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第10話 勇者、死線を越える

〜1〜

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 庭から差し込む光で、コルダの尻尾が銀色に輝いている。
 俺が丹念にブラッシングをしたから、光を反射して鏡のように周囲を映していた。途中で手入れされるのに飽きたコルダは、尻尾も手足も投げ出したまま絨毯の上で眠っている。
 日差しで暖められながら風に揺れる尻尾を眺めつつ、俺はコルダの横に同じように寝転がっていた。

 昼寝中と書かれたタオルケットを被ってうとうとしていると、2階から下りて来たリリーナが俺からタオルケットを剥ぎ取って、俺の背中を枕にして同じように昼寝を始める。
 固い、獣人臭いと文句を言っていたが、すぐに静かになって寝息が聞こえて来る。

「業務時間中に、皆揃って寝ないでくださいよー……」

 ニーアは口ではそう言っていたが、リビングのテーブルで魔術書を広げてうつらうつらしていた。


 +++++


 ホテル・アルニカのオーナーに喧嘩を売られて、危うく戦争になるところだった。しかし、主席卒業の勇者として冷静に対処した俺は、その後すぐにゼロ番街に向かった。

 お前の親はどうなっているんだ、とリコリスに文句を言うつもりだったが、ゼロ番街に繋がるトンネルの前でペルラとミミ-に鉢合わせしてしまった。
 最初、2人は俺を店に引き込んで今日の最初の売上にしようとしていたのに、支配人に用があると言うと、俺を追い返そうとし始めた。
 仕事用のドレスを着てメイクを決めたペルラは、俺が街に入って来ないようにトンネルに立ち塞がる。

「御姉様は忙しいのよ。勇者様と遊んでいる暇は無いの」

「俺は仕事の話で来たんだ」

「こっちだって仕事よ。勇者だからって御姉様の邪魔しないで」

 どうやらペルラは、今度こそ俺がゼロ番街の営業を市に報告すると考えている。
 営業許可証が盗まれた話はゼロ番街に伝わっている。事件は解決したが、許可証が無くなったのを隠そうとした役所に不信感を抱いているのだろう。
 それなら金を払うから客として扱ってもらおうじゃないか。と、マントの下から財布を出そうとしたが、何故か俺の財布は消えていた。

「わー……少なーい……」

 切ない声に振り返ると、仕事用に露出度が高い服を着ているミミ-が、俺の財布を開けていた。
 いつの間に、触られた事にも気付かなかった。
 ペルラもミミ-の横から俺の財布を覗いて、驚きの声を漏らす。

「嘘でしょ……?勇者なのに?」

「空っぽの方がまだ救いがあるレベルだよぉ……可哀想だから店の割引券入れといてあげるね!」

 ミミーはそう言いながら紙切れをぎゅうぎゅう押し込んでいる。俺はさっきよりも膨れた財布をミミーから奪い返して、マントの下に収めた。

「お金無いならぁ、勇者様、ごめんだけど、ばいばい」

「そうよ。出直して来なさい!貧乏勇者!」

 貧乏ではない。俺が財布に金をあまり入れないタイプなだけだ。
 貯金はちゃんとあるし、リリーナとコルダの給料も払っている。だから、ペルラの悪口など何とも思わない。泣き寝入りするのではなく、仕事熱心な2人に免じて身を引くだけだ。
 しかし、前にリコリスに貰ったゼロ番街のチケットを持って来れば良かった。
 あれを出せば、2人を揃って侍らす程度、訳も無かっただろう。しばらく祀っておこうとデスクの上に飾っていたのが裏目に出た。


 +++++


 俺の背中を枕にして寝息を立てているリリーナを問い詰めれば、オーナーのことを聞き出せる。
 しかし、またリリーナに大泣きされるのは避けたい。
 俺がラドライト王国の戦争調停を半日で終わらせて、時間潰しも飽きて結局3日で帰って来た時、リリーナに本気でビンタをされた。
 それ以降は俺を無視するのも止めて、以前よりも距離が近付いたように思う。
 部屋に1人で籠っていることも少なくなり、暇さえあれば俺の部屋のベッドに転がって、お前の魔術は雑で見てられないとか、給料が安すぎて信じらんないとか、愚痴を零している。
 やっと反抗期が終わった時期だ。事件を蒸し返してまた泣かせたら、前よりももっと面倒な事になる。だから、リリーナから事件の真相を聞き出すのは諦めている。


 そんな腹の立つホテルの話は別として、今は風に揺れるコルダの尻尾からシャンプーの匂いがするのが気になる。
 コルダは尻尾をシャンプーで洗っているのか。
 尻尾も頭と同じ毛だから、髪と同じ扱いをしてシャンプーで洗うのが正しいのかもしれない。
 それなら、同じ毛が生えている手足もボディソープではなくシャンプーで洗っているのだろうか。
 コルダの手足にどこまで毛が生えていて、どこから通常の人間と同じ皮膚になっているのか。
 後学のために教えて欲しいが、服を脱いで見せてくれとか俺が言ったら、コルダは間違いなくセクシャル・ハラスメントで精神的苦痛を受けた事を理由に慰謝料を請求してくる。
 謎は謎のまま、残しておこう。


 もう少しで深い眠りに落ちるところだったのに、玄関からチャイムの音がして惰眠が途切れた。
 ニーアは本を広げたまま舟を漕いでいる。再度チャイムが鳴ると、ニーアの首がかくんと大きく揺れた。

「はーい……今出まーす……」

 ニーアが目を擦りながら玄関に向かい、俺はまた瞼を閉じた。
 侵入禁止の魔術がかけてある庭を通り抜ける魔力があり、しかも上品にチャイムを鳴らすということは、相手はエイリアスだ。
 借りていた制服はもう送り返したのに、俺に会いに来るとはよっぽど暇で友達がいないらしい。俺はフリーの勇者と遊んでやるほど暇ではないというのに。

「はーい、どちらさ、ま……」

 玄関から聞こえるニーアの言葉が止まった。
 エイリアスを見たニーアが性懲りもなく絶叫するかと思って衝撃に備えて身を固くしていたけれど、玄関は静かだ。
 一体何があったと体を起こすと、枕が動いたことに気付いてリリーナが不快そうに呻く。
 黙って様子を窺っていると、玄関からニーアの泣き声が聞こえて来た。
 子供のように声を上げながら、全力で泣きじゃくる嗚咽これは只事では無いと、俺はリビングを飛び出した。
 顔を覆って床に座り来んだニーアの前に膝を付いた人物は、勇者のマントを着て背中に勇者の大剣を背負っていた。

「随分熱烈な歓迎だね」

 零れた一房の金色の長い髪を耳に掛けながら、ニーアの顔を覗き込んで低い声で囁く。

「あ、あっ、あうび………様……っ!」

「そんなに泣かないで。その名で呼べないのなら、特別だ。本名で呼んでくれて構わない。リュフィリス、と」

 静かな声で囁かれて、ニーアの歓声だか叫び声だかわからない泣き声が更に大きくなった。

 仕事に没頭する彼女の、人生の唯一の楽しみは、女の子にキャーキャー言われる事だ。
 仕事中は控えているが、業務時間外に自分のファンの女の子に合うと、本性を知っている俺からしてみれば恐怖すら覚える笑顔でファンサービスをしている。俺にもその優しさと愛想の良さを1%でいいから向けて欲しいものだ。
 けれど、片目を眼帯で隠したエメラルド色の隻眼は、予想通り、俺を見ると温度と光が消える。

「ホーリア、息災か?」

 リュフィリス・オグオン。
 アウビリスの勇者が会いに来たということは、俺の運もここまでだ。
 少しでも命を長引かせるために、俺はリビングに駆けて昼寝中と書かれたタオルケットをソファーの下に隠し、コルダとリリーナを叩き起こした。
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