式鬼のはくは格下を蹴散らす

鬼を抱きし人の血脈

鬼さん争奪宣戦布告④

「あの……すいません。霧がこんなに発生するとは思わず……」

　女性の声が聞こえた。その距離はおそらく七メートル。近いようで遠い距離でこの道の先にいるようだ。
　声を聞いて、魄はくは「あれ？」と瞬きを繰り返した。この声は聞いたことがある。

「なんだ。雪絵か」

　鷹尾たかおはため息をつきながら印を解除した。

「はい。ご無沙汰しております、鷹尾お兄さん」

　水蒸気が消えて視界が戻って来た。道の向こうに小柄な女性がおどおどした様子で立っている。

　壱拾想幸絵じゅうそうゆきえ。20歳。155センチの中肉中背。肩甲骨ほどの長さの黒髪はナチュラルウェーブかかっておりふわりと風に揺れる。顔は端麗な部類で色白だ。目の色はこげ茶色、垂れ目で鼻は小さめ、唇は小さく薄い。ベージュのウールコートにショートボトム。ロングブーツを履いている。
　清楚な印象を受ける女性だが、彼女は壱拾想の分家の一つで鬼門を守る役割を担っている。全体的に能力は低いため式鬼を使役できないが、誠意と責任感の高い者が多いため重要案件に駆り出されることが多かった。

「お久しぶりです」

　魄は深々とお辞儀をした。

「魄さんもお久しぶりです。挨拶が遅れてごめんなさい」

　雪絵は慌ててもう一度お辞儀した。

「雪絵。挨拶は済んだか？」

　ひゅん、と雪絵の近くに男性が降りてきた。黒いテーラージャケットとスラックス、白いタートルネックに黒いベストのいで立ちだ。こちらに振り向くと、男性の左額に角が伸びていることに気づいた。鬼だ。
　鷹尾たかおと魄は驚きで目を開く。「角が……」と魄が呟くと、男性は軽く会釈をして名乗った。

「お初にお目にかかる。俺は雪絵の式鬼、か……」
「魁か？」

　鷹尾が言葉を遮る。男性こと魁かいは驚いた表情になり、物言いたそうに雪絵を見下ろす。彼女も驚いた表情をしていたが視線に気づいて魁を見上げた。「教えていたのか」と問われ「違う」と答えている。
　自分以外の鬼に初めて会った魄は驚き、鷹尾を凝視する。

「やっぱり」

　鷹尾は腕を組んで深くため息をつき、無意識に軽蔑したような眼差しを雪絵にぶつける。彼女の父親を思い浮かべていたからだ。
　魁は視線から何かを感じ取ると、すぐに雪絵の肩を掴み自分の後ろへ移動させる。怒りを含んだ目で鷹尾を睨んだため、魄は一歩前に出ようとして……鷹尾に手で制された。

「それで、今の苗字は？」

「壱拾想だ」

　壱拾想魁じゅうそうかい。年齢は23歳。身長は180センチで筋肉質の男性だ。ソフトモヒカンでターコイズブルーの髪。やや釣り目で色はターコイズブルー。眉と目が近く鼻が高い端麗な顔立ちだ。額には15センチほどの角があり、左半分から手にかけて肌に青色せきしょくの虎模様が浮かび上がっている。

「鷹尾。あの人知ってるの？」

　魄が聞くと鷹尾は頷いた。魄はまた正面をみてから「私は知らない」と怪訝そうに眉をひそめる。

　先祖返りしている人間は都野窪つのくぼの長女である魄しかいないはずだ。都野窪は授かる子の数が少なく短命であり、嫁にださないため鬼の血筋に分家はいなかった。
　現在は叔父叔母と従妹二人が壱拾想の敷地内に住んでいるが、彼らが先祖返りした話は聞いていないし、そもそも男子を授かってはいない。

　だとすると、目の前にいる者は誰なのか。
　他県の鬼だと思えばしっくりくるが……見ていると妙な親近感がわいてしまうので不思議だと、魄は首を傾げた。

「それで……雪絵はどうしてここへ？」

　鷹尾は雪絵に問いかける。少しだけ冷たい声色だった。雪絵はビクッと肩を震わせて魁の服の裾を掴んだ。喋ろうと口を開くが鷹尾を見るときゅっと唇が閉じる。言っていいのか大いに迷っている節がみえる。

「わざわざご足労したのなら相当重要な用事のはずだ。そこの鬼についての話か？　それとも」

「主は古より伝わる入れ替え勝負を、壱拾想鷹尾に決闘を申し込みに来た」

　魁が凛とした態度で答えた。なかなか切り出さない雪絵に対し自分が前に出なければと思ったようだ。雪絵は爆弾発言を聞いたかのように慌てふためき、魁の服の袖を引っ張って「待って待って、まだ心の準備が！」といいながら彼の行動を止めようとしている。

「あー。なるほど。本家と分家の入れ替わりを望むってこと」

　特に驚くこともなく鷹尾が髪をガリガリと掻く。

　壱拾想には『陰陽師の能力が高い方を本家として認める』という独特のしきたりがある。鬼を使役できるのは本家だけという決まりがあるのも、分家よりも能力の高い者が産まれるためだ。それに異を唱える分家もあり、長い年月を見れば五世代に一度くらいは行われていた。
　鷹尾の叔父である壱拾想劍つるぎは式鬼を従えたい願望が強かった。姉である勇実いさみに何度も勝負を仕掛けて敗北している。しかし彼の末の娘が陰陽師として高い能力を持っていたため、劍の期待がいつも伸し掛かっていた。雪絵の態度を考えると彼女が入れ替わりを望んでいるのではなく、父に言われて行動を起しているようだった。

　魁は「そうだ」と鷹尾の言葉に頷いた。

「勝負は明日より一年、新月に行う。勝敗が決まるまで式鬼同士を戦わせる。勝ったほうが本家となり式鬼を配下にできる権限を得る」

「術者同士ではなく、式鬼同士ときたか。俺と決闘するのは嫌なんだな」

　鷹尾が鼻で笑った。腕を組み、気に入らないと言わんばかりに不快な感情を前面に押し出す。
　雪絵はあわわわと唇を震わせながら、渋々頷く。

「父の、意向です……。あの、式鬼が揃っているから競わせたいと……」

　鷹尾は少し憐れんだように雪絵を見たが、すぐに気を取り直して頷いた。

「決闘は受ける。だけどこの件は母にしっかり報告させてもらうからそのつもりで。って叔父さんに伝えといて。なんらかの処罰は覚悟するように」

「はい……ごめんなさい」

　雪絵が申し訳なさそうに頭を下げたので、鷹尾は苦笑しながら肩の力を抜く。軽蔑した視線をやめて柔らかい眼差しで見つめた。

「雪絵も大変だな。厄介な親を持ってさ。だけどまぁ勝負は勝負。式鬼同士なんだから怪我を気にせず全力でかかってこい」

「はい！」

　雪絵がはにかむように笑うと、魁がムッとしたように眉間にしわを作った。雪絵の肩に添えていた手に力が入る。
　鷹尾は二人の行動を吟味しながら顔を傾けた。

「新月は来週か。その前の日に実家に戻るから当日は旧練兵場で。時間は……戻ったらまた電話する」

「わかりました！　万が一にでも予定変更がありましたら私からも連絡します」

　二人はにこっと笑った。決闘の約束というよりは遊びの約束のようである。魁は明らかに不機嫌になり鷹尾をチラチラみている。魄は怪訝そうな表情のまま雪絵と鷹尾と魁を交互に眺めていた。

　バチっと魁と目が合った魄。目をそらすと負けた気になったので見つめ合う。
　魁と魄は目をそらしたいなと思いながらなんかできなかった。無意識に互いに特徴を己に当てはめる。
　このままではらちが明かないと、魄は大きなため息をついて苦笑した。

「はじめまして、私は都野窪魄。せっかくだから魄って呼んでよ」

　親しみを込めて話しかけると、魁が肩の力を抜いた。

「はじめまして魄。なら俺のことは魁って呼んでくれ」

　わかった。と魄は頷いて、リラックスした姿勢になる。

「じろじろみてごめんね。鬼に会ったのは初めてなの。いろいろ聞きたいことがあるんだけど、それは勝負の後にしましょう。でも一つだけ聞かせて、あんたはどこから来たの？」

　魁は少しだけ考えるように無言になったが、苦笑しながら首を軽く振った。

「悪いが、俺は昔を覚えていないんだ。気が付いたら雪絵の家にお世話になっていた」

「ありゃ。それは大変だね」

「そうでもない。みんな優しいから」

　そっか。と呟くと、

「話はこれで終了。さぁ解散だ」

　鷹尾がぱぁんと手を叩いて話をぶった切った。きょとんとして魄と魁は瞬きを繰り返す。

「えー。もうちょっと魁と話したいんだけど、駄目？」

　魄が名残惜しそうに申し出ると、鷹尾がイラっとしたように睨んできた。魄は気圧されて背筋を伸ばすが、対戦相手と談話したらいけないとでもいうのか。と心の中で不満を漏らす。

「俺は腹が減ってるの」

　鷹尾がキッパリと言い切って、雪絵と魁にシッシと手を振って追い払う動作をする。

「そ、それでは。これにて失礼します」

　雪絵が恐縮しながら会釈をして、魁の袖を引っ張り「帰ろう」と告げる。魁は頷きながら雪絵を横抱きにして飛翔してその場から立ち去った。

　あのまま走って故郷に帰るのかもしれない。と魄はのんびり思った。故郷は山の中であり交通の便を考えると六時間は優に超えるが、60キロ速度で実家へ向かって真っすぐ走れば二時間弱で到着できる。魁の身体能力なら22時くらいには到着するだろうと計算した。

　鷹尾が家路の方向へ歩き始めるので、魄は後を追った。

「鷹尾。待ってよ」

「待たない。すぐ母さんに報告しなきゃいけないから」

「魁って式鬼についてよね。劍オジさんの家に居たってことは今まで隠してたんだよね。大問題だ」

　ちらり、と鷹尾が魄を見上げる。

「魁を見てどう思った？」

「どう思ったって？」

「正直に思ったことを教えてくれ」

「んー。まずはなんか私に近い感じの鬼だなぁって。あとはちょっとカッコイイよね！　がたい大きくて目が鋭くて、あと唇セクシーだったし、ごつごつした手も良い感じ」

　思い出すほど好みな人だったとテンションが上がる魄だったが、その横で「はーあ」と鷹尾は盛大なため息をついた。割り込んできたので魄はなんだこいつと目を見開く。
　鷹尾は両手を頭の後ろで組んでジト目で魄をみる。少しだけ憐れむように口角が上がっていた。

「魁はお前の兄貴だ」

「……………は？」

　ワンクッションもない唐突な発言に魄は目を丸くして動きを止めた。汗がドッと出てくる。先をスタスタ進む鷹尾の背中に向かって小声で「なんて？」と聞き返すと、彼は足を止めて振り返った。

「二十年前に山で行方不明になった都野窪の長男、それが魁だよ」