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Section5:守護者

36:交渉

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 きっかり一週間後。密会や内密な会議に使っている、とある雑居ビルの事務所で待ち合わせていると、エリック坊ちゃんがある人物を連れてきた。アメリカに残る数少ないウィザード、ブレイデン・パーカーである。
 正直、イケ好かない野郎だ。ギリギリ中肉中背、ダブダブのズボンのポケットに手を突っ込んで肩を竦ませた猫背姿で、髪は脂ぎっていて立ち上がった寝癖のままである。私とは決して目を合わせようともしない。
 それでも、交渉に応じた中では最も優秀なハッカーであり、プルステラを覗ける程の実力者らしいのだ。

「お、お、思い切った事を考えるねぇ、大佐さん」

 他人と喋り慣れていないのだろう、彼は言葉をどもらせながら言った。

「プ、プルステラを覗いて、な、な、何しようっての?」
「会話だ。今、プルステラにもウィザード級のハッカーが何名かいるらしい。彼らと連絡できる手段を形成して欲しい」

 ブレイデンは口の端を上げ、クックックと小さく痙攣するように笑った。

「……い、いいね! そういうの、いいねぇ! ボクもね、た、他人の罠にかかるのは、イヤなんでね。……い、いいよ。やろう。む、難しいけど、やろう。……そ、それで? ほ、報酬とか、あるの?」

 私は前もって考えていた提案を述べた。

「ロンドンへ移住する、という前提になるが、電気、ガス、水道……それらを一生分供給し、使い放題というところでどうだ? 今後、生きていくのも大変だろう?」
「じ、じ、地味だねぇ。う、うん。それはいいよ。で、でもね、出来れば、も、もう一声、ほ、欲しいよねぇ」

 ――調子に乗りやがる。だが、そんなのも想定内だ。たかが一人。予算の許す限り、何でもしてやろうじゃないか。

「何が欲しいんだ?」

 そう問いかけると、ブレイデンは不気味な笑みを浮かべ、興奮気味にこう答えた。

「は、『方舟』! ア、アークが欲しいねぇ! どどど、どうなってるんだろうねぇ、アレ! きょっ、興味があるよぉ!」

 私は顔をしかめた。

「そいつは無理だろう。所有の管轄はアメリカの本社だ。我々が手を出せるわけなかろう」
「で、でで、でもねぇ。ら、ら、来年の四月から、つ、使われなく、なな、なるよね? そ、その時でもいいんじゃないかなぁ?」

 確かに、アークに保管されている搭乗者の肉体は、アニマリーヴから丁度一年後――つまり、最短だと四月に処分されるものが出てくる。その時にアークはアニマポートに戻り、二度と動かされることはない。アニマリーヴ転送装置の機能もバベル側から完全にアクセスを遮断してしまうので、実質、アークの役割はそこで終わることになる。アニマポートに戻ったが最後、本当に一度きりの帰還でしかないのだ。

「し、しし、知ってるんだよぉ? ア、アークの使用後は、か、か、各国の支社が、しょ、処分するんだってさぁ」

 さすがに色々と調べたようだ。そこまで知っているのなら、隠し立ては出来ないだろう。
 私は仕方なく、駆け引きに応じた。

「へへ、へへへ。こ、交渉成立、だ、だねぇ」

 ブレイデンはまたも小刻みに肩を震わせると、直ぐに踵を返し、勝手に出て行ってしまった。

「……後は自分が。進展がありましたらお伝えします」

 エリックは一言告げると、一礼して速やかにブレイデンの後を追った。
 取り残された私は、途端に力が抜けるような疲れを感じ、椅子の背もたれに身を任せながら頭を振った。

「やれやれ……。基地で働くよりも大変だな、アイツは」


 ◆


 二日経った。既にブレイデンは環境を構築し終え、貸しアパートにて作業に取りかかっている。
 私は管理局の長い廊下を歩きながらその白い天井を見上げ、アニマポートの危険性について考えていた。

 管理局は確かに軍の管轄ではあるが、同時にVR・AGES社の掌の上ということでもある。少なくとも職場での盗聴や盗撮がないかは毎日隅々まで確認しているので大丈夫と思われるが、ブレイデンとわざわざ外の事務所で会ったのは、通り道となるアニマポート内で有人無人に関わらず「何か」に目撃されないようにするためだ。
 ブレイデンもそれが正しいと言っていた。彼が初めから持っていた情報によれば、アニマポートには目に見えない程微小な盗撮カメラが何台も壁や天井、柱なんかに仕掛けられており、常にどこかと接続しているのだという。

 その接続先は、と訊ねると、彼は半ば残念そうにこう言った。

「あ、あの、VR・AGES本社じゃないってのは、た、確かだよぉ」

 ……だが、それ以上は判らないらしい。
 VR・AGES社のセキュリティーシステムは独自のものだが、子会社に頼んだ、というわけでもないらしい。
 となると、考えられるのはブラックボックスの塊であるバベルの中か。

 どうにかしてあの中に入ることが出来れば、と思うが、今はその時ではない。
 僅かしかない情報を必死で掻き集め、針の穴ほどのセキュリティーホールを抜ける――そのぐらいの情報が必要なのだ。

「ビセット大佐」

 名を呼ばれて視線を落とすと、そこにエリックがいた。

「プルステラ内との連絡方法につきまして、一つ判明したことがあります」
「ほう? 早いな」

 だが、彼は小さく首を横に振り、何かについて否定の意を示した。

「片側からではダメなんです。プルステラ側とこちらが同時に呼び合わなければ、通信を接続することは出来ません」

 私は剃り残しのあご髭をさすりながら、その仕組みについて思い当たるものを考えた。

「……つまり、電話の着信音で相手を呼び出すようなタイプではなく、大昔の初期型携帯ゲーム機に使われていた赤外線通信みたいなものか。同時に発信を試み、互いが受信することで接続出来るという」
「はい。そのためにはプルステラ内のアドレスも必須となります。無論、相手にもこちらのアドレスが必要となるでしょうが」

 結果的に現状では無理、ということだ。
 別途何らかの方法でアドレスを知り、教える必要がある。逆に、そこまで行けばファーストコンタクトは完了したも同然なのだが。

「引き続き調査を。それと、VR・AGESの社員は割り出せるか?」

 エリックは眼鏡を中指で押し上げた。

「民間人の減少によって情報源も減りつつありますが、何とか可能でしょう。Mi6に相談してみます」
「うむ、頼んだぞ。僅かでもいい。手がかりを掴んでこい」

 エリックはいつものように敬礼をして去って行った。
 後に残された私はアニマポートをぶらつくことにする。

 今日もアニマポート内は利用客が疎らだ。一時期は物珍しさにアニマリーヴ時ぐらいの人が集まったものだが。
 弁当を買って登山口へ歩く人。ベンチでタブレットを持って読書をする女性。手を繋ぎ、散歩をしている三歳ぐらいの幼い少年とその母親。……かと思えば、アタッシュケース片手に堂々と歩くスーツの青年までいるが、これはただの通り道として利用しているだけだろう。

 まるで、公園じゃないか。
 こうまでして自由に人を歩かせている理由。ここを一種の公共施設として利用させている理由。
 何もかも頑ななバベルとは対称的であることが、私にとっては違和感を覚える。

 アニマリーヴをスムーズに行うため、安全な施設として認識させること?
 或いは、モールの商売で、アニマリーヴで消耗した資金を回収するということ? ――無論、それもあるだろう。

 無数に仕掛けられた極小の監視カメラ。そうと気付かずに利用する無防備な客達。
 安全と認識させておきながら、やはりバベル級のセキュリティーは健在だということか。

 だが、一体何のために?
 監視と警備は我々の仕事だ。既に別途監視カメラを設置してあるというのに、更に高性能なカメラでこの一体を監視している。その情報すら共有されない。
 ……つまり、監視業務――いや、軍部を丸ごと監視している、ということなのか。

 管理局はさすがに盗み見出来ないにしろ、アニマポートに関しては彼らの管轄内だ。彼らがカメラを何台置こうが、それは合法の上での設置となる。
 その点について予め何も言ってこなかったのは、単にセキュリティー上の都合というわけでもなさそうだ。我々がカメラに気付いた――つまり、それ自体が彼らにとっては「問題」であることを示している。

 監視カメラは目に見えるものではなく、ナノサイズの複数のカメラから成り立つ、いわゆる複眼タイプのものだという。それらは外観で見抜ける程たやすい代物ではなく、ブレイデン・パーカーがやったように、ハッキングでようやく存在が判るレベルなのだ。
 その事をVR・AGES社に問い合わせたなら、我々がハッキングを試みたとバレてしまい、余計な警戒心を煽る結果になるだろう。そうなれば、世界中のどのエージェントよりも目を付けられ、Mi6はおろか、私自身も動きにくくなる。

 我々はこの事実を黙認すべきなのだ。
 余計なことを言及せず、行動せず、今はただ、プルステラと繋がる手段のみを探すことだ。

 ――などと頭の中で結論付けたその時。
 ふと見上げた視線の先で赤い光が明滅するのを、一度だけ視認出来た。

 はっと思った時には既に身を動かしていた。
 しかし、一呼吸する間もなく、刺繍針程の細い光線が私の右肩を貫いた。

「ぐうっ!!?」

 肩の神経をやられたらしい。指先まで痛みと痺れが伝わり、力が入らない。傷口からは肉を焼いた煙が細く棚引いている。
 私は直ぐに柱の陰に隠れ、射線の先をそっと伺った。

 斜め上方から飛んできたが、その方面に人の姿はなく、人が通れるような道もない。ただの壁だ。

 ――まさか。

 背中と額に伝う冷や汗を感じながら、私の口許は苦い笑みに歪んだ。
 無数にあるナノサイズのカメラ。私の予想が正しければ、これは全て、レーザーの照射も可能なガンカメラ、ということになる。

 これでは、隠れても意味を成さない。
 恐らく、どの場所にいても一瞬で心臓や頭を貫けるだろう。無論、それは私だけでなく、民間人も同様だということになる。

 私の取った行動が気付かれたのだろうか。
 或いは、警告とでも言うのだろうか。
 どの道、二発目がない辺り、少なくとも今殺すというワケではなさそうだが……。

 とすれば、これはただの牽制だ。
 VR・AGES社は、この私に圧力をかけ、ケンカを売っている。つまりはそういうことなのか。

「……ふ、ふふ」

 思わず乾いた笑いが零れる。
 肩に空けた小さな穴から滲み出る血を押さえながら、私は何事もないように管理局へ歩みを進めて行く。
 それまで水面下にあった懐疑心が、一気に頂点まで膨れ上がった。

「…………いいだろう。全面戦争だ……!」
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