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貧乏令嬢と悪役令嬢
しおりを挟む正妃との間に生まれた最初の男児を第一後継者とし、その直後に生まれた弟妹の第二子を偽婚約者とする。
そのしきたりは、第二子の性別に関わらないものであった。
俺の母は、陛下の妹。そして、俺は第二子。つまり、そういうことなのだ。
「教師には体調を崩してしまったから部屋で休むと伝えておいた」
「はい……。あの、ご迷惑をお掛けしてしまい色々と申し訳ありませんでした」
先ほど助けた娘を自室に招き入れ、濡れた服を着替えさせ、髪を乾かし、ようやく落ち着いたところで俺は彼女と真正面から向かい合っていた。
一つのテーブルを挟み、寮の備え付きにしては豪華すぎるソファにお互い腰を下ろした。テーブルの上には二人分の珈琲が湯気を立てているけれど、互いに一口も口を付けていなかった。
「そもそも、君はどうしてあんな池に落ちたりしたんだ。あそこ、滅多に人がいかない場所だと思うけど?」
一瞬、頭をよぎったのは誰かの悪意による嫌がらせ。
しかし、彼女は言いにくそうに目を伏せると、静かに口を開いた。
「……どうして、水面には自分の顔が映るんだろうと思ったんです」
「……は?」
「地面には、映らないじゃないですか。でも、水面や窓には自分の顔が映って見えるので、どうしてなのか気になって覗き込んでいたらそのまま……」
俺は返す言葉を失い、彼女を見つめていた。
物静かに見えるが、見た目に反して好奇心旺盛で無茶苦茶な少女らしい。
「……確認させてもらうが、君はマリー・ロードナー。ロードナー伯爵家のご令嬢で合っているか?」
マリーは小さく頷いた。
ロードナー伯爵といえば、お人好しで有名な貧乏伯爵だ。
会ったことはなかったが、噂はよく聞く。凶作の年には領地の減税を積極的に行うため領民からの評判は良いが、当然財政は苦しく伯爵家は質素倹約に努めているとか。
たしかに、マリーのドレスは伯爵家の娘が着るにしては少々華がなく、今流行の幾何学の紋様も見受けられない。
それでも、丁寧に手入れをしているのだろう。ほつれや汚れはなかった。
だからだろうか。マリーを見たときに、質素だとは思ったがみすぼらしいとは感じなかった。
いや、今はそんなことはどうでもいい。
俺の秘密が彼女にばれてしまった今、どうにかして口止めをしなければならなかった。
ロードナー伯爵家の娘ということであれば、金銭的な面から交渉が可能だろうか。
「……先程君に見られてしまった通り、俺は男だ。訳あって女として育てられた」
こちらを見上げる彼女の眼差しから、感情は読み取れない。
無言で、こちらの言葉を待っているようだった。どことなく眠たげな瞳は、一瞬たりとも見逃さぬように俺へと向けられている。
彼女自身、目にしてはならないものを見てしまった自覚があるのだろう。何せ俺は殿下の婚約者という立場にある。圧倒的に不利な状況にあるのはマリーの方なのだ。
しかし、俺も不要な恨みを買いたいとは思わない。お互いに納得した形で彼女の口止めが叶うのであればそれが最善だ。
「当然、これはウィニス家にとって人に知られてはならない事実であり、知られてしまった以上君がこの学園に居続けることを許すことはできない」
マリーは小さく息を飲むと、初めてその顔に不安の色を浮かび上がらせた。
そこで俺は、安心させるように柔らかく微笑んでみせた。
「でも、君が秘密を守るというのであれば話は別だ。実のところ、一人退学にするのも簡単ではないんだ。学園側への理由付け、君の生家への理由付け、嘘をでっちあげるわけだから辻褄も合わせなければならないし……わかるね?」
笑顔の裏側に潜む圧力を敏感に感じ取ってか、マリーはおずおずと頷いた。頷かされた、と表現した方が正しいかもしれない。
「……その、ティアナ様でしたらご存じだとは思いますが、ロードナー家は貧乏伯爵と呼ばれている通り常に財政には苦労しておりまして」
「そうらしいな」
「はい。ですから、私はここで多くを学び領地に帰ったとき父の力になりたいと考えております。ですから、どうか退学だけは……」
マリーは頭を下げ、お願いしますと口にした。
この学園に本心から勉学を目的として通っているのであれば、彼女は大したものだと感心しなければならない。
貴族の子息たちへ高い水準の教育をという理念で作り上げられた学園も、令嬢たちの間では将来の伴侶探しの場としての側面が強くなってしまったのが現状だ。そして、それは令嬢たちだけではなく令息たちも当たり前のことだと思っており、女性には勉学よりも淑女としての教養を学ぶことを求めるものが多くなってしまった。
マリーのように勉学を目的として日々学園生活を送っているものは、極稀と見て間違いはない。
俺は目の前で頭を下げるマリーを見下ろす。
「……わかった。退学にはしない。だが、俺も何も知らない君を信用することはできない。口止め料として君は俺に何を望む? それを口止めの報酬としよう」
「口止め料……ですか?」
考えもしなかったのだろうか。マリーは驚いた顔を上げて俺を見上げると、そのまま首を傾げて固まってしまった。
まさか。殿下の婚約者の弱味を握ったようなものなのに、何一つ交換条件を考えもしなかったというのか。
マリーは首を傾げたままでこちらを見上げている。
「……なにか、ないのか?」
「そもそも、人の秘密を守る報酬として何か頂けると考えるのはどうなのでしょうか……?」
幼さ故の無垢なのだろうか。
言葉だけで誰にも言わないなどと約束されたところで信用できるわけがない。彼女にはわからないのだろうか。
曇りのない眼差しで問われてしまえば、彼女の方がおかしいのではないかと口にすることができない。俺は眉間を親指で押さえながら、ため息を吐いた。
「……こちらが頼む身だ。その礼だと思えば当然ではないか?」
「そういうことでしたら……一つ、お願いしてもよろしいですか?」
それでいい。頷いてみせると、彼女は先程までは眠たそうだった瞳に光を宿して、座ったまま僅かに身を乗り出した。
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