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Section7:配達人

50:ヒトに焦がれた人形

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 ――二二〇三年十一月三日。イギリス、ロンドン市内。

 その日は、ぼんやりと白い天井を見上げながら、自分の身に起こった事を何度も何度も振り返っていた。
 あれは、最初で最後の任務だった。
 私は、たったそれだけのために生まれ、目的を成すために命を削った。
 この肉体は、激しい運動によって寿命を消費する。
 何もしなくても最長で十五年しか生きられない紛い物の身体だ。ヒトと等しく成長するくせに、ヒトよりも早く衰えていく。
 だから、命の灯火を燃やすのを厭わない。生まれた意味を成さぬまま死ぬよりは、誰かに必要とされるのなら、それ程に嬉しいことなど、この上ないのだから。


 ***


 気を失っていた私は、静かに運ばれていく担架の中で目を覚ました。
 昨日の事だ。時間は……判らない。病院内の静けさからして、多分深夜だっただろう。
 狭い視界で、ぼんやりと目に映ったのは、エリック・ハミルトンだった。

「……エリック」

 小さく呼びかけると、彼は、はっと私を見下ろして、安堵の溜め息を洩らした。

「……ああ、ジュリエット。良かった。気がついたんだな」

 彼は、私を「ジュリエット」と呼んだ。
 実のところ、彼とは先輩後輩という関係で長い付き合いになるのだが、一度もちゃんとした名前で呼ばれた事は無かった。
 ホワイトやシルクとさえ、呼ばれなかった。大佐が名を付けるまで、私には正式な名前が無かったからだ。

「エリック。私、やり遂げましたよね……?」

 私には、漠然とした不安が付きまとっていた。
 その原因は多分、この脈打つ痛みを感じる、左足にあるのだろう。

「……大丈夫だ。本当に良くやったな。……それと、色々とすまなかった。キミ一人を巻き込んでしまって」

 その言葉だけでも、私は救われた気分だった。
 私は、自分でも顔が綻ぶのを感じながら、小さく首を振った。

「いいんです。私は、その為に生まれてきたのですから」

 エリックは初め、憐れむように私を見下ろしていたが、やがて、苦笑混じりの笑いに変わると、気取った木製のフルリムの眼鏡にぽつりと、小さな滴が落とされた。
 彼は、眼鏡を取ってレンズをハンカチで拭きながら、「あぁ、そうだ」と、誤魔化すようにして、何かを思い出した。

「大佐から言伝てがあったよ。約束通り、願いは叶えてやると」
「ご無理をなさらなくてもよろしいのに。でも、折角なのでお受け致しますわ。大佐に叶えられるのか甚だ疑問ですが」

 相変わらず私は、大佐を小莫迦にしている。
 私とは別の私が、大佐にはこのぐらいのセリフが丁度いいのだ、とけしかけていた。
 ……私は、素直じゃないのだ。客観的に見れば、俗に言うツンデレというヤツに違いない。

 エリックは、そんな私の毒舌に、ほんの少しだけ笑ってくれた。
 彼は彼で、私の味方をしてくれるようだった。

「その願いと言うのは?」エリックが訊いた。
「あら。あなたも知っているはずですよ、エリック。私は人間になりたいんです。人間としての機能を充分に持ち合わせた、正真正銘の人間に。
 こんな軍事に関わらず、自由気ままに生きていく……それが、どんなに嬉しいことか」

 叶うはずがない。
 ヒトとして生まれてきた人間に、例えば、馬になる、だなんて。
 いくら遺伝子工学が発達していても、そのような無理は通せない。
 それは、私についても同じだ。
 限りなくヒトに近付いた身体でも、ヒトとして生きることは許されない。
 そのように、創られていないからなのだ。

「それは……どっちをご所望なんだ?」

 ……なのに、エリックは二度も問いかけてきた。
 同情なのか、その先を訊く事に意味はないはずなのに。

 でも、その問いかけには、少なからず「可能性」が見えていた。

「どっちって……現世か、プルステラか、と言う事ですの?」
「ああ、そうだ」

 つまり、なのか。
 私は、何となく理解した。
 大佐には、それだけの力がある、ということだ。

「それは……、少し考えさせて下さいな」


 ***


 もし、現世で生きると答えたなら、生体兵器としての機能を外し、肉体を再改造する、ということだろう。寿命については、延命出来るのか予測がつかない。
 もし、プルステラで生きるなら……それは言うまでもない。

 無理難題を押しつけて断られるより、大佐の出来る範囲で、と考えてはいたが、エリックの質問が可能性をもたらしてくれた。
 後は、私自身が変わるための、勇気が要る。

 ベッドの下に目を落とすと、直ぐそこに車椅子があった。
 残念なことに、そいつは左側に置かれている。
 私は、ゆっくりと体勢を換えて右足からベッドを下りた。
 慎重に左足を引き抜くと、棒のように直線となった私の脚が目に映った。足首にはぐるぐると厚めの包帯が巻かれている。
 右足でひょこひょこと車椅子に向かったが、それだけの力を出すのもやっとだった。
 私が持つ力というのは、既にあの日に全て、使い果たされていたのだ。
 地面を蹴って、背面飛びで倒れ込むようにして車椅子に腰を落とす。
 ブレーキを外して、ハンドリムを回す。
 それは、多少力の要る作業ではあったが、今の私でも、何とかこなせるものだった。

 誰もいない病室を抜けると、そこは様々な人が往来する、極々一般的な、病院の通路だった。
 一般人として扱われたのだ、と思うと、それだけで私は嬉しかった。

 しばらく通路を進んでいると、前方から担架が運び込まれてきた。

「すみません! 担架通ります!」

 看護婦が叫ぶ。
 ガラガラと、けたたましい音を立てて運ばれる間も、患者は口許に酸素マスクをあてがわれ、苦しそうに喘いでいた。
 僅かの出来事だった。
 今にも死にそうな患者は、手術室へと運び込まれていった。
 怪我、というわけではなさそうだ。恐らくは大気汚染病の患者だろう。

 ……私は、その様子を、冷やかに見つめていた。
 私のなりたい人間というものは、愚かだった。自ら蒔いた種で、自分を滅ぼしている。
 それなのに、人間は、人間である事を止めると言うのだ。アニマリーヴという方法を用いて。これを愚かと言わず、何だと言うのか。

 私は、そんな人間になることに、今も憧れている。

 ……いや、憧れているのは、自然の摂理という加護だろうか。
 天から授かった、ヒトとしての当然の権利を受け、ヒトらしく世界に生きる。こんな、紛い物の生体兵器なんかではなく。
 なれるものなら、動物だっていいかもしれない。それだって、生きているという実感が湧くものだ。

 そう考えた時、結論は導き出されていた。
 もはや、この世界で、私が生きる意味はない。
 例えば、この世界を人間に見立てた場合、それは、私のように人間の手にかかり、尚且つ、穢されたモノに過ぎないのだ。

 救いようのないぐらい、真っ黒な世界。
 終末へ向かうだけの、力を失った文明。

 折角、人間として生まれ変わったとしても、滅びゆく世界を前に、一体何が出来ると言うのか。
 人間という種は、間もなくこの世から消えて無くなり、人間が残した遺産が風化していくまで、ただ、時だけが過ぎていく。
 そんな世界に生きて、何が得られるというのか。

 だったら、この際、同じ紛い物でも構わない。
 私は、あの世界で生きていこう。
 どの道私は、このままではもう、長く生きられないのだから。


 ◆


 その日のうちに、連絡をして迎えに来てくれたエリックが、直ぐに私を連れ出してくれた。
 車を走らせて、四十分程度。
 再び車椅子に戻された私は、エリックの手で、作戦会議を行った、あの雑居ビルの事務所へと運ばれていく。
 そうしている間、まるで私がお姫様プリンセスで、エリックが騎士ナイトのようだった。
 それも悪くないわね、と内心ニヤニヤする。

「ジュリエット!」

 会議室に待機していたオーランド大佐は、席から立ち上がると、私の前で跪き、私の頬を両の手で挟み込むようにして撫でた。
 まるで、おじが、久々に会った姪にする挨拶のようだった。

「良く来たな。具合はどうかね?」

 大佐も、私のことを「ジュリエット」と呼んだ。任が解かれたからだろう。

「ええ。だいぶ良くなりました。足の方はまだ、鎮痛剤が必要ですけれど」
「それだけの大怪我をしたんだ。しばらくは痛むだろう。……本当にキミには――」

 頭を下げる大佐の口を、私は、人指し指で封じた。

「大佐。その手の話にはもう、聞き飽きました。……いいのです。私は、成すべきことをしたまでなのですから」
「そ、そうか……」

 大佐は、少々気まずそうに頭を掻いた。

「それで、ジュリエット。今日来たのは、例の報酬の件だな」
「ええ。答えが出ました。プルステラへ行かせて下さい」

 大佐は、プルステラの事を心底疑っている。
 とは言え、現世と比べれば、まだマシな方とも考えているようだった。

「本当にそれで、いいんだな?」

 大佐は、真っ直ぐに私の瞳を見つめた。
 覚悟を確かめているようだった。

「構いません」
「実際にカプセルに横たわった人を見ても、そう言えるのか?」

 それは、私にしか知り得ない事情だった。
 実際にアニマリーヴの過程を踏み、潜入したアーク内部。
 仮死状態で眠る人々。
 本当に魂が移された、という実感は、ない。
 それでも、あの楽園が本当に存在するのであれば、確かにプルステラへと移されたのだろう。

「私の夢が叶えられるのは、今は、あの世界しかありません。……なら、ただ死んでいくよりも、多少妥協したって、今よりもヒトに近しい存在として生きられるのなら、私はそれを願います」

 妥協だった。
 もはや、百パーセント、人間として生きられる道はない。
 だったら、仮想世界でも何でも構わない。
 せめて、このアニマが人間として生まれ変われるのなら……それで構わない。

「……判った」

 オーランド大佐は、目を閉じてゆっくりと頷いた。

「それならば……すまないが、もう一つだけ頼まれてくれないか。今のお前にしか、出来ないことだ」

 私は、露骨に嫌そうな顔を向けた。

「もう一本の足首を折れ、と言われても、断れないんでしょうね。アレだけの働きをしても、まだ何か足りないとおっしゃるのですか?」

 大佐は、慌てて手を振った。

「いや、そういうわけじゃないんだ。キミがやってきた任務の意図は把握しているな?」
「現実世界からプルステラへの通信を可能にする……確か、そういうことでしたわよね?」
「そうだ。故に、既に顔を知られてしまったキミを、ここからアニマリーヴ出来るようになった、というわけだ。そういう意味では、キミはキミのために働いていた、ということにもなる」

 ……言葉では、どうにでもなるじゃないか。
 口にはしないが、心の中で悪態をついた。

「……では、あと、何が足りないのですか?」

 私は、口を尖らせ、ぶっきらぼうに言い放った。

「今度は、プルステラから現実世界へ通信するための手段だよ、ジュリエット。それを実現するには、向こう側からデータを発信するための鍵が必要なんだ」
「……つまり、私が中継機にでもなる、ということですか」
「いや、違う。キミはそこにいるブレイデンが探しているウィザードを見つけ出すんだ。そいつに、予めキミのインベントリに入れておくツールを渡せば良い。相手はそれを受け取った地点で、全てを理解してくれるだろう。……それ以外に手を加えるつもりはないし、後は何もかも忘れて、自由に暮らして構わない」

 新しい身体にどうこうするわけではない、と言うのなら、特に拒む理由も無かった。
 理由も筋が通っているし、そうしなければ相互通信が不可能というのも事実だ。

「なるほど。お遣いですか。そういうことでしたらお引き受けしましょう」
「ありがとう。頼んだぞ」
「……でも、そんなことをして、大佐は何がしたいんですの?」

 大佐は、ようやく立ち上がり、近くの手頃なパイプ椅子を引っ張ってきて逆向きに座った。

「真実を知ることだ。まだ、誰にも知られていない秘密が、間違いなく、存在する。相互干渉さえ上手く行けば、ヤツらのブラックボックスを解き明かす事も可能になるだろう」
「……そっとしておいてあげないのですね、大佐は」

 新たな人生を迎えた人々に、危険を晒すような真似を。
 ただでさえ、プルステラへ移住した移民達は、VR・AGES社の人質になっているというのに。

 大佐は、苦虫を噛み潰したような顔をした。

「不安要素は丸ごと取り除きたいのだよ。それさえ出来れば、私も仕事を終え、喜んでプルステラへ行けるのだがね」
「つまり、物件の下見と、不良箇所の改装ですね」

 私は皮肉たっぷりにそう言ってやった。
 大佐は疲れたような、呆れたような顔で肩を竦めた。

「まあ、そういう事だ。……手順に関してはブレイデンから説明がある。他に要望や質問はあるか?」

 上手く丸め込まれたような気はするが、一応世話になったのだから、そのくらいの事はしてあげよう。
 任務については問題ないだろう。後は……。

 私は、長く伸びた前髪の一房を摘み、目の前に持ってきた。
 それは、絹のように、さらりと透き通った白色だった。

「……大佐。もし、出来るのでしたら、あちらでの髪の色は、黒髪か、金髪ブロンドがいいですわ。この白い髪は、造られた、という証なので」
「ああ……それもそうだな。……ブレイデン、問題ないか?」

 大佐は振り返り、PCの影に隠れた人物へと呼びかける。
 そこから、もったりとした声が返ってきた。

「もも、問題、ないねえ」
「……だそうだ。なら、キミには金髪を差し上げよう。黒髪よりはきっと、似合うはずだ」

 どういう基準でそう思ったのかは、深く考えないことにした。
 金髪も、憧れのヘアカラーだった。

「ありがとうございます」
「よし、では、ブレイデンから説明を受けたまえ。私もキミのために、旅立ちの準備をするとしよう」


 ◆


 ……ブレイデンの言葉は、理解に苦しむ喋り方だ。
 それでも、何とかレクチャーを受けること一時間。
 私がやるべきことは、存外複雑である事を知った。……やられた、と思った。

 しかし、どこか愉しそうでもある。
 こんな任務、今までにこなした事が無かった。例えるなら、本気で娯楽をやれ、と言われているようなものだ。

「……と、とと、と言うワケだから、きき、気を付けてねぇ」
「ええ、判りましたわ」

 長いレクチャーが終わり、私は、ほうっと一息ついた。
 振り返ると、エリックが同情するように目配せをした。

「では、ジュリエット」

 話が終わった、と判断した大佐が、自分の席から指示を出した。

「そこのベッドに横になってくれ」

 大佐が指したのは、ブレイデンの目の前にある、部屋に入った時から違和感を覚えたソレだった。
 ベッド、とは言うが、僅かにVの字に曲がった、美容室か歯医者で使うような革製の椅子ではないか。
 私は、エリックにお姫様抱っこで抱えられ、そこに座らされた。

「あのカプセルほど快適な造りにはなっていないが、急にこしらえたものでな。有り合わせの素材で造った」
「ちゃんと機能しているんでしたら、そこまで贅沢は申しませんわ」

 ふふんと鼻で笑いながら嫌らしく告げると、大佐は、むっとなって顔をしかめた。

「……相変わらずの毒舌だな」
「命を賭すのですから、それくらいの事は我慢して頂きたいものですわね」
「判った判った。……それじゃあ、その……東南アジアで造る竹籠のような物体を、頭に被ってくれ」

 大佐がヤケになって「ヘッドギア」を指差した。
 私は、笑いを堪えながらソレを頭に被る。

「キミの手元にあるボタンがアニマリーヴ用のスイッチだ。コイツばかりは再現している。キミの好きなタイミングで押したまえ」

 ――忠実?
 右の手元に飛び出している、棒状の赤いボタンに目を移す。
 ……ああ、なるほど。これは車のサイドブレーキだ。確かに、押し応えはそっくりかもしれない。

「では、これで本当のお別れですね」

 別れ、と言うには余りにも頼りない面子ではあるが。
 私には、これが、唯一の家族のようにも思えた。

「エリック。あなたには、本当にお世話になりました」

 私は、長身の彼に礼を述べた。
 エリックは、身体を折って頭を下げた。

「いや、僕の方こそ、色々とキミに負担をかけてしまった。申し訳ない」
「あなたが謝る必要なんてありませんわ。……それと、妹さんの事、私が代わりに気にかけておきましょうか。エリカ、でしたわよね?」

 エリックは……それまで顔色を変えなかったエリックは、途端に堅い表情を崩し、私の手を、何かに懇願するように、両手で暖かく包み込み、軽く口づけをした。

「そう、エリカだ。エリカ・ハミルトン。……ああ、ジュリエット、本当にありがとう! もし、彼女に会う事があれば、赦してくれと、一言そう伝えて欲しい。それだけで、伝わるはずだ」
「判りました。時間は充分にありますし、いつかきっと、探し出してみせましょう」
「ああ。頼んだよ」

 エリックは、手を放した。心なしか、彼の表情は、いつになく明るく見えた。

「大佐も……ブレイデンも、どうか、お元気で」

 そっちの二人は、何も言わなかったが、手を挙げ、小さく頷いた。
 私は、目を閉じ、決して快適とは言えない椅子に頭を埋め、固いサイドブレーキのボタンをぐっと押した。

 これで、今度こそ、私は、本当の意味での「死」を迎えられる。
 そして、新しく生まれ変わり、新世界の人間として生きていくのだ。

 ――さようなら。皆さん。
 さようなら。私の、桑の木人形マルベリー・ドール
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