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マイヒーロー オワ マイデビル

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それから残業ついでに、その男を探すようになった。

いや、さすがに男の尻を追っかけるためだけに、店に残ったわけではない。

パートから社員に昇進したからには、背負う仕事の質や量はもちろん、心がまえが変わってくるし、出世欲もでてくる。はじめから社員の、同い年のヤツに早く追いつきたくもあり単独修行を。

パソコンで退勤処理をしたあと、資料とタブレット片手に、店内の電化製品を見てまわり、バックヤードの在庫をチェックするついでに、商品によっての在庫数や、その変動などのデーターを分析。

さらには返品用の不良品をいじくりまわすなど、多角的に商品について勉強、予習と補習をするのが日課。

また店についても、電源や空調、消火システム、セキュリティといった設備の機能をすべて頭に入れておきたくて、広大な店内を冒険しつくし、ふだん、店の従業員が出入りしないところも覗いたり。

そのとき清掃員とすれちがい、大体の出現場所と時間を覚えていたから、すぐに見つけられるだろうと、高をくくっていた。

が、捜索開始してから遭遇するのは、中年親父や爺さんの清掃員ばかり。
毎度毎度、顔を合わせるのに、その一人とは猥談するほど親しくなったというに、当人とはさっぱり。

幻か幽霊だったのかと思いかけたところで、親しくなった清掃員曰く、いることにはいるらしい。

とはいえ、平均年齢が高い清掃員の中で目立ちそうなわりに、仕事前のミーティングでは空気。
仕事が終わるまで、移動中にでくわしたり、持ち場にいるのを見かけないとか。

広い店内のどこかに隠れて、さぼっているのではないかと、もちろん疑うところ、果たして、あとでチェックされる彼の持ち場は、文句なしの二重丸。

「声を大きくしては云えんが、口ばかりのマネージャーより、よほどデキがいい」と囁く小柄な親父はパート、その男もパートとのことだ。

唯一、はっきりしているのは「俺らより、断トツに瑞々しくて肌艶がある」ことで、あらためて思い起こすに、若いというより、幼い印象が強い。

帽子を脱いだときに、はねた短い前髪をそのままに、蒸れた頭を無造作にかくさまは、ぴかぴかの詰襟の学ランを着た中坊のようで。

それでいて俺より長身で、やや腹がたるんだ体つきは、どこか親父臭く、老成したような佇まい。
年齢不詳のような、肌が白いせいか、性別にもぐらつきがあるような、副店長とはまたちがう、今まで会ったことがない類の、奇異な人間。

「対面したら、どんな顔をし、どんな反応をし、どんな話をするのだろう」と胸をそわそわさせて想像していただけに、休憩室でやっと膝を突き合わせられて感慨深く。

いざ幽霊めいた清掃員を前にして、つい捜索した日々の回想に耽ってしまい、はっとした。

手に持つコーヒーが冷めるほど、呆けていたらしい。
テーブルを挟んで向かいにいる彼といえば、コーヒーカップを見つめるばかりで、無言で無反応、身動きせず。

「放っておいてごめん!」と内心、謝りつつ「ああ、これはお礼、お礼だよ」と慌てて取りつくろう。
やおら顔を上げるも、飲みこめていないようで、ぼうっと見返すだけ。

さいわい、不安がったり、白けているようではないものを、なんとなく疚しくて「いやな」と声を上ずらせる。

「俺、上司に馬鹿にされて、ついかっとして、殴ろうとしたんだけど、あんたが用具ちらかした音で冷静になれて、事なきを得て。
そりゃあ、べつに、あんたは助けようとしたわけじゃないといっても、助けられたのにはちがいないし、あとになって『あのとき殴らないでよかった』って心底、思って、めちゃくちゃ、ありがたみを覚えたから」

気が急くまま、一息にまくしたてると、聞きとるのがおっつかなくてだろう。

口を半開きに、目をぱちくりとしながらも、わずかに首を傾げた。

他意はなかったろうものを「いやいや、この上司っていうのが曲者で!」と思わず拳を振りあげ訴えかけ、副店長の悪行三昧ぶりを語りだしたら、あとはもう制御不能にぶちまけ。

あまり抱えこまないよう、深刻に捉えないようにしていたのが、同僚と愚痴を吐きあえることもできない(副店長はそれほど腫れもの扱い)環境だったので、自覚以上に不満鬱憤を蓄積していたらしい。

胸をもやもやさせるのと、口にだすのとは、また異なる。
思考が言葉によって明確化されると「我慢できる限界を超えていたのだな」「云うほど、平気でなかったのか」と今更、気づかされることが山ほど。

副店長の悪口のネタが尽きてきたころには、合間に飲んだコーヒーは一滴もなく、そのあとは握りしめるあまり、紙コップはぐちゃぐちゃに。

息切れがひどいのを見かねてだろう。
コーヒーを差しだされたのを、ひったくって一気飲み。

かさつく喉に水分が染みる快さに「ぷっはあ」とビールを一気飲したかのように、思いっきり鼻息を吹いた。

徐徐にクールダウンしていって、余韻に浸り瞑っていた目を「いや、ちがうだろ!」とかっと開く。

受けとったコーヒーは、量からして、口をつけていないのだろう。
だったら「すこし、分けてやろう」と思ったか、もしくは渡すつもりで、カップを持ち上げたわけではないのか。

なににしろ「お礼に渡したコーヒーを、逆に恵んでもらってどうする!」と謝ろうとしたところ、視線がかち合ったとたん「あんた偉いなあ」と告げられた。

彼の第一声にして、なんとも頓珍漢な言葉。

「俺だったら、そんな、やくざ並に横暴な上司と仕事してたら、ストレスで死にそうだから、その前に辞めるよ、きっと」

物憂げな顔つきと、気だるげな物言いにして、慰めているでも、励ましているでもなさそう。

このごろは誰かさんのおかげで、神経質になっているらしく、どうにも、この手の話になると激昂して、相手に噛みつかないでいられない。

会ったばかりの男にも「ほいほい仕事辞められたら世話ねーよ!」と反感を抱きながらも「だったら辞めれば」的なことを云われたのは、案外、初めてで、いい意味で、すこし引っかかった。

俺らと清掃員とでは立場がちがうとあって、同僚にしろ軽軽に「辞めれば」と口にはしない。

辞めるにはハードルが高いのを知っているから。
先が保障されないし、転職先を探したり、新たに人間関係を築くのに手間暇や心労がかかるとあって、現状維持を保ってしまいがち。

「どうなったって俺は生きていける!」と豪語して、なりふりかなまず刃向かってくる馬鹿はいないと、分かっているからこそ、副店長は助長するのだ。
その見込みどおり、ことなかれ主義に徹する従業員は、心を殺しすぎて、もう屈辱も怒りも湧かないらしい。

なにげなく話の流れで、副店長の名を上げただけで「あ、俺、用事が」「私、急いでいたんだ」と避ける。
「くっそ!あの副社長!」と悪態を吐けば、さすがに見て見ぬふりをしないとはいえ、本音では、事を荒立ててほしくないのだろう。

首を振って肩を叩くか「あまり刺激しないほうがいい」「近づかないほうが賢明」と控えめな助言をするだけで「だよなあ!」と愚痴合戦に混じってくれず、酒を飲みかわし、くだを巻いてもくれない。

「ぶつくさ云ったって、虚しいだけだし、副社長に聞かれて、もっと面倒になるのは御免」との思いは分からないでもないが、ただ、俺の辞めたくない理由は、彼らとはまた異なる。

第一「悪いものは悪い」と自明すぎることを、緘口令でも布かれたように、お口チャックさせられる状況は、白黒つけたがる性分の俺には歯がゆい。

それでいて、たまに「本当に副店長は悪なのか」と考えが揺らぐことがある。

あまりに周りが冷めた態度でいて、あたりさわらず、やり過ごしているのを見るに「俺のほうが変なのか」と思えてしまって。
副店長のふるまいが鬼のように非道に見えるのは、被害者妄想なのだろうかと、自分の脳の具合を疑うことも。

でも、やはり、客観的に見ても「ストレスで死んでしまいそう」なほど有害らしい。
自分とは関係ない、所詮、他人の上司のことだから、適当に云えるのだろうが、そうだとして、その率直さに救われる思いがしたもので。

おかげで、自分の精神異常を疑いだすまでに、埒もなく悩むのが、ほとほと馬鹿らしくなった。

この年になると、社会では常識や筋が通らないこともあると、いやでも知って「そんなのはイヤだ!」と駄々をこねたってしたかたないと、妥協することばかり。

「世の中はそんなものだ」と半ば諦めて、日々過ごさないと、やっていけない面があるのは、俺も重重承知。

ただ、ずるいと思う。
上司は部下をいびり倒してストレス発散をするのが、そのせいで部下はストレスで死にそうになるのは、理不尽で不公平すぎる。

平等公平を謳う社会の、ほど遠い糞ったれな現実。
その荒波に耐えてこその一人前。

「ずるいと思うなど、なんて子供じみたことを」と鼻で笑われるかもしれないものを「ずるい!」と叫びたくなる感覚を忘れるのは、却って危ないことのように思える。



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