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黒猫の妾
⑫
しおりを挟む目の前で、手を叩かれたかのように、肩を跳ねた黒田に、さらに眉をしかめてみせ、顔を背けた。
苛ただしげに、おにぎりにかぶりついて、ろくに咀嚼せずに飲みこんでから「俺だって、かっこいい正義のヒーローになりたいし、喝采されたいし、手柄をたてて出世をしたいです」とまくしたてる。
「というか、下っ端のままでいたくない。
ただ、そう思うのが、良いことなのか悪いことなのか、つい考えてしまう。
前に被害者の方に怒られたことがあるからです」
口を挟むことなく、目を見張ったまま、健二を注視しているのだろう。
その視線が肩にちくちくして、くすぐったいようで、身じろぎしつつ、そのときのことを思い返しながら、語りつづける。
「犯行を繰り返していた窃盗犯を追いつめ、乱闘になった末に、捕まえたことがあって。
周りから『若いのにすごい偉い』と褒められました。
正直、嬉しかったから、顔にでていたんだと思います。
被害者の方に『俺が落ちこんでいるのに、何をへらへらしているんだ!』って怒鳴られたんです。
その人はお金だけでなく、母親の形見の指輪も盗まれたとのことで、とても悲しんでいた。
犯人が捕まっても、指輪の行方が分からないままとあって、もっと、やるせない思いがしたんでしょう。
指輪を取り戻せていないくせに、得意顔をする刑事なんて、そりゃあ、見てて胸糞悪くなるってもんです」
残っていたおにぎりを、口の中に放りこんで、今度は米一粒一粒、噛みしめるように、しつこいくらい咀嚼をした。
飲みこんで鼻息を吹いたなら、「それからも、手柄や出世がどうとか、一切、思わなくなったわけではない」と黒田に向きなおり、前のめりになる。
「黒田さんが言ったとおり『こんな田舎にいちゃあ、大した事件を扱うことがなくて、手柄を得られず出世もできやしない』と愚痴りたくなることもある。
けど、窃盗犯の逮捕をきっかけに、そう思うままに思わないようになった。
あまり自覚していなかったけど、黒田さんに、今指摘されて、自分がそのことを強く意識しているのに気づきました。
被害者の方に怒られたときと同じように、思うまま言葉や態度にだしていいのかと、いちいち俺は気にしているようです。
『また、ろくでもないことを、口走るんじゃないか』『取り返しのつかないことを、やらかすんじゃないか』と自分を疑っている。
そんな、常に自分を疑っている奴が、純粋なわけないじゃないですか」
瞼を上げっぱなしだった黒田が、やっと瞬きした。
意気ごんで語りながらも、あまりに無反応では心許なかったから、ほっとして「純粋って、そんないいものではないと思います」と口調を和らげる。
「子供は純粋で、大人になると、汚れていくというイメージがある。
といって、子供は『純粋』という完成された存在でありません。
あくまでスタート地点に立っているわけで、だとしたら『純粋』は無垢なのではなく、無知ということだ。
無知だから、生きていく上で、失敗や過ちを犯していく。
それは、汚れていくことはじゃない。
自分が何も知らないことを、気づいていくことだと思います。
たしかに、俺も純粋だったとは思いますよ。
警察の心得を徹底的に叩きこまれていたはずなのに、被害者の方に怒られるまで、自分の手柄が、被害者の悲しみと表裏一体になっているのに、気づかなかったのですから」
一向に返事をしてくれないものを、代わりにというか、しきりに瞬きをしている。
それこそ純粋な子供のような仕草に、むず痒さを覚えて「だったら」とやや視線をずらす。
「純粋というのは、自分の無知に気づかないか、認めようとしないことじゃないですか。
被害者の方が怒ったときも、『折角犯人を捕まえてやったのに恩知らずな』と片付けてしまうこともできた。
そうしていたら、俺は純粋のままで、いられたのかもしれない」
ふ、と息が漏れたのに、視線を戻せば、黒田が微笑をしていた。
「あんたは純粋だ」と指摘されたのが、かなりのご不満だったようと嗅ぎとったらしく「悪かったよ」と肯くようにして、かるく頭を下げる。
「俺は純粋のままで、いられたのかもしれない」とは露骨だったかと、頬を熱くしながらも、「別に純粋でいても、よかったのですけどね」と開き直ってみせる。
「でも、そしたら、被害者の方を『恩知らずな』って悪く思うことになる。
とくに悪いことをしていない人を恨むなんて、馬鹿馬鹿しいし嫌じゃないですか。
純粋な分、周りの人を悪く思うようになるなら、俺は純粋でいたくないです」
恥ずかしいのを紛らわしたくもあって、むきになって訴えるも「そう?」と一笑に付される。
母親の死について「自分が殺したようなもの」と粛々と告げた黒田らしからぬ、ひねくれた反応だった。
それでいて、茶化してくるようなのが、腹ただしくはない。
「だって、その分、自分を省みないでいいんだろ?」と太ももに手を乗せて、顔を寄せてきたのに、上体を引きながらも、目も逸らさないで、まっすぐ見返した。
「悪人だらけの世界にいるとしても、俺はそいつが羨ましい。
自分のやること思うこと、すべて正しいと、かけらも疑うことなく、まったく傷つくことも悩むこともないんだから。
そこは天国のようなものだ。違うか?」
筋は通っているから、「そうですね」と肯かざるをえない。
が、肯いたそばから「でも」と覆す。
あえてなのか、肌がひりつくような皮肉っぽい物言いからして、真っ向からの反論を望んでいるように思えたから。
「寂しいじゃないですか。
自分だけが純粋で、周りはすべて卑しいと見ているなら、その人は誰をもを見下し、軽蔑しているのでしょう。
それは、相手の美点や魅力にも気づけないということだ。
きっと人を、心から好きになれることもない。
下手したら、そのまま一生を終えるかもしれない」
やはり、わざと挑発的な態度を取ったらしく、健二の青臭い語りに、ご満悦とばかり黒田は目を細めた。
まんまと思い通りになったのを、悔しがったのもつかの間、「・・・呪いなのかもしれませんね」と呟く。
「呪い?誰による?」と黒田の意表をつけたようだが、健二にしろ、半ば無意識に漏らしたものだから、二の句を告げなかった。
すこしして「黒猫の妾」の探偵の語りが思い起こされ、ああそうかと、あらためて得心したなら、「自分の分身の呪いですよ」と応じる。
「『こんなの俺じゃない!』って切りはなした分身です。
分身にすれば、『俺もお前なのに、ひどい!』って、そりゃあ、悔しくて『俺を切り捨てたからって、幸せになれると思うなよ』と呪いをかけたくもなる。そうでしょう?」
口を開きかけた黒田は、しゃっくりするように痙攣すると、唇を噛んで目を伏せた。
健二とのやり取りを、愉快がっていたのが、にわかに気が沈んだようなのに「大丈夫」と今度は健二のほうが頼もしく請合う。
「ナミ、彼も最後には、ナギとスイへの恨みをなくしていたと思います」
頭を揺らしたなら、目を伏せたまま、上体を倒して、健二に寄りかかってきた。
肩口に顔を押しつけ「ありがとう」と声をこもらせながら、告げる。
洗い立てで、ひよこの羽毛のように、ふわふわとして跳ねている黒髪を撫で、その頭に顔を埋め、健二が囁いたことには「違います。黒田さんのおかげですよ」と。
「黒田さんが、人のせいにしないで、誰も恨まなかったから、あの魚が空を泳ぐ町が、もういらなくなったんです。きっと」
肩を震わせただけで、一言も応じなかった黒田だが、少しして、シャツの肩口あたりを濡らした。
それに気づきつつ、健二も余計な口を利かないで、頭に顎を乗せて、黒髪をくしゃくしゃとした。
声を立てずシャツを濡らす黒田の、その頭を掻き抱きながら、硝子の向こうに広がる夜空を眺めていて、「そういえば、あの子猫はどうしたのだろう」と今更に思う。
かといって、心配なわけでなく、助けられなかったのに申し訳なさを覚えるでもない。
凪いだような心持になって、子猫の艶やかな毛並みを思い起こさせる夜空に向かい、祈ったものだ。
夜陰に紛れて空駆る、無数の魂に安らぎあれと。
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