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Section7:配達人

53:もう一人の招待客 - 3

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 西暦二二〇三年十二月二日
 仮想世界〈プルステラ〉イギリスサーバー 郊外・山小屋

 一カ月が経った。
 短い秋が終わり、プルステラで最初の冬が到来する。
 さすがに、あの服装のままでは寒いので、ショップにて、冬用の衣類を上下で何着か揃えた。
 日本人の小学生が作ったという、手作りの服装だ。とても丁寧で、ファッショナブルでもある。
 ショップを見た時に、一番品揃えが良く、センスも良かったので決めたのだが、本当に小学生が作ったとは思えない出来である。
 充分な保温性を保つこの服装は、屋外で軽くトレーニングをしただけで、汗ばんでしまったぐらいだ。

 一方、VAHでは、ようやくソロで帝国へ行けるレベルに達していた。
 元々の反射神経と、それに見合ったパラメータを得て、ようやく均衡した。集中して鍛えただけあって、現実にいた頃よりも、だいぶ戦えるようになったと思う。
 プルステラでの肉体は、現世のソレをも遥かに超越した能力を持っている。
 人間の身体は、十メートル以上の高さから落下すると無事ではいられないと言うが、プルステラでは、少し鍛えれば、跳躍だけで十メートルを超える事も出来る。着地しても何ら問題はないし、気絶することだってない。
 そんな超人的な能力を元々備えているものだから、鍛えれば遥かに人間離れすることは目に見えている。私は、人間らしく、と言いながら、ここでも既に、人間を超えてしまっていた。
 だけど、そんなことはどうでも良かった。
 大事なのは、人間らしく生きられるか、ということだ。
 結局、私が求めていたのは、身体の在り方ではない。人間らしい人生なのだ。

 だから、この配達が終わったら、今度こそ普通の生活をしよう。
 畑を耕して農作物を作り、馬や、羊なんかを飼うのもいい。

 ……なんて。
 今から幸せに浸っていては何も出来ないじゃないか。
 まるで、老兵が軍を辞めたような考え方だ。こんなのは、判断力を鈍らせてしまう。

 デバイスギアを被り、暖炉の火を調整して、いつものようにベッドに横になる。
 山小屋での生活も、最初の頃に比べれば慣れてしまった。
 時が経てば、それも当たり前になっていくのだろう。
 私は、それが怖い。
 あんなに夢見ていた事が、ただの日常に変わってしまう、だなんて。

 私が「人形」であった事は、決して忘れてはいけない。
 そして、「人形」が夢見た、あの気持ちも、決して忘れてはいけない。
 幸せを、当たり前と感じてはいけない。

 私は、幸せであるこの気持ちを、常に大切に思わなくてはいけないのだ。
 大佐がこれからやろうとしている事は、この世界の終焉を呼び寄せるのかもしれないのだから……。


 ◆


 次にログインしたら、突入しよう――そう考えていたので、私は、既に国境都市アウゼンブルグにいた。
 装備も最強のモノに整えてある。
 防弾ジャケットの裏には、予備の石炭と実弾のマガジン、腰には手榴弾の束、背中には、二発分だけだがロケットランチャーと、予備のサブマシンガン。手にはアサルトライフル、ブーツにはナイフも仕込んである。端から見れば、機械人ギアウォーカーにしか映らないだろう。
 これだけの武装、本来なら、重みで移動速度にペナルティが課せられるのだが、それをも計算に入れた武装だ。武器を担ぐための筋力を最大に上げ、二番手のパラメータである素早さをも充分に上げている。
 石炭を扱うレーザー銃は、今回持ってこなかった。装填に時間がかかるし、狙いは、あくまで突破すること、だからだ。
 「坊や」がいるという、ブロッセンのA-10の座標は、帝国軍基地のど真ん中である。全滅させてから悠々と歩く、なんてことは出来ない。そもそも、あの兵士は「無限湧き」するのだから、いちいち相手にしていては、こっちが消耗してしまう。
 だから、道を切り拓くことだけを考え、出来るだけ相手にしない。
 私が最も得意としていた潜入――コソコソ動き回るような真似も、このような場所ではほとんど無意味だし、何よりも時間がかかる。万が一見つかってしまえば、潜入用の軽武装では、少しずつ体力を削られ、死亡するのがオチだ。
 結局、最強武装でゴリ押しし、真っ直ぐ突破していくのが最善と結論付けていた。無論、重たいので、突破にも多少時間はかかるだろうが。

「さて……と」

 ケンカを売るのは、あの仰々しい、巨大な鋼鉄の門からだ。
 両脇に構える兵士など、たやすい。

「貴様! 何者だ! ここをブリスタール帝国の領地と知ってのことか!」

 二人の兵士が蒸気銃を構えて怒鳴り散らす。
 システム上では、アクティブになった瞬間だ。もはや、問答は無用。

「ええ。存じておりますわ。だから、大人しく通して頂戴」

 アサルトライフルで軽く二つの頭を撃ち抜く。
 ぐらりと倒れる二人を無視し、そのまま門の隙間に向けてライフルを構える。

 一分と経たずして、巨大な門は、独りでに左右に開き始める。
 門兵がやられると、必ずここが開いて応戦に来るのだ。
 門を破壊する、という選択肢もあるが、こんなことで貴重なグレネードを使うわけにはいかない。

 門の隙間から兵士の顔が覗いた瞬間、その眉間を狙って数発。
 兵士は眉間から血を噴きながら顔を隠し、恐らくは隙間の向こうで仰向けに倒れた。
 続けて、背中のロケットランチャーを構え、充分に門が開いたのを確認してから一発放つ。
 煙の尾を伸ばしながら真っ直ぐに突っ込んでいくロケット弾は、前方の兵士三名程と、後ろに控えた機械人形オートマトンをまとめて後方へと吹き飛ばした。
 兵士は即死だが、機械人形はそうでもない。起き上がってくる前に、そのまま走って突入する。

 機械人形が入って来れないような狭い路地を走り、左手に見える軍基地の入り口へ。
 そこにも兵士が二名いるが、相手に気付かれる前にアサルトライフルで仕留める。
 一体どんな警備システムなのか、直ぐに警報が鳴り、門が開かれた。
 早速、機械人形が先頭を切って姿を見せるが、長い脚に向けて、もう一度斜め側面からロケットランチャーを発射すると、横倒しに倒れてくれた。
 ソイツを飛び越えて、目の前の兵士達をアサルトライフルで仕留める。
 二発の弾を撃ちきったロケットランチャーを捨て、アサルトライフルのマガジンを交換。
 兵舎や武器庫がある十字路で、一斉に前方、左右から攻めてくる兵士多数をアサルトライフルで蹴散らしながら、直進していく。
 その先にはT字路があり、素早く首を振ると、左手には坑道へ続く道、右手には不相応な洋館がある。私は、兵士達を蹴散らしながら、右手へ走った。
 洋館までの距離で、機械人形は……建物の影に隠れているものも含めると、およそ十体と予想する。
 アサルトライフルでは、鋼鉄の機械人形達をどうにかすることは出来ない。グレネードで足元を爆破させても、ロケットランチャー程の威力は望めないだろう。体勢は崩れないし、無駄遣いになる。
 幸い、さほど機動力は高くないので、その無駄に高い足元を潜っていく事にする。
 踏みつけようと足踏みする二本脚の間をすり抜けながら、アサルトライフルで前方から迫る兵士達を撃ち抜く。
 と、背後から追撃してくる機械人形のロケット弾二発を、着弾スレスレでジグザグに跳躍して一発ずつ回避。
 間髪入れず、次の曲がり角から四発のロケット弾が飛来。今度は避けずに、若干後ろに下がりながらアサルトライフルで集中的に攻撃し、空中爆破。
 ここで弾切れだ。装填している余裕はないので、建物の柱に飛び込み、屈んだ姿勢でサブマシンガンに切り換える。

「……ッ!?」

 目の前に、ぬっと兵士の顔が現れた。反射的にブーツから左手でナイフを抜き、首をカッ斬る。血飛沫が飛散し、私の顔と防弾ジャケットを赤々と染めた。

「あ……がっ……!」

 それでも手放そうとしないライフルをあらぬ方向に乱射しながら、ソイツは仰向けに倒れた。……すかさず、落とドロップしたマガジンを確保する。

 向こう側から銃弾が飛来し、柱に突き刺さる。僅かなスペースに身を寄せながら息を整えていく。
 目標地点までの距離は……およそ三十メートル。
 ここでモタモタしていては、消耗する一方だ。残りの弾丸を使ってでも一気に突入するしかない。

「よし……!」

 右手にアサルトライフル、左手にサブマシンガンを装備した私は、柱の影から捻るように飛び出した。
 目に映った兵士のことごとくを、片っ端から撃ち倒す。
 この中に民間人や味方の兵士がいたら、きっと誤射してしまっていただろう。
 そういう意味では、単独行動では何も考えずに済む。自分のペースで、ひたすらに邁進出来るのだ。

 兵士は意外にしぶとかった。防弾ジャケットか装甲なんかを着込んでいるからだろう。無人兵士MOBのクセに、嫌らしい装備だ。
 先程のようなヘッドショットは、立ち位置が分かりきっていたからこそ出来たわけで、こう動き回られては、狙う余裕もない。
 幸い、ゲームなだけあって、いくら防弾チョッキでも、重い銃弾を何発も浴びせれば、それなりのダメージを与えられる。良質の銃が必要だというのは、そういった理由があるからだった。
 しかし、倒れない敵に何発も使っていられるほどの余裕は、そこまでない。
 気付けば、あっと言う間にアサルトライフルの弾倉は空になり、一瞬躊躇してから、捨てた。一応、ここまでの行動は、予定の範囲内だ。
 ここからは、武器を捨てた分上乗せされる機動力で勝負をかける。サブマシンガン一つで相手をよろめかせ、そのスキに傍を通り抜けていく。仕留めることは考えない。
 なるべくして建物の屋根下や、停めてある装甲車の影に隠れながら、全速力で洋館へ。

 ようやく、無事に辿り着いた洋館の傍にいる兵士達は、そのほとんどがフェンサーだった。

「退きなさいよ!」

 ナイフ一本に持ち替えて、相手の太刀筋を避けながら太腿を裂いていく。
 脚に負傷を受けた兵士達は、部位損傷により、しばらく歩けない。軸脚が重要となる剣技も、この状態では、編み出すことが不可能となる。
 そいつらにわざわざトドメを刺す程の余裕は無かった。背後からは、先程巻いてきた兵士達が次々と迫っているのだ。

 鉄の門を押し開いて、洋館の敷地内に侵入する。一応、ガンナーの罠感知トラップ・サーチスキルで確認したが、地雷や機銃が仕掛けられている様子はない。
 さっと振り返ると、兵士たちは私を見失ったのか、唐突に諦めて引き返していった。精巧な人型ではあるが、所詮は作られたNPCだった。
 ……ということは、ここは安全地帯セーフティ・ゾーンなのか。

 広い敷地を真っ直ぐ歩いた先に、金属で出来た両の扉があった。
 取っ手はないが、替わりにガーゴイルを模したノッカーが取り付けられている。これで叩け、ということなんだろうか。
 そのノッカーに手が触れた時。

『ようこそ、新しいお客さん。何の用かな?』

 ノイズ混じりの少年の声が轟いた。壁の隅にある伝声管から聞こえてくるようだ。

「豚の遣いでやって来たわ。渡したいものがあるの」
『……へぇ。なるほどね。いいよ、開けてあげる。二階へ上がっておいで。左の通路の、一番奥の部屋で待ってるから』

 伝声管からノイズが消えると、扉は歯車の音を鳴らしながら、ゆっくりと奥に開いた。

 銃声に慣れた耳は、驚く程静かな洋館の中で違和感を覚えていた。今も、頭の片隅で幻聴が聞こえて来るぐらいに。
 そこは、ルネッサンス期を思わせる、美しい洋館だった。歩くたびに鳴ってしまう、無骨な、ガチャガチャとした装備の音だけが、周囲に響いている。
 いっそ、全部武装を捨ててから階段を上りたい……そう思える程、私の今の格好は相応しくなかった。
 言われた通りに二階へ上がり、疲れた足腰に鞭打ちながら左の道を進む。
 吹き抜けから一階を見下ろすと、高そうなシャンデリアが、直ぐそこにあった。幾つも管が天井に伸びている辺り、蒸気の力か、ガスで火を灯しているのだろう。ルネッサンス調とは言え、独特の蒸気文明は要所要所で関わっているのだ。
 長い通路の奥には扉があり、その脇には、何やら彫刻入りのテーブルが置かれている。天板は丸くくり抜かれ、余白には様々な形状の歯車が積み重なっている。
 何だろう、と思っていると、あの声がまた、聞こえてきた。

『部屋に入る前に、壊れた歯車を直してくれるかい?』

 ……なるほど。テストってわけね。
 会うにも相応の頭脳を持て、ということか。

「……時間は?」
「察しが良くて助かるよ。制限時間は五分。時間切れになると、屋敷内に潜んでいる機械人形達が捕まえに来るよ。……じゃあ、頑張って』

 クスクスという嘲笑が聞こえたかと思うと、目の前の壁から歯車だらけの壁時計が出現する。
 ……なるほど、コレがタイマーってわけか。
 テーブルに置かれた歯車は大小様々。どうも、欠けたピースは複数必要とするものもあるらしい。
 まずは、全てのギアを組み合わせてみる。
 穴の位置と直径から、歯車の大きさを選別。……なんだ、簡単じゃないの。
 小さい四つのピースは、テーブルの上の穴とは関係なさそうだ。まさか、と思って脚の方を調べると、そこに小さな穴があり、見事、残りの歯車が嵌まった。
 最後の一個は、そのどれとも違う、中ぐらいの大きさのものだ。
 天板でもない、脚でもない、引き出しは開かない……となると、答えは一つ。
 天板の裏側を覗き込むと、そこに一つの穴があった。歯車はきっちりと嵌まる。
 同時に、ガチャン、と全てが噛み合った音がして、キリキリと音を立てながら、歯車は一斉に動き始めた。
 すると、閉ざされていたはずの引き出しが、音もなくすうっと開き、歯車のついた金色の鍵が姿を見せた。
 私は、余裕綽々に鍵を摘み上げると、そのまま扉の鍵穴に差し込み、捻った。
 扉は開く。何と呆気ないことか。
 一歩踏み込むと、パチパチ、と拍手が聞こえた。

「凄い凄い。前に来た子よりも、だいぶ早いなぁ」

 部屋に入った右手奥。そこには、豪華な椅子に座る、一見すると私と同じぐらいの歳の、銀髪の美少年の姿。帝都の軍服に身を包んでいるが、カッコいいというより、可愛いといった印象だ。
 テーブルには蒸気端末と呼ばれる、コンピュータのようなモノが置かれている。洋館に関わる様々な指示やモニタリングは、そこで行われているようだった。

「あなたが、『坊や』?」
「そう呼ばれるのは好きじゃないんだけどね。……でも、その呼び名を知っているってことは、アイツの遣いで間違いなさそうだ」

 「坊や」というあだ名の美少年は、立ち上がって恭しく礼をした。

「僕の名前はキリル。よろしく、美しいお嬢さん」

 私も、スカートの裾を持ち上げて軽く礼をする。

「私は、ジュリエットよ。こちらこそよろしく、キリル」

 キリルの口から、溜め息が洩れる。

「……キミ、武装するより、ドレスの方が似合いそうだね」

 まぁ。口説いてるつもりなのかしら、この子。

「それはどうも。……で? 私は何をすればいいのかしら?」
「折角来てくれたんだから、本当は、ゆっくりお茶でも、と思ったんだけど……、困ったことに、キミの美しさに惹かれてか、余計な客までついて来てしまったようだ」

 何の冗談、と思ったところで、パスッと何かがささやかな破裂音を立てた。
 銃声……消音器サプレッサー!?
 ところが、何処かから撃ちだされたはずの弾丸は、キリルの目の前で何かに阻まれて制止し、弾丸の先から発せられた衝撃が、揺らめく波紋となって広がった。
 魔法障壁……のようなものだろうか。
 やがて、力を失った弾丸は床に落ち、静かな部屋に乾いた音を響かせる。

「……このセキュリティを破って侵入するだなんて。キミ、只者じゃないな」

 私は、恐る恐る振り返った。
 そこには、血の如く真っ赤な仮面を付けた黒いロングコート姿の、長身の人物が立っていた。性別は判らないが、男のように思える。
 ソイツは何も言わず、私の傍を通ってつかつかと歩き、じっとしているキリルの目の前で、腰に差した直剣を素早く抜いた。

「…………え?」

 私は目を疑った。
 一瞬のうちに、剣はキリルの胸元に突き刺さっていた。
 太刀筋が全く見えない。……いや、動かした形跡すら無かったのか。

 少年は血の花を咲かせている胸元を冷静に見つめ、それから、顔を上げて平然とした様子で言葉を紡いだ。

「……やれやれ、乱暴だなあ。それも、秒間六十という決まりフレームをすっ飛ばして剣を突き刺すだなんて……チートもいいところだよ」

 男か女かも判らないソイツは、機械的な声で「ほう」と驚嘆する。

「……NPCか……これほどまでのAIとは……、恐れ入る」
「どういたしまして」

 ……何ですって!?
 これで、人工知能AI!? もしかして、この「キリル」というプレイヤーを、誰かがNPCとして作った、とでも言うの?

 キリルは、クスクスと笑いながら、私の方に顔を向けた。

「美しいお嬢さん。キミは、『僕』の意志で、パーティーに招待してあげよう。首都まで届けるから、直ぐにログアウトするんだ。必要なプレゼントも後で届けるから、DIPを覗くといい。……この不届き者は、僕がどんな手を使ってでも食い止めておこう」

 キリルは、傷つくのも恐れずに、直接左手で剣の刃を掴みながら、右手で素早くキーボードを操作した。
 私の目の前に鏡が現れる。確か、キャラメイクに使った時のポータルだ。

「しまっ……!」

 黒ずくめは剣を放して振り返り、腕を伸ばす。
 だが、それよりも先に、私は素早く鏡の中へと身を投じた。

 その黒いグローブに包まれた手は、私の、ほんの数センチ目の前の宙を握った。
 同時に、私の視界は真っ白な靄に包まれ……。

 ……視界が開けた時には、アーデントラウムの管理局にいた。

 指示通り、直ぐにログアウトを試みる。
 安全圏なので、待機時間は短い。十秒ほど待てば、プルステラへ帰れるだろう。

 その僅かな時間で、興奮で高鳴る胸を抑えながら、あの黒ずくめの事を思い出した。

 ……あんなヤツが目の前に現れたら、私には、何も出来ない。
 これは、真っ当な勝負ではない。ルールを超えた殺し合いだ。
 私が一カ月間行ってきた訓練は、あくまで想定内の範囲で攻略、対応するための訓練だった。

 でも、これは違う。
 ヘタをすれば、キャラクターデータすら破壊しかねないような、途轍もなく危険な争いだった。

 アイツは、一体、何者なんだろう。
 キリルと同じような腕を持つウィザードか。或いは、運営会社のゲームマスターGMか何かか。
 いずれにしても、関わってはならない。
 私は、頼まれたブツをキリルに届ける……それだけでいいのだ。


 ◆


「惜しかったねぇ、キミ」

 キリルは、口の端を不気味に吊り上げて笑った。
 黒ずくめは、伸ばした手を静かに引っ込め、ゆっくりと振り返る。

「……まだ機会はある。いずれまた、お手合わせ願おう」

 黒ずくめは、キリルから強引に剣を引き抜くと、さっと血を払ってから腰の鞘に納めた。
 間もなくして、キリルの胸元に広がっていた放射状の赤い染みは、傷口に向かって吸い込まれるように収縮していき、傷と共に元通りに修復された。

 キリルは呆れた顔をした。

「せめて自己紹介ぐらいしていってよ。キミは一体、何者なんだい?」
「AIに名乗る名はない」

 黒ずくめは、それだけ言うと、キリルに背中を向け、一直線に駆け出した。
 キリルの顔から笑みが消える。
 腕を伸ばし、何処からか蒸気銃を具現化させたが――。

 その頃にはもう、黒ずくめは窓を突き破り、外へ飛び出していた。
 一人残されたキリルは、戻った静寂の中、銃を手品のように掌の中へ消し、監視カメラのモニタを再度確認した。
 ログを観ても、あの黒ずくめの姿は、何処にも映っていない。
 キリルの瞳に、一瞬だけ、光が宿る。
 替わりに、その表情からは、自信がすっかり失われていた。微かだが、恐怖すらも、入り交じっている。

「…………参ったな。強敵だ。あの子達の旅の妨げにならなきゃいいけど……」

 少年は眼を閉じ、胸元で手を組み、俯き加減で小さく呟いた。

「カイ……僕に、今一度ひとたびの勇気を……」
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