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Section5:守護者

35:連絡

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 歯車なんてものは、とうの昔に狂っていた。

 異なる大きさの歯車は都合良く噛み合ったまま回り続け、世界は確実に終焉を辿るべく円転を続けている。
 絡み合う二つの歯。その一点に存在するのは、潰滅と創世への通過点だ。
 記憶、文明、肉体――あらゆる残滓がその一点に潰えてゆくだろう。

 私は守護者だ。最後までこの危険な歯車に立ち続け、見守る役目がある。
 たった一枚で回り続ける歯車に危険因子は存在しない。
 未来永劫、何にも触れず、他の歯車が壊れたとしても、ひたすらに回り続けるだろう。

 そこに、別の歯車が噛み合わない限りは。


 ◆


「ビセット大佐、失礼します」

 ――そんな堅苦しい挨拶は抜きにして貰えると助かるんだがなぁ。

 私はアクリルのパーテーションの向こうにいる「エリック坊ちゃん」に「入れ」と促した。
 ヤツはいつものように旋毛から爪先まで緊張を行き渡らせ、ドアに頭をぶつけそうな勢いで頭を下げると、寸分の狂いもない動きで私の前に立った。
 身の丈一九〇センチ。細身で鋭い瞳に聡明さを象徴するような眼鏡をかけている。歳は今年で三十を超えたはずだ。

「……もっと楽にしたらどうかね? 私はそんなことで咎めはせんぞ」
「任務ですので」

 やれやれ。優秀過ぎるのも困ったものだ。
 コイツとは長い付き合いだが、規律の塊みたいなものだ。さっさと用件を聞くとしよう。

「それで、定期連絡だったな。プルステラはどうだ?」
「はっ」

 エリックは手に持ったタブレットを胸元の高さに保ち、報告書を読み上げた。

「以前頼まれました調査について何点か報告がございます。Mi6からの情報によれば、プルステラの機能自体は今も正常に働いているようです。ただ、外部との連絡が一切行えず、有事の際に開くゲートというのも未だに確証を得られません。七月に起きたらしいアニマデータの異常についても明確ではなく、引き続き調査を行っております」

 七月――確か、あのエリカ・ハミルトンが旅立った日だったな。
 目の前の従順な坊ちゃんとは全くの逆で、私に対して最後まで反抗的な態度を見せていたものだ。

 その彼女が、アニマリーヴの際にとんでもないことをしでかしたと報告があった。
 どういうわけかケージに入れていたはずの飼い犬が脱走してアーク内に侵入し、あろうことか自分の「棺」に入れてそのままアニマリーヴを実行したらしい。
 エリカも犬も、そのまま旅立ってしまった。その後どうなったかは、私には知る由もない。

 エリカの件と関係があるかは定かではないが、偶然にもその時にバベル内で異常を感知した、と報せがあった。
 VR・AGES社はこの件に関してただの「誤認」と言い張っている。独自に調査を行っても詳しいことは未だに判明していない。

「アークの方は?」
「海底シェルターに保管されたままで、動きはありません」

 私は背もたれから身体を浮かせ、デスクに両肘を突いた。
 長年使っていた椅子が情けない軋みを上げ、ふとコイツの寿命が頭を過ったが、直ぐに考えを切り換えた。

「海底シェルター……か」

 アニマリーヴの後、方舟「アーク号」はアニマポートから二万キロ弱離れた太平洋の海底シェルターへと運ばれる。
 機体には最新鋭のジェットエンジンを積んでおり、アニマリーヴを処理する僅かな間に到着してしまうのだ。

「何か、気になる点がございますか?」

 エリックは眉を潜めた私を気にかけた。

「いや、その海底シェルターはどういう構造だったか、思い出そうとしてな」
「火星テラフォーミング用簡易居住区を開発するための実験施設を改良したものですね。当初はアメリカ航空宇宙局NASAが管理していたはずです」

 と、エリックはそらで回答した。

「そのため、空調設備は充分ですが、セキュリティーの都合上、中に入ることは禁じられております。視察の際にもご覧になったと思いますが、隙のない場所ですよ」
「……あぁ、そうだったな。もう十年近くも前の話だったから忘れてしまっていた」
「そんな大佐の為に補足しますと」エリックは続けた。「シェルターが開けられるのは内部からのみで、外部からこじ開けようとした場合、どんな事情でも必ず警備システムが発動する仕掛けです。何せ、各国の要人がいるわけですから」

 要人、と言ってもプルステラではただの一市民だが。本当の要人は、プルステラを管理するVR・AGES社の社員で、彼らは民間人とは全く別の場所でアニマリーヴを行ったと聞くが、それすらセキュリティーの都合で秘密裏にされていた。

「……ということは、誰もあの中に入っていない、ということかね?」
「ええ、そうなりますね。もし入れたとしても、いわゆる人質の状態ですから、我々が無理に動けば何があってもおかしくはないでしょう」

 この件については国連で何度も協議を重ねた。だが、VR・AGES社の巧みな話術に騙されたのか、各国の首脳はあっさりと合意し、全てをVR・AGES社に委ねることに調印した。

「ですが、どの道、一年経てばアークは取り出され、使われない遺体の処分のためにそれぞれ本国へ戻されます」

 エリックはそう付け足した。

「他国も下手に手を出さない方が、と考えているはずです」
「ふむ……」

 アニマデータの異常。侵入を許さない海底シェルター。データ上でしか解らず、不明瞭なプルステラの構造。……そして、これだけの問題を予見出来る中、各国首脳が挙って首を縦に振った理由。――どれを取ってもキナ臭い。
 内密にバベルを調査しようにも、VR・AGES社が誇る独自のセキュリティーは破るのが非常に困難だ。既に何名かのエージェントが捕まり、拘束、無力化されたと聞く。
 警備も軍隊並の精鋭が揃い、本気を出せばテロリストとして活動出来るのではないかという懸念もあるほどだ。

 逆に、バベルが稼働している限り、戦争は起こらない。起こす程の力もない。
 既に国家の機能は次々と麻痺しており、国として大々的な活動を行うには力が足りなかった。

 ――何故だ。何故こうなる前に動けなかった。

 水面下で何かが蠢いている。狂った歯車が違う歯車に乗せ換えられたように、それを当たり前のように実行している。
 だが、動けなかった。動く暇さえ与えなかったのだ。

「国内に残る魔術師ウィザード級のハッカーは何名いる? 無論、プルステラを参照出来る程の力を持つ者だ」

 エリックは眼鏡を中指で直しながら、冷静に回答した。

「……残念ながら一人も。ですが、国外でしたら何名かいるようです」
「コンタクトは取れそうかね?」

 エリックは顔を崩さずに深い息を吐いた。

「試してはみますが、期待は出来ません。こちらも有能な人員が足りていないのですから。……もしや、バベルのクラックでも考えているんですか?」

 私は鼻で笑った。

「そんな馬鹿な。そんなことをしてアニマに傷が付いたら何が起こるか解らないぞ。せいぜい中身を見るだけだよ」

 エリックは呆れた溜め息をついた。

「どの道、不正を冒すのですね。……では、私は一体何をすれば?」

 私はわざとらしく一つ咳をして居住まいを正した。

「……よし。改めて任を与えよう。エリック・J・ハミルトン中佐」
「イエス・サー!」

 彼は初めの時と同様に姿勢を正した。……と言っても、元々崩さない姿勢だったので、あまり変わった風に見えないのだが。

「これは内密のため、口頭にて命ずる。国外の有能なウィザードを見つけ、プルステラ内にいるウィザードと連絡が出来るよう計らいたまえ。手段は任せるが、なるべく穏便にな」
「イエス・サー!」

 敬礼をし、彼は出て行こうとする。私はその背に呼びかけた。

「それと、エリック」

 彼は振り返った。

「何ですか?」
「お前は有能だが、家族を悲しませる事にも長けているな」

 そんな風にからかってやると、エリック坊ちゃんはようやく困ったように眉に皺を寄せた。

「……私は家族と縁を切りました。今は貴方に仕え、この国を最後まで見届けるのが私の生きるべき価値です」
「馬鹿言え。それは私の役割だ。色々と拒む理由はあると思うが、キミはそのうち、たった一人でプルステラを彷徨っている『家族』を助けてやるのだ。……いいな?」

 その問いに何も応えず、エリックは返答の替わりに軽く敬礼をし、その場を去っていった。


 ◆


 私の職場はアニマポートの一角にあるアニマポート管理局だ。少し前までは陸軍基地にいたが、今はここでプルステラに関わる警備、防衛全般を任されている。
 昼頃になればアニマポートへ行き、適当な食事をして僅かな休息を楽しむ。そんな当たり前な職場にいることが不思議でならない。

 今日も当たり前のように弁当を買おうと登山口の弁当屋に向かうと、十月の新作限定メニューが売り出されていた。
 ジャック・オー・ランタンをイメージした、プラスチックのカボチャの容器に入った小さなバタールサンドだ。私はそいつを選んだ。

「ビセットさん。いつもお買い上げありがとうございます」

 弁当屋のお爺さんはそう言って頭を下げ、カボチャを手渡してくれた。

「礼を言うのはこちらの方ですよ。人の少ないアニマポートを盛り上げて下さって感謝しています。……本当に、この場に残ってもいいのですか?」

 老人はその問いを軽く笑い飛ばした。

「私は充分に生きました。後は残り少ない余生を生まれ育ったこのロンドンで過ごしたいだけです」
「そうですか……」

 それもまた、一つの選択だ。
 世の中の流れに逆らえる人間は数少ないが、何よりも故郷を愛する者は、プルステラよりもここで死ぬことを選ぶのだ。

「ビセットさんは行かないのですか?」
「私の任務はここに残ることです。誰もいなくなったら、その時に改めて決めるとしますよ」

 それも、四月以降に帰還する人々が全くいなければ、の話だ。
 帰還する者がいなければいないで、プルステラというものはより疑わしい存在になるだろう。

 老人は深い溜め息をついた。

「人間というのは残酷で、罪な生き物ですなぁ」
「……あなたも、そう思いますか?」
「ええ。自然を都合良く換え、手に負えなくなれば直すよりも新天地を求める。こんなことを繰り返せば、神様もお怒りになるでしょう。……確かに自然を蘇らせるにはアニマリーヴによる移住しかありませんが、放棄するというのも少し無責任な気がしましてな」
「神様……か」

 ――無神論者ですから。

 この山の頂上でそう言っていた、まだあどけなさの残る女性の顔を思い出した。
 エリカ・ハミルトン。彼女は現実と向き合い、最後まで争った結果、プルステラへ行くことを決断した。それは老人の言うような宗教染みた考えではなく、彼女なりに理に適った……或いは消去法で選んだ自分なりの選択だったはずだ。

 老人とエリカの言うことに違いはほとんどない。エリカは命の尊さを、老人は自然の尊さを説いているだけで、そのどちらも、今現世で在るべきものは現世で守るべきだと言っている。
 だが、エリカはこの山を登ることで、自然の本来あるべき姿や美しさを知ってしまった。
 きっと、あの娘は思ったはずだ。人間は、本物の自然に触れる必要などない。何故なら、あんな偽物の光景でも感動するからだ、と。
 今、人間が遺すべきは積み重ねてきた記憶だけで、命なんかではない。自然は人間の手から離れ、一旦長い時を経て、在るべき姿を戻すべきなのだ。

 ベンチに座り、カボチャケースから取り出したバタールサンドを食べる。
 これも人間の遺した記憶なのだ、と考えながら、中に挟んであるのがクリーミーなカボチャサラダであることに気付かされた。
 ――そう言えば、あれからもう三カ月。間もなく三回目のアニマリーヴとなる。

「ハロウィン……か」

 周囲を見れば、本当に殺風景な光景だ。
 ちょっと昔まで、テーマパークのアトラクション一つ取ってもハロウィンバージョンと称してカボチャ色の飾りつけに一新していたものだが、最近はそんな季節感を感じさせるイベントもなく、良くてこの、心の籠もった登山弁当ぐらいである。このままだとクリスマスもつまらなくなるだろう。現世で生きる者はますます意気消沈するに違いない。

 私は少し考えてから、バタールを入れていたカボチャのケースを後ろのスペースに置いた。
 せめて登山口から見えるように……しかし、棄てられないよう、なるべくさりげなく、あまり目立たないよう調整し、きっちりとフタも閉めてやる。

「……まぁ、飾りつけにしては小さすぎるが、しばらくコイツでマシになるだろう」

 私は手に抱えた残りのバタールを口の中へ片付けると、管理局へと戻った。
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