上 下
50 / 245
第9話 勇者、家庭訪問する

〜2〜

しおりを挟む
 ニーアの剣が突き刺さったままの魔獣を引き摺って、観光客から見えないところに避難した。
 噴水広場の繁みの裏まで行ってから、小剣を抜いて魔獣の腹を切り裂く。
 赤い目を開いたまま事切れている魔獣は、黒い煙のような毛が斑のように白くなっていて、通常なら水晶のように透き通っているはずの骨が所々僅かに白く濁っている。

「中を見て、何かわかるの?」

 エルカが俺の横にしゃがんで、獣と血の臭いに僅かに顔を顰めた。

「人間を食べた魔獣は、毛皮と骨が変質するんですよ」

 ニーアが答えながら魔獣の首から剣を抜き、布で拭って鞘に納める。ついでに俺がパンから抜いた剣を渡すと、無言のまま受け取ってくれた。

 魔獣が人を食べると、黒い毛皮が徐々に白く代わり、透き通った骨が白く濁る。最後に目が紫になると、普通の魔獣ではなくレアルダーと呼ばれる災害レベルの獣になる。
 しかし、そうなるまでには小型の魔獣でも人間を10人以上は食う必要がある。魔獣にとって人間は美味ではないらしく、半分変質した魔獣ですら発見されていない。この魔獣は、変質の程度からして人を少し齧った程度だ。

「それで……この魔獣の肉は、食べるのかな?」

「いいえ、人を食べた魔獣は肉屋に卸せないんです。それに、もし人を殺していれば、別の処理が必要になります」

「ああ、それは何よりだ」

 ニーアの言葉にエルカが頷いた。その後ろで、魔獣被害の対応をするはずの市の職員のウラガノは、鼻を抑えて顔を顰めている。

「てか、勇者様、魔獣解体しながら、よく物食えますね」

「ニーアの剣、食品用じゃないのでお腹壊しますよ」

 いつもより俺への態度が厳しいニーアを見て、エルカは何か察したらしい。「ケンカでもしたの?」と尋ねられて、俺とニーアが黙っていると、エルカはニーアを観察して明るく声を掛けた。

「耳に付けてるの、勇者様とお揃いなんだ。可愛いね」

 ニーアのご機嫌をとるにはその話題はまさしく正解。そっけない顔をしていたニーアの表情が途端に輝く。

「ニーアの通信機、アウビリス様が使っていたものなんです!絶対、大切にしようと思って!宝物にするつもりで……」

 声は徐々に小さくなっていき、ニーアは大袈裟なことに地面に膝を付いて両手で顔を覆う。
 エルカは心配そうにニーアに傍らに膝を付いたが、ウラガノは興味が無さそうに欠伸をしていて、俺も魔獣を調べるので忙しいフリをしていた。

「なのに……!なのに、勇者様、石鹸で洗っちゃったんですよ!」

「ニーアが、アウビリス様が使った物なんて使えないって言うから」

「そういう意味じゃないです!!」

 ニーアが言っている意味は、俺だってわかる。
 でも、オグオンが身に付けていた小型通信機を持つニーアの目が興奮し過ぎて怖かった。
 それに、俺がオグオンに殺されるかどうかの瀬戸際で任務を終えて帰って来たのに、土産に夢中になっているニーアに少し腹が立ったからだ。
 エルカはニーアを哀れむように背中を撫でて、「よく我慢したね」と優しく声をかける。まるで、ニーアが我慢しなかったら俺が殺されていたみたいな言い方だ。
 三條が何かのオタクだったという話は聞いたことがないが、元女子として何か通じるものがあるのかもしれない。

「とにかく……一応、その魔獣で死者が出てないか、記録を確認してきます。勇者様は、いつまでも食べてないで鍛冶屋で魔獣を鑑定してもらって来てください」

 ニーアは涙を拭いながら立ち上がって、庁舎の方に走って行った。
 俺はバゲットの最後の一欠片を口に入れて、マントのパン屑を払って立ち上がった。腹が一杯になったし、後の仕事は市の職員に任せてコーヒーでも飲みに行こうとしたが、ウラガノは魔獣の処理をすることもなく、噴水広場に戻ったエルカの影で昼寝を再開させている。
 魔獣の抜け殻を放置して、公共の福祉を害するわけにはいかない。俺は魔獣が入れた袋を引き摺って3番街に向かった。


 +++++


 ホーリアの鍛冶屋は、金属の加工の他に魔獣の骨の加工も請け負っている。
 工房を兼ねた店内は寒い季節でもないのに冷たく湿った空気が充満していて、店の主人に魔獣を渡した後、俺は薄暗い店の椅子に腰かけて鑑定が終わるのを待っていた。

 魔獣の退治を放棄して材料の仕入れが無くなり、肉屋と同じように俺への憎悪を滾らせていてもおかしくないが、鍛冶屋は街の人間では珍しく俺と意思疎通が出来る人間だ。若い主人のリストが、ニーアと同じ3番街で育った幼馴染だから、ニーアの上司の俺にもそれなりに友好的に接してくれる。
 街に馴染んでいる魔法剣士を最初に勇者の仲間にする慣習は、本当に理に適っているらしい。

 しばらく待っていると、工房から作業着を着てマスクを付けたリストが出て来た。
 服と頬に魔獣の体液が飛んでいるのに目を瞑れば、細身で線の細く美しい顔をした若い主人だ。

「肉と血液を少し食ったくらいです。変質具合と魔獣のサイズからして、腿の辺りを噛まれた人間がいるんじゃないかと。致命傷ではないでしょう」

 リストの鑑定は間違いがない。その情報で充分過ぎるくらいなのに、リストは薄っすらと微笑みながら続けた。

「40~50代の男……脂肪が多いので、恐らく、オルドグの商人……あの辺りは、ゼロ番街目当てに道を外れて1人で来る者がいますから」

 リストの鑑定は、普通の鍛冶屋のレベルを遥かに凌駕している。
 勇者も魔獣の変質具合からその魔獣がどれくらい人間を食ったか怪我の程度はどれくらいか判別できるが、被害者の性別だの職業だのプロファイリングのようなことは不可能だ。リストの鑑定は預言に近い。

「良ければ、こちらで買い取りましょうか?変質した魔獣は肉屋は不要でしょう」

 人間を食べた魔獣の肉は食用にはできないし、骨も白く濁ってしまうと加工しても商品にならない。
 それなのに、リストが瞳を輝かせながら魔獣の抜け殻を欲しがるのは、魔獣を弄るのが趣味だからだ。
 勇者の俺でも人の趣味に口出しする権利は無い。処理するのも面倒だし、リストが言うなら恐らく人は殺していないだろう。俺は魔獣をリストに任せることにして、引き取りの書類にサインをする。

「ところで、ニーアは最近どうしていますか?」

 俺が差し出した書類にサインをしながら、リストはさり気無く尋ねて来た。
 相変わらずニーアは勇者に狂っているけれど、それはいつもの事だから特段変わったこともない。

「そうですか。誰か、付き合っている人とか」

 ニーアのプライベートを詳しく知らないけど、多分いないと思う。
 と、俺が答えると、リストの切れ長の涼し気な目が丸く見開かれた。リストの嬉しい時の表情だろうけど、損傷の少ない魔獣の抜け殻を見つけた時と同じ表情をしている。
 そんなにニーアが気になるなら、早く告白でもすればいい。ニーアが聞いたら殴られそうなことを俺が言うと、リストは首を横に振った。

「勇者様、そういうんじゃないんですよ」

 曰く、ニーアは小さい頃から見てきた妹のようなものだから、元気でやっているのか心配している。
 ニーアはしっかり者だが、魔法剣士という危険な職業についているし、仕事で無理をし過ぎていないだろうか、疲れた所を変な男に慰められて引っ掛かっていないだろうか。心配で夜も寝られない、とリストは語ってくれた。

 そうは言っても、リストの目の下の隈がマッドサイエンティスト感を出しているから、夜はしっかり寝た方がいい。
 あれだけ勇者に憧れているニーアでも、勇者を凌駕する観察眼を持つリストに若干ひいているのを俺は知っているし、3番街の外の人間はリストの店を鍛冶屋ではなく葬儀屋と勘違いしている。
 しかし、魔獣を解体して喜ぶ近所のお兄ちゃんにニーアが好かれているお蔭で、滞りなく仕事が出来て俺は助かっている。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

お坊ちゃまはシャウトしたい ~歌声に魔力を乗せて無双する~

なつのさんち
ファンタジー
「俺のぉぉぉ~~~ 前にぃぃぃ~~~ ひれ伏せぇぇぇ~~~↑↑↑」 その男、絶叫すると最強。 ★★★★★★★★★ カラオケが唯一の楽しみである十九歳浪人生だった俺。無理を重ねた受験勉強の過労が祟って死んでしまった。試験前最後のカラオケが最期のカラオケになってしまったのだ。 前世の記憶を持ったまま生まれ変わったはいいけど、ここはまさかの女性優位社会!? しかも侍女は俺を男の娘にしようとしてくるし! 僕は男だ~~~↑↑↑ ★★★★★★★★★ 主人公アルティスラは現代日本においては至って普通の男の子ですが、この世界は男女逆転世界なのでかなり過保護に守られています。 本人は拒否していますが、お付きの侍女がアルティスラを立派な男の娘にしようと日々努力しています。 羽の生えた猫や空を飛ぶデカい猫や猫の獣人などが出て来ます。 中世ヨーロッパよりも文明度の低い、科学的な文明がほとんど発展していない世界をイメージしています。

辺境領主は大貴族に成り上がる! チート知識でのびのび領地経営します

潮ノ海月@書籍発売中
ファンタジー
旧題:転生貴族の領地経営~チート知識を活用して、辺境領主は成り上がる! トールデント帝国と国境を接していたフレンハイム子爵領の領主バルトハイドは、突如、侵攻を開始した帝国軍から領地を守るためにルッセン砦で迎撃に向かうが、守り切れず戦死してしまう。 領主バルトハイドが戦争で死亡した事で、唯一の後継者であったアクスが跡目を継ぐことになってしまう。 アクスの前世は日本人であり、争いごとが極端に苦手であったが、領民を守るために立ち上がることを決意する。 だが、兵士の証言からしてラッセル砦を陥落させた帝国軍の数は10倍以上であることが明らかになってしまう 完全に手詰まりの中で、アクスは日本人として暮らしてきた知識を活用し、さらには領都から避難してきた獣人や亜人を仲間に引き入れ秘策を練る。 果たしてアクスは帝国軍に勝利できるのか!? これは転生貴族アクスが領地経営に奮闘し、大貴族へ成りあがる物語。

30代社畜の私が1ヶ月後に異世界転生するらしい。

ひさまま
ファンタジー
 前世で搾取されまくりだった私。  魂の休養のため、地球に転生したが、地球でも今世も搾取されまくりのため魂の消滅の危機らしい。  とある理由から元の世界に戻るように言われ、マジックバックを自称神様から頂いたよ。  これで地球で買ったものを持ち込めるとのこと。やっぱり夢ではないらしい。  取り敢えず、明日は退職届けを出そう。  目指せ、快適異世界生活。  ぽちぽち更新します。  作者、うっかりなのでこれも買わないと!というのがあれば教えて下さい。  脳内の空想を、つらつら書いているのでお目汚しな際はごめんなさい。

一家処刑?!まっぴら御免ですわ! ~悪役令嬢(予定)の娘と意地悪(予定)な継母と馬鹿(現在進行形)な夫

むぎてん
ファンタジー
夫が隠し子のチェルシーを引き取った日。「お花畑のチェルシー」という前世で読んだ小説の中に転生していると気付いた妻マーサ。 この物語、主人公のチェルシーは悪役令嬢だ。 最後は華麗な「ざまあ」の末に一家全員の処刑で幕を閉じるバッドエンド‥‥‥なんて、まっぴら御免ですわ!絶対に阻止して幸せになって見せましょう!! 悪役令嬢(予定)の娘と、意地悪(予定)な継母と、馬鹿(現在進行形)な夫。3人の登場人物がそれぞれの愛の形、家族の形を確認し幸せになるお話です。

メインをはれない私は、普通に令嬢やってます

かぜかおる
ファンタジー
ヒロインが引き取られてきたことで、自分がラノベの悪役令嬢だったことに気が付いたシルヴェール けど、メインをはれるだけの実力はないや・・・ だから、この世界での普通の令嬢になります! ↑本文と大分テンションの違う説明になってます・・・

攫われた転生王子は下町でスローライフを満喫中!?

伽羅
ファンタジー
 転生したのに、どうやら捨てられたらしい。しかも気がついたら籠に入れられ川に流されている。  このままじゃ死んじゃう!っと思ったら運良く拾われて下町でスローライフを満喫中。  自分が王子と知らないまま、色々ともの作りをしながら新しい人生を楽しく生きている…。 そんな主人公や王宮を取り巻く不穏な空気とは…。 このまま下町でスローライフを送れるのか?

異世界召喚に条件を付けたのに、女神様に呼ばれた

りゅう
ファンタジー
 異世界召喚。サラリーマンだって、そんな空想をする。  いや、さすがに大人なので空想する内容も大人だ。少年の心が残っていても、現実社会でもまれた人間はまた別の空想をするのだ。  その日の神岡龍二も、日々の生活から離れ異世界を想像して遊んでいるだけのハズだった。そこには何の問題もないハズだった。だが、そんなお気楽な日々は、この日が最後となってしまった。

王宮で汚職を告発したら逆に指名手配されて殺されかけたけど、たまたま出会ったメイドロボに転生者の技術力を借りて反撃します

有賀冬馬
ファンタジー
王国貴族ヘンリー・レンは大臣と宰相の汚職を告発したが、逆に濡れ衣を着せられてしまい、追われる身になってしまう。 妻は宰相側に寝返り、ヘンリーは女性不信になってしまう。 さらに差し向けられた追手によって左腕切断、毒、呪い状態という満身創痍で、命からがら雪山に逃げ込む。 そこで力尽き、倒れたヘンリーを助けたのは、奇妙なメイド型アンドロイドだった。 そのアンドロイドは、かつて大賢者と呼ばれた転生者の技術で作られたメイドロボだったのだ。 現代知識チートと魔法の融合技術で作られた義手を与えられたヘンリーが、独立勢力となって王国の悪を蹴散らしていく!

処理中です...