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第14話 勇者、街を視察する
〜4〜
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黒服に見送られて、俺は1人でヴェスト・トロンベに戻って来ていた。
髪の長さは元に戻っているし顔の化粧も消えている。リコリスのちょっとしたお遊びに付き合わされただけのようだ。
しかしあのタルトは旨かったと俺がお茶会の余韻を味わっていると、デリアが正面玄関から掃除用具を抱えて出て来た。
「おお、生きて帰って来れた?」
『裏切り者』
俺はスケッチブックに書いてデリアに突き付ける。デリアはドアノブを磨きながら、「ごめんごめん」と軽い調子で謝って来る。
「このホテル、ゼロ番街と業務提携してるから。これも仕事の一部だと思って」
『酷い。労基に駆け込むぞ』
「でも、あんたはもう辞めたんだから……て、これ何語?」
デリアに尋ねられて、俺は日本語で書いてしまったスケッチブックを閉じて背中に隠した。
職場の不平不満を語る時は、つい前世の苦い思い出が蘇ってくるから無意識の内に日本語で書いてしまう。
しかし、突然の呼び出しの真意は不明だが、リコリスが俺の変装に気付かないと判明したのはいい収穫だ。
リコリスレベルの魔術師が気付かないのなら、隠れて変装すればリリーナも気付かないだろうし、ホテル・アルニカのオーナーも。
そういう訳で、俺はそのまま9thストリートに向かった。
+++++
ホテル・アルニカの正面入り口から入ってメインホールの受付カウンターを覗くと、奥の調理場の音が微かに聞こえていた。
人の気配はないが、オーナーは奥にいるはずだ。
この前来た時は、オーナーに先手を取られて俺は何もせずに帰ってしまった。
喧嘩をするつもりは無かったし、仲良く話をしに来ただけだったのに。魔術師はどいつもこいつも血の気が多い。
とは言え、勇者の俺に恐れ戦いて過剰に反応してしまったのも無理はない。俺が正体を隠せば、少しは油断して本性を見せてくれるはずだ。
少し素性が気になる相手ではある。直接話をするのは無理でも、姿を変えてホテルをうろうろするくらいなら危険は無いだろう。
さり気無くカウンターの影に隠れて奥を覗いていると、調理場を通り抜けて来た宿泊客らしき魔術師が俺に気付かず蹴飛ばしてきた。
「ちょっと、痛いじゃないの!」
俺が今の姿にぴったりの高い声に変えて文句を言うと、片目で俺を見下ろした魔術師は小さく頭を下げて足早に去って行った。
こそこそ隠れていても良い事は無さそうだ。宿泊客から情報を得るために客室の方に行ってみようかと考えていると、メインホールからハープの音が聞こえて来た。
「……私は従業員ではありません……ブッ飛ばすぞ……おやおや、過激なことだ……『労基に駆け込むぞ』」
ハープの音に合わせて、俺が書いた文章が読み上げられている。俺が腰に下げていたはずのスケッチブックが、さっきの魔術師に蹴飛ばされて床を滑ってメインホールの方に落ちていた。うっかり書いてしまった日本語を読み上げたのは、幸か不幸かエルカだ。
面倒な奴に見つかったと思ったが、今の俺は可愛い少女の姿をしている。魔術師でもないエルカが気付くはずは無いとカウンターの影に身を隠そうとしたが、ハープの音は迷わず近付いて来てエルカが俺の肩に手を置く。
「……これ書いたのは、君?」
エルカに尋ねられて、俺は振り返りつつ声に戻して「俺だ」と答えた。魔術で変えていない俺の声を聞いてエルカは表情を緩める。
「なんだ、勇者様か。そんな可愛い格好して、何しに来たんだい?」
「どうして俺が書いたってわかったんだ?この姿なのに」
「まあ、いいじゃないか……そう、勇者様は前もオーナーに会いに行くとか言っていたね」
エルカは俺の問いに答えず、ハープを革の袋に片付けて俺と一緒にカウンターの奥を覗いた。
「私もオーナーと話がしたいんだけど、魔術師以外にはまともに話をしてくれないんだ」
「俺だって。前に会った時は一触即発で戦争が始まるところだった」
「多分、勇者様が勝手に従業員用の所に入ったんだろう?宿泊客でもないのに、それは怒られると思うなぁ……」
エルカはそう言いながら、俺の小さな手を握った。そのまま自然な素振りでカウンターの奥に進んで行く。
「……宿泊客なら、入っていいのか?」
「可愛い勇者様なら、入っていいとか、ないのかい?」
エルカは冗談めかして言ったが、顔は至って真面目なままだった。
エルカは俺の手を引いて、カウンターの奥の調理場を進んで行った。
宿泊客のエルカと一緒の方が、部外者の美少女1人が行くよりも不自然ではない。
しかし、あのオーナーがそんな柔軟な発想をしてくれるだろうか。
明るい調理場を通り抜けると、薄暗い廊下が続いている。エルカは先の見えない廊下に一度足を止めたが、不安を隠すように俺の手を強く握ってどんどん進んで行った。
三條の持前の知的好奇心が爆発しているようだ。これは止めても無駄だと引かれるままエルカに続いて歩いた。
「……勇者様は、前世でいつ死んだか覚えてる?」
エルカが薄暗い沈黙をかき消すように尋ねてきて、その声が廊下に反響する。
幽霊が出て来てもおかしくない雰囲気の場所でそんな話をされて、俺はエルカがちゃんと実体を持った人間かどうか確かめるためにエルカの手を握り返した。
「勇者様よりも私の方が年上だろう。死んだ人間がこっちの世界に生まれ変わるというなら、私の方が先に死んだってことかな」
今のエルカと俺の年齢差をそのまま当てはめると、三條絵瑠歌は前世で俺が死ぬ10年くらい前に死んで、今の俺が生まれる10年くらい前にエルカとして生まれている。
役所で馬鹿真面目に働いて過労死した人間の話は面白おかしくニュースを一瞬賑わせそうだ。もしかしたら三條にも伝わっているかもしれないが、俺の前世は今のところフランス人だ。
「……俺はカリブ海で死んだから、エルカは知らないだろうな」
「この前はエーゲ海って言っていたけど」
思い付きで話した前世など俺はもう忘れたのに、高校3年間成績首位をキープしていたエルカは流石に細かい所まで覚えている。海なんてどこも同じだろうに。
「エルカは、会社の出張で行った異国で殉職だったか」
仕事に心血を注いで海外出張先で殉職した日本人。
ただでさえテレビニュースが盛り上がりそうな話題だし、エルカのような美人で優秀な人間はその一生だけで映画が一本できそうだ。
しかし、俺はエルカの死を知らなかった。日々の仕事に忙殺されてニュースを聞きそびれていたとしても、高校で有名人だったエルカの名誉の死だ。眠れぬ夜はネットで同級生の名前を検索して過ごす俺だから、三條の死を知った同級生がSNSに流した薄ら寒いポエムを見ていたと思う。俺が知らないなら、エルカは俺の後に死んでいる。
「死んだ順番通りって、単純な話じゃないのかもな」
「時間か、時空かが歪んでいるのかも。前世の記憶を持って生まれるくらいだから、その程度では驚かないか」
これ以上、エルカと前世の話をする気は無いが、ここで少し情報を仕入れておきたい。エルカにはイナムの知り合いが多いのかと尋ねると、エルカは首を傾げて曖昧に頷いた。
「多い、という程でもないけれど」
「その中に、女の子を誑かすような奴はいるか?」
「あー……それは……」
言葉を濁したエルカが申し訳なさそうな目で俺を見て来る。エルカが言わんとしている事に気付いたが、それは誤解だ。
今の事務所は男女比2:3。そして、俺が性的な意志を持って手を出そうとしたら、コルダは肩を組んだだけで訴訟を起こすだろうし、リリーナとは冗談でなく魔術合戦になるし、ニーアだって俺の首を落とす事に躊躇しない。
「他は、思い付かないなぁ……私の知り合いは良い人ばかりだから」
「そうか……」
リュリスはイナムに殺された、とリコリスが言っていた。しかし、その割にリリーナはイナムの知識を無邪気に信じて好意的な様子だ。
恐らく、イナムとリュリスは、恋人やそれに近い親しい間柄だった。だからリリーナもそのイナムから教えられる事を疑いもせずに今も信じている。しかし、事情があって仲違いしたのか、最初からそのつもりだったのか、リュリスはそいつに殺されてしまった。
そんな経緯があったのではないかと予想している。
髪の長さは元に戻っているし顔の化粧も消えている。リコリスのちょっとしたお遊びに付き合わされただけのようだ。
しかしあのタルトは旨かったと俺がお茶会の余韻を味わっていると、デリアが正面玄関から掃除用具を抱えて出て来た。
「おお、生きて帰って来れた?」
『裏切り者』
俺はスケッチブックに書いてデリアに突き付ける。デリアはドアノブを磨きながら、「ごめんごめん」と軽い調子で謝って来る。
「このホテル、ゼロ番街と業務提携してるから。これも仕事の一部だと思って」
『酷い。労基に駆け込むぞ』
「でも、あんたはもう辞めたんだから……て、これ何語?」
デリアに尋ねられて、俺は日本語で書いてしまったスケッチブックを閉じて背中に隠した。
職場の不平不満を語る時は、つい前世の苦い思い出が蘇ってくるから無意識の内に日本語で書いてしまう。
しかし、突然の呼び出しの真意は不明だが、リコリスが俺の変装に気付かないと判明したのはいい収穫だ。
リコリスレベルの魔術師が気付かないのなら、隠れて変装すればリリーナも気付かないだろうし、ホテル・アルニカのオーナーも。
そういう訳で、俺はそのまま9thストリートに向かった。
+++++
ホテル・アルニカの正面入り口から入ってメインホールの受付カウンターを覗くと、奥の調理場の音が微かに聞こえていた。
人の気配はないが、オーナーは奥にいるはずだ。
この前来た時は、オーナーに先手を取られて俺は何もせずに帰ってしまった。
喧嘩をするつもりは無かったし、仲良く話をしに来ただけだったのに。魔術師はどいつもこいつも血の気が多い。
とは言え、勇者の俺に恐れ戦いて過剰に反応してしまったのも無理はない。俺が正体を隠せば、少しは油断して本性を見せてくれるはずだ。
少し素性が気になる相手ではある。直接話をするのは無理でも、姿を変えてホテルをうろうろするくらいなら危険は無いだろう。
さり気無くカウンターの影に隠れて奥を覗いていると、調理場を通り抜けて来た宿泊客らしき魔術師が俺に気付かず蹴飛ばしてきた。
「ちょっと、痛いじゃないの!」
俺が今の姿にぴったりの高い声に変えて文句を言うと、片目で俺を見下ろした魔術師は小さく頭を下げて足早に去って行った。
こそこそ隠れていても良い事は無さそうだ。宿泊客から情報を得るために客室の方に行ってみようかと考えていると、メインホールからハープの音が聞こえて来た。
「……私は従業員ではありません……ブッ飛ばすぞ……おやおや、過激なことだ……『労基に駆け込むぞ』」
ハープの音に合わせて、俺が書いた文章が読み上げられている。俺が腰に下げていたはずのスケッチブックが、さっきの魔術師に蹴飛ばされて床を滑ってメインホールの方に落ちていた。うっかり書いてしまった日本語を読み上げたのは、幸か不幸かエルカだ。
面倒な奴に見つかったと思ったが、今の俺は可愛い少女の姿をしている。魔術師でもないエルカが気付くはずは無いとカウンターの影に身を隠そうとしたが、ハープの音は迷わず近付いて来てエルカが俺の肩に手を置く。
「……これ書いたのは、君?」
エルカに尋ねられて、俺は振り返りつつ声に戻して「俺だ」と答えた。魔術で変えていない俺の声を聞いてエルカは表情を緩める。
「なんだ、勇者様か。そんな可愛い格好して、何しに来たんだい?」
「どうして俺が書いたってわかったんだ?この姿なのに」
「まあ、いいじゃないか……そう、勇者様は前もオーナーに会いに行くとか言っていたね」
エルカは俺の問いに答えず、ハープを革の袋に片付けて俺と一緒にカウンターの奥を覗いた。
「私もオーナーと話がしたいんだけど、魔術師以外にはまともに話をしてくれないんだ」
「俺だって。前に会った時は一触即発で戦争が始まるところだった」
「多分、勇者様が勝手に従業員用の所に入ったんだろう?宿泊客でもないのに、それは怒られると思うなぁ……」
エルカはそう言いながら、俺の小さな手を握った。そのまま自然な素振りでカウンターの奥に進んで行く。
「……宿泊客なら、入っていいのか?」
「可愛い勇者様なら、入っていいとか、ないのかい?」
エルカは冗談めかして言ったが、顔は至って真面目なままだった。
エルカは俺の手を引いて、カウンターの奥の調理場を進んで行った。
宿泊客のエルカと一緒の方が、部外者の美少女1人が行くよりも不自然ではない。
しかし、あのオーナーがそんな柔軟な発想をしてくれるだろうか。
明るい調理場を通り抜けると、薄暗い廊下が続いている。エルカは先の見えない廊下に一度足を止めたが、不安を隠すように俺の手を強く握ってどんどん進んで行った。
三條の持前の知的好奇心が爆発しているようだ。これは止めても無駄だと引かれるままエルカに続いて歩いた。
「……勇者様は、前世でいつ死んだか覚えてる?」
エルカが薄暗い沈黙をかき消すように尋ねてきて、その声が廊下に反響する。
幽霊が出て来てもおかしくない雰囲気の場所でそんな話をされて、俺はエルカがちゃんと実体を持った人間かどうか確かめるためにエルカの手を握り返した。
「勇者様よりも私の方が年上だろう。死んだ人間がこっちの世界に生まれ変わるというなら、私の方が先に死んだってことかな」
今のエルカと俺の年齢差をそのまま当てはめると、三條絵瑠歌は前世で俺が死ぬ10年くらい前に死んで、今の俺が生まれる10年くらい前にエルカとして生まれている。
役所で馬鹿真面目に働いて過労死した人間の話は面白おかしくニュースを一瞬賑わせそうだ。もしかしたら三條にも伝わっているかもしれないが、俺の前世は今のところフランス人だ。
「……俺はカリブ海で死んだから、エルカは知らないだろうな」
「この前はエーゲ海って言っていたけど」
思い付きで話した前世など俺はもう忘れたのに、高校3年間成績首位をキープしていたエルカは流石に細かい所まで覚えている。海なんてどこも同じだろうに。
「エルカは、会社の出張で行った異国で殉職だったか」
仕事に心血を注いで海外出張先で殉職した日本人。
ただでさえテレビニュースが盛り上がりそうな話題だし、エルカのような美人で優秀な人間はその一生だけで映画が一本できそうだ。
しかし、俺はエルカの死を知らなかった。日々の仕事に忙殺されてニュースを聞きそびれていたとしても、高校で有名人だったエルカの名誉の死だ。眠れぬ夜はネットで同級生の名前を検索して過ごす俺だから、三條の死を知った同級生がSNSに流した薄ら寒いポエムを見ていたと思う。俺が知らないなら、エルカは俺の後に死んでいる。
「死んだ順番通りって、単純な話じゃないのかもな」
「時間か、時空かが歪んでいるのかも。前世の記憶を持って生まれるくらいだから、その程度では驚かないか」
これ以上、エルカと前世の話をする気は無いが、ここで少し情報を仕入れておきたい。エルカにはイナムの知り合いが多いのかと尋ねると、エルカは首を傾げて曖昧に頷いた。
「多い、という程でもないけれど」
「その中に、女の子を誑かすような奴はいるか?」
「あー……それは……」
言葉を濁したエルカが申し訳なさそうな目で俺を見て来る。エルカが言わんとしている事に気付いたが、それは誤解だ。
今の事務所は男女比2:3。そして、俺が性的な意志を持って手を出そうとしたら、コルダは肩を組んだだけで訴訟を起こすだろうし、リリーナとは冗談でなく魔術合戦になるし、ニーアだって俺の首を落とす事に躊躇しない。
「他は、思い付かないなぁ……私の知り合いは良い人ばかりだから」
「そうか……」
リュリスはイナムに殺された、とリコリスが言っていた。しかし、その割にリリーナはイナムの知識を無邪気に信じて好意的な様子だ。
恐らく、イナムとリュリスは、恋人やそれに近い親しい間柄だった。だからリリーナもそのイナムから教えられる事を疑いもせずに今も信じている。しかし、事情があって仲違いしたのか、最初からそのつもりだったのか、リュリスはそいつに殺されてしまった。
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