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或る騎士たちの結婚事情(完結)
5話
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それから数日間、リカルドは上機嫌だった。
訓練をしていても、廊下を歩いていても、何もしていなくても、顔が緩みつい鼻歌を口ずさんでしまう。
城の廊下でそんなリカルドを見つけてアレックスが声をかけてくる。
「リカルド!なんだ、随分ご機嫌だな」
「あ、アレク!へへ~分かるか?!」
「ああ、いつもにやけている顔が溶け切って原型をとどめてないぞ」
「はは、なんとでも言え!今の俺は寛大だからな!大概の事は許してやろう」
何を言ってもニコニコしているリカルドがだんだん不気味に見えてくる。
「なんだ、気持ち悪いな」
「ふふ、なんで機嫌がいいのか知りたいか?」
長話になりそうな予感がする。
「いや、いいや」
回れ右をして去ろうとするアレックスの肩をリカルドが掴む。
「聞けよ!聞いてくれ!」
これは聞くまで放してくれそうにない。
アレックスは観念して話を聞く体制になる。
「はいはい。何かいいことあったのか?」
「ふっふっふ……。なんと、この前……」
リカルドは少しもったいぶると大きく手を広げ高らかに言う。
「ノクスがプロポーズを受けてくれたんだ!」
「へえ!よかったじゃないか。おめでとう!」
「へへ、ありがとう、ありがとう!全世界中にこの幸せをお裾分けしたい!」
リカルドはテンション高くアレックスを抱きしめるとバンバンと背中を叩く。
「……なんか腹立つな……」
その浮かれた様子にアレックスはうんざりしたが、いやいや、自分が結婚する時は大いに惚気を聞いてもらったんだからここは我慢だ、と気を取り直して先を促す。
「で、結婚式の予定はいつなんだ?準備はいろいろと大変だぞ」
「いや、ノクスと相談して式は上げずに籍だけ入れる予定だ」
「え、そうなのか?」
「ああ。まあ、男同士はまだメジャーじゃないしな。騎士団の立場もあるし、それに俺もノクスもあまり騒がれるのは好きじゃない」
「そうなのか?それは残念だな。一生に一度の晴れ舞台だぞ。せめて二人だけでもやったらどうだ?いい思い出になるぞ」
そういうとリカルドは少し考え込む。
「二人きりか……そうだな、それならいいかもしれない。うん、ノクスに相談してみよう」
「ああ、そうしろ。で、ご両親への挨拶は済ませたのか?」
「いや、それがまだでな……」
少し真面目な表情になってリカルドが言う。
「俺は身内がいないから関係ないが、ノクスの家は由緒正しい貴族だからな。苦戦は覚悟してるよ。今度有休をとって二人で挨拶に行ってこようかなと思っている」
「そうか……それは難戦だな……」
ノクスに両親へ挨拶に行きたい旨を話したときは猛反対された。
両親は根っからのディエラ神教徒できっと同性愛を簡単には認めてはくれないだろうと。
しかしリカルドが義理は通しておきたい、一人でも行くと言うと、しぶしぶ折れてくれた。
それに……
少し緊張気味だったリカルドの顔がまたデレっと崩れる。
「もし両親に反対されても結婚するって言ってくれてるんだ」
「そうか。まあ、頑張れよ。ところで王には報告したのか?さすがに将軍二人が結婚するんだ。黙ってるわけにもいかないだろ」
「そうだよなあ。うーん、やっぱり結婚するとなるといろいろ忙しいなあ」
「ふっ、そういいながら嬉しそうだな」
「そりゃそうだろ。好きな奴と家族になれるんだぞ。それ以上幸せなことがあるか」
リカルドが満面の笑みでウキウキと言う。
「まあ、それは分かる。俺も結婚した時が幸せの絶頂だったからな」
「じゃあ今はそんなに幸せじゃないのか?」
訪ねるリカルドにアレックスがにやりと笑う。
「馬鹿言え。毎日幸せだよ」
「お、お前の惚気も聞く羽目になるとはな。あ~楽しみだなあ。あ、そうだ、婚姻届けの証人、よろしくな」
「はあ?おまえ、そういうことは早く言えよ!」
「俺もやってやっただろ?頼むな」
思ってもみなかった事にアレックスが慌てる。
リカルドは軽い調子でアレックスの肩をたたくと、また鼻歌を歌いながら訓練所へ向かっていった。
次のノクスの非番に合わせてリカルドは有休をとり、二人で愛馬を並べてノクスの実家があるオーエンベルクに向かった。
朝出発すれば夜には目的地に着く行程だが、急ぐ旅でもない。途中にあるのオースの町で一泊し、翌日オーエンベルクに向かうことにした。
オースの町は小さいながらも金細工で有名な町で、日が傾いたころには到着した。
適当な宿を取ると、厩舎に馬をつないで荷物を預ける。
オーエンベルクではノクスの顔は知れ渡っていたが、オースでは名前を知っていてもリカルドとノクスの顔を知るものは少ない。特に騒がれることなくのんびりと過ごすことができた。
食事をしようと通りに出ると、途中大きな宝飾品の前を通りかかる。
「せっかく金細工の街に来たんだから、ちょっと覗いていくか」
「そうだな。時間もあるし」
リカルドが誘うとノクスも同意し、二人で店のドアをくぐる。
店内は上等な壁紙が張られ、床には柔らかいカーペット、壁には装飾用の盾や鎧なのが飾られいる。頑丈そうな鉄柵に囲まれたガラスのショーケースには高そうな宝石や細かい金細工を施されたアクセサリーが飾られている。
適当に入った割にはなかなか良い店なのかもしれない。
店内を見回していると店主と思わしき身なりのいい初老の男性が出てくる。
「いらっしゃいませ」
「婚約指輪と結婚指輪を探しているんだけど、見せてもらえるか?」
そう言うリカルドをジロリと見ると店主は少し怪訝な顔をした。
ザラ人特有の褐色の肌に眼帯の隻眼、髪やひげはノクスの両親に会うのだからと整えてきたが、服はいつものだらしない伸びきったチュニックでパッと見は海賊や山賊に見える。
しかし、隣にいるノクスに視線をやると、上等な衣服から上客と思ったのだろう。
営業用の笑顔を浮かべ、「少しお待ちください」と店の奥に引っ込んでいく。
待っている間、リカルドはショーケースのアクセサリーを眺めながらノクスに尋ねる。
「婚約指輪、どんなのがいい?」
「もうすぐ結婚するんだ。もったいない。結婚指輪だけで十分だ。それに、婚約指輪はもうもらったからな」
「そうか?まあ、お前がそう言うならいいけど……」
もう左手の薬指にはあのマーガレットの指輪はないが、すごくうれしく嬉しかった。
その思い出だけで十分だった。花は萎れる前にこっそり押し花にして本の間に保存していた。
話していると店主が高級そうな布に包まれた小さな包みをいくつか持ってきた。
一つ一つ丁寧に布を開き二人に見せていく。
「サイズのお直しもできますし、オーダーメイドも承っておりますよ」
「へえ、いろんなデザインがあるんだなあ。俺はアクセサリーの事は分かんねえから、ノクスが好きなものを選べよ。もちろん、この店で決める必要はないけどな」
それを聞いて店主が内心慌てる。
豪華な金の彫刻に大きなダイヤが付いた一番高級そうな指輪を見せてくる。
「いえいえ、うちはオース一の品ぞろいで、どれも一級品ですよ。ほら、これなんて5カラットの最上級ダイヤをあしらった特注品でして。そちらの金髪がお美しいお客様にピッタリじゃありませんか?」
ノクスはその声を無視して広げられた指輪をざっと眺める。美しいものは好きだが、あまりごてごてした品のないものは好みではない。
結婚指輪となると普段つけることになるからなるべくシンプルな方がいい。
眺めていると一つの指輪に目が留まる。
銀のリングの中央に小さなマーガレットの銀細工、その中心に0.1カラットほどの小さなダイヤが付いていた。リングの部分はオリーブの葉の彫刻があしらわれていた。細さから見てきっと女性ものだろう。
ペアになる男性ものの方は銀にオリーブの葉の彫刻だけのシンプルなデザインだった。
女性ものの方を手に取り、指にはめてみようとすると、やはりサイズが合わなかった。試しに小指に入れてみるとかなりきつかったが何とか入る。
白く細いノクスの指に銀の繊細なマーガレットの花が良く似合っていた。
「これを私のサイズに直すことはできるか?」
「え?できないことはないですが…それは女性ものですが、よろしいんで?それに、ゴージャスなお客様にはもう少し華やかなデザインの方がお似合いかと……」
「これでいい。デザインが気に入った。リカルド、これでかまわないか?」
「ああ、お前が気に入ったもので構わないよ」
リカルドはノクスの指にはまった指輪を覗き込むと、その彫刻を見て嬉しそうに笑う。
店主は少しでも高いものを売ろうと必死に大きな石が付いた指輪を勧めてくる。
なかなか商売根性のある店主のようだ。
「似たようなデザインでしたらこちらもお勧めで‥・」
「いや、私はこれがいい。サイズを直してくれ」
「……分かりました。」
きっぱりというその声に、店主はこれ以上言っても無駄だと思ったのかあきらめてノクスの指のサイズを測り出す。
直すのに2週間ほどかかるというので、前金を支払い、パレシアに届けてもらうように手配をしてから店を出た。
「あんな安もんで良かったのか?他の店を見て回ってからでもよかったんじゃないか?」
「いや、あれが気に入ったんだ。あれがいい」
「ふうん、じゃあ、いいけど」
興味なさそうに言いつつもリカルドの声が弾む。
自分が思いつきで送った婚約指輪を気に入ってくれたらしい。
近くの店からいい香りが漂ってきて、そこで軽く夕食を取った後、宿に戻る。
宿はツインの二人部屋を取ったが、普通のシングルサイズのベットはリカルドには窮屈そうだった。
リカルドが布団に入るとその隙間にノクスが潜り込んでくる。
「おい、狭いだろ」
「私とくっつけるんだ。我慢しろ」
そういいつつノクスはリカルドに体をぴたりと寄せる。
ノクスは機嫌がいいときは自分から寄ってくるが、そうでない時はこっちから行かない限り構ってくれない。
11年付き合ってさすがにもう慣れたが、本当に猫のように気まぐれだ。
今日は機嫌がいいらしい。
「どうせ後から、狭いとか暑いとかくさいとか文句言うくせに」
「いいから黙れ」
そういうとノクスはうるさいリカルドの口を唇で塞ぐ。
リカルドもそれに答えて舌を絡める。
たっぷりと口内を堪能すると顔を離し、ノクスがリカルドの体を愛撫し始める。その手をリカルドが優しく掴む。
「おい、今日はやらないぞ」
「なぜだ?」
少し不満そうにノクスが尋ねる。
「明日はお前の家族に初めて会うんだぞ。気まずいじゃねえか」
「なんだ、デュラン騎士団の将軍ともあろうものが緊張してるのか?」
「今はただの一人の男だよ。恋人の両親に初めて、しかも結婚の許しをもらいに行くんだ、緊張して当然だろ」
「ふふ、案外肝が小さいな、そんなでかい図体をして」
面白そうに胃のあたりを撫でながらクスクスとノクスが笑う。
「そ、だから今日はおとなしく寝るぞ」
ノクスを体の上から降ろすと脇に寝かせる。
そうすると、あきらめたのか素直に脇に収まる。
しばらく何も言わなかったので寝たのかと思ったら、ノクスがぽつりとつぶやいた。
「……すまない。きっと私の家族はお前を不快な気持ちにさせる」
顔は伏せているのでノクスがどんな表情をしているかわからなかったが、きっと辛そうな表情をしているのだろう。
リカルドのベットにもぐりこんできたのも、ノクスなりに不安なのかもしれない。
「大丈夫だ。辛辣な言葉ならどっかの誰かさんのおかげで耐性ついてるからさ」
リカルドはその頭をなでながら笑う。
するとノクスも安心したのか、しばらくすると寝息を立て始めた。
リカルドはノクスを抱き寄せると、そのぬくもりを感じながら眠りについた。
翌朝起きると、ノクスの枕になっていたリカルドの腕は見事にしびれていた。
「い、痛い…」
「なんだ、軟弱だな。」
痛くてベットから動けないリカルドをすっきりとした顔のノクスが見下ろしてくる。
こいつ……と睨みながらリカルドは片腕で運ばれてきた朝食を食べ、食事が終わったころにはしびれは収まっていた。
ノクスに見立ててもらった上等な白いドレスシャツに、銀の刺繍があしらわれた黒いウエストコートに、深緑のシルクのクラバット、上に黒いコートを羽織る。ノクスがリカルドの髪の毛を整えながら満足げに鼻を鳴らす。
「ふん、そういう格好をしていると少しはまともに見えるな。少なくとも海賊には見えない」
「ひっでえ!今日くらい素直に褒められないのかよ」
まあ、これはノクスなりに褒めているんだろう。
両親に挨拶を済ませたら、今日の夕方にはまたこの宿に戻ってくる予定だ。荷物を宿の主人に預けると、二人は愛馬に跨り、オーエンベルクのノクスの実家に向かった。
2時間ほど馬を走らせると丘の上に大きな白い屋敷が見えてくる。
800平方メートルはあるだろうか。リカルドが今まで見たことのあるどんな貴族の屋敷よりも大きかった。二階建ての白い石造りの壁に、所々美しい彫刻が施されてかなり豪華な様相だ。
迫力に少し圧倒される。戦争でもこんなに臆したことあまりはない。
それはそうだ。今日の戦いは剣は使えないのだから。
裸で戦場に飛び込むようなものだ。
馬から降りて緊張気味に屋敷を眺めていると、リカルドの尻をノクスが思いっきりたたく。
「行くぞ」
「……お、おう……」
馬の手綱を引いてノクスが門の方へ歩き出す。
ノクスが気合を入れてくれたおかげで少し緊張がほぐれた。リカルドはクラバットを締めなおすと覚悟を決めてノクスを追いかけた。
「ノクス坊ちゃん!急なお帰りで。年明け以来じゃないですか!さあ、どうぞ中へ」
背の低い中年男の門番がノクスに気づくと、嬉しそうに馬の手綱を受け取り、鉄の門を開ける。
男はノクスの後ろに立つリカルドを見ると、その大きさと強面に少し怯える。
「坊ちゃん、そちらのお方は‥・?」
「ああ、士官学校からの同期のリカルド・ノア将軍だ」
「えええ?!リカルド・ノア将軍というとあのダルジュの英雄の……」
「初めまして。リカルド・ノアです」
ダルジュの英雄の名はオーエンベルクにも届いていた。
リカルドがなるべく好印象を、と練習した笑顔を浮かべると門番の男がひいっと驚く。
「わわわ、あのダルジュの英雄に会えるとは!幸せです……!」
「いやいや、今日は友人として伺ったので、ただの男ですよ」
「あ、握手していただいてもよろしいでしょうか……!」
「ええ、もちろん!」
そういうと門番の差し出した手を取る。
長々と握手する二人にノクスが痺れを切らす。
「おい、リカルド、グズグズしてないでさっさと行くぞ」
「あ、おい、待てよ」
ノクスが玄関の方に向かってつかつかと歩きだす。
リカルドも門番に馬を預けると、慌ててその後を追いかけていく。
100mほど続く玄関のアプローチは綺麗に手入れされており、所々に大理石の彫刻がそびえ立ち、この屋敷の主人の裕福さを物語っている。
近づけば近づくほど大きな屋敷だ。
「は~、やっぱお前ってお坊ちゃんだったんだな。」
「ふん、ただ古くてでかいだけだ。広すぎて寒いしな。無駄に人件費もかかる」
感心して言うリカルドにノクスが嫌そうに顔をしかめる。
しばらくアプローチを歩くと玄関に到着する。すぐに初老の執事が出て来て中に案内された。
玄関は広く、吹き抜けになっており、天井は遙か頭上にあった。
目の前には二階へつながるであろう大階段、床には上等な深紅の絨毯が敷き詰められ、壁には豪奢な細工が施された燭台や美術品が飾られている。
リカルドがあっけにとられていると、ノクスが執事にてきぱきと指示を出す。
「今日はただ帰省したわけじゃない。リカルドを紹介したいから父上と母上、それに兄上も居たら呼んできてくれ。応接間で待っている」
執事はかしこまりましたと礼をすると、メイドに二人を応接間へ案内するように言う。
大きな絵画が飾られた廊下を歩き、豪華な扉の部屋に案内される。
中に入るとビロードのソファ、ゴシック調のテーブル、周りには高価そうな美術品が並べられていた。
奥の2人掛けのソファに並んで座る。
リカルドは緊張気味に部屋を見回した。
あまり芸術品の事は分からなかったが、調度品はどれも一級品なのだろう。ただ、それぞれの主張が激しく、あまり調和は取れていないように見えた。
「すっげーな……」
「ふん、相変わらず趣味が悪い……」
ノクスが不機嫌そうに言う。
しばらくするとドアがノックされたので、いよいよご両親と対面か、とリカルドは緊張を走らせたが、入ってきたのはメイドだった。持ってきたワゴンから紅茶を置くと、丁寧にお辞儀をして出て行った。
「は~、マジで緊張してきた……」
「しっかりしろ」
ノクスが激励するようにリカルドの太ももを軽くたたく。
その時再びドアがノックされた。
ドアが開いて入ってきたのは、上等な服を身にまとい、口ひげを蓄えた少し気難しそうな白髪の男性だった。
「お待たせいたしました、ノア将軍。初めまして。ノクスの父のヨハン・ヴァレンシュタインです。本日は遠いところをお越しいただき、ありがとうございます。愚息がお世話になっております」
リカルドは慌ててソファから立ち上がり、強張った笑顔でヨハンに近づく。
「初めまして!リカルド・ノアです。息子さんには大変お世話になっております!」
緊張で思った以上に声が大きくなってしまった。
リカルドが手を差し出すと、一瞬戸惑うような表情をした後、ヨハンはその手を握り返す。
「ご活躍はこの北の地にも聞こえております。ノクスと親しかったなんで初めて知りました。なぜ教えてくれなかったんだ?ノクス?」
「……すみません、話す機会がなくて」
ヨハンがじろりと見るとノクスは硬い表情のまま答える。どう見ても父親と会話している雰囲気ではない。
「ノア将軍、お会いできて光栄です。ああ、どうぞ、お掛けください。じき妻もやってくるでしょう」
リカルドをソファに促すとヨハンも二人の正面のソファに腰かけた。
「……兄上は在宅ではないのですか?」
「ああ、ルシオラは外出していてな。戻るのは3日後だ。ノクスが戻ってきたと知れば、きっと残念がるだろう」
「……そうですか……。では、今日お話しすることは兄上によろしくお伝えください」
「ん?そんなに改まった話があるのか?いったいなんだ?」
「……母上がいらっしゃったら話しますよ」
淡々とした口調はとても良く似ていて、そんなところに親子のつながりを感じる。
重苦しい空気にリカルドが耐えられなくなりそうになったその時、再びドアがノックされる。
「入れ」
ヨハンが許可を出すと扉が開き、そこには煌びやかなブルーのドレスを纏った金髪碧眼の美しい女性が立っていた。目や口がノクスにとても似ている。
今年で50歳と聞いていたがどう見ても30代後半くらいにしか見えない。
「失礼いたします」
凛とした美しい声だった。
女性は部屋の中に入ってくるとリカルドに丁寧にお辞儀をする。
「ノクスの母のフィリアでございます。初めまして、ノア将軍」
リカルドが慌てて立ち上がりフィリアに頭を下げる。
「初めまして。リカルド・ノアです。息子さんにはいつもお世話になっております」
フィリアはリカルドを値踏みするように一瞥すると、すいっとノクスに視線を移す。
「ノクスも久しぶりね」
「ご無沙汰しております。母上」
「今日は私たちに何か報告があるとか?」
「はい、できれば兄上も一緒にと思っておりましたが、あいにくご不在のようで残念です」
「事前に連絡をくれればよいのに、あなたったら滅多に手紙をよこさないんですもの」
「すみません、筆不精なもので」
嘘だな、リカルドが思う。
手紙を出さなかったのは意図的だろう。
「さあさあ、立ち話もなんだから座りましょう。フィリアも座れ」
ヨハンが腰掛けるよう促す。フィリアは少し距離をとってヨハンの隣に座った。
夫婦仲があまり良くないとは聞いていたが、その様子からして本当のようだ。
「で、報告とはなんだ、ノクス」
「それは………」
ノクスが話をしようとするのをリカルドが遮る。
「ノクス、ここは俺から話をさせてくれないか?」
「でも……」
「頼む」
ノクスが言いよどむ。きっと自分から説明したほうがまだ両親のショックは小さいだろう。しかし、その表情は真剣そのもので、リカルドの覚悟を感じる。
「分かった。お前に任せる」
「ありがとう」
リカルドは一度深呼吸をするとしっかりとヨハンとフィリアを見る。
「ええと、初めてお会いするのにこんなことを言うと非常に驚かれると思いますが……ノクス君と私は11年前から恋人としてお付き合いさせていただいております」
「……え?」
「……は?」
ヨハンとフィリアが目を丸くし声をそろえる。
「本当はもっと早くにご挨拶に伺うべきでしたのに、不義理をしてしまい申し訳ありません」
ヨハンとフィリアは絶句してリカルドを見つめる。
畳みかけるようにリカルドが続ける。
「そして、ここからが本題です。私はノクス君を心から愛しております。生涯を彼と共に過ごすことができれば、これ以上の幸せはありません。ノクス君との結婚をお許しいただけないでしょうか?お願いいたします」
そういうとリカルドは頭を深く下げる。
ノクスも援護するように口を開く。
「この11年間、彼と一緒に過ごす時間は本当に幸せでした。私も彼を心から愛しています。この先は家族として彼と一緒に歩んでいけたらと思っています。ですので、是非父上、母上にも祝福して欲しいのです。お願いします」
ノクスも同じように深く頭を下げる。
しばらくの沈黙が流れたあと、フィリアの小さな笑い声が聞こえる。
「ふふ…ふふふ…」
リカルドとノクスがそっと顔を上げ様子を伺うと、フィリアは美しい顔をゆがませて面白そうに笑う。
「面白い冗談ねえ。ノクスはいつからそんな冗談を言うようになったのかしら」
嘲るような表情で笑うフィリアにノクスは嫌悪感を感じる。
それを聞いたヨハンもハッと我に返り慌てて声を出す。
「そ、そうだ、悪い冗談はやめなさい」
「冗談ではありません。本気です。本気で私はこの男と結婚するつもりです」
ノクスはやはりか、と失望した。
フィリアは美しい眉根を顰めながら二人を見る。
「男同士、しかもデュランを支える騎士団の将軍同士が結婚してどうするのよ。笑い者になるだけだわ。しかも、ノア将軍はザラの生まれで、母親は娼婦だっていう話じゃない」
「やめてください!それ以上彼を侮辱したら母上とはいえ許しません!」
ノクスが怒りの表情を浮かべ息巻く。
「そうだ、うちとは身分が違い過ぎる。ただでさえ男同士でなどと、お前はヴァレンシュタイン家の名に泥を塗るつもりか!」
ヨハンもフィリアに便乗するかのように大声で畳みかける。
はあ、と呆れた表情でノクスが大きなため息を付く。
「……分かりました、やはりあなた達には何を言っても無駄なようですね。凝り固まった特権意識と差別意識、世間知らずにもほどがある」
「な、なんだと?!」
それを聞いてヨハンが激高する。ノクスは冷徹な表情で淡々と続ける。
「あなた達に育てていただいたことには感謝しております。ですのでその感謝の証として毎月の仕送りは続けましょう。しかし、あなた達に私の人生を捧げる気はありません。絶縁していただいて結構です。これからはノクス・ノアとしてリカルドと共に生きてゆきます」
「ちょ、待ちなさい、ノクス!」
きっぱりというノクスにヨハンが慌てふためく。
リカルドも慌ててノクスを止める。
「そ、そうだぞ、ノクス。そんなに急いで結論を出さなくても……もっとお互い話し合って理解していけば……」
「いいや、この人たちは変わらない。それは一番私が分かっている」
冷たく言い放つとノクスがすっと立ち上がる。
「とりあえず、結婚の報告義務は果たしました。私はこの男と幸せになります。それでは」
ノクスはつかつかと扉の方に歩いていく。
リカルドが慌てて追いかけノクスの手を掴む。
「お、おい。待てよノクス……!」
「帰るぞ、リカルド。この人たちに何を言っても無駄だ。この人たちは貴族以外の人間には価値がないと思っている古い人間だ。いまさら何を言ったって変わらないだろう」
「そんなこと言うなよ。家族だろ?根気よく話せばきっとわかってくれるさ」
「どうだろうな、時間の無駄だと思うぞ」
「せっかくご両親とも健在なんだ。親は大切にしろ」
両親がいないリカルドにそういわれると言い返すことはためらわれた。
リカルドはヨハンとフィリアに振り向き口を開く。
「おっしゃる通り、私はザラ人で、母は女手一つで私を育てるため水商売をしていました。私は母を誇りに思っております。過去を今から変えることはできません。ですが、未来は私の努力次第でいくらでも変えられます。だからどうか、これからの私に期待していただけないでしょうか?」
「期待?」
ヨハンとフィリアがきょとんとリカルドを見る。
「騎士としてもっと活躍して、だれも私たちに文句を言わせないようにしますし、生活も不自由させません。まあ、彼の方が優秀なので私より稼ぎはいいかもしれませんが。」
リカルドが苦笑いをする。
「でも、彼がつらい思いをしているときは、傍にいて、一緒に悩んで、一緒に解決して、嬉しいときには一緒に喜んで、なんでも分かち合って、お互いを支え合っていければと思っております」
リカルドは大きく息を吸い、真っすぐ二人を見つめる。
「私は彼を一生愛し続けると約束します」
その真摯なまなざしに、言葉を失うヨハンとフィリアだったが、我に返って口を開く。
「その将来だって保証するものはないだろう?」
「そうよ。ずっと愛し続けるなんて、言葉では簡単に言えるけど保証は何もないじゃない」
「保証するもの、ですか‥‥こればっかりは信じていただくしかないかなと……」
リカルドは困ったようにしばらく考えると、ハッとひらめく。
「そうだ!」
小指を立て、ヨハンとフィリアに差し出す。
「指切りしましょう!もし私がノクス君を悲しませることがあったらこの指を切ってもらって構いません!一本で足りないなら腕ごとでも構いません。」
ヨハンとフィリアはいきなりの事に頭の整理ができず、ポカンとリカルドを見ている。
「ふふ……あははは……!」
ノクスの楽しそうな笑い声が部屋に響く。
「やっぱりお前は馬鹿だな」
「え?ええ~~?俺、結構真剣なんだけど??」
リカルドが情けない声を上げる。
一頻笑い終えると、ノクスはリカルドを真っすぐ見つめる。
「でもそんなところが、お前らしくて好きだ」
「ちょ、お前、ご両親の前で何言ってんだよ」
珍しくリカルドが頬を赤くして照れる。
「父上、母上、これがリカルドという男です。馬鹿で、幼稚で、浅はかで、愚直で、無鉄砲で、楽天的ですが、嘘はつきません。私はこの男と一生一緒に居たいのです。だから反対されたとしても私はこの男と結婚します。指と腕を取られてはたまらないので失礼します」
そういってノクスはリカルドの手を取ると、扉を開け部屋を出る。
「お、おい!お前、言いすぎだろ!あの、また来ます!」
捨て台詞のように言って、引きずられるようにリカルドが出ていく。
残されたヨハンとフィリアは二人が去っていったドアを狐につままれたような表情で見つめるしかなかった。
「ノクスがあんな風に笑うところを初めて見たな」
「ええ、あの子、あんな風に笑えるのね……」
ヨハンがポツリとつぶやく。
フィリアも初めて見る息子の心からの笑顔に唖然とし、ふっと口許をほころばせる。
「ノア将軍、あの人があの子を変えたのかしら?」
「ああ、少なくともこの家にいた時より幸せそうだったな」
突然現れた大男を思い出しながら、珍しく普段は合わない二人の意見が一致した。
オースの街に戻り、昨日と同じ店で食事をとった後、宿に戻る。
堅苦しいウエストコートを脱ぎ、リカルドはごろりとベットに寝転がる。
緊張していたからかどっと疲れが襲ってきた。
「あ~疲れた~~~」
「お疲れさま」
ノクスも部屋着に着替えると転がったリカルドの傍に腰掛ける。
リカルドがノクスの手に優しく手を重ねる。
「……いつか、認めてくれるといいな」
「……そうだな。努力はしてみよう」
ノクスもリカルドの脇に横たわる。
「はー、次は王への報告か~~。結婚って書類を出すだけだと思ってたが結構大変だなあ……」
天井を見上げてリカルドがぼやくと意地悪くノクスが笑う。
「なんだ、じゃあやめるか?」
「やめません~~~」
リカルドは楽しそうに笑いながらノクスを抱きしめた。
パレシアに戻ると早速二人は王への謁見を求めた。
去年玉座についたデュラン国王ベルナール・ロワ・メドヴェデットはリカルドたちより4歳上の36歳で、王族は家庭教師に帝王学や政治経済、外国語などを習うのが慣例だったが、優秀なベルナールはそれらを17歳の時にはほぼ習得。4年間士官学校で他の貴族の子弟たちと一緒に寮生活を送るという変わった人物だった。
また、士官学校在学中は第一寮の監督生を務めていた。寮では下級生の面倒を見るというファギングという制度があり、ベルナールの当番下級生(ファグ)はノクスだったので、卒業後も何かとノクスに目をかけていた。
少し変わり者ではあったが、気さくで、聡明で、戦争で疲弊しきったこの国をわずか二年で立て直しつつあるのは彼の功績だ。
貿易の活発化、宗教の選択の自由化、同性婚の施行などもベルナールの発案である。
夕方には謁見が認められ、リカルドとノクスは謁見の間で待つように通される。
「は~、緊張する~。ベルナール様お前の事気に入ってるだろ。反対されたらどうしよう……さすがに王を無視して結婚するわけにはいかないからな~」
「大丈夫だろ。あの方が同性婚を推進したんだ」
「そうだけどさ~」
「私の両親よりかは話が通じるお方だ」
そんな話をしていると王の側近がやってきて二人に告げる。
「ベルナール・ロワ・メドヴェデット陛下がいらっしゃいました」
リカルドとノクスはさっと片膝をつき頭を下げる。
つかつかとブーツの音が室内に響く。
緩くウェーブのかかった長い金髪と白テンの毛皮をあしらった深紅の羅紗のマントを翻し、デュラン国王ベルナール・ロワ・メドヴェデットが傲然と玉座に座る。
「おお、ノクス、久しぶりだな。リカルドはこの前の遠征からの帰還した時以来か。」
「はい、陛下。ご無沙汰しております」
「へ、陛下におかれましては、ご機嫌麗しく、謁見恐悦至極に……」
リカルドがなれない形式ばった挨拶にしどろもどろしているとベルナールが呆れたように遮る。
「なんだその堅苦しいのは……。顔を上げて楽にしろ」
ベルナールは煩わしそうに顔を二人の顔を上げさせる。
「はい、ではお言葉に甘えて」
「ありがとうございます」
二人は肩の力を抜いて顔を上げる。
ベルナールは王太后似の優し気な相貌とエメラルドのような綺麗な緑の目に金色の長いまつげをしており、36歳と思えないほど若々しく、ノクスの氷のような美しさとは違う穏やかな春の日差しのような美貌を持った男だった。
しかし、この外見に似合わず切れ者で、次々に新しい政策を打ち出す革命家でもあった。
そういうところがノクスと気が合うのだろう。プライベートでの二人は兄弟のように仲が良かった。
「二人そろって謁見とは珍しい。何の用だ?」
「はい、今日は陛下にご報告がありまして」
「ん?なんだ?申してみよ」
ノクスが言うと興味深そうにベルナールが尋ねる。
ちらりとリカルドの様子を伺うと、言いよどんでいるようなのでノクスから口火を切る。
「はい、私事で恐縮ですが今度結婚することになりまして、その報告に参りました」
「おお!やっとか!いつかいつかと思っていたぞ‼」
ベルナールが嬉しそうに椅子から乗り出す。
「お前はモテるのになかなか恋人を作ろうとしないし、なんだ、相手がいたのか。水臭い!で、相手は誰なんだ?」
「相手はここにいるリカルドです」
「ほう、リカルドが……ってリカルド?!」
「あ、はい、そうなんです。実は……」
ベルナールは驚愕の表情でリカルドを見る。
リカルドが苦笑いを浮かべる。
「なんだと?!お前たち、いつからそういう仲だったんだ?!」
「ええと、21の新兵の時からなのでもう11年ですかね……」
「そんな前からか!なぜ言わんのだ!どおりでリカルドにも縁談の話を持って行っても断られたわけだ……」
「す、すみません…!」
すねたように言うベルナールにリカルドが申し訳なさそうに頭を下げる。
まごつくリカルドに代わってノクスが口を開く。
「不義理を申し訳ありません。今までは戦争で国もピリピリしておりましたし、騎士団の将軍同士がそういう関係だと、いろいろと言う者もいると思いまして……」
「ああ、そうだな、上の老人たちはいろいろ言うだろうな」
「しかし、やっと国も落ち着いてまいりましたし、私もリカルドもいい年です。そろそろ結婚しようかという話になりまして」
「そうかそうか。いやー、驚いたが、めでたい!おめでとうノクス!リカルド!」
「ありがとうございます」
「ありがとうございます!」
ベルナールが嬉しそうにニコニコと笑う。
こう手放しで祝福してもらえると嬉しいものだ。
「で、式はいつ上げるのだ?」
「いえ、式をする予定はなく籍だけ入れようかと。ただ陛下にだけはご報告せねばとご挨拶に伺った次第です」
「なんと?!それはいかん!式をやらないのはいかんぞ!」
「しかしですね、私たちが式を挙げるとなると何かと問題が………」
リカルドが困り果てているとベルナールが追い立てる。
「どうせそのうち周知されるのだ。一人ひとり挨拶して回るよりも式を挙げて一気に周知させた方が効率的だろう」
「それは、そうなのですが、やはりまだ同性婚に顔をしかめる者もおりますし………」
リカルドを援護するようにノクスが口を開く。
「だからこそだ!王のお墨付きがあれば煩く言うものもおらんだろう」
「え?王のお墨付き??」
「いえ、そんな大事にするのはどうかと………」
リカルドとノクスが恐縮しているとベルナールが玉座から立ち上がる。
「いや、国の英雄同士の結婚だぞ!国を挙げて祝わなくてどうする!」
ポカンと見上げるリカルドとノクスにベルナールがビシッと指を指さす。
「これは王命だ!反対は許さん!」
そういわれるとリカルドとノクスは黙ることしかできなかった。
「よし、そうと決まれば日取りとセレモニーの内容を決めなくてはな!忙しくなるぞ~!」
「ベルナール様、今一度お考え直しを………!」
「式を挙げるなら、せめて慎ましやかな式で十分ですので…!」
ベルナールはウキウキと楽しそうに話を進めていく。
リカルドとノクスが止めても聞く耳を持たない。
「来賓として諸外国の外交官も呼ばなくてはな。同性婚という事は教会はロシュナ教のブレニアン教会がいいな。よし、さっそく企画書を作成しよう」
そういうとベルナールは楽しそうに謁見室を出ていく。
「まずい。大事になったぞこれは……」
「そうだな、ベルナール様は一度決めたことは中々折れないぞ」
残されたリカルドとノクスは嫌な予感に顔を見合わせた。
訓練をしていても、廊下を歩いていても、何もしていなくても、顔が緩みつい鼻歌を口ずさんでしまう。
城の廊下でそんなリカルドを見つけてアレックスが声をかけてくる。
「リカルド!なんだ、随分ご機嫌だな」
「あ、アレク!へへ~分かるか?!」
「ああ、いつもにやけている顔が溶け切って原型をとどめてないぞ」
「はは、なんとでも言え!今の俺は寛大だからな!大概の事は許してやろう」
何を言ってもニコニコしているリカルドがだんだん不気味に見えてくる。
「なんだ、気持ち悪いな」
「ふふ、なんで機嫌がいいのか知りたいか?」
長話になりそうな予感がする。
「いや、いいや」
回れ右をして去ろうとするアレックスの肩をリカルドが掴む。
「聞けよ!聞いてくれ!」
これは聞くまで放してくれそうにない。
アレックスは観念して話を聞く体制になる。
「はいはい。何かいいことあったのか?」
「ふっふっふ……。なんと、この前……」
リカルドは少しもったいぶると大きく手を広げ高らかに言う。
「ノクスがプロポーズを受けてくれたんだ!」
「へえ!よかったじゃないか。おめでとう!」
「へへ、ありがとう、ありがとう!全世界中にこの幸せをお裾分けしたい!」
リカルドはテンション高くアレックスを抱きしめるとバンバンと背中を叩く。
「……なんか腹立つな……」
その浮かれた様子にアレックスはうんざりしたが、いやいや、自分が結婚する時は大いに惚気を聞いてもらったんだからここは我慢だ、と気を取り直して先を促す。
「で、結婚式の予定はいつなんだ?準備はいろいろと大変だぞ」
「いや、ノクスと相談して式は上げずに籍だけ入れる予定だ」
「え、そうなのか?」
「ああ。まあ、男同士はまだメジャーじゃないしな。騎士団の立場もあるし、それに俺もノクスもあまり騒がれるのは好きじゃない」
「そうなのか?それは残念だな。一生に一度の晴れ舞台だぞ。せめて二人だけでもやったらどうだ?いい思い出になるぞ」
そういうとリカルドは少し考え込む。
「二人きりか……そうだな、それならいいかもしれない。うん、ノクスに相談してみよう」
「ああ、そうしろ。で、ご両親への挨拶は済ませたのか?」
「いや、それがまだでな……」
少し真面目な表情になってリカルドが言う。
「俺は身内がいないから関係ないが、ノクスの家は由緒正しい貴族だからな。苦戦は覚悟してるよ。今度有休をとって二人で挨拶に行ってこようかなと思っている」
「そうか……それは難戦だな……」
ノクスに両親へ挨拶に行きたい旨を話したときは猛反対された。
両親は根っからのディエラ神教徒できっと同性愛を簡単には認めてはくれないだろうと。
しかしリカルドが義理は通しておきたい、一人でも行くと言うと、しぶしぶ折れてくれた。
それに……
少し緊張気味だったリカルドの顔がまたデレっと崩れる。
「もし両親に反対されても結婚するって言ってくれてるんだ」
「そうか。まあ、頑張れよ。ところで王には報告したのか?さすがに将軍二人が結婚するんだ。黙ってるわけにもいかないだろ」
「そうだよなあ。うーん、やっぱり結婚するとなるといろいろ忙しいなあ」
「ふっ、そういいながら嬉しそうだな」
「そりゃそうだろ。好きな奴と家族になれるんだぞ。それ以上幸せなことがあるか」
リカルドが満面の笑みでウキウキと言う。
「まあ、それは分かる。俺も結婚した時が幸せの絶頂だったからな」
「じゃあ今はそんなに幸せじゃないのか?」
訪ねるリカルドにアレックスがにやりと笑う。
「馬鹿言え。毎日幸せだよ」
「お、お前の惚気も聞く羽目になるとはな。あ~楽しみだなあ。あ、そうだ、婚姻届けの証人、よろしくな」
「はあ?おまえ、そういうことは早く言えよ!」
「俺もやってやっただろ?頼むな」
思ってもみなかった事にアレックスが慌てる。
リカルドは軽い調子でアレックスの肩をたたくと、また鼻歌を歌いながら訓練所へ向かっていった。
次のノクスの非番に合わせてリカルドは有休をとり、二人で愛馬を並べてノクスの実家があるオーエンベルクに向かった。
朝出発すれば夜には目的地に着く行程だが、急ぐ旅でもない。途中にあるのオースの町で一泊し、翌日オーエンベルクに向かうことにした。
オースの町は小さいながらも金細工で有名な町で、日が傾いたころには到着した。
適当な宿を取ると、厩舎に馬をつないで荷物を預ける。
オーエンベルクではノクスの顔は知れ渡っていたが、オースでは名前を知っていてもリカルドとノクスの顔を知るものは少ない。特に騒がれることなくのんびりと過ごすことができた。
食事をしようと通りに出ると、途中大きな宝飾品の前を通りかかる。
「せっかく金細工の街に来たんだから、ちょっと覗いていくか」
「そうだな。時間もあるし」
リカルドが誘うとノクスも同意し、二人で店のドアをくぐる。
店内は上等な壁紙が張られ、床には柔らかいカーペット、壁には装飾用の盾や鎧なのが飾られいる。頑丈そうな鉄柵に囲まれたガラスのショーケースには高そうな宝石や細かい金細工を施されたアクセサリーが飾られている。
適当に入った割にはなかなか良い店なのかもしれない。
店内を見回していると店主と思わしき身なりのいい初老の男性が出てくる。
「いらっしゃいませ」
「婚約指輪と結婚指輪を探しているんだけど、見せてもらえるか?」
そう言うリカルドをジロリと見ると店主は少し怪訝な顔をした。
ザラ人特有の褐色の肌に眼帯の隻眼、髪やひげはノクスの両親に会うのだからと整えてきたが、服はいつものだらしない伸びきったチュニックでパッと見は海賊や山賊に見える。
しかし、隣にいるノクスに視線をやると、上等な衣服から上客と思ったのだろう。
営業用の笑顔を浮かべ、「少しお待ちください」と店の奥に引っ込んでいく。
待っている間、リカルドはショーケースのアクセサリーを眺めながらノクスに尋ねる。
「婚約指輪、どんなのがいい?」
「もうすぐ結婚するんだ。もったいない。結婚指輪だけで十分だ。それに、婚約指輪はもうもらったからな」
「そうか?まあ、お前がそう言うならいいけど……」
もう左手の薬指にはあのマーガレットの指輪はないが、すごくうれしく嬉しかった。
その思い出だけで十分だった。花は萎れる前にこっそり押し花にして本の間に保存していた。
話していると店主が高級そうな布に包まれた小さな包みをいくつか持ってきた。
一つ一つ丁寧に布を開き二人に見せていく。
「サイズのお直しもできますし、オーダーメイドも承っておりますよ」
「へえ、いろんなデザインがあるんだなあ。俺はアクセサリーの事は分かんねえから、ノクスが好きなものを選べよ。もちろん、この店で決める必要はないけどな」
それを聞いて店主が内心慌てる。
豪華な金の彫刻に大きなダイヤが付いた一番高級そうな指輪を見せてくる。
「いえいえ、うちはオース一の品ぞろいで、どれも一級品ですよ。ほら、これなんて5カラットの最上級ダイヤをあしらった特注品でして。そちらの金髪がお美しいお客様にピッタリじゃありませんか?」
ノクスはその声を無視して広げられた指輪をざっと眺める。美しいものは好きだが、あまりごてごてした品のないものは好みではない。
結婚指輪となると普段つけることになるからなるべくシンプルな方がいい。
眺めていると一つの指輪に目が留まる。
銀のリングの中央に小さなマーガレットの銀細工、その中心に0.1カラットほどの小さなダイヤが付いていた。リングの部分はオリーブの葉の彫刻があしらわれていた。細さから見てきっと女性ものだろう。
ペアになる男性ものの方は銀にオリーブの葉の彫刻だけのシンプルなデザインだった。
女性ものの方を手に取り、指にはめてみようとすると、やはりサイズが合わなかった。試しに小指に入れてみるとかなりきつかったが何とか入る。
白く細いノクスの指に銀の繊細なマーガレットの花が良く似合っていた。
「これを私のサイズに直すことはできるか?」
「え?できないことはないですが…それは女性ものですが、よろしいんで?それに、ゴージャスなお客様にはもう少し華やかなデザインの方がお似合いかと……」
「これでいい。デザインが気に入った。リカルド、これでかまわないか?」
「ああ、お前が気に入ったもので構わないよ」
リカルドはノクスの指にはまった指輪を覗き込むと、その彫刻を見て嬉しそうに笑う。
店主は少しでも高いものを売ろうと必死に大きな石が付いた指輪を勧めてくる。
なかなか商売根性のある店主のようだ。
「似たようなデザインでしたらこちらもお勧めで‥・」
「いや、私はこれがいい。サイズを直してくれ」
「……分かりました。」
きっぱりというその声に、店主はこれ以上言っても無駄だと思ったのかあきらめてノクスの指のサイズを測り出す。
直すのに2週間ほどかかるというので、前金を支払い、パレシアに届けてもらうように手配をしてから店を出た。
「あんな安もんで良かったのか?他の店を見て回ってからでもよかったんじゃないか?」
「いや、あれが気に入ったんだ。あれがいい」
「ふうん、じゃあ、いいけど」
興味なさそうに言いつつもリカルドの声が弾む。
自分が思いつきで送った婚約指輪を気に入ってくれたらしい。
近くの店からいい香りが漂ってきて、そこで軽く夕食を取った後、宿に戻る。
宿はツインの二人部屋を取ったが、普通のシングルサイズのベットはリカルドには窮屈そうだった。
リカルドが布団に入るとその隙間にノクスが潜り込んでくる。
「おい、狭いだろ」
「私とくっつけるんだ。我慢しろ」
そういいつつノクスはリカルドに体をぴたりと寄せる。
ノクスは機嫌がいいときは自分から寄ってくるが、そうでない時はこっちから行かない限り構ってくれない。
11年付き合ってさすがにもう慣れたが、本当に猫のように気まぐれだ。
今日は機嫌がいいらしい。
「どうせ後から、狭いとか暑いとかくさいとか文句言うくせに」
「いいから黙れ」
そういうとノクスはうるさいリカルドの口を唇で塞ぐ。
リカルドもそれに答えて舌を絡める。
たっぷりと口内を堪能すると顔を離し、ノクスがリカルドの体を愛撫し始める。その手をリカルドが優しく掴む。
「おい、今日はやらないぞ」
「なぜだ?」
少し不満そうにノクスが尋ねる。
「明日はお前の家族に初めて会うんだぞ。気まずいじゃねえか」
「なんだ、デュラン騎士団の将軍ともあろうものが緊張してるのか?」
「今はただの一人の男だよ。恋人の両親に初めて、しかも結婚の許しをもらいに行くんだ、緊張して当然だろ」
「ふふ、案外肝が小さいな、そんなでかい図体をして」
面白そうに胃のあたりを撫でながらクスクスとノクスが笑う。
「そ、だから今日はおとなしく寝るぞ」
ノクスを体の上から降ろすと脇に寝かせる。
そうすると、あきらめたのか素直に脇に収まる。
しばらく何も言わなかったので寝たのかと思ったら、ノクスがぽつりとつぶやいた。
「……すまない。きっと私の家族はお前を不快な気持ちにさせる」
顔は伏せているのでノクスがどんな表情をしているかわからなかったが、きっと辛そうな表情をしているのだろう。
リカルドのベットにもぐりこんできたのも、ノクスなりに不安なのかもしれない。
「大丈夫だ。辛辣な言葉ならどっかの誰かさんのおかげで耐性ついてるからさ」
リカルドはその頭をなでながら笑う。
するとノクスも安心したのか、しばらくすると寝息を立て始めた。
リカルドはノクスを抱き寄せると、そのぬくもりを感じながら眠りについた。
翌朝起きると、ノクスの枕になっていたリカルドの腕は見事にしびれていた。
「い、痛い…」
「なんだ、軟弱だな。」
痛くてベットから動けないリカルドをすっきりとした顔のノクスが見下ろしてくる。
こいつ……と睨みながらリカルドは片腕で運ばれてきた朝食を食べ、食事が終わったころにはしびれは収まっていた。
ノクスに見立ててもらった上等な白いドレスシャツに、銀の刺繍があしらわれた黒いウエストコートに、深緑のシルクのクラバット、上に黒いコートを羽織る。ノクスがリカルドの髪の毛を整えながら満足げに鼻を鳴らす。
「ふん、そういう格好をしていると少しはまともに見えるな。少なくとも海賊には見えない」
「ひっでえ!今日くらい素直に褒められないのかよ」
まあ、これはノクスなりに褒めているんだろう。
両親に挨拶を済ませたら、今日の夕方にはまたこの宿に戻ってくる予定だ。荷物を宿の主人に預けると、二人は愛馬に跨り、オーエンベルクのノクスの実家に向かった。
2時間ほど馬を走らせると丘の上に大きな白い屋敷が見えてくる。
800平方メートルはあるだろうか。リカルドが今まで見たことのあるどんな貴族の屋敷よりも大きかった。二階建ての白い石造りの壁に、所々美しい彫刻が施されてかなり豪華な様相だ。
迫力に少し圧倒される。戦争でもこんなに臆したことあまりはない。
それはそうだ。今日の戦いは剣は使えないのだから。
裸で戦場に飛び込むようなものだ。
馬から降りて緊張気味に屋敷を眺めていると、リカルドの尻をノクスが思いっきりたたく。
「行くぞ」
「……お、おう……」
馬の手綱を引いてノクスが門の方へ歩き出す。
ノクスが気合を入れてくれたおかげで少し緊張がほぐれた。リカルドはクラバットを締めなおすと覚悟を決めてノクスを追いかけた。
「ノクス坊ちゃん!急なお帰りで。年明け以来じゃないですか!さあ、どうぞ中へ」
背の低い中年男の門番がノクスに気づくと、嬉しそうに馬の手綱を受け取り、鉄の門を開ける。
男はノクスの後ろに立つリカルドを見ると、その大きさと強面に少し怯える。
「坊ちゃん、そちらのお方は‥・?」
「ああ、士官学校からの同期のリカルド・ノア将軍だ」
「えええ?!リカルド・ノア将軍というとあのダルジュの英雄の……」
「初めまして。リカルド・ノアです」
ダルジュの英雄の名はオーエンベルクにも届いていた。
リカルドがなるべく好印象を、と練習した笑顔を浮かべると門番の男がひいっと驚く。
「わわわ、あのダルジュの英雄に会えるとは!幸せです……!」
「いやいや、今日は友人として伺ったので、ただの男ですよ」
「あ、握手していただいてもよろしいでしょうか……!」
「ええ、もちろん!」
そういうと門番の差し出した手を取る。
長々と握手する二人にノクスが痺れを切らす。
「おい、リカルド、グズグズしてないでさっさと行くぞ」
「あ、おい、待てよ」
ノクスが玄関の方に向かってつかつかと歩きだす。
リカルドも門番に馬を預けると、慌ててその後を追いかけていく。
100mほど続く玄関のアプローチは綺麗に手入れされており、所々に大理石の彫刻がそびえ立ち、この屋敷の主人の裕福さを物語っている。
近づけば近づくほど大きな屋敷だ。
「は~、やっぱお前ってお坊ちゃんだったんだな。」
「ふん、ただ古くてでかいだけだ。広すぎて寒いしな。無駄に人件費もかかる」
感心して言うリカルドにノクスが嫌そうに顔をしかめる。
しばらくアプローチを歩くと玄関に到着する。すぐに初老の執事が出て来て中に案内された。
玄関は広く、吹き抜けになっており、天井は遙か頭上にあった。
目の前には二階へつながるであろう大階段、床には上等な深紅の絨毯が敷き詰められ、壁には豪奢な細工が施された燭台や美術品が飾られている。
リカルドがあっけにとられていると、ノクスが執事にてきぱきと指示を出す。
「今日はただ帰省したわけじゃない。リカルドを紹介したいから父上と母上、それに兄上も居たら呼んできてくれ。応接間で待っている」
執事はかしこまりましたと礼をすると、メイドに二人を応接間へ案内するように言う。
大きな絵画が飾られた廊下を歩き、豪華な扉の部屋に案内される。
中に入るとビロードのソファ、ゴシック調のテーブル、周りには高価そうな美術品が並べられていた。
奥の2人掛けのソファに並んで座る。
リカルドは緊張気味に部屋を見回した。
あまり芸術品の事は分からなかったが、調度品はどれも一級品なのだろう。ただ、それぞれの主張が激しく、あまり調和は取れていないように見えた。
「すっげーな……」
「ふん、相変わらず趣味が悪い……」
ノクスが不機嫌そうに言う。
しばらくするとドアがノックされたので、いよいよご両親と対面か、とリカルドは緊張を走らせたが、入ってきたのはメイドだった。持ってきたワゴンから紅茶を置くと、丁寧にお辞儀をして出て行った。
「は~、マジで緊張してきた……」
「しっかりしろ」
ノクスが激励するようにリカルドの太ももを軽くたたく。
その時再びドアがノックされた。
ドアが開いて入ってきたのは、上等な服を身にまとい、口ひげを蓄えた少し気難しそうな白髪の男性だった。
「お待たせいたしました、ノア将軍。初めまして。ノクスの父のヨハン・ヴァレンシュタインです。本日は遠いところをお越しいただき、ありがとうございます。愚息がお世話になっております」
リカルドは慌ててソファから立ち上がり、強張った笑顔でヨハンに近づく。
「初めまして!リカルド・ノアです。息子さんには大変お世話になっております!」
緊張で思った以上に声が大きくなってしまった。
リカルドが手を差し出すと、一瞬戸惑うような表情をした後、ヨハンはその手を握り返す。
「ご活躍はこの北の地にも聞こえております。ノクスと親しかったなんで初めて知りました。なぜ教えてくれなかったんだ?ノクス?」
「……すみません、話す機会がなくて」
ヨハンがじろりと見るとノクスは硬い表情のまま答える。どう見ても父親と会話している雰囲気ではない。
「ノア将軍、お会いできて光栄です。ああ、どうぞ、お掛けください。じき妻もやってくるでしょう」
リカルドをソファに促すとヨハンも二人の正面のソファに腰かけた。
「……兄上は在宅ではないのですか?」
「ああ、ルシオラは外出していてな。戻るのは3日後だ。ノクスが戻ってきたと知れば、きっと残念がるだろう」
「……そうですか……。では、今日お話しすることは兄上によろしくお伝えください」
「ん?そんなに改まった話があるのか?いったいなんだ?」
「……母上がいらっしゃったら話しますよ」
淡々とした口調はとても良く似ていて、そんなところに親子のつながりを感じる。
重苦しい空気にリカルドが耐えられなくなりそうになったその時、再びドアがノックされる。
「入れ」
ヨハンが許可を出すと扉が開き、そこには煌びやかなブルーのドレスを纏った金髪碧眼の美しい女性が立っていた。目や口がノクスにとても似ている。
今年で50歳と聞いていたがどう見ても30代後半くらいにしか見えない。
「失礼いたします」
凛とした美しい声だった。
女性は部屋の中に入ってくるとリカルドに丁寧にお辞儀をする。
「ノクスの母のフィリアでございます。初めまして、ノア将軍」
リカルドが慌てて立ち上がりフィリアに頭を下げる。
「初めまして。リカルド・ノアです。息子さんにはいつもお世話になっております」
フィリアはリカルドを値踏みするように一瞥すると、すいっとノクスに視線を移す。
「ノクスも久しぶりね」
「ご無沙汰しております。母上」
「今日は私たちに何か報告があるとか?」
「はい、できれば兄上も一緒にと思っておりましたが、あいにくご不在のようで残念です」
「事前に連絡をくれればよいのに、あなたったら滅多に手紙をよこさないんですもの」
「すみません、筆不精なもので」
嘘だな、リカルドが思う。
手紙を出さなかったのは意図的だろう。
「さあさあ、立ち話もなんだから座りましょう。フィリアも座れ」
ヨハンが腰掛けるよう促す。フィリアは少し距離をとってヨハンの隣に座った。
夫婦仲があまり良くないとは聞いていたが、その様子からして本当のようだ。
「で、報告とはなんだ、ノクス」
「それは………」
ノクスが話をしようとするのをリカルドが遮る。
「ノクス、ここは俺から話をさせてくれないか?」
「でも……」
「頼む」
ノクスが言いよどむ。きっと自分から説明したほうがまだ両親のショックは小さいだろう。しかし、その表情は真剣そのもので、リカルドの覚悟を感じる。
「分かった。お前に任せる」
「ありがとう」
リカルドは一度深呼吸をするとしっかりとヨハンとフィリアを見る。
「ええと、初めてお会いするのにこんなことを言うと非常に驚かれると思いますが……ノクス君と私は11年前から恋人としてお付き合いさせていただいております」
「……え?」
「……は?」
ヨハンとフィリアが目を丸くし声をそろえる。
「本当はもっと早くにご挨拶に伺うべきでしたのに、不義理をしてしまい申し訳ありません」
ヨハンとフィリアは絶句してリカルドを見つめる。
畳みかけるようにリカルドが続ける。
「そして、ここからが本題です。私はノクス君を心から愛しております。生涯を彼と共に過ごすことができれば、これ以上の幸せはありません。ノクス君との結婚をお許しいただけないでしょうか?お願いいたします」
そういうとリカルドは頭を深く下げる。
ノクスも援護するように口を開く。
「この11年間、彼と一緒に過ごす時間は本当に幸せでした。私も彼を心から愛しています。この先は家族として彼と一緒に歩んでいけたらと思っています。ですので、是非父上、母上にも祝福して欲しいのです。お願いします」
ノクスも同じように深く頭を下げる。
しばらくの沈黙が流れたあと、フィリアの小さな笑い声が聞こえる。
「ふふ…ふふふ…」
リカルドとノクスがそっと顔を上げ様子を伺うと、フィリアは美しい顔をゆがませて面白そうに笑う。
「面白い冗談ねえ。ノクスはいつからそんな冗談を言うようになったのかしら」
嘲るような表情で笑うフィリアにノクスは嫌悪感を感じる。
それを聞いたヨハンもハッと我に返り慌てて声を出す。
「そ、そうだ、悪い冗談はやめなさい」
「冗談ではありません。本気です。本気で私はこの男と結婚するつもりです」
ノクスはやはりか、と失望した。
フィリアは美しい眉根を顰めながら二人を見る。
「男同士、しかもデュランを支える騎士団の将軍同士が結婚してどうするのよ。笑い者になるだけだわ。しかも、ノア将軍はザラの生まれで、母親は娼婦だっていう話じゃない」
「やめてください!それ以上彼を侮辱したら母上とはいえ許しません!」
ノクスが怒りの表情を浮かべ息巻く。
「そうだ、うちとは身分が違い過ぎる。ただでさえ男同士でなどと、お前はヴァレンシュタイン家の名に泥を塗るつもりか!」
ヨハンもフィリアに便乗するかのように大声で畳みかける。
はあ、と呆れた表情でノクスが大きなため息を付く。
「……分かりました、やはりあなた達には何を言っても無駄なようですね。凝り固まった特権意識と差別意識、世間知らずにもほどがある」
「な、なんだと?!」
それを聞いてヨハンが激高する。ノクスは冷徹な表情で淡々と続ける。
「あなた達に育てていただいたことには感謝しております。ですのでその感謝の証として毎月の仕送りは続けましょう。しかし、あなた達に私の人生を捧げる気はありません。絶縁していただいて結構です。これからはノクス・ノアとしてリカルドと共に生きてゆきます」
「ちょ、待ちなさい、ノクス!」
きっぱりというノクスにヨハンが慌てふためく。
リカルドも慌ててノクスを止める。
「そ、そうだぞ、ノクス。そんなに急いで結論を出さなくても……もっとお互い話し合って理解していけば……」
「いいや、この人たちは変わらない。それは一番私が分かっている」
冷たく言い放つとノクスがすっと立ち上がる。
「とりあえず、結婚の報告義務は果たしました。私はこの男と幸せになります。それでは」
ノクスはつかつかと扉の方に歩いていく。
リカルドが慌てて追いかけノクスの手を掴む。
「お、おい。待てよノクス……!」
「帰るぞ、リカルド。この人たちに何を言っても無駄だ。この人たちは貴族以外の人間には価値がないと思っている古い人間だ。いまさら何を言ったって変わらないだろう」
「そんなこと言うなよ。家族だろ?根気よく話せばきっとわかってくれるさ」
「どうだろうな、時間の無駄だと思うぞ」
「せっかくご両親とも健在なんだ。親は大切にしろ」
両親がいないリカルドにそういわれると言い返すことはためらわれた。
リカルドはヨハンとフィリアに振り向き口を開く。
「おっしゃる通り、私はザラ人で、母は女手一つで私を育てるため水商売をしていました。私は母を誇りに思っております。過去を今から変えることはできません。ですが、未来は私の努力次第でいくらでも変えられます。だからどうか、これからの私に期待していただけないでしょうか?」
「期待?」
ヨハンとフィリアがきょとんとリカルドを見る。
「騎士としてもっと活躍して、だれも私たちに文句を言わせないようにしますし、生活も不自由させません。まあ、彼の方が優秀なので私より稼ぎはいいかもしれませんが。」
リカルドが苦笑いをする。
「でも、彼がつらい思いをしているときは、傍にいて、一緒に悩んで、一緒に解決して、嬉しいときには一緒に喜んで、なんでも分かち合って、お互いを支え合っていければと思っております」
リカルドは大きく息を吸い、真っすぐ二人を見つめる。
「私は彼を一生愛し続けると約束します」
その真摯なまなざしに、言葉を失うヨハンとフィリアだったが、我に返って口を開く。
「その将来だって保証するものはないだろう?」
「そうよ。ずっと愛し続けるなんて、言葉では簡単に言えるけど保証は何もないじゃない」
「保証するもの、ですか‥‥こればっかりは信じていただくしかないかなと……」
リカルドは困ったようにしばらく考えると、ハッとひらめく。
「そうだ!」
小指を立て、ヨハンとフィリアに差し出す。
「指切りしましょう!もし私がノクス君を悲しませることがあったらこの指を切ってもらって構いません!一本で足りないなら腕ごとでも構いません。」
ヨハンとフィリアはいきなりの事に頭の整理ができず、ポカンとリカルドを見ている。
「ふふ……あははは……!」
ノクスの楽しそうな笑い声が部屋に響く。
「やっぱりお前は馬鹿だな」
「え?ええ~~?俺、結構真剣なんだけど??」
リカルドが情けない声を上げる。
一頻笑い終えると、ノクスはリカルドを真っすぐ見つめる。
「でもそんなところが、お前らしくて好きだ」
「ちょ、お前、ご両親の前で何言ってんだよ」
珍しくリカルドが頬を赤くして照れる。
「父上、母上、これがリカルドという男です。馬鹿で、幼稚で、浅はかで、愚直で、無鉄砲で、楽天的ですが、嘘はつきません。私はこの男と一生一緒に居たいのです。だから反対されたとしても私はこの男と結婚します。指と腕を取られてはたまらないので失礼します」
そういってノクスはリカルドの手を取ると、扉を開け部屋を出る。
「お、おい!お前、言いすぎだろ!あの、また来ます!」
捨て台詞のように言って、引きずられるようにリカルドが出ていく。
残されたヨハンとフィリアは二人が去っていったドアを狐につままれたような表情で見つめるしかなかった。
「ノクスがあんな風に笑うところを初めて見たな」
「ええ、あの子、あんな風に笑えるのね……」
ヨハンがポツリとつぶやく。
フィリアも初めて見る息子の心からの笑顔に唖然とし、ふっと口許をほころばせる。
「ノア将軍、あの人があの子を変えたのかしら?」
「ああ、少なくともこの家にいた時より幸せそうだったな」
突然現れた大男を思い出しながら、珍しく普段は合わない二人の意見が一致した。
オースの街に戻り、昨日と同じ店で食事をとった後、宿に戻る。
堅苦しいウエストコートを脱ぎ、リカルドはごろりとベットに寝転がる。
緊張していたからかどっと疲れが襲ってきた。
「あ~疲れた~~~」
「お疲れさま」
ノクスも部屋着に着替えると転がったリカルドの傍に腰掛ける。
リカルドがノクスの手に優しく手を重ねる。
「……いつか、認めてくれるといいな」
「……そうだな。努力はしてみよう」
ノクスもリカルドの脇に横たわる。
「はー、次は王への報告か~~。結婚って書類を出すだけだと思ってたが結構大変だなあ……」
天井を見上げてリカルドがぼやくと意地悪くノクスが笑う。
「なんだ、じゃあやめるか?」
「やめません~~~」
リカルドは楽しそうに笑いながらノクスを抱きしめた。
パレシアに戻ると早速二人は王への謁見を求めた。
去年玉座についたデュラン国王ベルナール・ロワ・メドヴェデットはリカルドたちより4歳上の36歳で、王族は家庭教師に帝王学や政治経済、外国語などを習うのが慣例だったが、優秀なベルナールはそれらを17歳の時にはほぼ習得。4年間士官学校で他の貴族の子弟たちと一緒に寮生活を送るという変わった人物だった。
また、士官学校在学中は第一寮の監督生を務めていた。寮では下級生の面倒を見るというファギングという制度があり、ベルナールの当番下級生(ファグ)はノクスだったので、卒業後も何かとノクスに目をかけていた。
少し変わり者ではあったが、気さくで、聡明で、戦争で疲弊しきったこの国をわずか二年で立て直しつつあるのは彼の功績だ。
貿易の活発化、宗教の選択の自由化、同性婚の施行などもベルナールの発案である。
夕方には謁見が認められ、リカルドとノクスは謁見の間で待つように通される。
「は~、緊張する~。ベルナール様お前の事気に入ってるだろ。反対されたらどうしよう……さすがに王を無視して結婚するわけにはいかないからな~」
「大丈夫だろ。あの方が同性婚を推進したんだ」
「そうだけどさ~」
「私の両親よりかは話が通じるお方だ」
そんな話をしていると王の側近がやってきて二人に告げる。
「ベルナール・ロワ・メドヴェデット陛下がいらっしゃいました」
リカルドとノクスはさっと片膝をつき頭を下げる。
つかつかとブーツの音が室内に響く。
緩くウェーブのかかった長い金髪と白テンの毛皮をあしらった深紅の羅紗のマントを翻し、デュラン国王ベルナール・ロワ・メドヴェデットが傲然と玉座に座る。
「おお、ノクス、久しぶりだな。リカルドはこの前の遠征からの帰還した時以来か。」
「はい、陛下。ご無沙汰しております」
「へ、陛下におかれましては、ご機嫌麗しく、謁見恐悦至極に……」
リカルドがなれない形式ばった挨拶にしどろもどろしているとベルナールが呆れたように遮る。
「なんだその堅苦しいのは……。顔を上げて楽にしろ」
ベルナールは煩わしそうに顔を二人の顔を上げさせる。
「はい、ではお言葉に甘えて」
「ありがとうございます」
二人は肩の力を抜いて顔を上げる。
ベルナールは王太后似の優し気な相貌とエメラルドのような綺麗な緑の目に金色の長いまつげをしており、36歳と思えないほど若々しく、ノクスの氷のような美しさとは違う穏やかな春の日差しのような美貌を持った男だった。
しかし、この外見に似合わず切れ者で、次々に新しい政策を打ち出す革命家でもあった。
そういうところがノクスと気が合うのだろう。プライベートでの二人は兄弟のように仲が良かった。
「二人そろって謁見とは珍しい。何の用だ?」
「はい、今日は陛下にご報告がありまして」
「ん?なんだ?申してみよ」
ノクスが言うと興味深そうにベルナールが尋ねる。
ちらりとリカルドの様子を伺うと、言いよどんでいるようなのでノクスから口火を切る。
「はい、私事で恐縮ですが今度結婚することになりまして、その報告に参りました」
「おお!やっとか!いつかいつかと思っていたぞ‼」
ベルナールが嬉しそうに椅子から乗り出す。
「お前はモテるのになかなか恋人を作ろうとしないし、なんだ、相手がいたのか。水臭い!で、相手は誰なんだ?」
「相手はここにいるリカルドです」
「ほう、リカルドが……ってリカルド?!」
「あ、はい、そうなんです。実は……」
ベルナールは驚愕の表情でリカルドを見る。
リカルドが苦笑いを浮かべる。
「なんだと?!お前たち、いつからそういう仲だったんだ?!」
「ええと、21の新兵の時からなのでもう11年ですかね……」
「そんな前からか!なぜ言わんのだ!どおりでリカルドにも縁談の話を持って行っても断られたわけだ……」
「す、すみません…!」
すねたように言うベルナールにリカルドが申し訳なさそうに頭を下げる。
まごつくリカルドに代わってノクスが口を開く。
「不義理を申し訳ありません。今までは戦争で国もピリピリしておりましたし、騎士団の将軍同士がそういう関係だと、いろいろと言う者もいると思いまして……」
「ああ、そうだな、上の老人たちはいろいろ言うだろうな」
「しかし、やっと国も落ち着いてまいりましたし、私もリカルドもいい年です。そろそろ結婚しようかという話になりまして」
「そうかそうか。いやー、驚いたが、めでたい!おめでとうノクス!リカルド!」
「ありがとうございます」
「ありがとうございます!」
ベルナールが嬉しそうにニコニコと笑う。
こう手放しで祝福してもらえると嬉しいものだ。
「で、式はいつ上げるのだ?」
「いえ、式をする予定はなく籍だけ入れようかと。ただ陛下にだけはご報告せねばとご挨拶に伺った次第です」
「なんと?!それはいかん!式をやらないのはいかんぞ!」
「しかしですね、私たちが式を挙げるとなると何かと問題が………」
リカルドが困り果てているとベルナールが追い立てる。
「どうせそのうち周知されるのだ。一人ひとり挨拶して回るよりも式を挙げて一気に周知させた方が効率的だろう」
「それは、そうなのですが、やはりまだ同性婚に顔をしかめる者もおりますし………」
リカルドを援護するようにノクスが口を開く。
「だからこそだ!王のお墨付きがあれば煩く言うものもおらんだろう」
「え?王のお墨付き??」
「いえ、そんな大事にするのはどうかと………」
リカルドとノクスが恐縮しているとベルナールが玉座から立ち上がる。
「いや、国の英雄同士の結婚だぞ!国を挙げて祝わなくてどうする!」
ポカンと見上げるリカルドとノクスにベルナールがビシッと指を指さす。
「これは王命だ!反対は許さん!」
そういわれるとリカルドとノクスは黙ることしかできなかった。
「よし、そうと決まれば日取りとセレモニーの内容を決めなくてはな!忙しくなるぞ~!」
「ベルナール様、今一度お考え直しを………!」
「式を挙げるなら、せめて慎ましやかな式で十分ですので…!」
ベルナールはウキウキと楽しそうに話を進めていく。
リカルドとノクスが止めても聞く耳を持たない。
「来賓として諸外国の外交官も呼ばなくてはな。同性婚という事は教会はロシュナ教のブレニアン教会がいいな。よし、さっそく企画書を作成しよう」
そういうとベルナールは楽しそうに謁見室を出ていく。
「まずい。大事になったぞこれは……」
「そうだな、ベルナール様は一度決めたことは中々折れないぞ」
残されたリカルドとノクスは嫌な予感に顔を見合わせた。
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