限るとは、相当の事があったに違いない。
 俺には思い入れのある故郷も信仰する聖地も無いから想像できないが、例えば、娘を殺されたとか。

「ホーリアには国内外から魔術師が来ているだろう。魔術師同士のケンカは相手が悪いと戦争になる。だから、オーナーが中立に立って市内の魔術師を統治しているらしい」

「その辺で魔術師が喧嘩を始めたら、あのオーナーが仲裁に入るってことか?」

「もう少し手っ取り早い方法をとるだろうけど、そういう事だよ」

 勇者の俺に迷わず喧嘩を売って来たオーナーだ。多分、その場で強烈なハーブをばら撒いて暴れている全員を行動不能にするくらいはしそうだ。

「オーナーがいるからこのホテルは安全なんだ。特に魔術師から身を守るには一番」

「まさか、エルカ、アムジュネマニスを敵に回してるんじゃないだろうな?」

「敵に回すって言葉は血の気が多すぎるなぁ。私の歩む道が、彼等が望む方向では無かった、とかね」

 エルカは吟遊詩人らしい言い回しで俺の質問をはぐらかすと、ホテルの入り口で俺を下した。
 まだエルカにもオーナーにも聞きたい事があるのに、エルカは俺の手を振り払うようにして離れる。

「私が言う事では無いけれど、君も気を付けてね」

 エルカは俺の首にスケッチブックを掛けて子供を相手にするように雑に頭を撫でると、俺をホテルの外に押し出して扉を閉めた。


  +++++


 事務所に戻ると、真っ先にクラウィスが部屋から飛び出して来た。
 俺が首飾りを見せると、クラウィスの目がぱっと明るく見開かれる。そして、急いた様子で下げていたポシェットを顔の前に掲げた。

『感謝しますわ!大事なものなのよ!』


 そんなに大事な宝物なら、廊下に飾らないで肌身離さず持っていれば良かっただろうに。
 俺がそう言うと、クラウィスはポシェットで顔を隠したまま首を横に振った。

『勇者様、これが何かご存知ですかな?』

  クラウィスに聞かれて、俺は首を傾げた。
 見たことないデザインだが、服飾品にこだわりがあるクラウィスの物なら、どこかのブランド品かもしれない。俺はアクセサリーは付けないし、服は隠れる所が隠れて暑くなくて寒くなければなんでもいいタイプだから、それがどれだけ価値があるのかわからなかった。
 クラウィスは俺が黙っているのを見て、ポシェットの影から小さく笑う。

「大事なものなら、ちゃんと付けておけ」

『うむ。感謝感謝なのであるぞよ』

 俺が首飾りを渡すと、クラウィスはポシェットを下ろして両手で受け取った。
 そして、少し頬が赤くなった顔でメイド服の裾を摘まんで、メイドらしく深くお辞儀をした。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢の騎士

コムラサキ
ファンタジー
帝都の貧しい家庭に育った少年は、ある日を境に前世の記憶を取り戻す。 異世界に転生したが、戦争に巻き込まれて悲惨な最期を迎えてしまうようだ。 少年は前世の知識と、あたえられた特殊能力を使って生き延びようとする。 そのためには、まず〈悪役令嬢〉を救う必要がある。 少年は彼女の騎士になるため、この世界で生きていくことを決意する。

特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった

なるとし
ファンタジー
 鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。  特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。  武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。  だけど、その母と娘二人は、    とおおおおんでもないヤンデレだった…… 第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。

男女比がおかしい世界の貴族に転生してしまった件

美鈴
ファンタジー
転生したのは男性が少ない世界!?貴族に生まれたのはいいけど、どういう風に生きていこう…? 最新章の第五章も夕方18時に更新予定です! ☆の話は苦手な人は飛ばしても問題無い様に物語を紡いでおります。 ※ホットランキング1位、ファンタジーランキング3位ありがとうございます! ※カクヨム様にも投稿しております。内容が大幅に異なり改稿しております。 ※各種ランキング1位を頂いた事がある作品です!

メインをはれない私は、普通に令嬢やってます

かぜかおる
ファンタジー
ヒロインが引き取られてきたことで、自分がラノベの悪役令嬢だったことに気が付いたシルヴェール けど、メインをはれるだけの実力はないや・・・ だから、この世界での普通の令嬢になります! ↑本文と大分テンションの違う説明になってます・・・

私のスローライフはどこに消えた??  神様に異世界に勝手に連れて来られてたけど途中攫われてからがめんどくさっ!

魔悠璃
ファンタジー
タイトル変更しました。 なんか旅のお供が増え・・・。 一人でゆっくりと若返った身体で楽しく暮らそうとしていたのに・・・。 どんどん違う方向へ行っている主人公ユキヤ。 R県R市のR大学病院の個室 ベットの年配の女性はたくさんの管に繋がれて酸素吸入もされている。 ピッピッとなるのは機械音とすすり泣く声 私:[苦しい・・・息が出来ない・・・] 息子A「おふくろ頑張れ・・・」 息子B「おばあちゃん・・・」 息子B嫁「おばあちゃん・・お義母さんっ・・・」 孫3人「いやだぁ~」「おばぁ☆☆☆彡っぐ・・・」「おばあちゃ~ん泣」 ピーーーーー 医師「午後14時23分ご臨終です。」 私:[これでやっと楽になれる・・・。] 私:桐原悠稀椰64歳の生涯が終わってゆっくりと永遠の眠りにつけるはず?だったのに・・・!! なぜか異世界の女神様に召喚されたのに、 なぜか攫われて・・・ 色々な面倒に巻き込まれたり、巻き込んだり 事の発端は・・・お前だ!駄女神めぇ~!!!! R15は保険です。

転生令嬢は現状を語る。

みなせ
ファンタジー
目が覚めたら悪役令嬢でした。 よくある話だけど、 私の話を聞いてほしい。

性的に襲われそうだったので、男であることを隠していたのに、女性の本能か男であることがバレたんですが。

狼狼3
ファンタジー
男女比1:1000という男が極端に少ない魔物や魔法のある異世界に、彼は転生してしまう。 街中を歩くのは女性、女性、女性、女性。街中を歩く男は滅多に居ない。森へ冒険に行こうとしても、襲われるのは魔物ではなく女性。女性は男が居ないか、いつも目を光らせている。 彼はそんな世界な為、男であることを隠して女として生きる。(フラグ)

逆ハーレムエンド? 現実を見て下さいませ

朝霞 花純@電子書籍化決定
恋愛
エリザベート・ラガルド公爵令嬢は溜息を吐く。 理由はとある男爵令嬢による逆ハーレム。 逆ハーレムのメンバーは彼女の婚約者のアレックス王太子殿下とその側近一同だ。 エリザベートは男爵令嬢に注意する為に逆ハーレムの元へ向かう。

処理中です...