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第4話 勇者、在りし日の己を顧みる

〜3〜

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 少し、言い訳をさせてほしい。

 勇者は基本的にヴィルドルク国内で仕事をするが、移民や観光客に対応するために周辺5ヶ国の言語を使えるようになっている。
 国を越えて仕事をするフリーの勇者ならともかく、国内で街付の勇者になる奴にも必要なのか若干疑問だが、養成校のカリキュラムに組み込まれているから、卒業のために文句を言わず学ばなくてはならない。

 だが、生まれた時から勇者を目指していた俺は、それを見越して多国語を操れるようにこの世界の言葉を学んだ。だから、5ヶ国語を母国語と同じ水準で話せる。
 今回は、俺の言語の知識の広さが仇になった。何語を聞いても即座に反応してしまう。首席卒業のせいで引き起こされた痛恨のミス。

 でも、だからといって、こんな単純な罠に引っかかるだろうか。
 あまりの間抜けっぷりに、我ながら衝撃を受けている。
 養成校では、味方を増やすための人身掌握術や、有益な情報を得るための話術も学ぶ。
 有事の際にヴィルドルク国のために盾になるのが勇者だ。単純な戦力では勝てないと諦めた他国が情報戦に持ち込もうとしたとき、勇者が国家間の交渉を裏から操った過去もある。

 それなのに、首席卒業の俺があっさり騙されるなんて。
 久し振りに、心の底から本当に恥ずかしい。俺は今夜、枕に顔を埋めてずっと喚いていると思う。

『英語でも何度か試したんだけど、日本語が一番反応があるんだ』

 エルカと名乗った吟遊詩人は、膝に乗せたハープの弦を弾いて、ぴんぴんとデタラメに音を鳴らした。
 モスグリーンのとんがり帽子を被って、服とも言えない大きな麻布を体に緩く纏っている。
 ハープを弾き語り、街から街へ陽炎のように流浪する吟遊詩人。RPGの脇役には必須の存在だ。ファンタジーの概念と言ってもいいだろう。
 それなのに、その口から聞こえて来るのは、俺にとっては悪夢のような、残酷な前世を思い出させる言葉。

「何?あの小汚いの。勇者の身内?」

 俺とエルカが話している広間の扉の隙間から、引きこもりのくせに好奇心旺盛なリリーナが覗いていた。

「勇者様に家族はいません。お友達ではないでしょうか?」

 街で会った吟遊詩人をいきなり事務所に連れ込んだから、ニーアも気になって一緒に覗いているようだ。広間の奥に座った俺のところまで、こそこそと2人の囁き声が聞こえて来た。

「そんなわけないでしょ。最近暇だったけど、あいつずっと事務所に籠って寝てたじゃない。友達がいる奴の過ごし方じゃないわ」

「多分、勇者様、勉強しかしてこなかったから……」

 俺は椅子から立ち上がって、隙間から青と緑の瞳が覗く扉を音を立てて閉めた。
 鍵も閉めて中に入れないようにしてから椅子に戻ったのに、扉を閉めたせいでさっきよりも大胆に声量が増した2人の声がまだ聞こえてくる。

「それより、あれは何語喋ってるの?古代魔術語に発音が似てるのがあるけど、違うみたいね」

「うーん……ニーア、主要国の言語なら一通り話せますが全部違います。少数言語でしょうか?」

 どうして一介の魔法剣士であるニーアが主要国の言語を一通り話せるのか。
 以前、俺が読み捨てた外国語の本をニーアが読んでいるのに気付いて尋ねたら、「もちろん、どこの国で勇者様と出会っても現地の人間のフリをして話しかけられるようにです!」と胸を張って教えてくれた。
 それは、おそらくアウトだ。

 2人を追い払うのは無理そうだから、俺は広間に魔法をかけて音が外に漏れないようにした。
 諦めの悪いリリーナの魔法が糸のように侵入して来たが、それも強制遮断する。「クソが!」とリリーナが廊下で暴れているようだが、防音魔法のお陰で外の音は聞こえない。

「あいつらはもう聞いてない。だから、それで話すのを止めてくれ」

「そう。時々話さないと忘れちゃうんだけど」

 俺が言うと、エルカは少し残念そうに低くハープを鳴らしたが、すぐに聞き慣れたヴィルドルクの言葉に戻った。

「イナムって言ったな。エルカの言葉がわかる奴のことをそう言うのか?」

「違う。イナムとは、前世持ち。前世の記憶を持って生きてる人間のこと」

 ポロンポロンとハープを鳴らしながら、エルカは歌うように話し出した。

「そして、みんな、同じ世界の前世を持っている。君ならわかるだろう?」

「いや、ちょっと……悪いけど、覚えてないかな……」

 俺は耳障りなハープの音から逃げるように首を振った。エルカの日本語に引っかかってしまった俺が言っても説得力が全然無いだろうが、俺は前世をできるだけ思い出したくない。今も覚えている事を忘れたいくらいだ。
 エルカは俺の嘘を見透かすように、とんがり帽子の陰で微笑んだ。

「それも仕方ない。普通に生きていたら、前世の記憶など忘れてしまうよ。でも……私の話を聞いたら、何か思い出さないかな」

 エルカはぽろんぽろんと朧げな記憶を辿るようにハーブを弾きながら、自分の前世を語り出した。

 生まれは日本の、とある街。
 奇妙なことに、その街の名前に俺は聞き覚えがある気がする。しかし、人口が多い都会の街だから、そういう事もあるだろう。同じ日本人だったようだし、不思議はない。

 エルカは前世で、一般的なサラリーマン家庭に生まれた。父と母と3人家族。
 今はハープ専門だが、前世ではいくつか楽器を習っていた。特にバイオリンは得意で、高校の時は全国大会で金賞をとったこともある、とエルカはまるで日記の1ページを読み上げるように呟いた。

 中学高校は、そこそこ良い成績で卒業。受験を理由に途中で退部してしまったけれど、テニス部に入っていて地方大会で準優勝まで行ったのが高校で一番の思い出。
 だったと思う、と、眉根を寄せながらエルカは自信が無さそうに言った。

 そして、エルカは、現役で俺が逆立ちしても入れないような一流大学に合格。テニスサークルに入ったけれど、真面目に練習していなかったからすぐに止めてしまった。塾講師のバイトをしていて、時給2,500円で高校生に英語を教えていた。気がする。
 エルカはハープを弾く指を時々止めていたが、徐々に記憶がクリアになって来たようで調子良く話を続けた。

 卒業した後は、商社に総合職で就職。就職活動を早々と諦めた俺でも名前を知っている、入社式の様子がニュースで流れるような最大手だ。
 それから、1年の半分を出張のため国外で過ごす生活を続けていた。

 なんて素晴らしい、夢のような前世なんだ。それに比べたら、薄汚れた格好で吟遊詩人なんてしている現世の方がエルカにとっては悪夢だろう。
 しかし、俺はエルカの話を聞いていて、何か違和感があった。胸の中に水が溜まっていくような息苦しさを、ずっと感じている。

「……もしかして、前世、女だったか?」

「すごい。どうしてわかった?」

 エルカの指が動いて、ハープが素っ頓狂な音を立てた。
 何となく、と俺はエルカと視線が合わないように俯いて、未知の話を延々聞かされて苛々してるような表情を作って、顔を上げようとした。
 しかし、思った以上にダメージが大きい。胸が詰まって息が苦しくて、頭が上げられずに額がテーブルに音を立ててぶつかった。

 こいつ、えるかだ。
 俺と高校が一緒だった三條絵瑠歌。

 世界が狭いのか、運命の糸で結ばれているのか。
 俺が究極に運が悪いのか。
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