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名探偵梨子ちゃん???
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私の名推理に異議を唱えたのは心美ちゃんだった。
「おかしなことって?」
「部室のコーヒーメーカーのコーヒーは、いつから切れていたんでしたっけ?」
「えーと……」
今夜のツマミを何にしようかと考え始めていた私は、意識を現実に引き戻し、記憶を辿る。つい数時間前、私自身が口にしていたことだ。
「昨日の昼だね」
「この周辺の自販機のコーヒーが二、三日前にはなくなっていて、部室のコーヒーも昨日の昼にはなくなっていたとしたら、昨日の午後二時にドグラ・マグラを読んだ武元さんは、いったいどこからコーヒーを持ってきたのでしょう?」
「それは……」
心美ちゃんが投げかけた疑問に対して、私は咄嗟に返答を思いつけなかった。
「どっか、全然別の……キャンパスの外とか、売店から……?」
「最初から部室に来るつもりだったのなら、わざわざ外でコーヒーを買って来て飲んだりするでしょうか? 部室のコーヒーメーカーを使えば、淹れたてのコーヒーがタダで飲めるんですよ」
「コーヒーが切れてたことを知ってたんじゃないの?」
「知っていたとしたら、誰が教えたのでしょう?」
「うーん……」
言われてみれば、コーヒーが切れたことは部のグループトークでは話題に上っていなかったし、武元くんに個人的にそれを伝えるような相手は文芸部内にいなさそうである。
「つまり心美ちゃんは、昨日武元くんはここでコーヒーを飲んでいないんじゃないかと言いたいの?」
「その可能性は高いと思います」
言われてみれば、少し不自然ではある。しかし……。
「でも、じゃあ仮に武元くんがコーヒーを飲んでいなかったとして、彼がコーヒーの染みを見ていなかったことはどう説明するの? 中居くんを庇っているってこと? あの二人、そんなに仲がいいって話は聞かないけど……」
「それが、問題なんですよねぇ……」
心美ちゃんは顎に手を当てて首を傾げた。
「武元さんは、さっき何て言っていましたっけ……?」
「えーと……」
「『読んだが、コーヒーの染みは見えなかった』っち言いよったよ」
「見えなかった……微妙な表現ですよね……」
武元くんの証言を思い起こし、文芸部室に沈黙が流れる。
「武元さんって、いつもあんな濃いサングラスをかけているんですか?」
「そうだね、外してるところは見たことがない。部室で本を読んでる間も、大体かけたままだったような気がするけど」
「コーヒーの染みの色は、薄茶色……」
「あーーーーーーっ! わかったっちゃ!」
私と心美ちゃんの会話を聞いていた梨子ちゃんが突如として奇声をあげ、椅子から立ち上がった。吹き飛ばされた椅子が彼女の足元でパタンと倒れ、『っちゃ!』の残響が耳の中にオンオンと響いている。だから、声がでかいってば。
「武元くんさ、ばり濃い色のグラサンかけてたから、コーヒーの染みの薄茶色があんまり見えなかったんやない?」
梨子ちゃんのその一言に、私は目から鱗が落ちるような思いがした。
武元くんのトレードマークとも言える真っ黒いサングラス。たしかに、あれをかけたまま本を読んでいたら、薄茶色のコーヒーの染みには気付かないかもしれない。これは完全に盲点だった……。
「あ、本当だ……そうだね、梨子ちゃんすごい!」
「へへーん、すごいやろ! 天才やろ! あれ、もしかしてうち、探偵の才能あるんやない?」
盛り上がる二人を見ながら、しかし私はどことなく腑に落ちないものを感じていた。今のって、梨子ちゃんが解き明かしたというより、心美ちゃんの極めて高度な誘導のおかげではないか……?
翌日、中居くんを呼び出して問い詰めると、中居くんは自分がコーヒーを零した犯人であることを、案外あっさりと白状した。本に熱中するあまり喉の渇きを覚え、何とはなしに淹れたコーヒー。紙コップになみなみと注がれた熱々のコーヒーを一口啜り、再び本に目を落としたその瞬間、彼の口元から垂れた一滴のコーヒーが、ぽたりと正木博士のチャカポコページを汚してしまった。
本に深い愛情を注ぎ、ドグラ・マグラの初版本の価値も十分に理解している中居くん。それだけに、彼の頭はパニックを引き起こし、どうしたらいいかわからずそのまま本を戻してしまったそうだ。
ただ、例えばもしも彼が本を開いた時既にコーヒーの染みがあったと嘘をついていたら、その前にドグラ・マグラを開いた小粟くんが犯人だと誰もが信じていただろう。小粟くんに濡れ衣を着せようとしなかったところに、中居くんの生来の真面目さが窺えるような気もする。
そんな事情もあって、梨子ちゃんは中居くんの謝罪を受け入れ、本を汚した罪については不問に付すことにした。ただし、中居くんは卒業するまでずっと文芸部に在籍し、他の人に頼まれたらコーヒーを淹れて運ばなければならない、という条件がつけられた。
これにて、『ドグラ・マグラ初版本のコーヒーの染み事件』は一件落着。
しかし、私には新たな不安の種ができてしまった。
「よっしゃ、この名探偵堀江梨子ちゃんが、世の中のありとあらゆる事件を解決に導いたるっちゃ!」
今回の事件で気をよくした梨子ちゃんが、こんな大それたことを宣いだしたのである。しかも、
「うん、梨子っちならきっとできるよ!」
と心美ちゃんが囃し立てるものだから、まったく手に負えない。
あまり図に乗って妙な事件に首を突っ込まなければいいのだが、と、今から心配な私である。
「おかしなことって?」
「部室のコーヒーメーカーのコーヒーは、いつから切れていたんでしたっけ?」
「えーと……」
今夜のツマミを何にしようかと考え始めていた私は、意識を現実に引き戻し、記憶を辿る。つい数時間前、私自身が口にしていたことだ。
「昨日の昼だね」
「この周辺の自販機のコーヒーが二、三日前にはなくなっていて、部室のコーヒーも昨日の昼にはなくなっていたとしたら、昨日の午後二時にドグラ・マグラを読んだ武元さんは、いったいどこからコーヒーを持ってきたのでしょう?」
「それは……」
心美ちゃんが投げかけた疑問に対して、私は咄嗟に返答を思いつけなかった。
「どっか、全然別の……キャンパスの外とか、売店から……?」
「最初から部室に来るつもりだったのなら、わざわざ外でコーヒーを買って来て飲んだりするでしょうか? 部室のコーヒーメーカーを使えば、淹れたてのコーヒーがタダで飲めるんですよ」
「コーヒーが切れてたことを知ってたんじゃないの?」
「知っていたとしたら、誰が教えたのでしょう?」
「うーん……」
言われてみれば、コーヒーが切れたことは部のグループトークでは話題に上っていなかったし、武元くんに個人的にそれを伝えるような相手は文芸部内にいなさそうである。
「つまり心美ちゃんは、昨日武元くんはここでコーヒーを飲んでいないんじゃないかと言いたいの?」
「その可能性は高いと思います」
言われてみれば、少し不自然ではある。しかし……。
「でも、じゃあ仮に武元くんがコーヒーを飲んでいなかったとして、彼がコーヒーの染みを見ていなかったことはどう説明するの? 中居くんを庇っているってこと? あの二人、そんなに仲がいいって話は聞かないけど……」
「それが、問題なんですよねぇ……」
心美ちゃんは顎に手を当てて首を傾げた。
「武元さんは、さっき何て言っていましたっけ……?」
「えーと……」
「『読んだが、コーヒーの染みは見えなかった』っち言いよったよ」
「見えなかった……微妙な表現ですよね……」
武元くんの証言を思い起こし、文芸部室に沈黙が流れる。
「武元さんって、いつもあんな濃いサングラスをかけているんですか?」
「そうだね、外してるところは見たことがない。部室で本を読んでる間も、大体かけたままだったような気がするけど」
「コーヒーの染みの色は、薄茶色……」
「あーーーーーーっ! わかったっちゃ!」
私と心美ちゃんの会話を聞いていた梨子ちゃんが突如として奇声をあげ、椅子から立ち上がった。吹き飛ばされた椅子が彼女の足元でパタンと倒れ、『っちゃ!』の残響が耳の中にオンオンと響いている。だから、声がでかいってば。
「武元くんさ、ばり濃い色のグラサンかけてたから、コーヒーの染みの薄茶色があんまり見えなかったんやない?」
梨子ちゃんのその一言に、私は目から鱗が落ちるような思いがした。
武元くんのトレードマークとも言える真っ黒いサングラス。たしかに、あれをかけたまま本を読んでいたら、薄茶色のコーヒーの染みには気付かないかもしれない。これは完全に盲点だった……。
「あ、本当だ……そうだね、梨子ちゃんすごい!」
「へへーん、すごいやろ! 天才やろ! あれ、もしかしてうち、探偵の才能あるんやない?」
盛り上がる二人を見ながら、しかし私はどことなく腑に落ちないものを感じていた。今のって、梨子ちゃんが解き明かしたというより、心美ちゃんの極めて高度な誘導のおかげではないか……?
翌日、中居くんを呼び出して問い詰めると、中居くんは自分がコーヒーを零した犯人であることを、案外あっさりと白状した。本に熱中するあまり喉の渇きを覚え、何とはなしに淹れたコーヒー。紙コップになみなみと注がれた熱々のコーヒーを一口啜り、再び本に目を落としたその瞬間、彼の口元から垂れた一滴のコーヒーが、ぽたりと正木博士のチャカポコページを汚してしまった。
本に深い愛情を注ぎ、ドグラ・マグラの初版本の価値も十分に理解している中居くん。それだけに、彼の頭はパニックを引き起こし、どうしたらいいかわからずそのまま本を戻してしまったそうだ。
ただ、例えばもしも彼が本を開いた時既にコーヒーの染みがあったと嘘をついていたら、その前にドグラ・マグラを開いた小粟くんが犯人だと誰もが信じていただろう。小粟くんに濡れ衣を着せようとしなかったところに、中居くんの生来の真面目さが窺えるような気もする。
そんな事情もあって、梨子ちゃんは中居くんの謝罪を受け入れ、本を汚した罪については不問に付すことにした。ただし、中居くんは卒業するまでずっと文芸部に在籍し、他の人に頼まれたらコーヒーを淹れて運ばなければならない、という条件がつけられた。
これにて、『ドグラ・マグラ初版本のコーヒーの染み事件』は一件落着。
しかし、私には新たな不安の種ができてしまった。
「よっしゃ、この名探偵堀江梨子ちゃんが、世の中のありとあらゆる事件を解決に導いたるっちゃ!」
今回の事件で気をよくした梨子ちゃんが、こんな大それたことを宣いだしたのである。しかも、
「うん、梨子っちならきっとできるよ!」
と心美ちゃんが囃し立てるものだから、まったく手に負えない。
あまり図に乗って妙な事件に首を突っ込まなければいいのだが、と、今から心配な私である。
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