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第6話 勇者、季節の節目に立ち向かう

〜4〜

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 事務所を出た俺は、まずは9thストリートのホテル・アルニカに向かった。
 最上級スウィートルームに入ると、相変わらず壁にコスプレ衣装が掛かっている。部屋にいるエルカは前と同じような吟遊詩人らしい世界観を大事にした格好をしているから、賢しくもこれらの服には手を触れていないらしい。

「また古風な物を作ろうとしているね」

 卵酒の作り方を教えてくれ、と言った俺にエルカは面白がるように膝に乗せていたハープをポロンと音を零した。

「風邪の時に卵酒、なんて。君は随分日本が大好きなフランス人だったんだね」

「俺じゃない。別の奴だ」

 俺だってリリーナが卵酒が飲みたいと言い出した時は驚いた。
 名前だけは知っているが、前世で実物を見た事も飲んだ事も無い。別の物なら何でも買って来てやると言ったのに、リリーナは「風邪の時は卵酒ってのは常識でしょ!?」と騒ぎ出した。看病の時にはナース服を着ると教えたのと同じイナムに吹き込まれたのだと思う。

 コルダはステーキが食べたいと言って泣いているし、ニーアは寝言でアイスがどうのこうの言っている。リリーナの要望にだけ時間をかけるわけにはいかない。作り方を知らないなら用は無い。背を向けて帰ろうとしたが、エルカに後ろから呼び止められた。

「まぁ少し待って。数回だけど、前世で作った事がある」

 エルカは、膝のハープをテーブルに置いて脇にあった手帳を広げてさらさらと何か書き出す。
 すぐにペンを止めると、手帳のページを破って俺に渡して来た。日本語で書かれていて微妙な気分になったが、驚いた事にまだちゃんと読めた。酒と卵を使ったレシピだ。

「私が知る限りこの世界に日本酒は無いから、作るとしたらこれかな。多分、本物まではいかなくても満足の行くものが出来ると思う」

「俺は、前世で飲んだことないから本物を知らないけどな」

「その子もイナムじゃなければ、日本酒を使った本物は飲んだ事がないはずだよ」

「そうか、イナムだから本物を知っているってこともあるのか」

 エルカに言われて、俺は初めてリリーナがイナムである可能性に思い至る。
 その発想は、全くなかった。リリーナは俺の前世の世界に詳しいし、コスプレ衣装も作りまくっているから、可能性はゼロではない。少し世界観のズレがあるのは、リリーナが前世で住んでいた地域では「人を看病する時にはナース服以外を着るべからず」とか「風邪の時は卵酒以外は口にするべからず」みたいな言い伝えが伝わっていたんだ。
 いや、やっぱり自分で考えて無理があるな。

「私なら、その子がイナムかどうか調べられると思う。でも、隠しているなら暴くべきではない、と思う」

 エルカはテーブルに置いていたハープを皮の袋にしまいながら呟いた。
 リリーナがイナムだとしても、それを隠しているならコスプレ衣装を披露しないはずだ。リリーナの偏ったイナムの知識は、全て誰かから聞いたと言っている。誰かイナムである事を隠そうともしない知り合いがいるだけだろう。
 しかし、話は置いておいて、エルカの殊勝な態度に俺は少し腹が立つ。

「……俺の時は卑怯な手を使って暴いたくせに」

「それは、君があまりに単純に引っかかるから」

 エルカが俺を同情するように言って、俺はまた後悔の渦に嵌ってしまう。エルカにイナムだとバレた日は、愚か過ぎる自分が恥ずかしくて夜眠れなくて、リリーナと一緒に深夜にケーキを食べるはめになった。
 今日も後悔がぶり返して眠れ無さそうだが、エルカはそんな俺を気にせずにハープを袋の上から撫でながら、眉を寄せて難しい顔をしていた。

「実は私はホーリアに人探しに来てるんだ。街の勇者なら顔が広いかと期待したんだけど、君はどうやら随分街の人から嫌われているみたいだね」

 俺はメモを片手に部屋を出ようとした。俺が街の人間から嫌われているを通り越して恨まれているのは周知の事実。今更反論することもないだろう。

「おや?もう帰るの?話すことはない?」

「ああ、もう無い」

 しかし、部屋を出ようとして、前から少し気になっていた事を聞いておこうと部屋を振り返った。

「エルカは、魔術師でもないのになんでここに泊まってるんだ?」

 エルカは帽子の下から俺の目を見た。見た目も性格も性別すら違うのに、迷わず人と目を合わせて来るのは前世の三條と同じだ。

「ここが、ホーリアで一番の宿だからだよ」

 何だかぼんやりした答えだ。ホテル・アルニカは巨大さだけが取り柄の洋館で、ボロいし壁にコスプレ衣装がかかっているけれど、きっとサービスがすごくいいとかシャワーの湯が良く出るとか泊まってみなければわからない特長があるのだろう。
 事務所が風邪ウイルスで満ちている今、選択肢の1つとしてありかもしれない。


 +++++


 ホテル・アルニカを出た俺は、次は1番街の肉屋に向かった。店番はチコリ1人でやっていることは魔法で確認済みだ。

「なんだ、その声?飲み過ぎたのか?」

 俺がコルダに頼まれたステーキ肉を注文すると、肉包丁を構えたチコリがカウンターから身を乗り出して来る。俺はマントのフードを深く被って口元を隠した。

「違う。ニーアが風邪をひいたんだ」

「あー……ニーアんとこは、小さい子が多いからなぁ」

「他に2人寝込んでる。ニーアの看病だけでも手伝ってくれないか?」

 俺がそう頼むと、チコリは肉を切り分けていた包丁を止めた。風邪をひいたニーアを親友のチコリが心配しないはずがない。チコリは口は悪いし粗暴だが、勇者マニアのニーアに付き合ってあげているいい子だ。

「行ってやりたいけど、私も店番任せられてんだよ」

「バイト代なら出す。負債を抱えた肉屋の2倍」

 俺が指を2本立てて突き出すと、チコリは即座に店の奥から「本日、定休日」の看板を出してカウンターの上に置いた。

「暇な奴連れてく。人数分は金出せよ」

 チコリは俺が差し出したステーキ肉の代金を奪い取り、紙に包んだ肉を雑に放り投げてくる。俺が肉を受け取った時には、エプロンを脱ぎ捨てたチコリはカウンターを飛び越えて店を駆け出していた。
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