上 下
27 / 245
第5話 勇者、闇の巣窟に潜入する

〜3〜

しおりを挟む
 女の子も仕事に戻ったことだし、俺はゼロ番街の視察を終えて事務所に帰ろうとした。
 しかし、ニーアは身も心も疲れ切った俺をゼロ番街の店に引き摺って行く。市の課長がゼロ番街を把握しておけと言ったのだから店を見ておく必要がある、という理屈らしい。
 ウラガノとニーアの会話を思い出すと、ゼロ番街で何か問題があった時、市は知らんぷりをするけど国の勇者は対処しろ、というような内容だった気がする。問題しかない街を俺に押し付けるな。
 そもそも、今この時間だって市の職員のニーアには残業代が出ているが、俺には出ない。無給のサービス残業中だ。

「大丈夫です。知り合いがいる店なので」

 何が大丈夫なのか知らないが、ニーアは表面だけ城を貼り付けたような派手な店の前で足を止めた。
 目が痛いほど暴力的に光る装飾が施された扉を開けると、中も白銀の光に満ちていた。広い店内を区切るように仕切りが並んでいて、テーブルとソファーが並んでいるのが辛うじて見えるが、目が開けられない。その眩しさに目が慣れる前に、赤いスーツを着た細身の男がニーアと俺の前に躍り出て来た。

「はい!ご新規様!エデンへご招待しまー……うわッ」

 男は勇者の俺ではなく、ニーアを見て叫び声を上げた。体を反らしてニーアに顔が見えないように両手で隠す。

「何だよ……何しに来たんだよ。お前、こんなとこ来るキャラじゃねーだろ」

「ニーアの知り合いか?」

「はい。リトルスクールの時の」

 俺が尋ねると、ニーアが乾いた声で教えてくれる。
 リトルスクールは、ヴィルドルク国の義務教育施設で、俺の前世でいうと小学校のようなものだ。
 俺はリトルスクールで友達ができなかったが、例えば前世で、小学校の同級生がホストになっていて、エデンにご招待されたらどんな気分になるか少し考えた。
 ニーアがゼロ番街に来るのを嫌がったのは、潔癖で水商売を嫌悪しているからではなく、同級生と会ってお互い気まずくなるからだと思う。

「お店の様子が見たいので、席を用意してくれませんか?エデンじゃなくていいので」

「お前、馬鹿にしてんのか!うちのババァに余計なこと言うんじゃねーぞ!」

 ホストに怒鳴られながら、ニーアと俺は店の奥の隠れた階段を3階分くらい上って、小部屋に案内された。どうやらここはエデンではないらしい。
 1階の内装と比べると落ち着いた調度品でまとめられた室内で、チープながら高級ホテルのような雰囲気の部屋だ。ソファーとテーブルとベッドがあって、大金を持っている客がホストと一対一で楽しむのだろう。

 部屋の一面は劇場のバルコニー席のようになっていて、吹き抜けになった一階の店を上から見下ろせるようになっている。階下の店内ではぽつぽつと客が入り始めて、徐々に賑わっていた。
 テンションの高いホストと女性客の歓声がここまで聞こえて来る。前世でも現世でも、大人の店に入るのは始めてだから、遊園地みたいで面白い。
 
 1つ文句を言わせてもらえるなら、ホストクラブではなくて女の子がいる店に行きたい。
 この店の事はもうわかったから、次は女の子がいる店の営業を確認したい。そして、いい機会だから覆面客として市民の目線に立って体験したい。
 俺が勤勉な提案をしたというのに、ニーアは鋭い緑の目で俺を見ていた。

「不名誉な事に、ここ数年で『ホーリアのゼロ番街』は国内でも指折りの歓楽街になっています。だから、働いている人間はプロです。ペルラはリトルスクールではお漏らしばかりしていましたが、ここでは引っ掛かった男を皆、一文無しにしていますし」

 ニーアはオタクっぽいと言われた事を根に持っているのか、言わなくていいペルラの恥を打ち明けつつ、俺が着ているマントを引き剥がした。

「ミミーは手癖が悪い子なので、街の外では近付かないようにしてください」

 ニーアがマントを振ると、ミミ-の名刺がバラバラと床に落ちる。
 べたべた抱き着いて来る子だと思っていたが、気配もなく名刺を入れてくるとは。勇者の俺でも気付かなかった。盗みなら敵意を察して止められると思うが、どうも自信が無くなってくる。

「痛い目に遭いたくなかったら、大人しく見学をしていてください」

「……」

 大人のテーマパークで大人しく見学していろとは、ニーアも酷な事を言う。
 仕事で来ているからニーアの言う事を聞くべきだと頭では理解しているが、俺の10代の好奇心が頷く事を拒否していた。

「ニーア!勝手に見学してねーでツラ見せろって。店長が呼んでる」

 俺が理性と好奇心に挟まれて唸っていると、部屋の扉が開けられてさっきのホストが入って来た。服も髪型も派手だが、良く見ればニーアと同じ年くらいのようだ。

「仕事で来てるって言っておいてください」

「だから、公僕が何の用だってうるせぇんだよ」

「……わかりました。勇者様、ここにいてくださいね」

 ニーアは俺にそう言って、ホストの後に付いて部屋を出て行く。
 せっかくの歓楽街だと言うのに、俺は1人、酒もホストもいない店内に残された。こんな所に置いてあるベッドで1人で寝る気になれなくて、バルコニーに出て欄干に寄りかかって店の営業を眺めた。

 ホストが席に座って距離が近い接客をする以外は、料理と酒を出す普通の飲食店だ。
 その後、どこまで接客を深めるかは客と店員が交渉して決めている。階下の騒めきから魔法で声を抜き出すと、金と相性次第でどんなサービスでもしてくれるようだ。
 女の子の店でも同じシステムなのかどうか、後で確認して財布と相談しておこう。

 しばらく賑やかな階下の声に耳を澄ましていたが、それにも飽きて部屋に戻ろうとした時、壁で仕切られた隣の部屋のバルコニーから手が伸びて来てきた。
 俺のいるバルコニーの欄干に、ショットグラスがこつん、と置かれる。闇色の細い爪をした指がすっとそれを押すと、俺の肘まで滑って来た。
 グラスの中には透明な紫色をした酒が入っていた。持ち上げて店の明かりに透かすと、キラキラと紫の欠片が光ってグラスの中で蝶のように舞っている。

「飲まないの?」

「仕事で来てるんだ」

 聞こえた女性の声に俺が返事をすると、隣のバルコニーから身を乗り出して、壁の向こうから声の主が顔を出した。

 腰までありそうな長い黒髪が、絹のカーテンのように広がって白い顔を隠す。青い目は氷のように冷たく光っていたが、子供のようにバルコニーの隙間から足を出して揺らしていて、黒いドレスが白い腿に纏わりついていた。
 ニーアよりも5歳くらいは年上に見える。藍色の口紅を塗った顔は、精神年齢が今の姿よりもずっと上の俺でも怯む程大人の色気がある。
 ゼロ番街のどこかの店で働いているのなら、後で行くから教えて欲しいところだ。しかし、ミミ-やペルラのような子とレベルが違って見えたし、だからといってもこのホストクラブの上客にも見えなかった。

「勇者って、案外、慎重派なのね」

 そう言った彼女は、同じ液体に満ちたショットグラスを目の高さで揺らして、そのまま一気に飲み干した。馬鹿にされているような気がして、俺もグラスを掴んで口を付ける。
 しかし、唇に液体が付いて、すぐに後悔した。
 これは、酒ではない。ホーリア名物の魔術で使うハーブを極限まで煮詰めた液体だ。
 スプーン1杯くらいを根性試しで舌の上に乗せて遊んでいるのを勇者養成学校で見た事がある。そうやってはしゃいでいた馬鹿2人が、再起不能になって退学していった。
 しかし、俺は首席卒業だ。この程度の量なら魔術で無害化できる。平気なフリをして喉に押し込んで空になったグラスを欄干を滑らせて相手に返した。

「勇者様、名前は?」

 空になったグラスをキャッチして、女性は自分が持っていたグラスと並べた。足元にあった瓶を掴んで、2つ並んだグラスにまた紫の液体をなみなみと満たす。

「ホーリア。街付は街の名前を名乗る決まりだ」

「そう。つまんないの」

「尋ねておいて、名乗らないのか?」

 俺が尋ねると、液体で満たされたグラスが戻って来た。

「リコリス」

 冷たい声でそう名乗ると、リコリスは自分のグラスを持ち上げて喉を晒して一息で空にした。
 これは、俺も負けられない。だから、グラスを掴んで息を止めて中身を飲み干す。普通の人間の致死量はとっくに超えていて、2杯も飲めば声も出さずに死ぬだろう。グラスを返すと、またすぐに紫で満たされて戻って来た。

「勇者様、仕事はどう?」

 今度は、リコリスは自分のグラスを飲み干してから俺に聞いて来た。張り合う所では無いが、こんなところで負けたら勇者の名が廃る。手が震えてくるのを隠してグラスを返すと、間髪入れずに戻って来る。
 どちらかが倒れるまで終わらないパターンだ。リコリスの方は、シロップでも味わうようにグラスの縁を赤い舌でペロリと舐めて、余裕そうに見えた。

「順調だ」

「魔獣と共生するんだって?」

「そう」

「それって、勇者がいる意味ないわね」

 リコリスが、皆が気付いていたけれども誰も言わないでいてくれた事をはっきり言ってしまった。
 内々の理由として、俺を解雇すると多分副市長がオグオンに消されるとか、首席で卒業してクビになった勇者を養成校が生かしておくはずがないとか。深刻な理由が色々あるが、一般人に教える事ではない。
 俺は、6杯目になるグラスを空にした。

「勇者は魔獣を倒すだけが仕事じゃない」

 無害化が間に合わなくなって来たから、口内から胃まで防御魔法の膜を張ることで防いだ。全く問題ない。
 リコリスは、さっきから同じ量を飲んでいるのに顔色1つ変えていない。俺と同じ方法で防いでいるのか、もしかしたら、俺が揶揄われているだけで、リコリスの飲んでいるのはただのシロップなのかもしれない。だとしたら俺はとんだ道化だ。

「市民の平和を守るのが仕事だ」

「そう。期待してるわ」

 リコリスが俺が返したグラスと自分のグラスを掌でまとめて受け止めて、がしゃん、とガラスが割れる音がした。
 リコリスは欄干に凭れていた体を揺らして、瓶を片手にバルコニーから部屋に入っていく。
 隣の部屋のドアが開く音がして、俺もバルコニーから部屋に戻る。ニーアに床に捨てられたマントを着直して廊下に出ると、青いドレスのぺルラが廊下に出たリコリスに駆け寄るところだった。

「御姉様。言われた通り、勇者のお迎えをしました」

「ありがとう。もういいわ」

 リコリスの後について行こうとしたペルラは俺に気付いたが、先程とは打って変わって、金を払っていない奴に一切興味が無い様子だった。
 しかし、俺が口を抑えているのとリコリスがぶら下げた瓶とを見比べて、哀れみの表情に変わる。

「下から出すなら部屋のトイレ。上から出すなら店出て裏行って」

 勇者の俺が、まさか情けない姿は見せるわけにはいかない。だから部屋に戻ろうとしたが、やっぱり諦めて階段を駆け下りた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

辺境領主は大貴族に成り上がる! チート知識でのびのび領地経営します

潮ノ海月@書籍発売中
ファンタジー
旧題:転生貴族の領地経営~チート知識を活用して、辺境領主は成り上がる! トールデント帝国と国境を接していたフレンハイム子爵領の領主バルトハイドは、突如、侵攻を開始した帝国軍から領地を守るためにルッセン砦で迎撃に向かうが、守り切れず戦死してしまう。 領主バルトハイドが戦争で死亡した事で、唯一の後継者であったアクスが跡目を継ぐことになってしまう。 アクスの前世は日本人であり、争いごとが極端に苦手であったが、領民を守るために立ち上がることを決意する。 だが、兵士の証言からしてラッセル砦を陥落させた帝国軍の数は10倍以上であることが明らかになってしまう 完全に手詰まりの中で、アクスは日本人として暮らしてきた知識を活用し、さらには領都から避難してきた獣人や亜人を仲間に引き入れ秘策を練る。 果たしてアクスは帝国軍に勝利できるのか!? これは転生貴族アクスが領地経営に奮闘し、大貴族へ成りあがる物語。

30代社畜の私が1ヶ月後に異世界転生するらしい。

ひさまま
ファンタジー
 前世で搾取されまくりだった私。  魂の休養のため、地球に転生したが、地球でも今世も搾取されまくりのため魂の消滅の危機らしい。  とある理由から元の世界に戻るように言われ、マジックバックを自称神様から頂いたよ。  これで地球で買ったものを持ち込めるとのこと。やっぱり夢ではないらしい。  取り敢えず、明日は退職届けを出そう。  目指せ、快適異世界生活。  ぽちぽち更新します。  作者、うっかりなのでこれも買わないと!というのがあれば教えて下さい。  脳内の空想を、つらつら書いているのでお目汚しな際はごめんなさい。

一家処刑?!まっぴら御免ですわ! ~悪役令嬢(予定)の娘と意地悪(予定)な継母と馬鹿(現在進行形)な夫

むぎてん
ファンタジー
夫が隠し子のチェルシーを引き取った日。「お花畑のチェルシー」という前世で読んだ小説の中に転生していると気付いた妻マーサ。 この物語、主人公のチェルシーは悪役令嬢だ。 最後は華麗な「ざまあ」の末に一家全員の処刑で幕を閉じるバッドエンド‥‥‥なんて、まっぴら御免ですわ!絶対に阻止して幸せになって見せましょう!! 悪役令嬢(予定)の娘と、意地悪(予定)な継母と、馬鹿(現在進行形)な夫。3人の登場人物がそれぞれの愛の形、家族の形を確認し幸せになるお話です。

メインをはれない私は、普通に令嬢やってます

かぜかおる
ファンタジー
ヒロインが引き取られてきたことで、自分がラノベの悪役令嬢だったことに気が付いたシルヴェール けど、メインをはれるだけの実力はないや・・・ だから、この世界での普通の令嬢になります! ↑本文と大分テンションの違う説明になってます・・・

攫われた転生王子は下町でスローライフを満喫中!?

伽羅
ファンタジー
 転生したのに、どうやら捨てられたらしい。しかも気がついたら籠に入れられ川に流されている。  このままじゃ死んじゃう!っと思ったら運良く拾われて下町でスローライフを満喫中。  自分が王子と知らないまま、色々ともの作りをしながら新しい人生を楽しく生きている…。 そんな主人公や王宮を取り巻く不穏な空気とは…。 このまま下町でスローライフを送れるのか?

知識スキルで異世界らいふ

チョッキリ
ファンタジー
他の異世界の神様のやらかしで死んだ俺は、その神様の紹介で別の異世界に転生する事になった。地球の神様からもらった知識スキルを駆使して、異世界ライフ

虚無の統括者 〜両親を殺された俺は復讐の為、最強の配下と組織の主になる〜

サメ狐
ファンタジー
———力を手にした少年は女性達を救い、最強の組織を作ります! 魔力———それは全ての種族に宿り、魔法という最強の力を手に出来る力 魔力が高ければ高い程、魔法の威力も上がる そして、この世界には強さを示すSSS、SS、S、A、B、C、D、E、Fの9つのランクが存在する 全世界総人口1000万人の中でSSSランクはたったの5人 そんな彼らを世界は”選ばれし者”と名付けた 何故、SSSランクの5人は頂きに上り詰めることが出来たのか? それは、魔力の最高峰クラス ———可視化できる魔力———を唯一持つ者だからである 最強無敗の力を秘め、各国の最終戦力とまで称されている5人の魔法、魔力 SSランクやSランクが束になろうとたった一人のSSSランクに敵わない 絶対的な力と象徴こそがSSSランクの所以。故に選ばれし者と何千年も呼ばれ、代変わりをしてきた ———そんな魔法が存在する世界に生まれた少年———レオン 彼はどこにでもいる普通の少年だった‥‥ しかし、レオンの両親が目の前で亡き者にされ、彼の人生が大きく変わり‥‥ 憎悪と憎しみで彼の中に眠っていた”ある魔力”が現れる 復讐に明け暮れる日々を過ごし、数年経った頃 レオンは再び宿敵と遭遇し、レオンの”最強の魔法”で両親の敵を討つ そこで囚われていた”ある少女”と出会い、レオンは決心する事になる 『もう誰も悲しまない世界を‥‥俺のような者を創らない世界を‥‥』 そしてレオンは少女を最初の仲間に加え、ある組織と対立する為に自らの組織を結成する その組織とは、数年後に世界の大罪人と呼ばれ、世界から軍から追われる最悪の組織へと名を轟かせる 大切な人を守ろうとすればする程に、人々から恨まれ憎まれる負の連鎖 最強の力を手に入れたレオンは正体を隠し、最強の配下達を連れて世界の裏で暗躍する 誰も悲しまない世界を夢見て‥‥‥レオンは世界を相手にその力を奮うのだった。              恐縮ながら少しでも観てもらえると嬉しいです なろう様カクヨム様にも投稿していますのでよろしくお願いします

【完結】実はチートの転生者、無能と言われるのに飽きて実力を解放する

エース皇命
ファンタジー
【HOTランキング1位獲得作品!!】  最強スキル『適応』を与えられた転生者ジャック・ストロングは16歳。  戦士になり、王国に潜む悪を倒すためのユピテル英才学園に入学して3ヶ月がたっていた。  目立たないために実力を隠していたジャックだが、学園長から次のテストで成績がよくないと退学だと脅され、ついに実力を解放していく。  ジャックのライバルとなる個性豊かな生徒たち、実力ある先生たちにも注目!!  彼らのハチャメチャ学園生活から目が離せない!! ※小説家になろう、カクヨム、エブリスタでも投稿中

処理中です...