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第10話 勇者、死線を越える
〜4〜
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市庁舎を出てすぐに帰ってもらおうとしたが、オグオンは律儀にもニーアを待たせているからと事務所に戻った。
事務所の広間の広いテーブルの端と端に座り、俺は入口を背にして何かあったらすぐに逃げ出せるように構える。
「あ、あ、アウビ、リス様……粗茶ですが、どうぞ……!!」
震える足で広間に入って来たニーアは、金とピンクの細かい小花柄の紅茶カップをオグオンの前に置いた。俺には絶対に触らせない高級食器だ。
オグオンが礼と一緒に笑顔を向けると、真っ赤になった顔をトレイで隠して俺の傍まで逃げて来る。
俺の隣に座ろうとして、「やっぱり直視できない」とか言って俺の後ろに椅子を下げて腰掛けた。俺をサンバイザーか何かと勘違いしている。
「遅くなったが、先日のラドライト王国での仕事は見事だった」
オグオンはカップを持ち上げて静かに言った。そのことで俺を叱りに来た訳ではないようだ。
戦争調停の仕事は、双方の戦力を全て無効化しつつ、同時にそれぞれの主導者の首を切り落とす寸前で止める。争う手段が無くなった所で友好的に話し合いをしてもらおうという何とも平和的な手段だ。
和平交渉の間はオグオンが間に立って話を進めてくれたから、俺は南側のトップに剣を突き付けているだけで良かった。
事前の約束通り、ラドライト王国は王政側が準備していた新しい王を立てることで内戦は落ち着いたし、不手際は無かったはずだ。
「勇者の仕事の際は、ライセンスの所持が必須なのは知っているか?」
「ああ、当然だ」
俺はその決まりを、つい数日前に規則集を読み返して思い出したが、生まれた時から知っているかのような顔で頷いた。
しかし、ライセンスが書類なのかカードなのか証書なのか、形状すら覚えていない。何時失くしたかも記憶にないし、本当に持っていたかも疑わしい。
ライセンスを持たないで勇者の仕事をするのは、悪質な無免許運転と似ている。免許を取得していない人間が運搬業に就いて、大型トラックで高速道路を爆走するようなものだ。
犯罪と言えば犯罪だが、死刑になるほどの罪ではない。
しかし、オグオンは規則の遵守を何よりも重んじている。そして、他の人間にも同じことを求めていて、規則を破った人間はちょっと行き過ぎた躾の結果、殺してしまっても構わないと考えている節がある。
それが悪い冗談で済まないことに、オグオンは勇者1人跡形も無く消す魔力も、それを隠蔽するだけの権力もある。
「そうか、王国にライセンスを提示する時に、突然トイレに行ったから気になっていた」
「まさか。今見せるか?」
「先日、養成校に新入生が入ってきた」
俺が引き返すチャンスが無いまま、突然話題が変わった。
そんな事よりも、ニーアが淹れてくれた紅茶の感想を言ってあげればいいだろう。
「ホーリアが使っていた寮の部屋にも、新しい生徒が入った。部屋に制服が置いたままになっていた。が、それについては後で話すとして」
これは、危険な流れだ。
俺は後ろ手でニーアに合図を送ったが、ニーアはオグオンに熱い視線を向けて「はわわ」とか「ふへへ」とか言っていてまるで役に立たない。
オグオンがカップをソーサーに戻した。小さな音が広間に響き、一瞬、静寂が時を止める。
「そこにライセンス証も置いてあった」
そう来たか、と俺は額を抑えた。
取返しの付かない失敗をした時に、笑って誤魔化すという手段がある。
俺の前世の職、略して前職の後輩にも1人そういう奴がいた。最初の1回はしょうがない奴だと皆許してくれるが、2回目からはへらへら笑ってんじゃねぇよと殴りたくなるし、3回目からは本気で殺意が湧いて来る。
ちなみに、俺がオグオンに取返しの付かない失敗をしたのは養成校の時から数えて10回は越えているが、笑って許してもらったことは1回もない。
俺はニーアと一緒に、オグオンを残して広間を出た。
扉の前でボードゲームを広げていたリリーナとコルダが、駒を散らしながら何事かと駆け寄って来る。
「ちょっと、どうしたんですか?」
オグオンと引き離されて不機嫌そうなニーアの両肩に手を置いて、「今まで苦労をかけた」と別れの言葉をかけた。
「俺の墓は、1×3メートルくらいのシックな黒蝶岩の記念碑にいい感じの言葉を彫って、噴水広場に置いてくれ」
「シックと言いつつ、わりとでっかいのだ」
「え?勇者、死ぬの?!」
どわぁーっ!とリリーナが声を上げて泣き出した。常時なら来客がいるから大声を出して泣くなと諭すところだが、泣きたいのは俺の方だ。
「いい感じの言葉……『人の罪は、人のエゴによってのみ裁かれる』とかですか?」
「それは他の勇者の言葉だから、盗作になるだろ」
「コルダ、勇者様がそんな頭良さそうなこと言うの、聞いたことないのだ」
「ニーアも記憶にないから無理です。大丈夫ですよ!ちゃんと謝れば許してくれますって」
一緒に謝ってあげますから、と言いながらニーアが広間に戻ろうと俺の背中を押して来る。
扉に手を掛けたが、死の危機に直面して体が凍り付いたように動くことを拒否していた。
前世では、何の覚悟も無い時に死んだから、恐怖を感じる暇も無かった。今は刀の先を腹に突き立てた武士の気分だ。
この世界に生まれてから十数年、俺は好きに生きた。
勇者になるまで勉強していた記憶しかないけれど、勇者になった後、ニーアと仕事をして、リリーナに会えて、コルダと暮らして、短すぎるけれど楽しい人生だった。
思い残すことは沢山ある。もし、オグオンが少しでも情けを掛けてくれて生き残れたら、ニーアに感謝の気持ちをちゃんと伝えるし、リリーナともう少し仲良くやるし、コルダの偏った人権思想を正してやる。そして、オグオンとは可能な限り距離を取って、命をもっと大切にする。
2回目の人生なのに、そんな当たり前のことに今気付くなんて。
「早く入ってください、勇者様。アウビリス様はお忙しいのに、失礼ですよ」
俺の覚悟を知らずに、ニーアが背中をぐいぐい押している。
これが最期になるかもしれないのだから、もう少し別れを惜しませてくれ。
事務所の広間の広いテーブルの端と端に座り、俺は入口を背にして何かあったらすぐに逃げ出せるように構える。
「あ、あ、アウビ、リス様……粗茶ですが、どうぞ……!!」
震える足で広間に入って来たニーアは、金とピンクの細かい小花柄の紅茶カップをオグオンの前に置いた。俺には絶対に触らせない高級食器だ。
オグオンが礼と一緒に笑顔を向けると、真っ赤になった顔をトレイで隠して俺の傍まで逃げて来る。
俺の隣に座ろうとして、「やっぱり直視できない」とか言って俺の後ろに椅子を下げて腰掛けた。俺をサンバイザーか何かと勘違いしている。
「遅くなったが、先日のラドライト王国での仕事は見事だった」
オグオンはカップを持ち上げて静かに言った。そのことで俺を叱りに来た訳ではないようだ。
戦争調停の仕事は、双方の戦力を全て無効化しつつ、同時にそれぞれの主導者の首を切り落とす寸前で止める。争う手段が無くなった所で友好的に話し合いをしてもらおうという何とも平和的な手段だ。
和平交渉の間はオグオンが間に立って話を進めてくれたから、俺は南側のトップに剣を突き付けているだけで良かった。
事前の約束通り、ラドライト王国は王政側が準備していた新しい王を立てることで内戦は落ち着いたし、不手際は無かったはずだ。
「勇者の仕事の際は、ライセンスの所持が必須なのは知っているか?」
「ああ、当然だ」
俺はその決まりを、つい数日前に規則集を読み返して思い出したが、生まれた時から知っているかのような顔で頷いた。
しかし、ライセンスが書類なのかカードなのか証書なのか、形状すら覚えていない。何時失くしたかも記憶にないし、本当に持っていたかも疑わしい。
ライセンスを持たないで勇者の仕事をするのは、悪質な無免許運転と似ている。免許を取得していない人間が運搬業に就いて、大型トラックで高速道路を爆走するようなものだ。
犯罪と言えば犯罪だが、死刑になるほどの罪ではない。
しかし、オグオンは規則の遵守を何よりも重んじている。そして、他の人間にも同じことを求めていて、規則を破った人間はちょっと行き過ぎた躾の結果、殺してしまっても構わないと考えている節がある。
それが悪い冗談で済まないことに、オグオンは勇者1人跡形も無く消す魔力も、それを隠蔽するだけの権力もある。
「そうか、王国にライセンスを提示する時に、突然トイレに行ったから気になっていた」
「まさか。今見せるか?」
「先日、養成校に新入生が入ってきた」
俺が引き返すチャンスが無いまま、突然話題が変わった。
そんな事よりも、ニーアが淹れてくれた紅茶の感想を言ってあげればいいだろう。
「ホーリアが使っていた寮の部屋にも、新しい生徒が入った。部屋に制服が置いたままになっていた。が、それについては後で話すとして」
これは、危険な流れだ。
俺は後ろ手でニーアに合図を送ったが、ニーアはオグオンに熱い視線を向けて「はわわ」とか「ふへへ」とか言っていてまるで役に立たない。
オグオンがカップをソーサーに戻した。小さな音が広間に響き、一瞬、静寂が時を止める。
「そこにライセンス証も置いてあった」
そう来たか、と俺は額を抑えた。
取返しの付かない失敗をした時に、笑って誤魔化すという手段がある。
俺の前世の職、略して前職の後輩にも1人そういう奴がいた。最初の1回はしょうがない奴だと皆許してくれるが、2回目からはへらへら笑ってんじゃねぇよと殴りたくなるし、3回目からは本気で殺意が湧いて来る。
ちなみに、俺がオグオンに取返しの付かない失敗をしたのは養成校の時から数えて10回は越えているが、笑って許してもらったことは1回もない。
俺はニーアと一緒に、オグオンを残して広間を出た。
扉の前でボードゲームを広げていたリリーナとコルダが、駒を散らしながら何事かと駆け寄って来る。
「ちょっと、どうしたんですか?」
オグオンと引き離されて不機嫌そうなニーアの両肩に手を置いて、「今まで苦労をかけた」と別れの言葉をかけた。
「俺の墓は、1×3メートルくらいのシックな黒蝶岩の記念碑にいい感じの言葉を彫って、噴水広場に置いてくれ」
「シックと言いつつ、わりとでっかいのだ」
「え?勇者、死ぬの?!」
どわぁーっ!とリリーナが声を上げて泣き出した。常時なら来客がいるから大声を出して泣くなと諭すところだが、泣きたいのは俺の方だ。
「いい感じの言葉……『人の罪は、人のエゴによってのみ裁かれる』とかですか?」
「それは他の勇者の言葉だから、盗作になるだろ」
「コルダ、勇者様がそんな頭良さそうなこと言うの、聞いたことないのだ」
「ニーアも記憶にないから無理です。大丈夫ですよ!ちゃんと謝れば許してくれますって」
一緒に謝ってあげますから、と言いながらニーアが広間に戻ろうと俺の背中を押して来る。
扉に手を掛けたが、死の危機に直面して体が凍り付いたように動くことを拒否していた。
前世では、何の覚悟も無い時に死んだから、恐怖を感じる暇も無かった。今は刀の先を腹に突き立てた武士の気分だ。
この世界に生まれてから十数年、俺は好きに生きた。
勇者になるまで勉強していた記憶しかないけれど、勇者になった後、ニーアと仕事をして、リリーナに会えて、コルダと暮らして、短すぎるけれど楽しい人生だった。
思い残すことは沢山ある。もし、オグオンが少しでも情けを掛けてくれて生き残れたら、ニーアに感謝の気持ちをちゃんと伝えるし、リリーナともう少し仲良くやるし、コルダの偏った人権思想を正してやる。そして、オグオンとは可能な限り距離を取って、命をもっと大切にする。
2回目の人生なのに、そんな当たり前のことに今気付くなんて。
「早く入ってください、勇者様。アウビリス様はお忙しいのに、失礼ですよ」
俺の覚悟を知らずに、ニーアが背中をぐいぐい押している。
これが最期になるかもしれないのだから、もう少し別れを惜しませてくれ。
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