上 下
1 / 35
鬼を抱きし人の血脈

鬼さん争奪宣戦布告①

しおりを挟む
 早歩きで細い道を進みいくつもの住宅を通り過ぎる途中で、彼女はふと足を止めて空を見上げる。
 薄紫色と深い青と藍色のグラデーションが広がって夜の帳がゆっくりと降りていた。雲一つない透き通るような色合いに光が残っているためか、眩しさを感じて少しだけ目を細める。
 バサバサ、と遠くから鳥の羽ばたきに反応するように視線を向ける。左側の上空に円を描くように鳥たちのシルエットがあった。右へ左へと移動して建物の遥か向こう側に消えていった。
 鳥たちの姿が見えなくなると蝙蝠が屋根の上を飛び回る。最初は一匹、そのうち二匹とゆっくりと数が増えていった。

 彼女は前方に視線を戻して小道を進める。
 今のところ風景から異変を感じない。
 アスファルトで舗装された歩道の片側に白を基調とした一軒家が真っすぐに立ち並び、その反対側は低い金網フェンスで区切られた広い公園があり、そこを囲うように桜や紅葉が植えられていた。
 お花見や紅葉狩り時期になると人が多く集まるが、今は紅葉狩りのピークが過ぎているため人気はなかった。

 中に潜んでいないだろうかと広場に目を向けてみる。
 子供の遊具類はブランコしかなく、代わりに老年向けの健康器具がこれでもかと備わっていた。子供の出生率減少により、高齢者が住みよくなるよう町が変化している印象を受けた。
 きっと悪い変化なのだろうと考えつつ、広場の奥に佇む黒い影を見据えて「あ」と声を上げた。
 
 声に反応したか、影が動いた。
 周囲に毒々しい――妖魔の気配をまきちらしながら近づいてきた。
 彼女は足を止める。

 黒い影が一体。広場のフェンスを越えて細い道に飛び出すと、彼女から十メートル前方に着地した。小道を塞ぐほど大きく全長三メートルほどである。黒い影は背筋を伸ばしながら後ろを振り向いており、彼女の存在に気づいていない。

 黒い影はオラウータンのようにみえたが額に鹿の角が生えて、三つの赤い目をもっている。瞼はなく魚のようにぎょろっとした目が四方を凝視していた。鼻っ面に皺をよせ激しく周囲の匂いを嗅ぐ。分厚い唇から覗く犬歯は太く長く、口を開けるとワニと遜色がない歯並びと鋭さであった。
 
 分厚い瞼や皺がソレの心情を色濃く伝えてくる。恐怖だ。追手から逃げている最中といったところだろう。

『キュオアアアアアアン!』

 ウォーターフォン(アコースティックのパーカッション楽器)の音色のような、不安感をあおる甲高い音が響いた。

 黒い影は妖魔と呼ばれているバケモノだ。
 普通は視えないが人間への悪影響は大きいモノである。
 妖魔に出会うと聴覚が最も影響を残す。
 今放たれた音は人の感情を揺さぶり恐慌状態に陥らせる。
 周囲に誰もいなくてよかった、と彼女はホッとした。

はく、そっち行ったぞ!」

 少し遅れて広場の奥から馴染みの低い男の声が聞こえた。
 妖獣は言葉の意味を理解して弾かれるように彼女を見た。退路を断たれていると感じたのか、威嚇するように口を大きく開く。
 彼女こと、都野窪つのくぼはくは、わかってますって、と心の中で返事をした。

 魄は十九歳になったばかりの女性である。
 身長百五十五センチ、中肉中背で体の凹凸は少ない。大人しそうな印象をうける平凡な顔立ちだが、鋭い大きな濃藍こあい色の目が印象的だ。腰まで届く鉄紺てつこん色の髪が風で揺れている。
 今日はワンサイズ大きい茶色のニット服、ゆったりした黒いレザーパンツ、黒い運動靴を履いていた。学校帰りのため背中にリュックサックを背負っている。

「片付けろ!」

『キュオンッ』

 妖魔は漢の声に怯え肩をすぼめたものの、前方に佇んでいる魄に気づいて、にやり、と口角を上げた。
 人間は人間を殺せない。出会った人間をどう有意義に扱うか考える。
 例えば『取り憑いて操りこの場から逃げる』か『食らって回復を図る』か『人質にして術者を殺す』などだ。いくつかの候補が浮かび瞬き一つで方針を固めた。

『キュオアアアアアアン!』

 妖魔は猿が地面を走るかのような姿勢で猛ダッシュしてきた。ある程度距離を詰めるとジャンプする。上両手足を広げて上からやってくるのは、相手を逃がさないためと自分を大きく見せるためである。
 噛みちぎらんばかりに口を開いているので、獲物の頭から覆いかぶさって食らい、回復を図ることにしたようだ。

 大口をあけて迫ってくる妖魔を濃藍目に映しながら、魄は一歩、足を引いた。反動で腰まで届く鉄紺色の髪がゆらっと揺れる。

 逃げる時間は残っていない。
 成す術なく妖魔の餌になる未来が待っている……ことはなかった。

「変化解除願う」

 主に乞うた瞬間、魄の姿が変化した。

 髪と右目の色が天色に染まり、右半分の皮膚に天色の虎模様が浮かぶ。
 二重のぱっちりした目、鼻筋が高くなり頬がシュと細くなる。
 額の右側に十五センチほどの角が生えてくると、背がグッと伸びて身長が百七十五センチになった。
 ワンサイズ大きかった服がピッタリになり、筋肉質ながらしなやかなS字ラインがくっきりと浮かぶ。

「い すい い とう……」

 ごぉぉぉっと滝つぼにおちる水の如く、賑やかな音を発しながら魄の右手の平から水があふれてきた。
 太いホース口を持っているかのように、透明な水がドボドボとあふれだすと蛇のように右腕にまとわりつく。
 二重、三重になった水の塊が右肩から指先までとどまり独楽のように回旋していた。

『ナエ! オニ!?』

 魄の角をみた妖魔の目が驚きで見開かれた。
 相手は人間ではなく『鬼』と気づいて、嗤笑していた顔が絶望に代わる。
 妖魔は脂汗を浮かべると即座に腰を左にひねって落下の目標地点を変えた。着地した瞬間に逃走する算段だったが、軌道が大きく外れたことで妖魔の浅はかな計画はすぐ魄に見抜かれた。

「ウォータージェット!」

 魄が妖魔に手を振りかざした途端、極限まで圧縮された水流が高速の三倍速度で飛び出す。
 チュィン。と高い音が鳴り、妖魔の体を袈裟懸けに切断した。

『ギェアアアア!』

 妖魔は悲鳴を上げて、仰け反りながら空中を旋回する。遠心力により左肩から右腹部がぱっくりと割れた。
 分離しながらも魄の前方に飛び込んできたため、手間が省けた、と鋭い目に喜びの色が浮かんだ。

「い すい い とう ウォータージェット!」

 魄は右手を指揮棒のように素早く動かすと妖魔はサイコロ型の沢山の肉片になった。
 肉片は水圧によって後方に押しだされて地面に散乱する。コロコロ転がると全ての肉片が水蒸気を発しながら跡形もなく消滅した。

「他は……」

 仲間を呼ぶ声を聞きつけた妖魔がやってくるかもしれないので周囲を警戒する。
 数分待ってみたが、変な影や妙な気配はなかった。

「……もういないかな?」

 魄は表情を緩ませた。
 緩みに連動するように腕にまとわりつく水が、ごぽぉう、と波打つ。
 制御が切れたかのように荒波をおこして全身を飲み込もうとするので、右腕を振って鎮めた。水は再び右腕に集まり、ちゃぷちゃぷっ、と音をたてて穏やかにたゆたう。

「人も見に来てないし、今回は後始末何もしなくていいかも」

 横に民家はあるが人の視線はない。
 留守なのか争いごとに関わり合いたくないだけかわからないが、無視は大いに助かる。
 無関係の人間に妖魔やそれに近い存在を知られるわけにはいかないからだ。知られたらお説教という呼び出しを受けので避けたい。

「よし。もういいか」

 人間に変化しよう、と思ったタイミングで、ざり、ざり、と土を踏む音がした。
 妖魔の足音ではなく人間の足音である。
 関係者と想像できるが、万が一、第三者ならすぐにここから逃げなくてはならない。
 魄はドキドキしながらやってくる人間を見た。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

甘灯の思いつき短編集

甘灯
キャラ文芸
 作者の思いつきで書き上げている短編集です。 (現在16作品を掲載しております)                              ※本編は現実世界が舞台になっていることがありますが、あくまで架空のお話です。フィクションとして楽しんでくださると幸いです。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

おいしい心残り〜癒し、幸せ、ときどき涙〜

山いい奈
キャラ文芸
謙太と知朗は味噌ラーメン屋を経営する友人同士。 ある日ふたりは火災事故に巻き込まれ、生命を落とす。 気付いたら、生と死の間の世界に連れ込まれていた。 そこで、とどまっている魂にドリンクを作ってあげて欲しいと頼まれる。 ふたりは「モスコミュールが飲みたい」というお婆ちゃんにご希望のものを作ってあげ、飲んでもらうと、満足したお婆ちゃんはその場から消えた。 その空間のご意見番の様なお爺ちゃんいわく、お婆ちゃんはこれで転生の流れに向かったというのだ。 こうして満足してもらうことで、魂を救うことができるのだ。 謙太と知朗は空間の謎を解こうとしながら、人々の心残りを叶えるため、ご飯やスイーツを作って行く。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

想妖匣-ソウヨウハコ-

桜桃-サクランボ-
キャラ文芸
 深い闇が広がる林の奥には、"ハコ"を持った者しか辿り着けない、古びた小屋がある。  そこには、紳士的な男性、筺鍵明人《きょうがいあきと》が依頼人として来る人を待ち続けていた。 「貴方の匣、開けてみませんか?」  匣とは何か、開けた先に何が待ち受けているのか。 「俺に記憶の為に、お前の"ハコ"を頂くぞ」 ※小説家になろう・エブリスタ・カクヨムでも連載しております

毒小町、宮中にめぐり逢ふ

鈴木しぐれ
キャラ文芸
🌸完結しました🌸生まれつき体に毒を持つ、藤原氏の娘、菫子(すみこ)。毒に詳しいという理由で、宮中に出仕することとなり、帝の命を狙う毒の特定と、その首謀者を突き止めよ、と命じられる。 生まれつき毒が効かない体質の橘(たちばなの)俊元(としもと)と共に解決に挑む。 しかし、その調査の最中にも毒を巡る事件が次々と起こる。それは菫子自身の秘密にも関係していて、ある真実を知ることに……。

鬼の御宿の嫁入り狐

梅野小吹
キャラ文芸
【書籍化します!】【第6回キャラ文芸大賞/あやかし賞 受賞作】  鬼の一族が棲まう隠れ里には、三つの尾を持つ妖狐の少女が暮らしている。  彼女──縁(より)は、腹部に火傷を負った状態で倒れているところを旅籠屋の次男・琥珀(こはく)によって助けられ、彼が縁を「自分の嫁にする」と宣言したことがきっかけで、羅刹と呼ばれる鬼の一家と共に暮らすようになった。  優しい一家に愛されてすくすくと大きくなった彼女は、天真爛漫な愛らしい乙女へと成長したものの、年頃になるにつれて共に育った琥珀や家族との種族差に疎外感を覚えるようになっていく。 「私だけ、どうして、鬼じゃないんだろう……」  劣等感を抱き、自分が鬼の家族にとって本当に必要な存在なのかと不安を覚える縁。  そんな憂いを抱える中、彼女の元に現れたのは、縁を〝花嫁〟と呼ぶ美しい妖狐の青年で……?  育ててくれた鬼の家族。  自分と同じ妖狐の一族。  腹部に残る火傷痕。  人々が語る『狐の嫁入り』──。  空の隙間から雨が降る時、小さな体に傷を宿して、鬼に嫁入りした少女の話。

はじまりはいつもラブオール

フジノシキ
キャラ文芸
ごく平凡な卓球少女だった鈴原柚乃は、ある日カットマンという珍しい守備的な戦術の美しさに魅せられる。 高校で運命的な再会を果たした柚乃は、仲間と共に休部状態だった卓球部を復活させる。 ライバルとの出会いや高校での試合を通じ、柚乃はあの日魅せられた卓球を目指していく。 主人公たちの高校部活動青春ものです。 日常パートは人物たちの掛け合いを中心に、 卓球パートは卓球初心者の方にわかりやすく、経験者の方には戦術などを楽しんでいただけるようにしています。 pixivにも投稿しています。

処理中です...